亀討伐(1)
それから10日余り。
とうとう村を離れる日がやってきた。
あたしは何とか自分自身の力で白の朱印を封印しようとしたがうまく出来ずに諦めた。ちなみに、アギも父もメイカ様も挑戦したが駄目だった。攻撃力過多な家族には細かい作業が向いていない。いったんはガーシャを頼ることになったが、ずっと糸を使い続けると疲れるからまだまだ結界と併用だ。
メイカ様は里の姉ちゃんたちに手仕事を習っていた。実はこう見えて割と不器用なメイカ様は手習いの子供たちに交じってかなり苦労したようだ。それでも、山の中で材料を調達して籠や草履や、色々なものを作る方法を学べたと言っていた。
里の姉ちゃんたちと何度か女子会もやった。何か色々すごかった。
ガーシャはカシギのところでずっとまた本を読んだり、何かを習ったりしていた。そう言えば、新緑の民の話は聞けたんだろうか。
アギは毎日毎日、父と特訓を続け、ようやく少し真剣を使い始めたようだ。
みんなで山に果実を獲りに行ってそのまま食べたり、ランカお姉ちゃん家族と釣りに行ったり、久々にクチバさんと狩りに行ったり、父と兄とテラスと、家族だけで過ごしたり。
本当に穏やかな日々だった。
この集落を旅立つ時にクチバさんは言っていた――困ったら、疲れたら、ここへ戻ってこい。俺たちはずっとここで待っててやるから。お前たちの悩みを解決してやることは出来ないかもしれないが、何も考えずにすべて忘れてゆっくり休む寝床だけは用意してやれるから。
その言葉通り皆が優しく温かく迎え入れてくれた。
このままここで暮らしたくなってしまう。
長くいると帰りたくなくなる、と言っていたアギの言葉は正解だった。
でも、あたしたちはそろそろ戻らないといけない。何しろ、翠都にガオウじいちゃんがやってくるはずだからだ。新しい父の刀を持って。
一年前と違って、集落のみんながお見送りに来てくれた。
メイカ様は一緒に学んだ子供たちに囲まれている。メイカ様はあたしのお姉ちゃんなのに! 横から邪魔したら、一番チビの子に脛を蹴られて悶絶した。お返しにひょいっと持ち上げてすっころばしておいた。
「ナユタ、子ども相手に喧嘩するな!」
メイカ様に叱られるし、最悪だ。
知らなかったけど、メイカ様は結構子供が好きだと思う。いいお母さんになりそうな気がするけれど、それはもう兄に任せよう。甥姪を愛でる心の準備はいつでもできている。
アギを見ると、メイカ様ではなく父の方を見ていた。
「どうしたの、アギ」
「いや、ちょっと一年前を思い出してただけだ」
あの時は何も分からず、先も分からず、どこへ行けばいいのかもわからず、とりあえず村を飛び出した。アギとガーシャと3人だけでほとんど逃げるように去ったから、見送りはカシギとクチバさんだけだった。
――旅に出るときは、大切なものといらないものを置いていけ
ふと、父が遺していった言葉を思い出した。
「ねえ、お父さん」
「どうした、ナユタ」
「あたしとアギは、大切なものだったの? いらないものだったの?」
一瞬きょとんとした父は、気づいて、笑った。
「大切だ。一番、大切だったよ」
わかり切っている事だった。
でも、最後のわだかまりがようやく溶けていった気がした。
「あれはな、狩人だった俺のじいさんの言葉だ。この集落が出来た頃はお社もなくて、一度山に入れば生きて帰れるかも分からんような厳しい時代の話だ。狩りに出る時に大切なものを一緒に持って行ってしまったら、あの世まで連れて行っちまうかもしれねえからな」
父はあたしの頭に手を置いた。
「お前たちを置いて行ったのは、危険な場所へ一緒に巻き込むことを恐れたからだ。結果的に残していっちまったが……もし連れて行っていたら、今頃3人とも『白』の境界に飲み込まれてたかもしれないな」
すぐ戻るつもりだったのもあったしな、と。
「今はお前たちの方がしっかりしてるから何の心配もなく一緒に旅立てることが嬉しいよ」
何度も何度も手を振って、みんなとお別れした。幾度経ても慣れない別れ。切ない感情が減ることはない。
けれど、別れの先に新しい出会いがある事も知ってしまった。終わりではなく新しい始まりであることを知ってしまったから、あたしたちは前に進むのだ。
ガーシャの糸で神徒の出現を抑制できることが分かったので、帰り道はこれまでで最も安定した旅だった。
