里帰り(1)
しばらく眠りについて少し体力も回復したあたしたちは簡易拠点を出て翠都に戻った。
そして、こちらの世界ではとうに季節が変わってしまっていた事を知った。
境界の中では時間の感覚があまりなかったが、実はおおよそ3か月もの間あたしは行方不明になっていたらしい。信じられない。いったいあの場所は何なんだろう。
本当だとすると飲まず食わずで眠りもせず、疲れることもなく、真っ白な世界で3か月走り続けていたことになってしまう。
宿に戻ると、相変わらずアラージャさんは紙に埋もれていたが、明らかに紙の量が増加している。3か月の長さを思い知った。
「えっ、亀の神徒はもう来ちゃったの?!」
「うん。ナユちゃんがいなくなってすぐにね」
「翠都はどうしたの……?」
「大丈夫、神徒の進路を変えて、でかい穴開けて、すっ転ばしといた。当分動けねえと思うけど、まあ、あのままにしとくわけにもいかねえよな」
「そうだな、ナユタの救出も終わったことだし、夏になる前に討伐してしまいたいな」
メイカ様が腕を組みながら眉間にしわを寄せる。
「どうやって討伐すんだよ、あんなでかくて固い神徒」
朝釣ってきたという魚を丸焼きにして頭からかじりながらカラハが言った。
都にいるのにずいぶん野生に馴染んできてるな。
あたしがいなくなったのと亀の神徒が来た以外は、割と平和だったらしい。平和とは何だろう。
「神徒の襲撃があったせいでナユちゃんを迎えに行くのが遅れちゃったんだ。ごめんね」
「いや、でもあたし、3か月も経ってるなんて思わなかったよ。確かに時間の感覚もあまりなかったけど……」
「俺もほんの数刻だと思ってたら、7日も経ってた」
どうやら向こうとこちらでは時間の流れが全く違うらしい。
そしてそれが確実だと判明したのは、あたしたちの父親が目覚めてからだった。
季節はすでに初夏を迎えていた。
あたしたちが白の境界から戻ってしばらく、ずっと眠り続けていたく父がようやく目を覚ました。
10年間あの場所で耐え続けた精神力もさることながら、起きた瞬間に普通に動き出した体力もすごい。
目覚めてすぐ、父親は走り回ってあたしを探したようだ。
「ナユタ!」
ちょうどアラージャさんのところで白の境界の中の様子を絵に起こしてもらっていたあたしは、大きな声にびっくりして飛び上がった。
何度見ても、少し大人びたアギにしか見えない。
「お父さん……?」
首を傾げると、父はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「よかった……無事か……」
あたしは思わず父に駆け寄った。
父はあたしの手を取って、顔をまじまじと見て、アギとは違う表情で笑った。
「大きくなったなあ」
精悍な大人の男の人だ。
なんだか照れ臭い。
「ごめんな、最初に攻撃して。だが生きてたって事は俺の攻撃を多少なりとも受けるか避けるか出来たんだろう。戦い方は誰かに習ったのか?」
「ゴクジョウ師匠に習ったよ」
「え、あのクソガキが人に教えてんのか?」
ああ、やっぱり覚えてるんだな。
父は、師匠の師匠なんだって言ってたけど、10年以上前のゴクジョウ師匠はきっと生意気なクソガキだったに違いない。容易に想像できて笑える。
そこで扉がすぱんと開いて、外からアギが飛び込んできた。
「親父が起きたって?!」
まるで生き写しの二人が並ぶと変な感じだ。
「アギ!」
父は躊躇なくでかい息子を抱擁した。
アギはそれを押しのけようと抵抗する。
「放せよ、恥ずかしい」
「俺の中ではまだ5歳なんだ。可愛い息子なんだよ」
「……ったく。もう17歳だっての」
そういえば春生まれのアギはいつの間にか17歳になっている。
あたしも冬の間に15歳になった。
望む望まざるに関わらず、あたしたちは大人になっていく。
