表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神徒奇譚  作者: 早村友裕
第三章 翠都編
PR
50/98

白の境界(3)

 目を開けた瞬間はのっぺりした白い世界に見えたが、よく目を凝らすと見えてきた。

 白く発光する神徒のようなナニカが世界を形作っているのだ。

 足元には道。

 左右に木々。

 上を見上げれば真っ白な空。

 よく見えないが、おそらく太陽も白いのだろう。

 ただすべてが白いだけ。

 まるで白の靄が、飲み込んだ世界をそのまま『白』で再現しているかのようだ――もしかすると、実際本当にそうなのかもしれない。正解を知る手段はないが。

 そして、ふと、背後から悪い気配がした。

 振り向くと、ぐぐぐぐ、と白い地面が持ち上がり、徐々に(イノシシ)の形をとった。

 背景と同色のソレはまるで透明な生き物のようにぐにゃりと空間をゆがませた。

 神徒だ。

 ここが本当に境界ならば、神徒の巣窟になっているかもしれないと誰かが言っていた気がする。

 あたしは勾玉を握り締めて真言を唱えた。

 が、反応しない。

 朱印は現れず、色のある光も現れなかった。

 何度唱えても同じだった。

 まずい。

 背筋がぞっとした。

 朱印の力もなしに、神徒と戦うことは出来ない。ただ嬲られて喰われるだけだ。

 武器になりそうなのは腰の小刀だけだが、こんなもので神徒を倒せる気がしない。

 この不安定な世界で、果たしてあたしは走れるだろうか?

 まるで海の中に落ちたかのように体が重い。頭がぼんやりする。それでも前に進まなくては。

 足に力を入れてみる。

 動け。動け。

 焦るほど緩慢にしか動かない手足に絶望していたが、必死で動かしているうちに少しずつ感覚が戻ってきた。

 背後から猪が迫る。

 逃げられない、と思ったが、イチかバチか跳んでみると――

 まるで光玉を蹴ったときのように、体がぽーんと宙に浮いた。

 前に進むより跳ぶ方が楽だ。

 眠っている時に見る夢の中で体を自在に動かせるように、コツさえつかめばかなり自由に動けそうだ。

 この力を利用して、逃げる、逃げる。

 あたしは猪から遠ざかるように、跳ねるように駆けた。


 そうして次々現れる神徒を避けながら、どのくらい走り続けただろうか。

 かなり長い間走っていたと思うのだが、周りの景色は真っ白のまま。まるで変わらないし、向か先に何か目標があるわけでもない。ただ無限に続くだけの白い世界で、意味なく走り続けることは難しかった。

 その代わり、体力が減った感じもない。息も切れないし心臓の拍動が早くなることもない。

 ただ、気持ちはとても疲れている。

 視界に白い発光体しか入ってこないというのはかなりしんどい。目を開けているだけで疲れる。形を見ようと目を凝らすだけで力を使う。

 でも、目を閉じると意識を深淵に吸い込まれそうになるので視界を長く閉ざすことも出来ない。

 全身の感覚が薄く、意識と身体が乖離している状態で、時間の勘はどんどんずれていく。

 それでもあたしは逃げ続けた。



 ここに吸い込まれてどれだけの時間がたったのか、どれだけ進んでしまったのか、そもそも自分がここに存在するのか、常に意識していないと身体ごと霧散しそうになる。

 一日経ったのか数日経ったのか数か月か、それとも実は数刻しか経っていないのか。

 全く分からない。

 思わず膝を抱えて座り込みそうになったが、白の世界に吸収されそうになってやめた。

 身体が疲れないことを幸いに、歩き続ける。走り続ける。

 留まることが出来ない焦燥の中、周囲の景色は変わらない。


――気が狂いそうだ


 そう、ここにいると気が狂う。

 疲れない身体があるにも関わらず精神力は削られていく。

 でもきっとこれ(・・)に負けたら、あたしは白に溶けてしまうだろう。

 負けたくない。

 負けたくないけれど、無限にも感じる時間に心が折れそうになる。


 色のない世界で、鮮やかな色を纏う仲間の事を思い出していた。

「……アギ」

 思わず口からぽろりと零れた。小さい声なのに反響してやたらと脳に響いた。

 ああ、声は出るんだな。

 大事な人たちの顔を順に思い出す。

 心配してるだろうなあ。

 アギはどうしてるかな。サイショウさんの予想だとアギもこちらに来られそうだから、一緒にこっちに落ちていないといいな。メイカ様が止めてくれてるといいのだけれど。

 テラスは大丈夫だったかな。あたしを連れ去った何かにいち早く気づいて吠えてくれていたのに、あたしが避けられなくてごめんね。

 それから、ガーシャ。最後に見たのは彼の金の瞳だった。

 会いたい。

 戻りたい。

 帰りたい。

「……会いたい」

 駄目だ。立ちすくんでいて取り込まれる。

 進み続けなくては。

 でも、いつまで?

