里帰り(4)
夜になる前にはすでにお社前の広場にかがり火が焚かれ、皆が酒や肴を持ち寄って宴会が始まっていた。
何とか家を眠れる程度の状態まで復旧したあたしとメイカ様が広場に到着した時には、大人たちはほぼ出来上がっていた。中心では父がもみくちゃにされている。
その隣には、そっとテラスが座っていた。遊びに行ったんじゃなくて、ずっと父と一緒にいたらしい。
白の境界の中ではテラスの声で正気を取り戻したこともあるし、二人の間にはあたしの知らない絆があるように感じられた。境界から戻った後も、テラスはずっと目覚めない父の隣に控えていた。旅の間もずっと父の傍にいたように思う。
「お父さん」
あたしが声をかけると父はぱあっと顔を輝かせてこちらに来ようとしたが、周りを振り切れず、代わりにあたしをおいでおいで、と呼んだ。
仕方ない。
メイカ様とあたしは村の人たちの輪の中に入っていった。
父はあたしを膝に座らせて、頭を撫でまわした。ついでにメイカ様を隣に座らせる。可愛いからってメイカ様を侍らせないでほしい。
「ナユタ、聞いてくれ、父ちゃんはもう全員から説教されて辛いんだ」
「何で?」
「何言ってんだ、お前とアギを置いて何年も姿を消してたんだぞ、幼いお前たちがどれだけ苦労したと思ってんだ」
隣を陣取る罠猟師のクチバさんがばんばんと地面を叩きながら言う。
「もう昼からずっと怒られただろ」
「いーや、まだ足りない」
クチバさんがすでに酒臭い。飲みすぎ。
とはいえ、ほぼあたしとアギの父親のような立場だったクチバさんには言いたいことも色々あるだろう。
「10年よくわかんねえとこにいたらしいけど若いまま帰ってきやがって、本当にアギが成長した姿みたいで涙が出そうなんだよ」
「うるせえな、お前は10年分きっちり年取ってるよ」
笑い返す父とクチバさんはもともと仲良しだったんだろう。うるせーうるせーと肩たたきあってとても楽しそうだ。
「それより、隣の綺麗な嬢ちゃんは誰なんだよ。お前の3人目の嫁か?」
「阿呆か、息子と同い年だぞ。知己の娘だ。まあでも、もしかしたらアギの嫁になるかもしれんがな」
酔っ払いが全員楽しそうに笑い、メイカ様は諦めたように半笑いした。
「ごめんね、すでに全員酔っ払いで」
「……まあ、知らない空気ではないよ。10年ぶりの再会なのだろう? 気分が高揚するのも無理はない」
「メイカ様も疲れてるだろうから、途中で帰ろうね」
「帰るなよおおお、ナユタ」
聞こえてたか。
父の嘆きが聞こえたので思わずため息。
メイカ様はそれを見てくすくすと笑った。
「ラクシャ様のこんな姿を見られるとは思っても見なかったよ」
「幻滅したでしょ」
「いや、むしろ納得したよ。子を愛する父親だったからこそ幼い私にも優しかったんだな。誰よりも強くて、誰にでも優しくて、豪快で、分け隔てなく誰とでも接する人だったよ。それは今も全く変わらないな。この場所にいれば分かる、皆、ラクシャ様の事が大好きだろう?」
「そうかなあ?」
でも確かに、帰還した父を盛大に迎えるために老若男女関係なくあっという間に村人全員が集まってしまうのは、すごい事なのかもしれない。
「ちなみに、戦うラクシャ様の素晴らしさはこんなものではないぞ。ここへ来るまでは私達に主導権を渡してほぼ戦っていなかったからな。翠都の神徒討伐、実はアギとガーシャだけでなく私も楽しみにしているんだ」
メイカ様は相変わらず憧れの人を見る目で父を見ている。3人目の嫁……という単語が過って、ぶんぶんと頭を横に振った。
ん? 待って、3人目? どういうこと?