「10年……10年か。まだ実感ねえんだよな。サイショウも年食っておっさんになってるし」
父はあたしたちを見て、穏やかに笑った。
「一番大事な小さいときに一緒にいてやれなくてすまなかったな。本当はすぐに帰るつもりだったんだ。それがまさかこんな事になるとは……ナユタなんてあんなよちよち歩いてたのに……とーたんとーたん言いながら付いてきてめちゃくちゃ可愛かったのに……」
父の記憶の中のあたしは3歳くらいだろうか。
通りであたしの記憶に父がいないわけだ――言ったら悲しみそうだから言わないけど。
父はあたしとアギの頭を抱いた。
「立派に成長してくれてありがとう。しんどいことも山ほどあっただろうに、よく、よくここまで無事に育ってくれた」
「……皆が育ててくれたんだよ」
時に父のように、時に母のように、時に姉や兄のように。
あたしたちの周りには色々なことを教えてくれて、悪いことを叱ってくれて、時に道を指し示してくれる大人たちがたくさんいたから。
「でも、これからは父さんも一緒にいるからな」
「うん。嬉しい」
あたしが笑うと、父も嬉しそうに笑った。
「なあ、ずっと思ってたんだが、うちの娘すごく可愛くないか? 可愛すぎないか? これ大丈夫か?」
「俺もそう思うし、正直、すぐいろんなものが寄ってくる」
兄が即時同意した。
兄だけでなく父も娘を溺愛する質らしい。過保護な保護者が一人増える予感がする。
そんなことを考えていたら、テラスと共にもう一人の兄がやってきた。
テラスが連れてきてくれたんだろうか。
「本当だ、ラクシャさんが起きてる」
「おう、お前あれか、カシギんとこにいた泣き虫のチビか。思い出した思い出した」
「いつの話してるの、オレもう17歳なんだけど」
先ほどのアギと同じ台詞を返して。
テラスは父に寄り添うように座ると、ふさりとした尻尾を父の膝に乗せた。
「俺にとっちゃ全員まだ5歳なんだよ。ほんっと、アギといいお前といい、図体ばっかでかくなりやがって。そもそも新緑の民だなんて聞いてねえよ。あー、でもカシギはこっちの方から来たって言ってたもんな。あの野郎知ってて隠してやがったな。ったく」
父からは、どこか集落の大人と同じ空気を感じる。罠猟師のクチバさんや薬師のカシギや、他の大人たちのように安心して話せる。話に出てくる人たちもみんな知っている名前だ。
「いや、でもまさかナユタがあの集落を出られる日が来るとは思ってなかったな」
「集落のお社が限界だったから、あの時は仕方なかったよね。今も、都みたいに大きなお社がなければ警戒しながらじゃないと過ごせない」
集落を出てゴクジョウ師匠に出会った話をして、そこから蒼都への旅の話をした。
あの頃は結界もなかったから本当に本当に大変だった。師匠はよく付き合ってくれたと思う。こんなに大変だなんて聞いてない、と悲鳴を上げてはいたが。
話を聞いて父は爆笑していた。
どうやら師弟関係は悪くないらしい。そのうち師匠のところにも戻ってあげたいな。
「師匠っていくつくらいなんだろう。あんまり聞いたことないや」
「前に聞いた時はそろそろ30って言ってた気がするけど」
「俺より10年下だ。そうするといま28だな」
父はいま38歳なのか――いや、でもとてもそうは見えない。
「さっきから思ってたんだけど……ラクシャさんが若すぎる気がする」
ふと、ガーシャが言った。
そうなのだ。
サイショウさんと同い年くらいのはずなのに、どう見ても20代にしか見えない。まるで10年前にいなくなった時そのままの姿のように。
「やっぱり向こうとこっちで時間の流れが全然違うのかもしれないね」
「サイショウもそんなこと言ってやがったな」
テラスの背を撫でながら父は言う。
「翠都付近には『神去り』という現象があるらしい。『神隠し』とも呼ばれるな。神の住む世界に足を踏み入れてしまって不意に消えてしまう人間は、たまにいるらしい。神に選ばれて招き入れられたとも言われるそうだ」
