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神徒奇譚  作者: 早村友裕
序章
4/22

旅立ち(4)

 なんだろう。

 ぞわぞわする。

 とてもとても、嫌な予感がする。

 あぜ道を飛ぶように駆けながら、心臓だけが早く早くと()いていた。

 朝通った薬屋を通り過ぎ、さらに駆ける。

 入り口の石碑があるところに到着した時には、雨足が強まって道の先があまり見えなくなっていた。

 天気が良ければ、ここから登ってくる人が見えるのに。


 見える――見える? 遠くが、見える。


 一瞬、いいことを思いついた気がした。

 薄い水の膜、屈折、拡大、紡錘、水の塊を歪曲したら……?

 思いついたらすぐに何かを作ろうとするのは、アギ曰く、あたしのいいところであり悪いところでもある。新しい朱印の使い方を考えながらぶつぶつと試行錯誤をしていたあたしは、また、すっかり油断していた。


――ノウ マク サ マンダ


 声がした瞬間、全身の血の気が引いて、頭から冷水をかけられたかのようにざあっと冷えた。

 嘘でしょう。

 だって、ここは村の入り口。

 末端だけどお社の力が届くはずの場所なのだ。

 絶望に突き落とされながら雨しぶきの向こうに視線を遣ると、地面からじわじわと人型の白い紙が湧き上がってくるところだった。

 そして、本当に最悪なことに、道の向こうから声がした。

「ナユタちゃーん!」

 ああ、考えうる限りにおいて一番、最も、最悪だ。

 道の向こう、ちょうど神徒が現れようとしているあたりを歩いているのはランカお姉ちゃんの旦那さんだ。傘を持っていなかったのだろう、古いミノガサをかぶってのんびり手を振っている。大きな背負子がゆらゆら揺れた。

