亀討伐(2)
その言葉で、胸の内をぐわりと大きく抉られた。
少しずつ体質の事も分かってきて、少し未来が見えてきて、理解ある優しい人にばかり囲まれて、忘れていた。
これは世界を滅ぼす道の外の力なのだ。
――あたしは、存在するだけで迷惑だから
呼吸が浅くなる。
敵意は一人ではなく、全体からうっすらと感じられた。
「翠都の者ではない女が、新緑の民であるガーシャ様の隣にいること自体が誤りだったのです。翠都に向かって『白』の侵食が起きているのも、先日都が神徒に襲われたのも、すべてその女のせいです」
聞いている人が驚いている姿はなく、しいんと静まり返っていた。
この演説は初めてではないのかもしれない。おそらくあたしたちがいない間に、断罪はもう終わっていたのだ。
「人喰いの神徒を呼び寄せ、人を襲わせ、殺し、世界を破壊するその女を翠都で野放しにしていたのは、福禄寿様に仕える我々の名折れです」
「ナユタ。聞かなくていい」
呆然とするあたしを、父が抱き上げた。
あたしの返事を聞かず、そのままその場を立ち去っていく。
「ガーシャ、後頼んでいいか?」
父の言葉でガーシャは振り向かずにひらひらと手を振った。
後ろの方で、勝ち誇ったようなリーリャさんの声が響いているのが聞こえた。
ずいぶん強くなって色々な事が出来るようになったつもりだったけど、結局のところあたしは集落を出た時から何も変わっていなかった。
行く先々で迷惑をかけて、自分では何も出来ずに守られて、庇われて。
優しい人にだけ囲まれて安寧に浸かっている。
「ごめんな、ナユタ」
父の声ではっとした。
「お前はずっと、この声と戦ってきたんだな」
「……戦ってないよ。ずっとアギが守ってくれてた」
「そうか」
あたしを軽々と抱き上げた父はそのまま関所を出ていった。テラスだけがそれを追ってきた。
誰もあたしたちを止めなかった。
関所を出たら周囲に白い人型の紙が落ち始めた。ちょうど都に到着したからガーシャの封印を解いていたのを忘れていた。
父はあたしを腕に座らせるようにして片手で軽々と持つと、反対の手で刀を抜いた。
キキキキキキ、と何かが擦れる音がする。
関所の門番からまだ距離が近い。きっと彼らはリーリャさんの言葉が、福禄寿様の託宣が正しいことを知るだろう。
白い紙はハラハラ舞いながら集まって、ぎゅむぎゅむと固まっていった。ソレが生き物の形をとる前に、父の刀が見えぬほどの速度で切り払った。
「俺はまだナユタの置かれている状況を何も分かってやしなかったな……確かにずっとお前と一緒にいたアギやガーシャの方がよく分かってる。父親だってのに情けねえよ」
吐き捨てるような言葉。
違うの。
悪いのはあたしなの。
神徒を呼び寄せる体質――体質ではなく、術。それを制御することさえ出来ないあたしが悪い。父が白の境界に落ちたのだって、あたしの事を調べていたせいなんだから。
あたしは父の首に手を回して抱きついた。
父にはあたしの感情なんてお見通しなんだろうか。
「お前をそんな気持ちにさせたくないんだ」
目の前の神徒を両断しながら、都からどんどん離れていく。
戦っていると感じさせる事すらなく。
「このままテラスと3人で、誰にも迷惑かけない山奥ででも暮らそうか」
父と一緒なら、もしかしたらそれもできてしまうのかもしれないな。この人はきっと出来ない事を出来るなんて言ったりしないだろうから。
10年もの間、境界の中で神徒と戦い続けていたのだ。一切休むこともなく。それがどれだけの研鑽になったのか、考えるまでもない。もともと神徒狩りとしては神格化されるほどの腕を持っていた父がそれだけ強くなってしまったら。
あたしの知る世界は狭いけれど、その実力はおそらくアギすらも遠く置き去りにして桁違いなのだろう。
「ありがとう、お父さん」
この人と一緒にいれば、何かに脅かされることはない。
ただ、世界一安心できる場所で何も考えずにいたかった。
しばらくして、アギが一人で追いついてきた。
「とりあえず翠都とは縁を切ってきた。サイショウさんたちが逃げ遅れてたから、メイカとガーシャはそっちを助けてから来るよ」
「そうか、すまないな」
「変わるよ」
アギは三叉戟を召喚して、父の前に立った。
「この後だけど、近いのは菫都だがそっちは翠都以上に寺社中心で閉鎖的らしい。だから一気に黄都まで抜けようってガーシャと話してる。サイショウさんたちは赤都に帰すつもりだけどいいよな?」
黄都。
最初にあたしたちがいた奥の山の集落から正反対、地図の一番下にある年中暖かい気候の島だ。
翠都を追い出されたばかりでもう次を考えている。それは紛れもなくアギとガーシャが持つ強さだ。そのおかげであたしの心はずっと、ぎりぎりのところで守られてきたのだ。
父と顔を見合わせて笑った。
「いいよ」
ある意味あたしと父は似ているのかもしれない。悲観的な感情に飲み込まれて逃げようとしてしまう。
でも、アギたちはそうじゃない。前に進めと無意識に促してくる。進めば違う道が見えてくるはずだから。そうやって前に進ませる事であたしをずっと守ってくれていた。
「しばらくまた駆け抜ける事になるけど大丈夫だよな」
「うん、あたしは平気。お父さんも、お母さんも一緒にいてくれるから」
にこっと笑って抱き着くと、父はまた動きを止めた。
