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神徒奇譚  作者: 早村友裕
第三章 翠都編
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白の境界(4)


 傷口を手で押さえようとしたが力も入らず、血が止まらない。

 呼吸しようとするだけで痛い。

 あたしのことが分からないのだろうか。10年前に別れた娘のことなど忘れてしまったのだろうか。

 いや、違う。

 自分自身が体感したじゃないか。

 一人でここにいると、ほんのひと時で気が狂う(・・・・)のだ。

 10年もの長い間、大量の神徒に追われ、身体は疲れないのに永久に戦い続けたらどうなってしまうのか。

 そんなの簡単だ。

 心を閉ざしてしまうだろう。

 それでも、白に呑まれず戦い続けているのは本能的なものか、それともこの人の精神が強靭すぎるせいか。

「お、父、さん……帰ろう」

 震える手を伸ばしたら、一瞬、父の瞳が揺らいだ気がした。

「一緒に、帰ろう」

 神徒と戦い続け、ただ戦い続け、神徒以外の生き物がここにいると判断できなくなってしまったのだろうか。

 それでも再び刀を構えようとした父の目を覚まさせる術をあたしは持たない。

 命を獲られる覚悟をして目を閉じた。


 その時、大きな声が横から飛び込んできた。

「目ぇ覚ましやがれ、クソ親父!!」

 ばき、とか、ごき、とかあまりよくない音がして、父親はあたしの視界から消えるほど飛ばされていった。

「お前が殺そうとしてんのは、お前を迎えに来たお前の娘だ!!」

 父と同じ色。

 でも、今度は本物だ。

 お兄ちゃん、と呼んだけれどもう声を出すことが出来なかった。

「ああ、くそっ……すぐにここから出るからな。ちょっと辛抱しろよ」

 そう言いながら、自分の着物を脱いで裂き、あたしの腹の傷にぐるぐると巻き付けた。

「テラス! 親父の方頼む!」

 わおん、とお返事をしたのは生まれた時から一緒だった白狼だ。

 アギに吹っ飛ばされた父が呆然と座り込んでいるところへ行って、その顔をぺろぺろと舐めた。

 すると、光を失っていた父の目がぼんやりと、でも確かにもう一度開かれた。

「……テラス?」

 父の声で、わんと返事をするテラス。

 嬉しそうに尻尾を振って、父にじゃれついている。

 あたしの声でもアギの攻撃でも正気に戻らなかった父が、テラスの姿で目に光を取り戻した。

 そしてテラスも見たことがないくらいに嬉しそうに飛び跳ねている。

 二人の関係がどんなものなのか分からないけれど、父が正気を取り戻してくれてよかった。


「しんどいと思うけど意識飛ばすなよ。『白』に飲み込まれちまう」

 アギは手首に何本か巻き付けてあった新緑色の糸を一本ほどいてあたしの指に結び付けた。

 そして、もう1本を未だ呆然と座り込む父親の足に括り付ける。

 よく見るとテラスの尻尾にも同じ糸が括ってあった。

 アギはあたしに最低限の応急処置をすると背に担いだ。

 傷口が動いて、痛みがひどくなった。痛みのお陰で目が覚める。

「とにかく出よう。あまり時間がないんだ」

 アギは手首の糸をぐいぐいぐい、と何度か引っ張った。