翠都に戻って奉納する分の古銭は集めたいし、父と兄の修行が続けられているので常に抑制しているわけではない。
力を制御できるようになればもっと楽になりそうだ。とはいえ、制御できる糸口は全く見つからないのだが。
明日には翠都に到着しそうなところまでやってきた時、ガーシャは少しだけ寄りたい場所がある、と言った。
「集落に戻ってから、カシギにオレを拾った時の事を色々聞いたんだ」
山の中を歩きながら、幼馴染はぽつりと話しだした。
「カシギは、新緑の民ではないけれど昔この辺りに住んでいたんだって。で、16年前……だったか、そのくらいに山の中でオレと会った」
オレはその時のこと覚えてないけどね、と付け加えて。
「泣き声がしたんだって」
山の中、都からも遠い場所で、山の中で。木々に囲まれて。明るく開けた日向の真ん中に一人で泣きながら座っていたらしい。
おひさまにきらきら金色の髪が輝いていて、きっと神様が落としていったんだなと思ったそう。1歳くらいのガーシャはとっても可愛かっただろうな。
「カシギがオレを見つけたのがこの辺りなんだ」
初夏の風が吹き抜ける。
翠都近くの森はどこも静かに澄んだ空気に満たされている。森の守護者とも呼ばれているのが分かる気がする。森と共に生きる人々がひっそりと暮らしていそうだ。
「で、ここからが本題」
え、拾われた場所が目的地じゃないの?
「赤都から翠都に来た時に、視線を感じる時があったよね。それもここに近いんだ。あと、アギとラクシャさんは気づいてたかもしれないけど、翠都から集落に行く途中でも見られてた」
「え?」
あたしは全く気づきませんでしたけど。
父と兄たちの野生的感度が高すぎる。
「ああ、別に敵意はなかったから放っておいたが……捕まえた方がいいか?」
それはほとんど一瞬だった。
父はふいに谷の方角を見ると、
「……ちょっと待ってろ」
すごい速度で坂を下って行った。
止める暇もない。
しばらくして、父はまるで狩りでもしてきたかのように小さな男の子を一人生け捕りにしてきた。
怖い。
兄二人よりさらに野生に近い父が怖い。
「何するんですか。ちょっと、放してくださいよ」
首根っこを掴まれた男の子はじたばたをもがいた。
「何言ってんだ、ずっとこっち見てたろ。気になってしょうがねえんだよ」
「もうー……普通は緑の服を着て木の枝に隠れた僕の姿は見えないんですよ」
金色の髪、金色の瞳。
ガーシャ以外で初めて見た。
「やっぱりまだ森の中で細々暮らしてるみたいだね」
男の子はリョウタと名乗った。
「親は? 家は?」
「あっちです」
適当な方向を指すリョウタ。本当に一人で家に帰れるのか。
リョウタはテラスの毛並みに興味津々だ。
「いつもあまりにも大量に神徒を連れて移動しているから目立つんですよ。いったい何の騒ぎかと、みんな気にしていましたよ」
みんな。
やはりそこそこの数の新緑の民が残っていそうだ。
「ごめんね、まさかこんな森の奥に人が住んでると思わないから気を付けてなかったんだよ」
「神徒の卵でも獲ったんですか。あまりにも襲われすぎですよ」
テラスの首元のもふもふを触りながら目を輝かせている。
「それにしてもキミさ、多分だけど、お父さんかお母さんに、人前に出るなって言われてるんじゃない?」
「都の人には絶対に会うなって言われています。でも、貴方たちは違うでしょう?」
はきはきと喋るリョウタ。まだ10歳にもなっていなさそうなのに賢そうだ。
「それに貴方は僕らの仲間だ。母さんも言ってた」
「よそで育ったけどね」
ガーシャはそう言うと、しゃがんでリョウタと目を合わせた。
「ねえ、キミの両親に会わせてくれない? オレは小さい時に捨てられて、自分の親の事もよく知らないんだ。もしかしたら、キミのご両親なら知ってるかもしれないと思ってさ。キミの家に連れて行ってくれない?」
「いえ、それには及びません」
ふいに声がした。
父と兄は気づいていたのか、ちらりと声の方を見ただけだったが、あたしは全く気づけなかった。
いつの間にかリョウタの後ろに立っていたのは、同じ金色の髪の女性だった。
「はじめまして。リョウタのお母さんかな。ごめんね、静かに暮らしてたのに」
