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神徒奇譚  作者: 早村友裕
序章
5/24

旅立ち(5)

 命をつなぐって、どんな感じなんだろう。

 何もできないあたしとアギは、旦那さんと共に家の前で待つことしかできなかった。

 雨は夜中になってもずっと降り続いている。

 伏せたテラスのしっぽも濡れて水が玉に滴っている。

 軒下にいると雨に打たれることはないが、家の中からは時折、うめき声とも叫び声ともとれる声が響き渡っていた。

 それでもここから動けない。

「……情けないよね、ここで待つしかできないなんて」

 ジンさんがぽつりと言った。

 あたしでさえ何もできない無力感に打ちのめされているのだ。旦那さんの心境は知れない。

 薬師のカシギが診ているから大丈夫だと思うけれど、それでもお産は何があるかわからない。母子ともに絶対無事であるという保証はどこにもないのだ。

 気を紛らわすように、あたしは口を開いた。

「ねえジンさん。ジンさんはあちこち旅をしていたんでしょう? 何故、ランカお姉ちゃんと一緒にこの村にとどまってくれたの?」

「えっ」

 ジンさんは、突然の質問にわたわたと両手を焦らせ、頭を抱えた。

「そうだねえ、ランカさん自身に求められたのは大前提なんだけど、それ以上に僕がランカさんに惚れちゃったからかな……今の僕と、これからの僕が旅先で出会うかもしれないすべてを天秤にかけても、ランカさんの隣なら楽しいことが待ってると思ったからなんだ」

 家の壁に背をつけて、しゃがみこんだまま。

 ジンさんはぽつりぽつりと告げた。

「ランカさんと一緒に暮らして、子どもを育ててみたりして、その子が大きくなって……そうしたらどんな暮らしになるんだろう、どんな景色が見えるだろうって思ったら、それがすごく素敵な未来に思えたんだよ。それに、ほら、旅に出るのは子供が大きくなってからだってかまわないんだから。その時はもしかしたら、ランカさんも子どもも、家族みんなで行けるかもしれないしさ」

 本当に、僕一人の壮大な妄想なんだけどね。

「……ジンさんって思ったよりランカお姉ちゃんが好きなんだねえ」

 そう言うと、ジンさんは真っ赤になって両手をぶんぶん振って照れていた。

 なんだか素敵だなあ。

 あたしもいつか、そんな風に思える日が来るのだろうか。

 一緒に未来を見たいと思えるような、そんな人に出会うのだろうか。

「ああ、もちろん、この村に残ったのはこの村も好きだったからだよ。僕みたいなよそ者を当たり前に受け入れてくれて、村全体が家族みたいだよね。それはアギもナユタも感じてると思う」

