里帰り(5)
父はあたしを膝にのせてがっちり守った。そして心を落ち着けるためにあたしの頭をずっと撫でている。ガーシャとの間にはアギが座って、警戒して距離をとらせている。
それからようやく、アギとガーシャにもあたしの母とテラスの話をした。
「確かに言われてみると、テラスって結界とか、お社の鳥居の中とか、そういった場所に絶対入らないんだよね。不思議だなとは思っていたけど、テラス自体が朱印か何かの術の一部ってことは入れない可能性もあるのか。もしくは、ラクシャさんの言うように魂の一部を置いて行った、っていう表現が当たってるのかも」
え、テラスって結界に入ってなかったの。
言われて思い返してみるといつも結界の外で見張りをしていた気がする。それはあくまで見張りだと思っていた。
本当にガーシャは周囲をよく見ているなと思う。
「あとは、ナユちゃんの体質か……ナユちゃんの半分は向こうの世界のものなんだとしたら、確かに神徒を呼び寄せるのも不思議じゃない気がするよね」
と、ガーシャは何かを考えながら結界を取り出した。
「ねえ、ラクシャさん。この朱印に見覚えある?」
「ああ、これはテラスの使っていた朱印だな」
「えっ」
「テラスが残していったものをいくらかサイショウに渡したことがあったが、こうやって使ったのか。あいつやっぱり頭がいいな」
謎の力を持つ結界を封じている朱印。これは、母の朱印だったのか。
いつの間にか座っていたはずのクチバさんはひっくり返っていびきをかいていて、他の大人たちもぽつぽつといくつかの小さな輪になって話し出していた。
「……ラクシャさん、もう一つだけ酷いこと聞いていい?」
「何だ」
「ナユちゃんのお母さんのテラスさんって……この世界を滅ぼそうとする意思を持ってたりした?」
ガーシャの言葉で、あたしを撫でる父の手が一瞬止まった。
少し考えるように、何かを思い出すように、しばらく沈黙した後、答えた。
「ねえな。テラスに限ってそれはない」
迷いない口調だった。
「そっか、ありがとう」
ガーシャは笑って、それ以上は聞かなかった。
父はそんな姿を見てぽつりと言った。
「……ガーシャ、お前は本当に色々考えてるんだな」
「仕方ない。アギとナユちゃんのお世話しなきゃいけないから。オレだけは考え続けなきゃ」
「お前が二人といてくれて助かるよ」
俺の家系は基本的に体力馬鹿だからな、と。……自覚あったのか。
が、はっとした父はあたしを潰れるほど抱きしめた。
「まあ、お前に娘をやるとは言ってねえけどな!!」
「ナユちゃんの意思が大事だと思うけど?」
考えているまま、ガーシャは事も無げに返答する。
「まあ、それはさておき、結界がナユちゃんのお母さんの朱印だってわかったわけなんだけど。そうすると、ナユちゃんの体質もどういうことかちょっとわかった気がする」
ガーシャの言葉で父が目を見張った。
「翠都でサイショウさんとはずいぶん色々話したんだ」
彼は枝を一本持つと、地面に簡単な図を描いた。アラージャさんほどうまくないけどね、と断りながら。
「まず、古銭ってのは色んなものの『力』の塊なんだ。莫大な力を持つ動力源。神都あたりではもう実際に奉納以外の用途でも使われているらしい。神様の力の源でもあるから、オレたちはお社に、ひいては神様に古銭を奉納してるわけだけど……」
ガーシャは簡単な鳥居の絵を描いた。
「勾玉と朱印てのは、どうやらその神様の力を借りるためのものらしい。だから、もしオレが福禄寿様の朱印で、その力を行使しようとしたら、翠都のお社にたくさん古銭を奉納すればいいわけだ。結果的に、オレに巡ってくる」
鳥居と勾玉を描いて、矢印で結ぶ。
「で、ここからが問題なんだけど……結界って、おそらく『白』の世界から来たと思われるナユちゃんのお母さんの朱印で中を封じる仕掛けになってる。古銭を奉納してその原動力にしてる。つまり、ナユちゃんのお母さんの朱印は古銭によって動いている可能性が高い。すると、『白』の側にも神様と朱印という概念があって、神様が力を貸してくれているって理屈になる。『白』の神様がいるのか、神徒そのものなのかは全く分からないけどね」
うんうん、と覗き込んだ全員が頷く。
もやもやと謎の物体を描き、そこから結界の箱に対して矢印を描いたガーシャ。
「じゃあ、ナユちゃんの体質って何、っていうと、きっとこれはおそらく体質じゃなくて、制御が効かないだけの、ある意味でナユちゃんが行使している術だと思うんだよね」
「え」
あたしが無意識に神徒を呼ぶ術を使いまくってるってこと?
