白の境界(2)
山の雪解けも始まったので、あたしたちは神徒が来るより先に境界を見に行くことにした。サイショウさんの言う、『白』の侵食をこの目で確かめておくためだ。言葉の意味は分かるけれども感覚としてあまり実感できない。あたしたちの父親の話にしてもその真偽をはかりかねていた。
最も近い『白』の境界まで、2日で往復する強行軍。
向かうのはあたしとアギとガーシャ、そしてメイカ様の4人とテラスだけだ。全行程神徒を狩りながら駆け抜けることを考えるとこれ以上は増やせない。
結界は持っていくが、2日間なら最悪なしで過ごすことも視野に入れている。
関所に集合したあたしたちを何故かとてもたくさんの人が見送ってくれる。ここを離れるのはたったの2日間なのに。どこの都もそうだけど、盛大に見送るのが好きである。
相変わらずあたしに対してだけガーシャが過保護を見せるのが気に食わないらしいリーリャさんに睨まれている。直接手を出してきたりはしないが、時折嫌味は言われたりする。
そちらの方を見ないようにしているのだが、リーリャさんがガーシャに話しかけている声がすごく聞こえてくる。あまりにも甘い声がするものだから聞いていられなくて耳を塞ぎたくなってしまう。
もやもやする気持ちを誤魔化すようにメイカ様の背中にとびついたら、重いからやめろと怒られた。
アギがその様子を見て笑った。
「最近メイカ様がずっと神徒狩りの人たちとばっかり一緒にいたから寂しかったの」
「仕方なかろう、神徒の襲来まで幾ばくも無いのだ。神徒狩りの戦力増強が急務だったのだ。だが……これまで教わる方が多かったから、人に教えようとした時にこれほど苦労すると思わなかった」
「師匠の偉大さを実感したな」
アギがため息とともに本音を吐いた。
「その代わり、ナユタが都の民の意識改革と作業誘導を担ってくれたのは助かった。正直、そこまで手が回らなかったからな」
「あたしは何もしてないよ」
そう言うと、メイカ様は笑う。
「お前はいつもそう言うが、お前の存在が私たちにとってどれだけ大きいか知らないだろうな」
どこかで聞き覚えがあるような、ないような。
首を傾げると、アギが大きな手でわしわし頭を撫でてくれた。
「つーか、ガーシャ、いつまで話してんだよ、行くぞ!」
早く起きた意味なくなるだろうが、とアギが怒鳴って、ガーシャはようやくリーリャさんから解放された。
「とっとと切れよ」
「有用なうちは泳がせてあるの」
ようやくガーシャが合流した。
アギは使うか分からない刀を大事そうに背負って、ガーシャは携帯用の小さな薬箱だけ担いだ。メイカ様がいるので鉈は置いていくが、小さい火打石は持っていく。携帯用に干し肉を少し、今日のお昼用の温かいお握りを少し。
最低限の荷物を持って、とんとんと草履の具合を確かめて軽く跳んだ。
「さ、行くか」
早朝、関所を越えたあたしたちは神徒が現れてしまう前に全力で駆け出した。
先頭をテラス、その後ろをアギとメイカ様が走り、あたしとガーシャが最後についていく。
「アギ、道間違えないでね?」
「大丈夫、昨日覚えた」
「こと道案内に関してはアギの大丈夫が信用できないんだよ。テラスがいるから大丈夫だと思うけど」
幼馴染で悪友の二人にはこれまで積み上げてきた実績もあるだろう。
あたしもアギを先行させるのがほんのり不安になった。
「安心しろ。道を逸れたら私が修正する」
「頼むよ、メイカさん。アギの手綱は預けてるんだからね」
「分かっている」
メイカ様が掌を上に向けると、回転する剣が現れた。これまでの巨大なものと違い、掌より少し大きいくらいのものだ。巨大な方より速度があり、制御しやすいそれを、メイカ様は3個ほど常時展開して使っていた。
正面に現れた神徒があっという間に切り刻まれる。
「古銭は置いていくからね」
まるであたしたちの歩いた道を辿るように、地面には古銭が大量にばらまかれていく。
仕方ない。今回は拾っている時間もないのだ。
「メイカ様の武器が進化してる」
「翠都の神徒狩りが使っていた朱印を参考にして小型化したのだ。複数操れば大型も狩れるから重宝している」
すごい。あれだけ人の面倒を見ながら、自分自身の研鑽も着実に積んでいるなんて。
メイカ様はやっぱりかっこいい。
大好きです。
