白の境界(1)
とうとう翠都に冬がきた。
舞っているだけだった雪が積もり始め、盆地の周囲の山は白く染まった。都の中は少し暖かいとはいえ地面にはうっすらと雪が積もっている。
最初に足跡をつけたがるのはアギとガーシャで、よく遊びに来る子供たちに呆れられるほど競っていた。
「じゃあ行ってくる」
「夕刻には帰る」
アギとメイカ様が並んで宿を出発していった。
ここのところ、アギとメイカ様は戦いに慣れていない翠都の神徒狩りに稽古をつけている。アギ自身もカラハに剣術の基礎を習っているようだ。背負ってきた美しい刀が無駄にならずに済みそうだ。
サイショウさんは足が治るまでアラージャさんと部屋にこもっている。何故かガーシャも同じ部屋にいて意見を交換していることが多い。
道を外れる話はしていないようだが、すれすれの議論は交わしていそうだ。
はあ、と冷たい手に息を吐きかける。白い息がほわりと手を包み、消えた。
テラスが寄ってきてくれたので、ほわほわの毛を撫でて、温まる。テラスは年中温かいので寝る時は毎日みんなでこの暖かい毛並みを取り合っている。
宿を出ると、上の方から声が降ってきた。
「おーい、ナユタ!」
「どうしたのー?」
呼ばれたので光玉でとととん、と上の端まで跳びあがった。
その様子を見て、あたしを呼んだ男はちょっと引いている。
「お前、最初に翠都に来たときは完全に猫かぶってたよな……」
「まあね」
同情をひくためにわざわざ大人しくしていたのだ。
本来ならこんな立体的な都では飛びながら移動したほうが早いに決まっている。
ちなみにこの人は猟師だ。いつもご飯を食べている食堂に肉を卸してくれているので顔を合わせるうちに仲良くなった。
「前にさ、罠猟が得意って言ってたろ。明日また猟に出るから一緒に行かないかと思って声かけたんだ」
「あー……残念ながら、あたしは理由あって翠都から出られないんだよね」
「けど、外から来たんだろ?」
「アギかガーシャが一緒なら出られるんだよ」
「どういうことだよ。ほんとにお前、訳アリの姫か何かなのか? それともただの過保護なのかどっちだ?」
「どっちもだよ」
猟のお誘いは嬉しいけれど、残念ながら外に出たら神徒が湧いてしまうから無理だ。
本当は遊びに行きたいけどね。
つり橋の手すりに腰かけて話していたら、同じようにひょいっとガーシャが手すりを飛び込えてきた。
「ナユちゃん何してるの?」
「猟に誘われたんだけど、都の外には出られないから断ってたの」
「ああ、そりゃ無理だ」
唐突に、彼らの尊ぶ新緑の民が現れるものだから、猟師の男は目を白黒させた。
「ガーシャこそどうしたの?」
「ナユちゃんが知らない男と話してるってアラージャが言うから迎えに来たんだよ」
「知らなくないでしょ、猟師のカンジさんだよ」
ガーシャは答えずに手すりに腰かけたあたしを抱っこしてそのまま橋から飛び降りた。
ああ、挨拶もできてない。
まーたーねー……と手を振りながら言ったが、届いただろうか。
離れて行動していても、アラージャさんがあたしの行動を逐一報告するものだからすぐにガーシャが迎えに来てしまう。
過保護とアラージャさんの能力の相性が良すぎるのだ。
だから、あたしは新緑の民であるガーシャの寵愛を一心に受けていると勘違いされてしまうのだ。これは過保護が加速した結果なのに。
「ナユちゃんが無防備に愛想振りまくのに耐えられない」
「それはどちらかというとガーシャの方でしょ」
神徒を倒した日以来、ガーシャの人気はすごい。自身もそれを分かっていて対応するからどんどん熱狂度が増していくのだ。
「嫉妬してる?」
「しないよ」
むしろ、嫉妬されているのはあたしの方だ。
ガーシャの事が好きすぎる神徒狩りたちから睨まれているのだ。
特に、最初に会ったリーリャさんは熱烈なガーシャの信奉者で、会うたびに分かりやすく敵意をぶつけられる。アギとメイカ様が神徒狩りの詰所に行くときについて行かないのはその為だ。