「で、その術の朱印ってのはおそらくこちらの世界のものじゃなくて、『白』の世界のものなんだろう。例えば、ナユちゃんのお母さんが遺したような、まったく違う世界の理屈の。つまり、この謎の術を制御することが出来るなら、ナユちゃんは普通に生きられると思うんだ」
ガーシャはにこりと笑った。
「って思ったのが、白狼のテラスはもしかして呼び出された神徒の一種なのかな、って思ったからなんだけど。もしナユちゃんのお母さんがそんな力を使えるなら、ナユちゃんが似た力を使えたって不思議じゃない」
父はその話を聞いて、考え込んだ。
でも、仮にガーシャの言うことが本当だとすると、あたしは術の制御すらできていない駄目な神徒狩りという事になる。悲しい。
「まあ、サイショウさんから聞いた話と今聞いた話を組み合わせただけの仮説だけどね。もしサイショウさんもナユちゃんの出生を知ってるなら似た仮説にたどり着いてるかもね」
ガーシャはそこで一度言葉を止めた。
少し躊躇して、再び口を開いた。
「ここにはナユちゃんの味方しかいないと思ってるから言うけど……すっごく危険だね。もちろん、ナユちゃんの身の安全が。それこそ、最初にゴクジョウ師匠から警告された事が今まで以上に現実味を帯びてくる。だって、もし意識的に神徒を呼び出せるようになってしまったら、それこそ世界を滅ぼしかねない力だ」
その台詞でどきりとした――蒼都で神徒を大量に呼び出して襲わせたとき、あたしは同じ事を思わなかったか?
「ナユちゃんのお母さん自体が、『白』からこの世界の侵食の為に遣わされた可能性もあるけど……さっきラクシャさんに否定されたし、今さら考えても仕方のない事だ」
ガーシャの言葉で全身がぶるりと震えた。いったいどこまで、何を疑えばいいんだろう。
あたしが押し黙ってしまったことに気づいたのだろう。ガーシャは困ったように笑って言った。
「ごめん、今、考えすぎて言わなくていいことまで言った。疑うのはオレの仕事だから忘れて。アギとナユちゃんはただ自分たちの安寧だけを信じればいい」
父は黙ってあたしを抱く手に力を込めた。
「でも、ラクシャさんとアギがいれば、この世界ではほぼ無敵でしょ。何が来たって戦って勝てるなら、オレたちは自由だ」
いつだったかと同じ台詞でガーシャは笑った。
そう。アギが無敵である限り、何をするのも、どこへ行くのも自由なのだ。
次の日はガーシャと二人で出かけようと思っていたのに、父と兄が許さず、メイカ様もきて、テラスももちろん来るから結局全員ついてきた。
「まあいいや。オレは色々調べるから、神徒が出たら討伐しといて」
集落を出たところの河原で足を止めたところで周囲に神徒が湧きだした。
白い人型の紙が水面から湧いてきて発光する生命体になる。細長いソレは蛇の神徒だ。
「お社からこの距離なら黄昏時にしか湧かなかったのに、明らかに強まってるね。朱印の力も使えば使うほど強くなる類のものだし、ナユちゃん自身の力が強くなってると考えていいのかなあ」
神徒を振り向きもせずガーシャはあたしを見る。
その背後では木刀を持った兄と父が何やら楽しげに稽古を始めていた。神徒はそのついでに狩られていた。木刀なのに。
この間まであたし1人で倒せすらしなかった神徒を当たり前のように蹴散らされるとそれはそれで悲しくなる。
「目で見る限り、朱印は見えないなあ」
ガーシャはあたしの首に下げた勾玉を手に取って、じぃっと見る。
神徒は二人に任せておけばいいと判断したのだろう、メイカ様もこちらに戻って覗き込んだ。
「私も何も見えんな」
「あ、ちょっと待って。確か、アラージャも『白』の中は見えないって言ってたよね。白ってオレたちうまく知覚出来ないのかも」
「だが、ナユタの母が遺したという結界の朱印は見えているぞ? 何かしら方法はありそうだ」
「こちらの世界の朱印への変換方式でもあるのかな……?」