 この糸は、おそらく現世につながっているのだろう。

 新緑色はいつだってあたしの帰り道の道標になるのだ。

「テラス! 親父も連れてきてくれ!」

 何が起きているか分からないという表情の父を、テラスはぐいぐいと鼻先で押す。

 とにかく走れ、と言わんばかりのやり方だ。

 あたしはアギに背負われたまま、再び真っ白な世界を駆けていった。

「行きと違って最短距離だ。そこまでかからないはずだ。頑張れ、ナユタ」

 痛みは相変わらずずくんずくんと脳を揺らすが、血を流しすぎたのか、頭がぼーっとする。

 だんだん視界も薄れてきた。

 でも、どこもかしこも真っ白な薄れる視界の中で、小指に結ばれたガーシャの新緑の糸だけがくっきりと目に焼き付いていた。



 ぼんやりとした世界を彷徨って、気が付いた時、目の前に金色の瞳があった。

 ああ、ここは色のある世界だ。

 なんて綺麗な色なんだろう。

「ガーシャ」

 かすれた声が出た。

 金色の髪が新緑色を帯びてきらきらと光っていた。

「……きれい」

 全身を支配していたはずの痛みが少しずつ消えていった。

 温かい新緑色の光があたしを包み込んでいる。

 上から覗き込んでいたガーシャは、まるで泣きそうな顔をしてあたしの肩に顔をうずめた。

「……何処にも行かないでって言ったのに……」

 まるで子供が駄々をこねるような調子で。

 震える声で。

「もう嫌だよ、ナユちゃんの怪我を治すのは。死にそうな怪我しないでよ。オレがいないところで怪我してたらって想像しただけでどうにかなりそうなんだ」

 幼馴染がこんなにも取り乱すところを見るのは久しぶりだった。

 でも、それこそ本当に幼い頃はよく駄々をこねていた気がする。

 懐かしさに口元が綻んだ。

「……いなくなって、ごめんね」

 金色の髪が頬をくすぐっている。何とか動くようになった両手でその頭を掻き抱いた。

 ガーシャも背に手を回してくれて、これでもかときつく抱きしめられた。

 温かい。

 現実味のある感触に、ようやく白の境界を抜けたことを実感した。

「もうやだ。二度と傍を離れない。嫌がっても隣にいる。何度もそう思ってるのに、ナユちゃんはいつも勝手にすり抜けて行っちゃうんだ。だからいつも怖くて仕方ない」

 背中に回された手が震えている。

 あたしの肩に顔をうずめる幼馴染は、泣いているのかもしれなかった。

「もう何処にも行かないでよ……」

 らしくなく心の底を吐露した幼馴染は悲痛な声で絞り出すように言った。

 本来のガーシャはすごく子供っぽいのだ。大人びた発言をする時もあるし、何手先まで未来を読むこともあるけれど、基本的には情動的で衝動的で、いつまでもアギと二人で遊んでいるのが大好きなただの少年だ。

 ずっと一緒にいるあたしはそれをよく知っている。

 そんな彼がどうしようもなく愛おしくなった。

 胸の奥がきゅうっと苦しくなって、泣きたいくらいに痛くなる――我慢できなくなるくらい胸が痛くなったら、と言ったシャラさんの言葉を思い出した。

 あたしはこの感情の名前を知っている。

 眠れぬ夜を過ごすほど過去に(さいな)まれる人が少しでも安らかになるように祈るのも、隠している暗い感情まで全て知りたいと願うのも、一緒に同じ景色を見たいと夢見るのも。