「おお、でも、メイカの戦い方もすごいぞ、母のレイリュウの朱印を受け継いだのか? 光転剣の威力は段違いだからな」
唐突に父が話に乱入してきた。
もはやろれつの回っていないクチバさんほどではないが、ほんのり酔っぱらっている感じだ。
「もう少し剣を薄くして回転の精度をもっと上げるといい。切れ味が変わるはずだ」
あたしの頭の上に頭を置いて、メイカ様に向かってにこにこと笑う。あたしをつぶさないで。
「ありがとうございます」
メイカ様が嬉しそうに笑う。
戦いに関しての勘がいいのは、アギが受け継いでいるのかもしれない。あたしもよく、アギからどう戦うかを考えるよう促す発言を受けていた。当時はうるさいなと思っていたけれど、今では理解できることも多い。
そういう意味で、こと戦いに関してはアギも父も天才と呼ばれる部類なのだろう。
ふさりとテラスの白い尾が揺れる。
「どうした、テラス」
父が背中を撫でてやるとテラスは嬉しそうに尾を振った。
「お前さ、昔から思ってたんだが、飼い犬に逃げた嫁の名前を付けるのはどうかと思うぞ。ナユタがずっとその名で呼ぶから黙ってたけどさ」
クチバさんが苦々しげに言う。
「え? 逃げた? あたしのお母さんは亡くなったって聞いてたけど……」
首を傾げると、父はふとテラスを撫でる手を止めた。
「……そうか、話してなかったな。そうだな。大きくなったら話そうと思っていたんだ。そろそろ大きくなったもんな」
想定よりだいぶ大きくなっちまったな、と言いながら。
父は手にしていた杯を一度、地面に置いた。
「テラスはなあ……ナユタ、お前の母親なんだよ」
一瞬、言葉が理解できなくて、あたしたちは全員ぽかんと口を開けた。
「え?」
あたしは狼の子だったのだろうか。人間じゃなかったのか。どおりで野生に近いはずだ。そしてアギはどうなんだ。
様々な疑問が一瞬で駆け抜ける。
「お前の母のテラスは、おそらくこの世界の人間じゃなかった。白の境界のようにこの世界に接した別の世界から来た存在だったんだ」
「……お父さん、ちょっと何言ってるか分かんない」
あたしは両手を上げて降参の構え。
「俺もそれ初耳なんだが……」
クチバさんも完全に引いている。
父はそれを見てちょっと笑った。
「だろうな。俺もテラスの出自についてさほど詳しいわけじゃない。あいつはふらっと村に現れて、ナユタが生まれてしばらくした頃に白狼のテラスを残してまた急に消えたんだ。だから、人間のテラスは元の世界に帰って、その一部というか残滓が狼の形で残ったんだろうな、と何となく思っていた。残された狼に同じ名前を付けたのはそのせいだ」
あたしは半分、この世界の人間じゃないってこと?