「ああ……お前の為ならとーちゃんはなんだって出来そうな気がするよ」
夜遅くなってから外道衆組とガーシャとメイカ様が合流した。
サイショウさんもいるのであまり街道から遠ざかるわけにいかないが、人に見つからない程度に離れて。アラージャさんがいればどこにいても合流できると踏んでいるから特に目印もない場所だ。
「遅くなってごめんね、リーリャから情報を得てから振り切るのに苦労しちゃった」
隣のメイカ様が引いているからだいぶ無茶したようではある。以前、メイカ様になぜガーシャの方は頑なに固辞したかを聞いた時、『絶対にナユタには見せない姿を知っているから』とは言っていた。
大丈夫。隠している事を無理に暴こうとは思わないよ。
「アギから聞いたと思うけど、オレたちはこのまま黄都を目指そうと思う。サイショウさんたちとはここでお別れしようと思ってるけどいいかな」
「ええ。もともと僕はラクシャ様を境界から助け出すために貴方たちと共に来ました。救出できた今、僕のように機動力のない者を同行させる事はお勧めしません。ここからは有為転変、予測困難な状況でしょう。僕は赤都の仲間の元へ戻り体制を整えようと思います」
あたしはアラージャさんからまた紙の束を受け取った。お手紙書くよ。用事がなくても書くよ。また一緒に、旅に出ようね。
それからアラージャさんはあたしにこっそり一枚だけ紙を渡した。
開いて見ると、美しい月夜に千年杉の頂上あたりで、誰かが抱き合って顔を寄せて――
何なのかわかった瞬間にぱあん、と紙を閉じた。
でも、後ろからガーシャに見られていた。
「家宝にしようね」
しません。
兄や父には絶対に見せられない。あの日の晩の事は秘密なのだ。
困った顔で見ると、アラージャさんは『あまりに綺麗だったから。誰にも見せていない』と書いた。この人は本当にいったいどこまで何を見ているんだろう。おそらく絶対に見てはいけないものも見ている気がする。
世界平和は、アラージャさんの良心によって保たれている気がする。
「俺は、大将とアラージャと一緒に赤都に帰るよ。向こうにも戦力はいるだろうし、道中二人の護衛も必要だ」
カラハが言った。
「助かるが……寂しくなるな」
アギは言う。あたしも、みんなも同じ気持ちだ。
面倒見がよくて、器用で、攻撃力の高い前衛職で、少しだけお兄さんだけどあたしたちと同じ目線で旅を楽しんでくれた。今では少しばかり野生に染まって頼もしくなった。時間を作ってアギに剣術の基礎を教えてくれたのもカラハだった。
「嬉しいこと言ってくれるな。まあでも今生の別れってわけじゃねえだろ。また会えるさ」
悲しそうな顔をしたあたしたちを年上らしくたしなめて。
「アギ、お前は何を教えてもすぐに吸収するから教え甲斐があったよ。この先は、お前の父親に習うといい。きっとお前はまだまだ強くなるだろう。それが楽しみで仕方ない」
「カラハはゴクジョウ師匠と少し似てる。指導者も向いてると思うから、考えてみてほしい」
「あー……分かった、覚えとくよ」
答えるカラハはまんざらでもなさそうな雰囲気だった。
サイショウさんとガーシャは最後まで難しそうな話をしている。ずいぶん先まで分岐点を見て、何かが起きた時の大まかな方針を固めているようだった。
最初のころ、サイショウさんを信じるなって言ってたのはガーシャだったけれど、あたしがいない3か月の間に関係はずいぶん変わったのかな。
今日で旅が終わり宿で眠ると思っていたので余計に疲れている。
父が相変わらずあたしを膝の上に乗せて愛でているものだからだんだん眠くなってきた。
「寝てていいぞ、ナユタ」
「みんなも疲れてるのに」
そう言うと、隣のメイカ様が言った。
「ナユタが一番年下なんだ。2年の差がありながらずっとアギとガーシャについていたのは凄いことだと思う。ここには年かさの者しかいないんだ。少しくらい甘えてもいい」
メイカ様の優しさでまた胸がいっぱいになる。
「いつも甘えっぱなしだよ」
お父さんも、アギも、ガーシャも、メイカ様も、みんなそれぞれ違う方法であたしを甘やかしてくれる。糾弾されて疲弊した心を休ませ、すべて忘れて安心の中で眠ることが出来るのだ。
だからあたしは今もかろうじて生きていられた。
「父親としちゃ、お前にもっと甘えてほしいんだよ。このまま寝てろ」
父があたしのお腹のあたりに手を回して頭を撫でた。
お言葉に甘えて胸のあたりに頭を預けると、急激に眠気が襲ってきた。
父とメイカ様が何か話す声が聞こえたが、何を言っているかはもう分からなかった。
気が付いたらあたしはアギの背に揺られて移動していた。蒼都を出た時のメイカ様と一緒だ。
広くて安定した背中は子どもの頃から変わらないのでとても安心する。
息遣いが変わったのがわかったのか、アギがあたしを見た。
「起きたか、ナユタ」
「うん、よく寝ちゃった。ありがとう」
目をこすりながら顔を上げると、真っ白に発光する大きな物体が見えて頭が覚醒した。
「神徒っ……?」
「大丈夫、まだ少し距離があるから」
この大きさでまだ距離が? と思ってよく見ると、確かに遠そうだ。
しかし、これは何だろう。半球状のものに、大きな木のような柱が4本立っている。その4本の柱がゆっくりと動いているようにも見える……?