 すべては単純な感情からだった。

「……うん、行かない。ずっと隣にいる」

 今までと違う意味を込めて囁いた。

 伝わらなくていい。

 だってあたしは妹だから。

 兄のような存在にそれ以上の事を求めるなんて過ぎた願いだ。

 しばらくそうしていると、手の震えは少しだけ収まって、背中に当てられていた手がゆっくり動き、優しく撫でてくれた。

「でも、ナユちゃんすぐ嘘つくからな……」

 拗ねたような声で言われた。

 おっしゃる通りなのだが言い訳させてほしい。あたしの意思でガーシャから離れたことは一度たりともない。

 あたしは手を緩めて至近距離で幼馴染の顔を見た。

 目が赤い。

 やっぱり少し泣いてたみたい。

 いつものようにじぃっと見つめていると、先にガーシャが離脱した。目をそらして口元に手を当てる。

「ナユちゃん、それやめてって言ってるでしょ。そんな熱烈に見つめられると勘違いしちゃうんだよ」

「勘違いしていいよ」

 そう返すと、きょとんと眼を丸くした。

 いつも意地悪な幼馴染相手なら、このくらい許されるだろう。

「それって――」

 ガーシャが何か言いかけた時、上からメイカ様の声が降ってきた。

「……二人の世界に入っているところすまないが、続きは後から二人だけでやってくれないか。こっぱずかしくて見てられん」

 額に手を当てたメイカ様があたしたちを見下ろしていた。

 はっとすると周囲には思ったよりたくさんの人たちがいた。

 アギはもちろん、サイショウさんとアラージャさん、カラハもきていたようだ。あとは、翠都の神徒狩りも数名。その中にはリーリャさんの姿もあった。

 すごく睨まれている。

「立てるか? ナユタ。かなりの深手だったようだが」

「傷は塞がってるけど、血が足りなくてちょっと無理かも」

 実はさっきからずっと頭がクラクラしているのだ。

「ガーシャ、お前もとりあえず寝ろ。ほぼ一週間、不眠不休だったのだからな」

「……うん、実はさっきから目を閉じたら即寝そうなくらい眠い」

「アギ、ナユタを頼む」

 アギがあたしを受け取ろうとしたら、ガーシャが名残惜しそうにあたしの手を握った。

 それだけで心臓がドキドキしてしまう。

 自分の気持ちを自覚するっていうのは大変だ。

「オレ、ナユちゃんがくっついてくれてるとよく眠れるんだけど」

「これだけ疲れて居れば気絶するより先に眠れるだろう。いいから一人で起きるまで向こうで寝てろ、阿呆」

 メイカ様に後頭部を叩かれ、ガーシャはそのまま地面に沈んだ。


 あたしはアギに連行され、近くにあった天幕の中に入った。

 簡易的ではあるが拠点として機能していたのだろう、中には寝台があり、小さいながら机も置いてあった。

「ここどこ……?」

「境界の近くに拠点を作ったんだ。お前と親父を助け出すためにな」

 ボロボロになったあたしの着物を脱がせ、新しい着物を着せてくれる。

 水を飲ませ、寝台に寝かせると、頭を撫でてくれた。

 まるで子供のころのように。

「よく頑張ったな、ナユタ」

「アギはどうやってあの場所まで来たの?」

「結果的に言うと、入れたのは俺とテラスだけだったから、テラスが匂いでお前を探して、ガーシャの糸を道標に残しながら境界の先を探し回ったんだ」

 アギは簡単に言うけれど、あの白一色の世界を歩き回るには尋常でない意思の力が必要だ。

 あたしと同じように、深い絶望にも喰われかけたはず。

「ついでに親父も拾えてよかった。お前を殺そうとしてた時は血の気が引いたが……ガーシャのところまで戻ればなんとかなるとわかっていたからぎりぎりで冷静になれた」

 ガーシャ。

 そうだ、ガーシャは――

「ガーシャは翠都の人たちの前で治癒の朱印を使っちゃったの……?」

 あんなにも発露することを嫌がっていたのに。

「あいつにはお前以上に大事なものなんてねえよ」

 アギが断言する。

「あの『白』の境界とこの世界では、時間の流れもめちゃくちゃだ。俺が境界に入ってからさほど経ってないと思っていたが、こちらでは7日間も過ぎてたんだからな。その間、ガーシャは眠ることもなくずっと糸を張り続けてくれてたんだ。俺とお前が必ず帰って来られるように」

 朱印の力は、使えば使うほど脳が疲労する。

 不眠不休で糸を張り続けて、さらにあたしの怪我を治して。

 いま、ガーシャがどれほど疲れていたかを実感した。

 ガーシャだけではない。きっとあの場にいた皆が力を合わせて助けに来てくれたのだろう。

「お前が急に攫われるもんだからいろんな準備が間に合わなくて、ほとんど運任せだったけどな。拠点も突貫で作っただけだし」

 大きくて優しい手があたしの頭を撫でていく。

 そうしながら、アギ自身も大きなあくびをした。

「俺も隣で休むから。お前も寝ろ、ナユタ」

「お父さんは……?」

「別の場所で眠ってる。10年だからな……こちらの10年が向こうでどのくらいの年月になるか分からないが、少なくとも持っていた刀は劣化してこちらの世界に来ると同時に粉々に砕け散る程度の時間は経ってたらしい」

「……今度はあたしの事、思い出してくれるかなあ?」

「ああ、きっと大丈夫だ」

 アギが言うと大丈夫そうな気がするから不思議だ。

 あたしにとって一番の安心はいつもアギがくれる。

 ほっとしたら眠気が襲ってきた。

「おやすみ、ナユタ」

 優しい兄の声がする。

「……でも、やっぱまだ渡したくはねえんだよなあ」

 アギの呟きを聞きながら、あたしはようやく眠りについた。


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