里帰り(2)
任せとけ、と父は言ったものの、すぐに刀がないという事実に思い至ったようだ。
「……すまん、やっぱ無理かも」
「でも俺、親父の戦うとこ見てみたい」
「オレも!」
息子とその友達が可愛らしく――大きさは全く可愛くないのだが――おねだりするものだから、父はどうしても何とかしたくなったらしい。
「ちょっとひとっ走りガオウじいさんとこ行ってくるわ。新しい刀作ってもらってくる」
「急に独断で動くのはおやめください、ラクシャ様」
サイショウさんが止めた。
「まずは手紙でガオウ様にご相談いたしましょう。話はそれからでもよいはずです」
積もる話もあるだろう。
あたしたち子供組はサイショウさんたちに場所を譲り、部屋を出た。
父はあたしを放したがらなかったが、きっと聞かせられない話もたくさんあるはずだ。また後でね、と言って無理やり出てきた。
「思ったほど緊張しなかったね」
「10年ぶりと思えないほど自然だったな」
「昨日まで一緒に暮らしてたくらいの気分だったよね」
10年ぶりに会ったら何を話したらいいんだろう、って迷っていたのが嘘みたいだった。
逆にあたしたちが10年前に戻されて、たくさんお話を聞いてもらった。子供みたいに甘えたり、わがまま言ったりしても大丈夫な気がした。
「……父親ってすごいな」
「うん」
あたしにはアギがいてくれたからずっと寂しくなかったけど、父がいたらもっとずっと楽しかったかもしれない。
そしてアギはもっと子供らしい子供時代を送れたのかもしれない。
「お兄ちゃん」
「何だ?」
「あたしにとっては、お兄ちゃんがずっとそんな存在だったよ」
あたしは、アギに抱きついた。
「ありがとう。大好き」
ずっと一緒にいてくれたことに。ずっと守っていてくれたことに。
そしてこれからも一緒にいてくれることに。何より、一滴の不安もなくそれを信じさせてくれる存在であったことに。
「相変わらず相思相愛だねえ」
ガーシャが呆れたように見ている。メイカ様も笑っていた。
「うまく神徒を討伐出来たら翠都を出ると思うけど、メイカさんも一緒に行くよね?」
「行ってよいのか? 里帰りなんだろう」
「当たり前だよ。まだ蒼都に帰るのは早いでしょ、せっかく外に出たのにもったいない。けど……急に蒼都の偉い人を連れてったらみんなびっくりしちゃうかもね……小さい村だから……」
確かにそうだ。
ジンさんだって、メイカ様もゴクジョウ師匠ですら殿上人って言ってたもん。
「それより、奥の山は本当に何にもないからびっくりしないでね」
夜になっても、大人たちは何かをずっと話しているようで部屋からはずっと声が聞こえていた。
せっかくだからアギと父と、家族で一緒に寝たいなと思ってたけど無理そうだ。
あたしの感覚ではまだ冬が終わったばかりだったというのに、夜になっても全く寒くない。初夏の夜の空気はほんのりどこか優しく温かく、このまま外で寝てしまっても大丈夫そうな気がする。
都で野宿はダメって言われてるからしないけど。
千年杉に抱かれた幻想的な翠都の夜景を見下ろしていると、隣にガーシャがやってきた。
「ラクシャさんを待ってたの?」
「うん。でも今日は無理そうだね」
「呼んだら全部放り出してすぐ来ると思うよ?」
「大人の邪魔はしたくないの」
そう言うと、ガーシャは偉い偉い、と頭を撫でてくれた。
すると部屋の中の声が止んだ。
話し声が聞こえてしまっただろうか。
邪魔しちゃったかも。
「ナユタ?」
扉を開けて父が顔を出す。
見つかる前に、ガーシャはあたしを連れて千年杉の上の枝まで跳んだ。
千年杉の頂上付近、葉っぱに隠れた枝に腰かけて。
「おいで」
両手を広げてくれたので、横向きに膝に座らせてもらった。
いくつか浮いた新緑色の光玉が細い葉を照らし出した。杉の木の匂いがする。すっと爽やかなにおいが心を落ち着けてくれた。
新緑色の光がガーシャの髪を明るく照らして、きらきら揺れてとても綺麗。
「ラクシャさんがいたら、二人で話す時間がなくなりそうだからさ」
「そう?」
「だって、オレの事を警戒するアギが一人増えるってことでしょ」
「確かにそうかも」
アギと同じか、それ以上に過保護を発揮しそうな気がする。だってあたしのこと5歳どころか3歳だと思ってるし。
「だから、先にきちんと話しておきたかったんだ。メイカさんにも続きは二人の時にしろって怒られたし」
二人の時に? ――あの時だ。『白』の境界から戻ってきた直後、あたしが自分の気持ちを自覚した時。