 ジンさんはそこで言葉を切った。

 そして、アギとあたしを見て、微笑んだ。

「僕も、君たちと同じように親なしだったから、余計に家族ってのに憧れがあったのかもしれないね」


 その時、家の中から弱々しい泣き声がした。

 ジンさんははっと顔を上げる。

 あたしとアギも思わず立ち上がった。

 家の扉が開いて、カシギのお手伝いをしていたガーシャが顔を出した。

「ジンさん、入って大丈夫だよ」

 言われるや、ジンさんは家の中に転がり込んでいった。

「アギ、ナユちゃんも、まだいたの」

「……この状態で帰れるかよ」

 悪態をついたアギだったが、ほっとしているのは明らかだった。

 雨はいつしかやんでいて、山の稜線が見え始めていた。

 少し眠っていたらしいテラスも、全身を震わせて水を飛ばした後、うーんと伸びをした。

「でも、見届けられてよかった。そろそろ――行くからな」

 言外に、村を出る意味を込めてアギが言う。

 ガーシャはその機微を感じ取ったのか、眉根を寄せた。

 ああそうか。

 村を出たら、ガーシャともお別れになるんだな。

 寂しいと思うのは仕方ない。アギとガーシャが親友であることは間違いないにしても、あたしにとっても小さい頃からずっと一緒だった幼馴染の一人なのだ。

「待って、アギ」

 ガーシャはアギの首根をがっと捕まえた。

「オレも行く」

「はあ?」

「オレだけ置いていけると思わないでよ。ここまで来たら、オレだって一蓮托生でしょ」

「お前、何言って――薬師と神徒狩りが一度にいなくなったら困るだろ」

 アギはガーシャの手を振り払おうとしたが、ガーシャが頑として譲らない。

「それをどっちもオレに押し付けて行く気? そんなの許すわけないだろ」

 にこにこ笑いながら、でも、彼は本気だった。

「毎日、アギとナユちゃんはどうしてるかなあ、元気かなあなんて心配しながら村に一人で? そんなの無理に決まってる」

 ガーシャはにっこり笑ってあたしを見た。

「ね、ナユちゃんもオレがいた方がいいでしょ?」

 問われて困惑した。

 旅立つときはアギと二人なんだろうな、と漠然と思っていたから。

 返答できないでいると、家の中からカシギがガーシャを呼ぶ声がした。まだお産の後処理が残っている。薬師のガーシャはそれを手伝わなくちゃいけない。

「……オレは一人で置いて行かれるつもりは一切ないから。覚えといて」


 アギとあたしは、さすがに入るのを遠慮して扉の隙間からそっと中を覗いた。

 小さな命を抱いたランカお姉ちゃんと、泣いているジンさんが見えた。何を話しているのかわからないけれど、その姿は本当に幸せそうに見えた。

 ああよかった。

 最後に見届けることができて。

 あたしはアギの手を握った。

「行こう、アギ」


 静かに去ろうと思っていたのに、テラスが大きな声でわん、と吠えた。

 その声で気づかれてしまった。

「待って、アギ、ナユタ!」

 ランカお姉ちゃんがあたしたちに気づいて、家の中から引き留めた。

 心なしか、声が震えていた気がする。

「ねえ、ナユタ。見て。この子の、手、握ってるの……」

 生まれたばかりの赤子。しわくちゃで、小さくて、頼りなくて。産声を上げたあとは疲れて眠っていて。

 でも、その手の中に何かをしっかりと握り締めている。

「まさか」

 カシギが赤子を受け取り、そっと、やさしく、その手を開かせる。

 その手から、ころりと何かが転がり出た。

 からんからん。

 床に転がったのは――淡い黄色をした、小さな勾玉だった。


 ランカお姉ちゃんのところに勾玉持ちが生まれた。

 その話はあっという間に村中に知れ渡った。

 神徒が村に侵入したことなどまるでなかったかのように、村はお祭り騒ぎになった。



 その大騒ぎの裏で、あたしとアギはひっそりと準備をした。

 騒ぎに紛れて今日の夜にすぐ出立しよう。

 明日になればまたあたしが神徒を呼び寄せてしまうかもしれないから。


 夏野菜の片付け、最後まで終わらなかったな。

 怪我で穴が開いて血で汚れた着物も洗う暇はなかったな。置いて行ったら、誰か焼いて処分してくれるだろうか。

 昨晩徹夜だったから少し頭がぼんやりするけど、大丈夫。

 日がとっぷり暮れてから、あたしとアギはそろって長年住んだ家を後にした。

 隣の家にはこんな時間まで誰かが遊びに来ているのか、明かりとにぎやかな声がする。

 産後はちゃんと休まないといけないのに、勾玉持ちを見ようと村の人が押しかけているのだ。

 まあ、2、3日もすれば落ち着くだろう。


 途中でお社によって、ご挨拶した。

 長い間お世話になりました。神徒を呼び寄せてしまうようなあたしを、ずっとずっと守ってくれてありがとう。

 朱印の力だけ、このままお借りしていきます。

 アギは家に残していた古銭をすべて賽銭箱に入れていた。

 ここ最近でアギが奉納した古銭は、とんでもない量になっている。それこそ、普段なら数十年分に値するくらい。

 あたしさえここにいなければ、当分の間、村の守護は問題ないはずだ――新しい勾玉持ちがその力を発揮できるようになるまで。


 秋の虫の声がかすかに聞こえるあぜ道を、テラスの尾の明るい勾玉を目印に、ゆっくりと歩いていく。

 村の中はどの場所にもたくさん思い出がある。

 あたしと、アギと、テラスと、ガーシャと、お姉ちゃんと、それから村の人たちと。

 春夏秋冬、何度も廻ったそれぞれの季節の楽しかった記憶が刻まれている。



 村の入り口の石碑のところで呼び止められたのは、ある意味予想していたことだった。

 薬師のカシギと、ガーシャが並んで立っていた。

 それだけでなく、罠猟師のクチバさんも。

 アギは皆の姿を見て眉間にしわを寄せた。

「お前たちの性格上、大勢で見送られるのは本意じゃないだろうからな」

 クチバさんがそう言って笑った。

 あたしはそれだけで泣きそうになってしまった。

「……みんな、知ってたのか?」

 アギが言葉少なに聞いた。

「まあ、そうだね。君たちが隠したがっていた程度のことなら、大人はみんな知ってたよ」

 カシギが答えた。

「でも、僕たちには何もできなかった。何しろ人知を超えた領域の話だからね。君たちが毎日幸せに暮らせるように、と見守ることしかできなかったんだ。ごめんね、アギ、ナユタちゃん……大人なのに無力だった僕たちを許してほしい」

 カシギの言葉に、胸の中がかあっと熱くなった。

 その熱さに押し出されるようにして、涙があふれた。

 みんな、知っていたんだ。

 あたしが神徒を呼び寄せることも、村に神徒が出た原因も、そのせいであたしとアギが急いで村を出ようとしていることも。

 わかっていたのに、わかっていたからこそ、ずっとずっと優しく、時に厳しく見守ってくれていたんだ。

 あたしは両手で顔を覆って、首を横に振った。

 謝らないでほしい。もう十分もらったの。

 あたしはこの村で生まれ育って、本当に、ずっと、幸せだったの。

 村を出るのが寂しくて寂しくてたまらないくらい、大好きなの。


「アギ、お前は本当によくやっている。でも、それを一人で背負うことはないんだ。ナユタ自身も大きく成長している。すぐにお前の力になるはずだ。妹を、信じてやれ」

 クチバさんはアギの肩に手を置いた。

 いつしかアギの方が背が高くなってしまったけれど、クチバさんは紛れもなく親のように育ててくれた大人の一人だった。最初に短刀の使い方を教えたのも、たしかクチバさんだったはずだ。