「あっ」
あたしはようやく気付いた。
一つの山と同じ大きさの甲羅。千年杉より太い足。動作は緩慢だが、もしこれが迫ってきたらなす術なく潰されるか、喰われるかしてしまうだろう。
間違いない。これがガーシャの過去で翠都を滅ぼしたという異形の神徒だ。
「ラクシャさんが新しい刀を使いたいらしいから、討伐していってあげることにしたよ。オレとしてはもう一度起こして翠都にぶつけてもいいかなと思ってたんだけどね。ラクシャさんに免じて許してあげる」
幼馴染が何やら物騒なことを言っている。
そして新しい刀、という言葉できょろきょろすると、メイカ様と並んであるくガオウじいちゃんの姿を見つけた。
「ガオウじいちゃん!」
「おお、ナユタ、元気か!」
アギが背中から下ろしてくれたので、あたしはガオウじいちゃんとメイカ様と並んで歩き出した。
「じいちゃんは老体に鞭打ってお前の父の為に新しい刀を打ってすぐ翠都まで出向いたというのに、お前たちはすでに都を出ておったからどうしようかと思ったぞ」
「ごめんね、じいちゃん。あたしのせいで翠都を追い出されちゃって……」
「気にするな、お前のせいではないよ。もし他の都が敵に回っても、皆、赤都を救ってくれたお前の味方じゃ。安心せい。それに、ラクシャが新しい刀の試し切りを山のように大きな神徒でやるというから許してやる」
じいちゃんの言葉で泣きそうになった。
あたしはまだ、生きていいのかもしれない。
「……翠都でもナユちゃん自身に悪い感情を持っている人は少ないよ。ただ、神徒を呼ぶという事実が不安すぎて、ああいった対応になっちゃったみたい。皆が皆、オレたちみたいに神徒を軽く倒せるわけじゃないからね。それは仕方のない事だと思う」
まあ、それを扇動したリーリャは許さないけどね、と言って。翠都でいったい何をして縁を切ってきたのか聞くのが怖い。
いつの間にか勾玉の朱印はガーシャによって封印が施されていて、これ以上神徒が湧かないようになっていた。
「さ、そろそろ到着かな」
先頭のテラスが足を止め、父もそれに並んだ。
少し見下ろした先に、超巨大な神徒があおむけに転がっている。
ここまで鷺、蟹、狐と神徒を見てきたわけだが、今回の亀は大きさが段違いだ。甲羅の縁に大きな棘が生えており、首が実は8つもあった。甲羅から伸ばした首にはみっしりと目がついていて、ぎょろぎょろと動いている。そしてこの大きさ自体も異形と言えば異形だ。甲羅自体はひっくり返っているのでよく見えないがこちらも棘が大量に生えていそうだった――逆に言えば棘のせいで地面に刺さって動けないのでは?
とにかく巨大で全容がよく見えない。
少し距離を置いているのに見渡すいっぱい顔の部分しか見えず、裂けた口が並んで果てまで広がってるようにしか見えなかった。
「……あんまり積極的に攻撃してくる神徒じゃないけど、とにかく固い。甲羅は全然傷つけられないし、首だって狐の尾とは比べ物にならないほど頑丈なんだよ。斬れない事もないんだけどオレたちだと結構大変」
いつもの未来視を披露したガーシャの言葉を最後まで聞かず。
「よし、じゃ行ってくる」
まるで軽い運動でもしに行くかのように、父はテラスの頭を撫でて並んで駆け出した。