思い出して、今二人きりの状況だという事に気づいて、急に心臓が跳ね上がった。
「あの時死ぬほど眠かったし、ナユちゃんがいなくて頭ぐちゃぐちゃだったから思い出すと恥ずかしいんだけどね」
いつものように穏やかに笑いながら、ガーシャは静かに話し出した。
「ナユちゃんがいなくなって実感したんだけど、オレはナユちゃんがいないと生きていけないみたいだ。毎晩過去に押しつぶされるし、今が信じられないし、未来を夢見られない。オレの世界はもうナユちゃんがいないと成立しない」
ガーシャがあたしの背に回した手を伸ばして、反対側から手を握った。
あの夏祭りの時のように指を絡められて、するりと温かい感触が指に振れる。
「オレがいないところで大怪我したり、ひどい目に遭ったりしたらって想像しただけで頭がどうにかなりそう。だからずっと傍にいてほしい。それに――できれば、オレが勝手に傍にいるんじゃなくて、ナユちゃん自身もオレから離れたくないと思ってほしいな」
ガーシャの金色の瞳が近い。
目をそらさずにまっすぐに見つめられて、あたしも目が離せなくなった。
「わがままでごめんね」
ガーシャの言うわがままは、そのままそっくりあたしのわがままだ。全く同じことを思っていた。
自分が傍にいたいと思うだけじゃなく、相手にも同じように思い返してほしい――きっとそれは家族と決定的に違うところ。恋と同時にやってくる不安な気持ちを宥めるために。
胸の中に何かが詰まって、あふれ出しそうになる。
苦しいのに幸せで、痛いのに嬉しい。
複雑な感情があたしの中で渦巻いた。
「大好きだよ、ナユちゃん。妹みたいな存在としても、一人の女の子としても。覚えてないくらいずっとずっと昔から、オレは世界で一番キミが好き」
兄みたいだとずっと思っていた相手が、当たり前に隣にいた相手が、あたしの中で違う存在になったのはいつからだったんだろう。
考えてみれば、蒼都に着いた頃には気持ちが芽吹いていた気がする。初めて海に行ってガーシャと共にいる未来を描いて胸が苦しくなった時には、もうこの幼馴染に恋をしていたと思う。
「ナユちゃんはオレの暗いところを全部払拭して、明るい未来を見せてくれる。怖かった記憶の中にも楽しいことがあったって思い出させてくれる。どこに行っても皆に愛されるし、そんな誰かのために頑張れるナユちゃんの事を本当に尊敬してる。オレにないものを持ってるキミが眩しくて仕方ないんだ」
胸がいっぱいになってしまって、声を出そうとすると目の奥が熱くなって、先に涙があふれてしまった。
「好きだよ、ナユちゃん――お願いだから、傍にいて。絶対にどこにも行かないで」
頬を伝う涙を長い指がぬぐっていった。
「でもすぐに考えなくていい。これまでと同じように、オレはまだまだずっとナユちゃんの隣にいるから。兄として慕ってくれて構わない。でも、オレがキミの事を何より大切に思ってることだけは信じてほしい。何があってもオレはナユちゃんの傍から離れないし、何があっても絶対にキミの味方だ」
返事をしたいのに、声が出ない。
言葉に出来ない思いを伝えたくて、頬に当てられた手を握り締めた。
「本当はナユちゃんがもう少し自覚するまで待つつもりだったんだけど、待てなくなっちゃった」
こつりと額を額に当てて。
「だって勘違いしてもいいんでしょ?」
至近距離で、意地悪そうに笑って幼馴染は言う。
確かにそう言ったかもしれない。
だってあの時、あまりにも貴方の事が愛しくなってしまったから。
「……好き」
か細い声が喉を震わせた。
「あたしも、好き」
そう言うと、ガーシャは驚いた顔をした。
「……本当に意味分かってる?」
「分かってる」
「オレが兄じゃなくなっちゃうかもしれないんだよ?」
「兄でも兄じゃなくても、ガーシャはガーシャだよ」
少し気持ちを落ち着けて、思いを伝えたくて声を出す。
あたしがどれだけこの人を大事に思っているか、少しでも伝えられるだろうか。
「あたしだって、ガーシャがいつかいなくなるかもしれないって、ずっと怖くて怖くて仕方なかったよ」
ぽろぽろと涙が零れ落ちてしまう。
泣きたいわけじゃないはずなのに。
「小さいときからずっと一緒にいたのに、ガーシャだけはあたしたちの知らない世界を知ってる……だから、何かを思い出した時に、いつかすごく遠くに行ってしまいそうで怖かった」
「オレはどこにも行かないよ」