急に出生の秘密を明かされて、あたしはぽかんとしてしまった。
「そういや不思議な人ではあったな。どこか浮世離れしてるっつーか」
「ナユタが神徒を呼ぶ体質なのはおそらく母方のものだと思う。だから俺はずっとそれを追っている。外道に落ちたのもサイショウとつるむようになったのもその過程だ」
あたしの体質は、母親から引き継がれている。
「待って、じゃあアギは?」
「アギの母親は違う。普通の人間だ。生んですぐ亡くなったのは、アギの母親の方だ。お前ら異母兄妹だよ」
急に色んな事実が露呈して、頭がクラクラする。そろそろお腹いっぱいだ。
「ああ、通りで……アギとナユタがあまりに似ていないと思っていた」
メイカ様が頷いた。
「それに、テラスは狼に見えても食べ物を食べているところも見たことがないし、そもそも獣の匂いもしない。爪で床や畳を傷つけたことも一度もない。本当に生き物なのかずっと疑っておった」
この世界の人ではない、もしかすると『白』の世界から来たかもしれない母。いったい、どんな人だったんだろう。クチバさんは浮世離れしていた、と言ったけれど。
はっと見ると、テラスがじっとこちらを見ていた。
当たり前に小さい頃からずっと一緒にいてくれていた。小さい頃はよく世話を焼いてくれて、冬は一緒に寝てくれて、外に出る時にも必ずあたしを護るように傍にいた。
「……お母さん?」
そう呼ぶと、テラスはわん、と鳴いた。
母そのものではないのかもしれないが、きっと異界の母があたしを護るために残した力だ。
思い切りその首元に抱き着いた。
おひさまの匂いがする。大好きな落ち着く匂い。あたしはこの匂いと共に育ったのだ。
「俺がいない間もずっとナユタとアギを見守ってくれていたんだな」
テラスは尻尾を振って父に応えた。
父とテラスにはあたしの知らない絆があると思っていたが、ある意味で夫婦のような関係だったのか。
そう思うととても不思議な感じがした。
両親がいないと思っていたあたしたちの父は生きていて、母の力はこんなにもすぐ近くで見守っていてくれた。
それが嬉しくて、あたしはますます強くテラスを抱きしめた。
しばらくして、ようやくアギとガーシャが並んでやってきた。
遠目にもアギがどんより沈んでいて、隣の幼馴染が話を聞きながら腹を抱えて笑っている。
おーい、と手を振ると、気づいてこっちにやってきた。
「ごめんね、カシギと話し込んでて遅くなっちゃった」
ガーシャはいつの間にか落ちていた大人を何人か転がして、場所を確保して座った。
アギは自然にメイカ様の隣に座る。
「アギは何で拗ねてんだ?」
「さっきまでランカさんに叱られてたからだよ」
「またかよ!」
クチバさんが手を叩いて笑った。
でも、アギはすぐに深呼吸して、メイカ様に向き合った。
「さっきはごめん、メイカ。お前の気持ち何も考えてなかった」
深々と謝った。
アギはしょっちゅう説教されるけれど、素直なのがいいところなのだ。
「いい、気にするな。お前にそういう細かい心配りは求めていない」
メイカ様がひらひらと手を振った。この構図をよく見ている気がする。アギの無神経はメイカ様の寛大な心で許されている。
「だからちゃんと考えたんだが」
「考えなくていい!」
阿呆が考えたら碌なことにならん、と叫んだメイカ様にその場の全員が同意した。よけいな事を考えていい方向に転んだためしがない。
でも、アギは続けた。
「今はナユタの事で手一杯だから何か考えるのは難しい」
「知っている。今さら何を」
「でも、いつかナユタも俺の手を離れていくだろう。そうしたら、迎えに行ってもいいか?」
声を出しそうになったあたしの口を父が塞いだ。
見上げたら、反対の手で自分の口も塞いでいた。邪魔しないように。
「メイカがその時どこにいるか分かんねえけど、たぶん蒼都にいるだろうな。俺はどちらかというと赤都で手に職つけたいとも思うし、そもそもいつまで今の旅が続くのかもわからねえ」
アギは、メイカ様の目を見て、まっすぐに笑った。
「でも、最後は一緒にいたいと思うから、いつになるか分からねえけど、必ず迎えに行くよ。そしたら一緒に暮らそう」
目の前で兄がメイカ様に告白するものだから、思わず悲鳴を上げそうになった。父が口を塞いでくれていてよかった。
メイカ様は真っ赤になって、おろおろして、眉がハの字になった。可愛い。それから両手を顔に当てて下を向いて、小さな声で返事をした。