 先も見えないのに?

 色もない白の世界で進み続けたって皆に会える保証はどこにもないのに?


 足が止まる。

 白い視界が(にじ)む。

 涙が頬を伝った感触があった。

 心が折れてしまいそうだ。

 両手で顔を覆ってしばらく一人で肩を震わせた。

 泣いていたら、いつもアギが来てくれるのにな。

 どんなに遠くても、どんなに小さな声でも、兄はあたしを見つけてくれるのに。

「……お兄ちゃん」

 誰もいないのをいいことに、ひっくひっくと子供のようにしゃくりを上げてあたしは泣いた。

 怖い。

 怖いよ。

 誰もいない白の世界に一人、ただただ歩き続けなくちゃいけないことが怖い。

 ここには泣いていたら助けに来てくれる兄も、一緒に歩いてくれる幼馴染もいないのだ。

 あたしはとうとう座り込んでしまって、大声で泣き続けた。


 それからどれだけ経っただろう。

 たくさん泣いて、たくさん声を上げたあたしは再び立ち上がった。

 着物の袖で目元をぬぐう。

 一人しかいないなら、一人でなんとかするしかないだろう。

 時間の感覚が薄い中、ずいぶん長い時間がたって、ようやくあたしはこの世界に馴染んできた。

 相変わらず少しでも気を抜くと意識を持っていかれそうになるが、とまどいと怖さを全部、涙と一緒に流してしまったあたしは強くなっていた。

 負けるものかという強い怒りがあたしの身体を駆け巡る。

 大丈夫、入れたのならきっと外に出ることだって出来るはず。

 それに、外にはアギやガーシャがいる。ずっと父を助けようとしていたサイショウさんや、アラージャさんだっているのだ。きっと助けに来てくれる。

 もう一度皆の顔を思い出して、気合を入れた。

 大丈夫。まだ頑張れる。


 そう思った時、視界の隅を猩々緋色の衣が(よぎ)った。

 一瞬幻かと思った。

 アギの事を考えていたからアギの幻を見てしまったのだと。

 でも、あの色はこの真っ白な世界で緋色はひどく目立つ。見間違いではなさそうだ。

 あたしを迎えに来て、助けてくれるのはいつだって兄だから。

 真っ白な世界で唯一の緋色を目指して、あたしは駆けだした。

 アギの場所だけ神徒が大量に湧いている。

 猩々緋色の衣を囲い込み、圧し潰そうとするように。

 神徒たちに囲まれてなお闘志を失わず、戦い続けている姿はいつものアギのものだった。

 蒼都で見た時と同じ皆を鼓舞するように先頭で戦い続けるのだ。

 もう、怖さは全部消えていた。

「アギ!」

 あたしは叫んだ。

 アギは声に反応してこちらを見て――そのまま、手にしていた刀をあたしに向けた。

 向けられた鋭い殺気が突き刺さり、あたしは咄嗟に短刀を抜いた。

 容赦ない突きがあたしに向かって放たれる。

 何故、と思う間もなく、刀で腹部を突き刺された。

 あまりの衝撃にあたしは後ろに向かって吹っ飛ばされた。

 白く発光する太い樹木の幹に背中から衝突し、息が止まる。

 稽古を続けていた身体だけは勝手に反応して、短刀で突きを少し反らしていた。お陰で急所は避け即死は免れたが、深く差された刀はあたしの内側を大きく傷つけていた。

 息が出来ないほどの痛みに襲われ、体を丸めた。

 白い地面に血が流れだしていく。

 燃えるように熱くなった傷口は、もはや痛みしか伝えない。

「……アギ」

 もう一度呼ぶと、アギは振り向いた。

 その時に気づいた。

 アギではない。

 身の丈に合う大刀を手にあたしを見下ろしたのは、まるでアギをそのまま大人にしたような、立派な体躯の剣士だった。

 眼鏡はしておらず、ただ、アギと同じ緋色の瞳からは光が消えている。

 瞬間、悟った。

「……お父さん」

 アギによく似たこの人は、猩々緋色の衣をまとったこの人は。

 きっと、10年前に境界に落ちたままだというアギとあたしの父親だ。

 ようやくあたしはこの境界まではるばるやってきた目的を思い出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