「それって……」
「昔からあっちに行っちまう人間はごく少数いたってことだろうな。んで、ごくごく稀に消えた人間が戻ってくることもあるそうなんだが、その人間は消えた時のまま年も取らずに戻ってくるって話だ」
神去り。
もし伝承の通りだとすると、うちの父はいま28歳のまま、教え子だったゴクジョウ師匠と同い年になってしまったことになる。
何なら息子のアギと10歳くらいしか違わない。父というより年の離れた兄だ。
「俺の感覚としてもほんの少し前まで奥の山の集落にいて子供時代のお前らと暮らしてた気がするから、まあ年取った感じはしねえな」
確かに、サイショウさんに比べて落ち着きが少ない気がする。
「ただ、持ってた刀は壊れちまったんだよな。ひたすら神徒を切りまくってたから当たり前なんだが。着物も古くてぼろぼろになってたと後から聞いた」
「道具は劣化しちゃうのかな? 不思議だね」
父は手を握ったり、開いたりしていた。
「でも刀がないと落ち着かねえんだよな」
「ああ、そういえばガオウじいちゃんが言ってたね。お父さんは剣術の達人だって」
アギに刀を渡した時、会えたら教えを乞えと言っていた。
「ガオウじいさんまだ生きてんのか」
「生きてるよ。勝手に殺さないでよ。赤都で元気に刀鍛冶やってるよ」
「ガオウじいちゃんが俺の刀も打ってくれた。でも、俺自身は剣術やったことなくて、全然使えねえんだ。親父に教えてもらえってガオウじいちゃんは言ってたけど」
「ああ、いいぜ。徒手の方はゴクジョウに習ったんだったな。後でまた見てやる」
そう言われてアギは嬉しそうに笑った。
「と思ったが俺の刀がねえな。どっかで赤都に寄れるといいんだが」
「俺も一緒に行く!」
兄が先ほどから子供のように笑うのが嬉しい。あたしを連れてずっとずっと一人で頑張ってくれていた兄が肩の荷を少し下ろし、年相応になれるのは父親の前だからだろう。
そう思ってにこにこしていたら幼馴染と目があった。
同じことを考えていたらしい彼と笑い合って、何だか嬉しくなった。
『白』の境界から帰ってきたときに自分の感情を自覚したあたしだけれど、だからと言って何かが変わるわけではない。どうせいつも通り甘い兄二人は、あたしの感情の変化に関係なくいつもどおり過保護なのだ。
だから当分はこのままでいいと思っている。
「それより、前に言ってたんだけど、一度奥の山に帰らない? ここからなら尾根をまっすぐ行けばいいし。ラクシャさんが見つかったことを皆にも知らせたいし」
「ああ、そりゃいいな」
父はそう言ったあと、10年いなくなってたから絶対全員に怒られるだろ……と小さくなっていた。
じゃあ、次はあたしたちの生まれ故郷に戻ろう。
もともと集落を出て父の痕跡を追ってここまで来たのだ。父が見つかった今、村に戻るのもいいだろう。今のあたしたちなら多少神徒が寄ってきても問題ない。
村に帰ると思ったら、楽しみになってきた。
「ランカお姉ちゃんの子供が生まれたんだよ。勾玉持ちでね、将来は神徒狩りになるかも」
「ランカってランカの事か? あの、猟師のクチバの娘?」
「そうだよ」
「あのお転婆、嫁の貰い手あったのかよ」
「村の外の人を捕まえてた。すごく優しい遍歴商人のお兄ちゃんだよ」
「可哀そうに……」
それ、ランカお姉ちゃんにもジンさんにもとっても失礼では。
でも父が本当にあの集落にいたんだと分かってほんのり嬉しくなった。10年の隔たりなんてなかったかのように、自然と話すことが出来ている。
それはきっとアギもガーシャも同じなのだろう。集落にいた時のようにのんびりとした空気に満たされていた。
テラスの尾がふさりと動いて、すっと立ち上がった。
「どうしたの?」
白狼が頭であたしを父の方へ追いやる。
場所を変われってこと?