 すぐ傍に現れようとしている神徒には気づいていない。

「逃げて! こっち! はやく村に入って!」

 あたしは反射的に叫びながら、地を蹴った。

 ちょうど、雨よけに光玉を出していてよかった。

 光玉を蹴り、加速。

 あたしの声が尋常でないことに気づいたのだろう、旦那さんはとりあえず駆け出した。

 その背後で、キキキキキキ、と何かがこすれ合う音がする。

 そこでようやく旦那さんは何が起きているのか気づいたらしい。

「走って!」

 もう一度悲鳴のように叫びながら、手にした番傘を構える。

 人型の白い紙は、集合離散を繰り返しながら白く発行する生き物を形作っていく。


――ノウ マク サ マンダ


 現れたのは、巨大な猪。

 以前、罠で捕まえた普通の猪とは比較にならないくらい大きくて白い猪が、赤黒い口を開け、赤黒い牙をかざして咆哮を上げた。

 怯むことはできない。

 絶対に、旦那さんを傷つけさせない。だって家では身重の奥さんが待っているのだ。

 あたしは手にした番傘を躊躇なく猪の口の奥まで突っ込んだ。

 そして、渾身の力を込めて傘を大きく開く。

 無理やり喉を開かれた猪は、悲鳴とも威嚇ともつかない大きな叫び声をあげた。

 背後で、旦那さんが村の石碑を越えて中に滑り込んだのが見えた。

 よかった、これで大丈夫――

 と、一瞬油断したのが悪かった。

 猪は傘をかみ砕き、あたしに鋭い牙を向けた。

 よけきれない。

 なすすべなく、あたしは肩口を牙で貫かれた。

「ああああああああっ!」

 喉の奥から悲鳴がほとばしる。

 痛みを越えて灼熱を叩きつけられたような衝撃に、意識が揺らいだ。

 しかも、怒り狂った大猪はそのまま駆け出した――村の石碑のほうへ。

「……だめ」

 致命的な怪我を負った体では、かすれた声しか出なかった。大雨が流れ出る血をみるみる滲ませていく。

 いっそこのまま意識を失いたいが、叩きつけるような豪雨で無理やり意識をつなぎとめる。

 左肩に刺さった牙に震える右手を添えてみたが、まったく抜ける気がしなかった。

 それでも、なんとか動く右手の人差し指と中指をそろえ、力を込めた。

 口の中で小さく真言を唱える。

「……『撃ち抜け』」

 至近距離で、猪の目を撃ち抜いた。


 小さな生き物のささやかな抵抗に、大猪は白い光を発散させ、咆哮をあげて暴れ狂った。

 刺さった角が揺れ、脳を揺さぶるほどの痛みが襲う。


 その時、誰かの叫び声を聞いた気がした。

 あたしのことを呼んでいるのだろうか。

 次の瞬間、全身に衝撃が加わって、体が宙に浮く感覚があった。

「ナユちゃん!」

 ああ、そうか、ここは薬屋に近いから。

「なんで一人で立ち向かったりしたんだ!」

 若草色の光に包まれる感覚があって、あたしは察した。

 相当怒ってるな。

 いつも穏やかな彼が取り乱している。

 かすれる声でごめんなさい、と言葉を紡いた。

 ガーシャが早口で真言を唱え、あたしを若草色の光玉が包み込んだ。

 その光は肩口の灼熱の痛みを押さえ、全身を包んでいたしびれるような倦怠感も少しずつ消して行った。

 これは、治癒の朱印――?

 ガーシャが薬師であることは知っていたけれど、そんな朱印が使えるなんて全く知らなかった。

「違う。ごめん、謝るのはオレの方だ。村の近くでも神徒が出るって知ってたのに、一人にしたのはオレのせいだ。黄昏時は危ないってわかってたのに――」

 あたしの浅かった呼吸が少しずつ落ち着いてきた。

 肩口を貫いた衝撃が全身を巡っていてまた動けそうにないが、致命的なところは抜け出したようだ。

 痛みは余波を残すけれど我慢できないほどではない。血の湧き出るような感覚もなくなっているから、傷はふさがったのだろう。

 おそらくはガーシャの治癒の朱印で。

「村は……神徒は……?」

「大丈夫」

 断言する口調。

「誰も死なせない」

 言い切った彼の横顔は、今まで見たことがないほど真剣だった。

 強い意志を秘めたその黄金色の瞳に息をのみ、思わず見入ってしまうほどに。

 ガーシャの視線の先にあたしが見たのは、新緑色の光の糸に絡めとられて身動きの取れない大猪の姿だった。その光の糸はガーシャの手先から伸びていて、小さな指の動きでぎりぎりと猪を締め上げる。