あたしも勾玉をじっと見つめていると、ぼんやりと白い光の朱印が勾玉の上に浮かび上がってきた。
「あれ?」
こんな朱印、これまであっただろうか。
あたしの勾玉に刻まれているのは、いつも使う水の朱印――恵比寿様と、赤都で増えた毘沙門天様、それから翠都の福禄寿様。あとは、この村のお社に祀られているどの神様のものとも知らない朱印だけだ。
それと別に、新たな朱印が増えていた。
「ねえ、ここに白い朱印が見えるよ」
「え?」
ガーシャとメイカ様がもう一度勾玉をじっと見るが、見えていないようだ。
「結界に使われてる朱印と同じものだと思う……ねえ、アギ!」
あたしは向こうで父との修行を続けている兄を呼んだ。
呼ばれて嬉しそうにやってきたアギはあたしの勾玉を見て、頷いた。
「確かに朱印が増えてるな」
「本当だ。白い朱印は初めて見るな」
呼んでないけどやってきた父も頷いた。
二人してきちゃったら神徒の方はどうするの。
と思ったら、一瞬の迷いもなくメイカ様が走り出て交代していた。さすが連携がすごい。
「そうしたら、ナユちゃんとアギとラクシャさんは見えてるってこと? 境界に入れた人が見えるのか、もしかして境界に入った後から見えるようになるのか……?」
「ずっと光ってるから動いてるのかも」
「だとすると間断なく力を使い続けているはずなのにナユちゃんは疲れてないよね?」
「疲れてない。狐を倒した時の方がよっぽど疲れたよ」
「……朱印を他の力で相殺できるかな?」
ガーシャは指先から若草色の糸を出した。
見えていない朱印のあたりにくるくるくると器用に巻き付けていく。
「これか。あー、見えないけど、確かに何かあるね」
勾玉の上に浮かんだ朱印を完全に糸で包み込んで、ぷつりと端を切った。掌くらいの大きさの若草色の円盤が勾玉の隣に浮いた。
そのまましばらく周囲を警戒する。
神徒を倒していたメイカ様が、動きを止めた。
新しい神徒は現れない。
周囲はひどく静かになった。
「……嘘」
声が震えた。
「オレが使う糸は、封じる動きをするものと、切断する動きをするものと、導く性質を持つものと、いくつか種類があるんだ。これは、いつも封じる時に使うものだよ。神徒相手に効くからいけるかなと思ったけど、どうやら朱印そのものにも効きそうだね」
ガーシャがにこりと笑った。
神徒が現れる音がしない。
白い紙も降って来ない。キキキキキという独特の音も聞こえない。
結界以外で、初めてあたしの周囲から神徒が消えた。
「これ、応用したら発動前に相手の術を消すこともできそうだなあ」
物騒なことを呟く幼馴染は、悪戯を思いついた時と同じ顔をしている。
「ガーシャ……お前本当にすごいな……」
アギが呆然としている。
「いや、みんなのお陰だよ。これはおそらく、境界を越えないと見えなかったり、そもそもラクシャさんの話でテラスの事を知らなきゃ分からなかったり、それ以前にサイショウさんから色々教えてもらってたから仮説が立てられただけだよ。皆で力を合わせてようやく手の届くところまで降りてきたんだ。オレ一人の力じゃない」
父は、周囲を見渡して、あたしを見て、皆を見て、大きく息を吐いた。
「……よかった」
あたしの顔を見て、泣きそうな顔で頭を撫でた。
「よかったな……ようやく、解決の糸口が少し見えた」
あたしの体質を何とかしようとして、旅に出ていた父。
10年かかってしまったけれど、少しずつ少しずつ集めた情報を繋いで、いまようやく少し理解できそうなところまでやってきた。
「ありがとう、ガーシャ。お前がいてくれてよかった」
ガーシャの両手を手に取って、押し頂くように頭を下げながら父は言う。
が、すぐにはっとした。
「でも、お前に娘はまだやらんけどな!」
「まだ、ならそのうちいいの?」
「大人の揚げ足を取るんじゃねえよ、クソガキ!」
それこそ大人げなく父が叫ぶ。
でもね、あたしもアギもガーシャが好きだから、きっとお父さんも好きになるだと思うんだよね。