立ち上がって父の隣に行くと、あぐらをかいた父があたしを膝の上に乗せた。
テラスは隣に座って、あたしの手の甲をぺろりと舐めた。
父に甘えとけってことかな。
「……娘可愛い……小さい……」
いつも膝にのせてくれるアギよりさらに大きい。小柄なあたしを包み込んで、父は恐る恐るあたしの腹のあたりに手を回した。壊さないように傷つけないように。
大丈夫だよ、こう見えてあたしは割と丈夫だよ。
いつもアギにするように、すり寄って胸のあたりに頭を預けたら固まってしまった。
「……お父さん?」
「あー……幸せが天元突破して昇天するかと思った。甘えてくる娘本当に可愛いな……」
今度は少し力を込めてあたしの身体をぎゅうと抱きしめて。
「成長するところ、見たかったなあ……」
しみじみ呟いた。
ごめんね、急に大きくなっちゃって。その代わりこれからいっぱい甘えてあげるからね。
集落を出てから、師匠に会った話をして、蒼都に行って、メイカ様たちと共闘した話をして、そこから外道衆に会って、赤都へ移動して、温泉の話と狐の神徒と戦った話をして。
ガオウじいちゃんの話をしていたところで、サイショウさんとメイカ様がやってきた。
「ラクシャ様、探しましたよ。こんなところにいらしたのですね」
「よう、サイショウ。いいだろ、うちの娘。めっちゃ可愛いだろ」
膝に乗せたあたしの頭をなでなでしながら自慢している。
ほら、サイショウさん困ってるじゃん。言いたくはないが、さっき久しぶりに会った父より翠都で一緒だったサイショウさんと過ごした時間の方がよっぽど長いのだ――言ったら悲しみそうだから言わないけど。
サイショウさんは杖を突いて、ゆっくりと歩いている。足の怪我はよくなったものの、以前と同じようには歩けなくなってしまったらしい。杖をメイカ様に渡し、父の傍に座った。
「お戻りをお待ちしておりました。あの境界から、よくぞご無事で」
深々と礼をしたサイショウさん。
「いや、礼を言うのはこっちだ。長い間、俺を助けようと尽力してくれたと聞いた。ありがとう、お陰で息子にも、娘にも再び会えた。どうやら故郷にも帰れそうだ」
「何よりでございます」
そういえば、サイショウさんは宗主の末子、って言ってたけど、何故そんな偉い人がうちの父を敬ってくれているんだろう。不思議だ。
ふと見ると、メイカ様がぼうっと父の顔を見ていた。まるで恋する乙女のように――そうだ、メイカ様はずっとうちの父に憧れていたんだった。
「隣にいる美人は、もしかしてレイリュウではなくてメイカなのか?」
「そうです」
「確かアギと同い年だったんだよな。レイリュウは?」
「……亡くなりました。3年前、不慮の病で」
それを聞いた父は息を止めた。
「そうか……そうだったのか。美しく気高い人だった」
誰かの面影を追うように目を閉じた父は、何かの感情を閉じ込めるかのようにあたしを抱く腕に力を込めた。
「メイカはレイリュウに面差しがよく似ているな」
「はい。よく言われるようになりました」
メイカ様が穏やかに笑う。頬にほんのり赤みがさしていて可愛らしい。
「さて、ラクシャ様。お戻りすぐに申し訳ないのですが、少々ご相談がございます」
「何だ」
「翠都の近くに神徒が出現しています。お力をお貸しください」
「神徒? 何が出てんだ?」
父の言葉に、ガーシャが答える。
「すっごく大きくて亀がいてさ、とりあえずひっくり返して動けなくしてあるんだけど甲羅が固すぎて討伐できないんだ。でもそのままにしとくわけにもいかないし困ってる」
「何だ、そんなことか。とーちゃんに任せとけ。俺はこう見えて結構強いんだ」