別に怖くはないけれど、わざわざ波風立てなくていいかなと思っている。
ちなみに、リーリャさんは翠都の神徒狩りの中では最も位が高いらしい。何でも、福禄寿様の声が聞けるとか――あの時、ガーシャが新緑の民であるという託宣を受けたのはリーリャさんらしい。神と対話ができる、という事になっているらしいがおそらく先見や遠見に近い能力なのだと思う。むしろアラージャさんに近い力なのかもしれない。
軽い音を立てて地面に降りたガーシャは、そのまま部屋に向かった。
つい今外に出たばかりなのにすぐに宿に戻されてしまうなんて。
膨れていると、アラージャさんに笑われた。
「膨れてないでナユちゃんもおいで、いま、アラージャさんと地図を作ってたんだ」
「本当は一度作成したんですが、先日神徒に襲われたときにすべて焼けてしまいましたからね」
サイショウさんが残念そうに言う。
この短い期間で部屋に紙が積み上がっていくこの状況、焼ける前の拠点にはとてつもない情報が蓄積していたのだろうな。もったいない。
一枚手にして見ると、先ほどあたしと猟師のカンジさんが話している光景が描かれていた。
ガーシャはこれを見て飛んできたに違いない。まったくもう。
「ほら、見て」
ガーシャが広げた紙には細かく地形が描いてあった。
地形の凹凸が影で表現されていて、ところどころ杉の木が描いてあったりする。俯瞰図で分かりやすく描かれていた。真ん中には大きな大きな千年杉。
これは、翠都周辺の地図だ。
ガーシャは地図の上に指を滑らせた。
「翠都に入る街道はここで街道の先は赤都と神都につながってる。オレたちは上の、この尾根を越えてきたんだ」
翠都は盆地だ。
地図上では盆地から右に向かって山を越える大きな街道があり、その先の分かれ道で上に向かえば赤都、下に向かえば神都。あたしたちは上の山地を右上から斜めに突っ切ってきたらしい。
「ちなみに、真上に向かってずっと大山脈の尾根を行けば、奥の山の集落まで行けるよ」
道があるわけじゃないからつながってるとは言い難いけど、と付け加えて。
そして盆地の左側は大山脈。こちらは途中から霧の中に入るように、絵の線が消えていっていた。
サイショウさんが上から指で白い部分を指した。
「ここが、『白』に侵食されている部分です。アラージャの目でも見えません。逆に言うと。見えない部分が境界と思われます」
「えっ近い」
思わず声が出た。
「アギとナユちゃんと3人だけなら2・3日あれば往復できそうだね」
確かにそのくらいの距離だ。
「じゃあさ、先にちょっとだけ見に行かない?」
「まあ、このくらいの距離なら……でも、雪が溶けてからにしようね」
そうそうそういえば、とガーシャが少し小さな声で言った。
「オレさ、翠都の記憶が曖昧って言ってたでしょ。あれから思い出したんだけど、前回はオレがここに来た時、すでに翠都は神徒に襲われて滅んでたんだよね。だから記憶になかったんだ」
「待って待って待って、じゃあこれからここが滅びる可能性があるってこと?」
あたしの声が大きいのでサイショウさんとアラージャさんもこちらを見た。
「そうかもね」
さらりと答える幼馴染はまるで他人事のようだった。
サイショウさんは小首を傾げながら問う。
「また未来が見えたのですか?」
「ああ、うん、そんな感じ」
ガーシャは視線を彷徨わせながら、曖昧な言葉を紡ぎ出した。
「オレが見たのは、異形の神徒が翠都を襲って、滅ぼしている光景だ。いや、襲ったって言い方は間違ってるな。あまりに大きな神徒だから、通っただけで都は壊滅的に踏み潰されてしまったんだ」
その言葉でサイショウさんは眉根を寄せた。
「でもその未来では、神徒が出た時にアギもオレもここにいなかったし、宗主も神徒狩りも何もできずにいたようだから……きっと大丈夫だよ。今回はオレたちが先に到着してるし、宗主も神徒狩りもアギとメイカさんに根性叩き直されてるし」