 アギが超近接戦闘なら、ガーシャは中距離。

 光の糸を器用に操って敵の動きを奪い、拘束するのだ。

 だから、今回もこのまま猪を縛り上げておくのだと思っていた。

 が、金色の瞳から完全に感情を消した彼は、ただ一言、告げた。

「『爆ぜろ』」

 次の瞬間、巨大な白い猪の体は無数の肉片に散った。


 糸で神徒を粉々に切断した。

 それも難なく、無慈悲に。

 どくん、どくんと心臓が脈動している。

 ガーシャが戦うところを見るのは初めてではないのだが、彼が敵にとどめを刺すところはあまり見なかった。何しろとんでもない攻撃力を持つ相方が隣にいるからだ。

――1人だとこんな風にも戦うんだ。

 無の表情で神徒が霧散するのを見届けたガーシャの姿にぞくりとした。

 若草色の光玉に囲まれ、瞳と同じ色の淡い金色の髪が土砂降りの雨で濡れている。

 その姿はひどく美しく、どこか畏れ多くも感じられた。


 ガーシャはあたしを抱いたまま村の石碑を通り過ぎた。

「ジンさんも無事だよ。怖かっただろうに、よく守ったね。えらかったよ」

 いつの間にか彼は、普段の穏やかな声に戻っていた。

 その肩越しに白い人型の紙が舞っている。薄暗い土砂降りの中、風も雨もその白い紙に影響することはない。

 ひらひらひらひら、大量に空から降ってきていくつかの塊に収束していく。

 ここは、村の中のはずなのに。


――ノウ マク サ マンダ


 神徒の声が頭の中に響く。

 あたしたちを囲むようにして数体の神徒が現れた。

 先ほどの大猪ほどではないが、ガーシャの背丈ほど体高があるような猪型の神徒だ。

 心が震えた。

 とうとう神徒が村の中にまで出現してしまった。

 しかしガーシャは全く慌てず、あたしを横抱きにしたまま歩みを進めた。

「『止まれ』」

 神徒に一瞥もくれず、一言で数体の神徒を縛り上げた。

 ぎしぎしぎしと糸の擦れる音がする。

「大丈夫、誰も死なせない」

 今度はいつものように穏やかに笑いながら。

「ほら、きた」

「……え?」

 何が、と問う間もなく、周囲の神徒の頭がすべて一瞬で吹き飛んだ。

 切られたのではない。文字通り消失した。

 何故。

 キイイイイン、と耳鳴りがして、猩々緋色の衣が翻る。

「ナユタ!」

 一撃なのかすらわからない、目に留まらぬ攻撃で神徒を複数体屠った兄が上空から飛来した。

「大丈夫、アギ、ナユちゃんも無事。村の人も避難した。あとは」

 ガーシャが見た方向に、大きな光の柱が立った。

 その光が一瞬で村を駆け抜け――

 周囲にいた神使の体は光の中に溶けるように消えていった。


「アギがテラスを連れて遠くまでたくさんの神徒を狩りに行ってたんだよ。おかげでたくさん奉納できたから、今日は(・・・)もう大丈夫なはずだよ」

 ガーシャの言葉が耳をすり抜けていく。

 まだ頭が混乱している。

 いろんなことが一度に起こりすぎて頭がついていかない。

 村の入り口で神徒が現れて、ジンさんが襲われそうになって、あたしはひどい怪我をして、でもガーシャが治してくれて。村の中に神徒が現れたけど、もう大丈夫――?

 呆然とするあたしの耳元に、ガーシャが静かに唇を寄せた。

「……さっき怪我したことも、オレが治したことも、内緒だよ」

 囁かれた言葉に、ぞくっとした。

 近い。

 いつも距離が近いのはわかっていたけど、それは兄のような存在からの愛情表現の延長だった。

 でも、先ほどのガーシャの姿を思い出したら……そわそわして妙に落ち着かなくなってしまった。

 どうして今までこんなにも近くて平気だったんだろう――?

 わけのわからない感情が渦巻いて、あたしはアギに助けを求めた。

お兄ちゃん(・・・・・)

「どうした、ナユタ」

 珍しくお兄ちゃんと呼んだから、嬉しそうにこちらを見たアギ。

「抱っこして」

「どうしたナユタ、怖かったのか?」

「うん」

 ガーシャの腕からあたしをひょいっと奪った。

 まるで子どもにするように、縦に抱いて頭を肩に乗せた。

 ガーシャが治しておいてくれてよかった。左腕ももう動く。

 あたしが両手でアギの頭を掻き抱くと、大きな手で落ち着けるように背をなでてくれた。幼いころからずっと守ってくれた手だ。

 あたしはようやくほっとして全身の力を抜いた。

 混乱している中でも、一つだけわかっていることがある。

「お兄ちゃん」

「なんだ?」

「……ごめんね」

 アギの呼吸を感じながら、あたしは、土砂降りの雨の中で、誰にも知られないように泣いた。

 あたしはもう、この村にはいられない。



 道の向こうから、雨も気にせずかけてくる人影があった。

「ナユタちゃん!」

「ナユタ!」

 ランカお姉ちゃんと、旦那さんだ。

 ああよかった。ジンさんは無事だった。

 それだけであたしは報われる。

「よかった、ナユタが神徒に襲われて大きい怪我したっていうから……」

 と、そこであたしの着物の肩口にべったりと血がついていることに気づいて息をのんだ。

「ああ、それはオレの血だよ。さっき、神徒と戦った時に少し腕を切っちゃって」

 ガーシャの言葉にお姉ちゃんはほっと胸を撫でおろしたけれど、アギは怪訝な顔をした。

 きっと、バレちゃってるよ。

 ねえ、ガーシャ。

 じとっとした目で見たら、ガーシャは苦笑いしながらあたしの頭をぽんぽんと撫でた。

 怪我があったところを触ると、確かに貫かれた傷はふさがっていたが、着物には穴が開いている。しかも、血まみれだし。よく見たらガーシャの胸のあたりにも血がべっとりついていた。

 この分だと、アギにも血がついてしまっているだろう。

「ああ、よかった、ナユタが大怪我したかと思って……」

 そこでランカお姉ちゃんは地面にへたり込んだ。

 身重なのに走るから!

 ジンさんが慌ててお姉ちゃんの背中をさする。

「ひどいな、ランカさん。オレなら怪我してもいいわけ?」

「あなたはどうせ殺しても死なないでしょう」

 その場は少し和んだが、ランカお姉ちゃんはそのまま立ち上がれなくなってしまっていた。

 お腹を押さえて、座り込んだままだ。

 そして、ぽつりとつぶやいた。

「……ごめん、ちょっと、ほっとしたら、だめかも」

「え?」

「たぶん、これって陣痛だと思うわ」

「えええええ?!」


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