何度も何度も繰り返す言葉。それがどういう意味なのか、あたしは今日まで分かってなかったのかもしれない。
「うん、どこにも行かないでほしい。あたしもずっとそう思ってた」
だから信じられなくて、あたしはいつもガーシャと手を繋いでいたのだ。知らないうちにどこへも行かないように。
心の中を言葉にしたら少しだけ落ち着いた。
あたしを見下ろすガーシャの頬に、あたしもゆっくりと手を当てた。あたしの手にすり寄る仕草がまるで甘える子供のようでくすぐったい。
「ガーシャが過去に囚われて眠れない夜があるのも知ってる。そんな日は少しでも安らかになってほしい。あたしたちには見せてくれない暗い感情があるのならそれでも全部知りたい。何より、ガーシャにはずっと幸せでいてほしいの。その時に、隣にいるのがあたしならもっと嬉しい」
どうしたらこの気持ちを伝えられるだろう。胸の内からあふれ出す愛しい感情を言葉にするには、あたしはまだまだ子どもだった。
だから素直に言葉を紡ぐしかない。
「あたしに新しい世界を見せてくれるのはいつもガーシャだよ。あたしが、あたしたちがどこに行けばいいか導いてくれるのもいつだって貴方だった。一人でも楽しいけど、ガーシャと一緒ならもっと楽しい」
どんな風に惹かれたのか、少しずつでもいい、言葉にするから。
「だからもし、このままどこまでも旅を続けることができるなら――同じ景色を一緒に見たいと思ってる。ガーシャと一緒ならどこまでも、世界の果てまででも楽しく冒険できる気がするの」
あの時夢見てしまった未来が心の奥にくっきりと焼き付いている。
いろんな場所へ行って、いろんな景色を見る時に、隣にいてほしいと思ってしまった。この人の隣なら楽しい未来が待っていると思ってしまった。
その為ならきっと、辛いことがあっても頑張れる気がするのだ。
「えっと……それじゃダメ?」
「……十分すぎる。もうやめて。このくらいで勘弁して。いろんなことが我慢できなくなる」
耳まで赤くなったガーシャが困った顔をしてあたしを見下ろしていた。
「思ったよりナユちゃんに愛されてたから驚いてる……けど、すごく、嬉しい」
そうだよ、あたしはずっとガーシャが大好きだったんだから。それが恋だと気づく前から。
ふふふ、と笑うと、もう一度指があたしの頬を撫でていった。
もう一度額にこつりと額をあてて。あまりに金色の瞳が近くて――
「目、閉じてて」
声につられるように目を閉じたら、優しい感情が唇から流れ込んできた。お腹の底がくうっと持ち上がるような感覚で、胸がいっぱいになってしまった。
全身にガーシャの気配を感じる。早かった心臓の音も少しずつ落ち着いていった。
心の中は満たされて、ほんのり温かい感情だけが残っていた。
「ごめん。嬉しすぎて我慢できなかった。嫌だったら、やめる」
「嫌じゃない」
嫌などころか、すごく幸せな気持ちになった。
よかった、と笑ったガーシャはあたしをぎゅうっと抱きしめた。
でも、熱い体温でまたちょっとドキドキしてきてしまう。
「……でもね、あのね、やっぱり急には難しいから、明日からもまた今まで通りでいいからね」
「うん、大丈夫。オレ普段からあんまり隠してないから。ナユちゃんが全く気づいてないだけで。みんな知ってるよ」
その言葉に首を傾げると、ガーシャが笑った。
「ほんとだよ? 戻ったらメイカさんに聞いてみるといい」
ガーシャと別れてほわほわした気持ちのまま部屋に戻ったら、ちょうどメイカ様がいたので聞いてみた。
「ねえ、メイカ様。ガーシャがあたしのことをずっと好きだったって知ってた?」
そう聞くと、メイカ様は飲みかけだった水をぶはっと吐き出した。
「な、突然どういう……はあ?!」
「さっきガーシャがそう言ってたからさ」
「……極端なんだよ、あいつは! お前も!」
メイカ様は力強く怒りを示して、はあーとため息をついた。
「ああ、知っていたよ。何故気づかないのか不思議だったんだが」
「もしかしてさ、あたしがガーシャのこと好きだったのも気づいてた?」
メイカ様は乾いた笑いをした。
「お前たち以外は全員分かっていたと思うぞ。お前はようやく気付いたのか? 遅すぎるだろう。本当にお前のその鈍感さはどうなっている」
零してしまった水を片づけながら、メイカ様は優しく笑った。
「何があった? 私でもよければ話を聞こうか」
もしかしたら、赤都に戻ってシャラ様に話したほうが良いかもしれんがな、と言って。
メイカ様はあたしを部屋に迎え入れた。