「いえ、翠都にいらした時から、私共も貴方の存在は存じておりました。しかし、我々は翠都との繋がりを断っております。どうか、存在はご内密に」
「勿論。キミたちの生活を脅かす意図はない。という事を伝えたくて、一度会いたかったんだ」
ガーシャとよく来た緑色の衣を着て、ガーシャと同じ金色の髪と金色の瞳で、おそらく同じ治癒の朱印を持つ種族。翠都に囚われる事も多かったという彼らは、今も森の中でひっそりと暮らしているらしい。
リョウタのお母さんもまた美しい容姿をしていた。少し目を伏せた表情が儚げで、このまま初夏の新緑に溶けて行きそうだった。
「16年前の事は覚えています。珍しく現れた複数の神徒が我々の棲み処を襲い、何人もの民が犠牲になりました。おそらく貴方もその時に逃げ延びた一人。ガシャカルラと名付けられた1歳の赤子がいたはずです。ご両親は残念ながら神徒の襲撃でいなくなりましたが、貴方は生き延びていたのですね」
「うん、きっとそう。養父がこの付近でオレを拾ったって言ってたから」
「おそらく貴方のご両親が命にかけても逃がしたのでしょう。あの混乱の中よくぞご無事で」
ガーシャはお母さんの言葉をゆっくりと受け止めた。
自分の出自がこの場所にある事と、両親がすでに亡くなっていたこと、同じ種族の人々が未だ森の中で細々と生き延びている事。
「ありがとう。知れてよかった」
集落へ帰った時、カシギとどんな話をしたのだろう。
すでに分かっていたことを確認するため、そして、最初に言ったように敵対しない意思を伝えるためにここを通ったのだろう。
「オレはもうキミたちと同じ場所には行かないけど、敵対するつもりは毛頭ない。もし、都に出たいというなら力を貸すよ。宗主一族がこれまで何をしてきたかは知っているから無理強いはしないけど……人が減ると色々限界もあるだろうからね。何かあれば相談してほしい」
リョウタの頭にぽん、と手を置いてガーシャは笑った。
「じゃあね、リョウタ。ちゃんとお父さんとお母さんのいう事をよく聞いて、福禄寿様の加護を信じて、立派な大人になるんだよ」
自分もまだ成人前なのに、また大人のようなことを言う。
「お前の口から神の名前が出るとは思わなかった。信仰の感情など一切ないと思っていたよ」
メイカ様がぽつりと言った。
「え、もちろんオレ自身は神様がいると思ってるよ?」
ガーシャは当たり前のように言った。
「だって、侵食してくる『白』の神々と彩色の神々は対立しているわけだよね。少なくとも、朱印を与えて、自分の力を分け与えて、人間が生きて行けるようにしている。こちらの世界の神様はみんな、人間の味方だよ。その大いなる存在をオレは信じているし、尊敬の念を持っている」
「……お前が言うと胡散臭いな」
「育ちと常識の違いだよ」
そんな話をしているうちに、翠都は目の前まで近づいていた。
翠都に近づいた時、何故か分からないけれど不穏な気配がした――何かあったのだろうか。
急いで関所に向かうと門番の人が迎えてくれたが、あたしたちの姿を見て明らかに狼狽えていた。まるで初めてこの翠都に来た時のようだ。
「何かあったのか?」
アギが問うと、言い淀んで、最終的に口を閉ざした。
……何が起きている?
初夏の風が吹き抜ける翠都の景色はいつもと同じように見えるのに、背筋をざわざわと這い上がるような焦燥を感じる。これは、誰の感情だ。都の皆の感情か。
向こうから神徒狩りの集団が颯爽と現れて、その先頭に立つ巫女のリーリャさんの姿を認めた時、あたしはひどく怖くなった。いつも隠しもしない敵意を向けられていたが、今日はそれが顕著だ。敵意の確証を得たかのような。
アギも気づいてあたしを後ろにかばった。
「お帰りなさいませ、ガーシャ様」
リーリャさんが声をかけたが、ガーシャは返答しなかった。
あたしたち全員を庇うように一歩前に進み出た。
「これは、何?」
幼馴染が完全に表情を消し、ひやりとした怒りを孕んだ声で問う。
一歩も引かず、リーリャさんは答えた。
「その女をこちらに渡していただけますか?」
その女、と呼ばれたのがあたしなのは明白だった。
「託宣で何か聞いたね」
「はい。福禄寿様はおっしゃいました。その女が神徒を統べる神を顕現させると」
リーリャさんは目を閉じ、祈るように手を組んで告げた。
「神徒をもって世界を滅ぼす……その女は災厄そのものです」