後姿をじっと見ていると、背中に目でもついているのかこちらをじっと見るな、と怒られた。何でバレたんだ。
でも、見ていてわかる。
二人の連携も変わってきている。
以前は、アギが指摘したようにメイカ様が単独で戦っている印象が強かったのだが、今はお互いを信頼してそれぞれ背中を預けているように見える。時折、相手の様子を確認してはいるがほとんど振り向くことはない。
「息ぴったりだね」
あたしの思考を読んだかのようにガーシャが言うのでびっくりした。
「心を読まないでください」
「読んでないよ、ナユちゃんが分かりやすいだけ」
神徒狩りだけでなく宗主の方も面倒を見なければならないメイカ様は、サイショウさんにも都の運営を相談していたとはいえ、大忙しだったはずだ。
寒いのに机に突っ伏して力尽き、寝ている姿を見たのも一度や二度ではない。
メイカ様のそんな姿を見ているアギはよく彼女を手伝っていた。アギと二人、宿に戻った後もどう教育するかずっと話し合っていたことも知っている。請われればもちろんあたしも光玉の使い方や組手の相手を出来る限り手伝いはしたものの、本当に微力でしかない。
短い時間ではあったけれど、同じ目的に向かって共に努力した二人には、これまでと違う確かな絆が生まれているように見えた。
うん、計画は順調だ。
ほくそ笑んでいると、隣を走るガーシャも面白そうに笑っていた。
「あの二人のことを夫婦だと思ってる人もいるからね。言い合ってるとほぼ痴話喧嘩だもんな」
ずいぶん攻撃力過多な夫婦だな。夫婦喧嘩でお互い手を出したら周囲を巻き込んですべて更地になりかねない。
無意味な妄想をしてしまって、あたしは肩を震わせた。
「どうした、ナユタ」
「何かあったのか?」
片手間に神徒を狩りながらアギとメイカ様が同時にこちらを振り向いてくる。
息が合いすぎていることがおかしくなってしまって、あたしは声を出して笑ってしまった。
まっすぐ行けば夜中には『白』の境界にたどり着くのだが、真っ暗な中を境界にたどり着いても仕方がないので途中で休憩をとることにした。
アラージャさんが事前に見つけてくれていた雨風のしのげそうな軒のような巨石の下、結界を作って焚火をおこした。春先の山はまだまだ寒い。
テラスはまた、結界の外で見張り番をしてくれている。
「地図に夜の休憩所の場所ついてくるとは、本当に至れり尽くせりだな」
「野営地を探さなくてもいいのは本当に素晴らしいね」
この時期の山菜を探しに行っていたアギが戻ってきた。フキノトウ、小さいタラの芽、コシアブラ。気づかぬうちにずいぶん春になっていたようだ。
とはいえ、まだ苦みが強そうだ。塩水であく抜きしている間に湯を沸かす。
「相変わらず全員手際がよいな……」
メイカ様が驚くほどの速さで炊飯は終わっていく。
最終的には昼のおにぎりの残りと干し肉を入れて増水にした。山菜がたっぷりで香りがとてもよい。
温かいご飯をお腹に入れながら、もう一度全員で地図を開いた。
「ここまで来ていれば境界はもう目と鼻の先だ。ここは高台だから朝になったらもう見えるやもしれんな。」
「それも計算してるのかな? 本当にすごいよね」
食べ終わったお椀を集めながらガーシャが感嘆の意を示す。
ちなみにあたしたちはみんな優しく有能なアラージャさんが大好きである。
どこまでも見える彼の事だ。きっと今も見守っていてくれていることだろう。
夜半に眠りについて、朝日と共に目覚めた。
すでにアギとガーシャは起きていて、無言で外を見つめていた。
「……これはどういう理屈なんだろうね」
ガーシャの言葉であたしもはっと目を覚ました。
白の境界が見えるのかもしれない。
メイカ様も起こして二人の横に並ぶと、その景色に愕然とした。
「確かにこれは、『侵食』だな」
高台から見下ろした大山脈の向こうは、白い靄のようなものに覆われていた。
本来なら続くはずの夏緑樹林帯が途中で途切れ、白の中へと吸い込まれていく。その境界はよく見えないが、生き物のように蠢いているようにも見える。
靄の方角に空はある。太陽も見える。ただ地面だけが白いモノに侵食されていた。
緑と白と、青空と。
ひどく不自然な対比が眼下に広がっていた。
高台を下りたあたしたちは、白い靄の方に近づいて行った。
結界がきれると急激に神徒があふれ出してくる。