「……分かった。待っている」
「ありがとう」
アギが見たことのない優しい顔で笑って、メイカ様もはにかんだ笑顔を返すものだから、あたしまで胸がきゅんとなってしまった。人の恋話が好きだと言ったシャラさんの気持ちがちょっとわかった気がした。
聞いていた村人たちからも拍手喝采が巻き起こり――みんな息を殺して聞いていたようだ――祝福の声が飛んだ。
あたしは油断して父の手が緩んだ隙に抜け出してメイカ様に飛びついた。
「メイカ様大好き!」
「ナユちゃんが告白してどうするの」
後ろからガーシャの突っ込みが入った。
でも、ただただ本当に嬉しいのだ。
「ねえねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは何でメイカ様を選んだの?」
横でメイカ様がやめろ、と止めたけど無視した。
「んー……メイカを守る立場を俺以外に譲るのが嫌だったからかな」
アギは少し言葉を選びながら言った。
「ナユタは大事だし守る対象ではあるんだが、ガーシャがいてくれると助かるし、親父が来てからは本当に気持ちが楽になった――ああ、別にお前の事を負担に思ったことはないぞ? 俺が好きでいるんだからな」
うん、大丈夫。それは分かってる。
「でも、メイカの背中を守って戦うのは俺一人じゃないと嫌だった。他の誰かといるところを想像したら、ちょっと、自分でもびっくりするくらい嫌だった」
「……頼む、恥ずかしいからその辺でやめてくれ。お前以外に背中を預ける気はないから」
うん、可愛い。あたしのお姉ちゃん可愛い。
うちの兄はよくやってくれたと思います。
「いや、ジンからうっすら聞いてはいたが、まさか本当にアギが妹離れしてたとは。しかも、結婚相手まで連れてくるとは思わなかった」
クチバさんも今のですっかり酔いが冷めたようだ。感極まってちょっと涙がにじんでいる。
「おい、ガーシャ、お前先越されてどうすんだよ」
「ほんとだね、アギの決断力にちょっとびっくりしてる」
ガーシャは肩をすくめると、あたしにおいで、と手招きした。
「じゃあ、オレたちもちゃんとご挨拶しておこうね」
何のことかは分からなかったけれど、とりあえず促されるままに隣に座る。幼馴染の考えることはよくわからないことも多いからあまり気にせず。
「ラクシャさん」
「何だ?」
「娘さんをオレにください!」
「は?」
「あ?!」
その場にいた全員がぽかんとした。
さすがのクチバさんも持っていた杯を取り落とした。
「……え?」
もちろんあたしもだ。
困惑して幼馴染を見上げると、彼はいつものように穏やかに笑ってあたしの方を見た。
「オレはナユちゃんがいないと生きていけないから、ずっと、一生、一緒にいてほしい。結婚してください」
「待て待て待て待て!!」
あたしより先に父が割り込んできた。
「許さん! ついこの間、ようやく可愛い娘と再会できたってのにどこの馬の骨とも知らん奴にとられてたまるか。まだ俺は可愛い娘との日々を堪能できてないんだよ!」
「それはラクシャさんの自業自得でしょ。オレはその間もずーっとナユちゃんと一緒にいたよ」
言われた父はぐっと詰まった。
その隙にあたしはガーシャにお返事する。
「あたしもガーシャの事が大好きだから、いいよ!」
あたしの言葉で父が崩れ落ちた。
地面に伏した父の代わりに、動揺したアギがあたしを確保してガーシャから引き離した。
「アギはいいって言ってたじゃん」
「ナユタにはまだ早すぎるんだよ!」
「いや、アギにだけは言われたくないんだけど」
確かに。考えてすぐメイカ様に将来を誓いに行った人間のいう事ではない。
「嘘だと言ってくれえええ」
父があたしに縋り付いてくる。大人なのに子どもみたいな人だな。
ガーシャが楽しそうに笑う。
メイカ様も口元を押さえて笑っていた。
「……ナユタ、お前の家族はいつも面白いな」
「そうだよ。村の人たちもみんな、家族みたいなものなんだよ」
クチバさんは落とした杯を拾い直し、ガーシャの肩に手を置いた。
「ガーシャ、お前……ようやく先に進んだのか」
「うん、ついこの間。ナユちゃんもオレのこと好きだって言ってくれたから、もう我慢しなくてもいいかなって」
「そうか……」
クチバさんはしみじみ噛みしめながら杯に酒を注ぎ、飲み干した。
「ああ、今日はいい日だ。ラクシャは帰ってくるし、息子は二人とも心を決めたし、もう思い残すことはねえや」