「お前は誰より強いかもしれない。それは、体も心もどちらもだ。だがな、それでも、誰しも休息は必要なんだ。村を出てしまったら、心の休まる日がなくなってしまうかもしれない。だから――」

 クチバさんの声も少し震えていた。

「困ったら、疲れたら、ここへ戻ってこい。俺たちはずっとここで待っててやるから。お前たちの悩みを解決してやることは出来ないかもしれないが、何も考えずにすべて忘れてゆっくり休む寝床だけは用意してやれるから」

「……はい」

 アギも消え入りそうな声で返事をした。

 本当に……本当にあたしたちは愛されていたんだ。皆から、全身全霊をもって守られていたんだ。

 クチバさんはアギの肩をばんばん叩くと、懐から何かを取り出した。

「これを持っていけ。ラクシャが村を出る時に置いて行ったものだ。おそらく手紙と手形のようなものだと思うが……詳しいことはよくわからん。が、都の朱印が押してあるから、都に関する何かだろう。お前たちが父親を追うつもりがあるのなら、きっと何かの目印になるはずだ」

 父親が遺していったもの。

 アギは目を見張ってその手紙を受け取った。

「ありがとう……ございます」

 震える手で受け取り、クチバさんの抱擁を受け止めた。


 カシギもアギの背中を押した。

「さあ、行っておいで。気を付けて、怪我をしないで。ガーシャが一緒にいるから大丈夫だと思うけど」

「……やっぱりお前も来るのか?」

「当然」

 ガーシャがにこにこ笑った。

「いや、だってさ、薬師と神徒狩りがいっぺんにいなくなったら困るだろ」

 アギが言うと、カシギが首を横に振った。

「いいんだよ、そんなことは残った大人が考えることだ。君たちは、ただ君たちの道を進めばいい」

 カシギの言葉で、アギは再び黙った。

「ただ、何年かしたら戻ってきてほしいな。勾玉持ちの後継者が育つ頃には」

 ああ、そうだ。

 ランカお姉ちゃんがつないだ命は、これからもこの村で育っていくんだ。

 あたしはこらえきれず嗚咽を漏らした。


 ガーシャは、顔を両手で覆って肩を震わせるあたしの前に立って、頭を撫でながらこつりと額を当てた。

「ね、ナユちゃん。オレもいた方がいいだろ?」

 答えるより先に、抱きついた。

 いてほしい。

 これ以上寂しい別れはしたくない。

 泣きながら肩を震わせて、どうしようもない感情を押し付けた。

 ガーシャはいつものようにふう、と軽い息をつく。

「……素直なナユちゃんは本当に可愛いな」



 『旅に出るときは、大切なものといらないものを置いていきなさい』

 そう言ったのは、神徒狩りをしていた父親だった。

 簡単に置いていけって言うけれど、あたしの大切なものは14年間で本当にたくさん増えていて。

 別れがこんなにもつらいものなら、本当は全部持っていきたいよ――その理屈で言うと紛れもなくガーシャは大切なものの一つだから、巻き込まずに置いていかなきゃいけないのかもしれないけれど。


 泣き疲れたあたしをアギが結局おんぶして。

 荷物をガーシャとテラスが持って。

 14にもなって兄におんぶされるなんて過保護に甘えすぎと言われそうだけど、今日だけは許してほしい。

 広い背中に甘えたい気分なのだ。

 テラスのしっぽを目印に暗い道をゆっくりと下っていく。

「で、アギ、この後どうするか考えてたの?」

「いや、とりあえず麓に降りてから考えようと……」

 アギの言葉に、ガーシャはでっかいため息をついた。

 やっぱりついてきてよかった、と。

「まずは都を目指そうね。せっかくクチバさんが手掛かりをくれたんだから。途中、それぞれ少し大きいお社があるから朱印を集めながら行こうか」

 ガーシャが広げた地図には赤い筆でいくつか丸印がつけてあった。

「なんだ、それ」

「ジンさんに頼んで、知る限りの地域の地図を書いてもらってたんだよ。どうせアギは何も考えてないと思ってね」

 ガーシャに言われて、アギは言葉に詰まった。

「ね、オレがいてよかったでしょ」

 あー、うん、やっぱりガーシャが来てくれてよかったかも。

 あたしが言うのもなんだけど、あたしもアギもどちらかというと考えるのが得意じゃないから。

 いつものようにアギがいて、テラスがいて、ガーシャがいる。

 それだけで明日も、明後日も、ずっと、大丈夫な気がした。


 いつしか空は晴れ渡り、無数の星が天を埋め尽くしていた。



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