まるであの白い世界から神徒がやってきているかのように。
「このままではキリがないな」
「いったん退こうか?」
「いや、簡易的にでもナユタを隔離したほうがいい。これが、境界に近づいているせいなのか、ナユタの所為なのか分からん」
ガーシャが結界に白い紙を突っ込んで、古銭をいくつか奉納した。
ぶわりと何かが広がる感覚があり、あたしの周囲を光が包み込んだ。
攻撃力過多な夫婦がその瞬間に周囲の神徒を一掃し、刹那、周囲は静寂に包まれた。
「止まったか?」
「神徒の発生はナユタの所為ではありそうだが、明らかに境界に近づくと増えているのは確かだな」
「これ以上近づくのはやめておこうか。目的は達したみたいだし」
ガーシャは目の前にまで迫った境界を見た。
やはり辺縁部は生き物のように蠢いていて、少しずつ少しずつこちら側に進んできているように見えた。
サイショウさんとアラージャさんの記録によると、昔はもっと遠くにこの境界があったらしいが、10年でずいぶんと都に近づいた。おそらく、次の10年で都は飲み込まれてしまうだろう。
世界を侵食してくる白い靄。
近づくと増える神徒。
ここに接している翠都が今まで無事だったのは実は奇跡で、これから白の境界がもっと近づいてきたら都自体が大量の神徒に襲われてしまう可能性もある。
「ラクシャさんは、きっとこの靄の中に入ってしまったってことだと思うんだけど……中はいったいどうなってるんだろうね。普通に考えれば神徒の巣窟になってそうだけど」
「神徒の巣窟で10年か……普通に考えれば無事とは思えんな」
「普通に考えればね。でも、きっとラクシャさんなら生きてるって思えるような人だったんでしょう?」
「ああ、そうだ」
メイカ様が頷いた。
思い出したけど、父親はすごく強い神徒狩りだったって、集落のランカお姉ちゃんも言ってたな。蒼都の神徒狩りたちの記憶でも、メイカ様の憧れの中でも、うちの父は最強だった。
「……例えばだけど、いまアギがこの中に消えたとしたら、オレは何が何でも助け出そうとすると思うんだよな。たとえその間に10年経ってしまっても。アギはそんなことじゃ死なないって信じるしね」
ガーシャがぽつりと言った。
そのたとえはとても分かりやすかった。何しろ、あたしにとっての最強はずっとアギだったから。もしサイショウさんにとっての父が、あたしやガーシャにとってのアギだったら。
「サイショウさんの目的って実はあまり深いものじゃなくて、案外オレと似てるのかもしれないな」
だから同族嫌悪するのかも、と付け加えて。
「さて、そろそろ戻ろう。思ったより早かったから、今日中に翠都に戻れそうだ」
全員が同意して、その場を離れようとした時だった。
テラスが急に吠え出した。
何かを威嚇するように。
あたしの背後に向かって。
振り返る暇はなかった。
急に体がぐい、と後ろに引っ張られた。
アギも、ガーシャも、メイカ様も、テラスも、みながあたしの方を見ていた。
あたしを引いているのは誰――何?
考える間もなく体が浮いた。
一番近くにいたガーシャが手を伸ばした。
あたしも手を伸ばしたが、虚しく空を切り、そのまま背後の白い境界に引きずり込まれていった。
一瞬で視界が真白に染まった。
上下左右前後、何の感覚もない。
自分が浮いているのか立っているのか、横なのか縦なのかも分からない。
引っ張られたはずなのに、自分が移動している感覚もなくなった。
何もない場所に浮遊している。
海におぼれた時に似た息苦しさと焦燥感。
駄目だ、ここで意識を失ったら、『白』の中に溶けてしまう――それだけは感覚的に分かっていた。
きっと神徒に喰われたら、きっとこんな世界が待っているに違いない。
ふとすると途切れそうになる意識を無理やりつなぎとめた。
呼吸している感覚もない。
呼吸を再開しなくては。
感覚の記憶を頼りに自分の身体を再構成する。
まずは顔、胸、胴、それから肩、腕から足へ。
師匠に呼吸法を習い、繰り返し鍛錬した意味があった。
腹に力を入れて息吹を意識する。全身に力が巡る感覚。
まずは呼吸の感覚が最初に戻ってきて、次に手足の感覚が最初に戻ってきた。
目は開けられるだろうか。
飛びそうな意識を叱咤して、無理やり瞼をこじ開けると周囲は――真っ白な世界だった。