「……成程。現時点ですでに状況は異なるようですね」
「その神徒はすぐ来るの?」
「すぐには来ないんじゃないかな。きっと冬は寝てるだろうから」
「寝てる……?」
「亀なんだよ、大山脈の神徒は。だから春までは起きてこないはずだよ」
それを聞いたサイショウさんは、アラージャさんに言う。
「今、その神徒がどこにいるか見られますか?」
言われてアラージャさんは目を閉じた。
何かを探しているようだった。
しばらくして、はっと目を開いた。
そして視線を泳がせる。かなり動揺しているようだ。
ばさばさ、と紙を探し、翠都周辺の地図を拾い上げた。
「場所が分かったのか?」
アラージャさんは震える手で地図の一角にあった小山の一つに丸を付けた。
「この場所にいるの?」
あたしが聞くと、アラージャさんはふるふると首を横に振った。
描いた丸に、足を4本、頭、それから尻尾を書き足した。
それはどう見ても亀の姿だ。
「もしかして……この山自体が……」
アラージャさんがこくりと頷く。
あたしたちも一緒に絶句してしまった。
山ひとつ分の亀の神徒。想像するに、甲羅が千年杉と同じくらいの高さがありそうだ。腕と足がちょうど千年杉の太さだろうか。確かにこれは翠都を通り過ぎただけで踏みつぶしてしまうだろう。
「ねえ、ガーシャ。こんなの来たらどうしたらいいの?」
「好戦的な神徒じゃないから、とりあえず進路さえ変えさせれば都は滅びないよ。でも、とにかく、すっごく、固いんだよね。炎みたいに被害はあんまりでないんだけど、本当に面倒だよ」
アラージャさんはさらさらと文字を書き足した――亀は動いていない。まだ眠っている。
確かにガーシャの言う通りらしい。春までは猶予がありそうだ。
「いずれにせよアギたちにも伝えておかないとなあ。ここの神徒狩りたちともきっと連携しなきゃいけないだろうし」
じっとガーシャを見ていたサイショウさんは表情を固くしていた。
「……未来が見えるというのは恐ろしい力ですね。それも、新緑の民の力なのですか?」
「知らないよ。オレは今でも自分がそのナントカの民だって説は懐疑的なんだ」
「ですが貴方自身は治癒の朱印を持つのでは?」
「そんなもの、ないよ」
ガーシャは強い言葉で答えた。
サイショウさんは納得したのか察したのか、それ以上ガーシャの力について質問しようとはしなかった。
ガーシャの未来視によってもたらされた情報は、すぐに宗主と神徒狩りにも共有された。
福禄寿様と話ができるという巫女リーリャも神に尋ね、同じ託宣を得たらしい。そこでようやく、冬が終わると亀の神徒が翠都へ進撃してくるという事実が翠都をめぐった。
これまで数百年間平和だった翠都は、俄かに焦燥の気配を帯びた。
森の奥、神徒の被害もない場所で静かに厳かに穏やかに暮らしていた翠都の人々は、見えている危機を前に立ち上がった。もともと狩猟と木材加工を中心とした生活をしている人々だ。戦いに備える素地はある。
町の人々は万一のために避難の経路を確認し、備蓄をそろえ、逃げる訓練もはじめた。もともと冬の間は林業も休んでいるので手が空いた人が多かったのもよかった。
アギとメイカ様、カラハを中心に神徒狩りの戦力強化と亀の眷属対策が練られた。ガーシャの情報によると亀そのものは好戦的ではないため、本体は進路を変えてやれば戦闘は避けられるだろう。
形骸化していた宗主はそれらをとりまとめ、そこかしこへ指示を出し、全体への連絡経路を担った。神徒狩りを伴ってはいるがよく都にも姿を現すようになり、御簾の向こうで偉そうにしていた人物と本当に同一人物なのか疑いたくなるほどだ。メイカ様に性根を叩きなおされたのだろうか。それとも、ぬるま湯に浸かっていただけでもともと素養はあって、都の危機に覚醒したのか。
そしていつしか地面の雪は溶け、寒風も減り、少しずつ春の気配が近づいてきていた。




