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神徒奇譚  作者: 早村友裕
序章
3/22

旅立ち(3)

 夜は予定通り、お社前の広場で煌々と焚火を起こして鹿祭りとなった。

 アギとガーシャが獲ってきた立派な牡鹿はあっという間に解体され、串にさして焼いたり、鍋になったり、内臓は野菜と煮てスープにしたり、村の人たち皆がご相伴に預かったのだった。

 けど、今日の功労者であるはずの二人は、ランカお姉ちゃんに叱られたのがきいたのか、少しばかりおとなしくしている。いつもなら、勝手に大人の酒を持ってきて勝手に飲んでそろそろ叱られている頃なのに。

 ああ、でももう少しすれば二人とも18歳、成人が認められる年だな。

 それこそ番う相手を探さなくちゃいけないだろうけど、今の集落に同じくらいの子供はほぼいない。ランカお姉ちゃんたちが少し上の世代で、あたしたちの下は手習いの10歳未満の子ばかりだ。

 だとしたら、外に探しに行くのかな。

 ランカお姉ちゃんの旦那さんのジンさんも、もともとは外の人だった。行商にきたところを、ランカお姉ちゃんが捕まえたのだ。どうやって捕まえたのかは教えてくれないけど、結構積極的に狩りに(・・・)行ったらしい。

「なんだ、今日はやけに大人しいな」

 アギとガーシャに声をかけたのは、罠猟師のクチバさんだ。

 ガーシャは隠さず言った。

「ちょっと調子に乗ってランカさんに叱られました」

 それを聞いたクチバさんは、こちらも隠そうともせずがっはっは、と大笑いした。

 アギはずっとむすっとしている。

 その様子を見てガーシャは肩をすくめた。

「未だに叱られるようなことをしてるのもあれですけど……きちんと叱ってもらえるってのはありがたいことです」

「違いない」

 熟練の罠猟師は、ガーシャの隣にどっかと座った。


 時折爆ぜる焚火の音と、皆の談笑、明るい笑い声が夏も終わりの夜空に響く。

 酔っぱらった誰かが太鼓や笛を出してきて、軽快な音楽を奏でている。音楽に合わせて、テラスはふさふさと尻尾を左右に振っている。

 あたしは串に刺したお肉を頬張りながら、アギの背中に寄りかかった。

「どうした、ナユタ」

「なんだか、幸せだなあと思って」

 アギがいて、ガーシャがいて、テラスがいて、お姉ちゃんがいて、村のみんながいて、大変なこともあるけれどたまにこうやって楽しんで。

 ずっとこんな日が続けばいい――きっとそれは叶わぬ願いだろうけれど。

 小さい頃から隣にいて、繰り返し繰り返し大丈夫だって言ってくれる兄は、あたしが村を出る決断をしたらどうするのかな?

 なんて、聞かなくてもわかっている。アギは一緒に来てくれるのだろう。

 だからあたしは、この幸せの終わりが見えていてもどこか安心していられるのだ。どんなことがあってもアギだけは一緒にいてくれるという確かな自信があるから。

 甘えたくなったのがわかったのか、アギはまるで子どもにするように、あたしを足の間に座らせて、大きな手で頭を撫でた。

 その様子を見て、ガーシャは笑う。

「ほんとにアギは過保護だね」

「うるせえよ」

 からかわれても、アギはあたしを離そうとしなかった。

「ラクシャが出て行って、それでもアギが踏ん張ったのはナユタのためだったからな。お前自身もあんなに小さかったのに。アギ、お前は本当によく頑張ってるよ」

 クチバさんが言うと、アギは照れたのかあたしのお腹にぎゅうと腕を回した。

「まあ、でもそろそろ妹離れすべきかとも思うがな。このままじゃお前も所帯が持てないだろ」

「……別にいい」

 ぶすくれた返事をしたアギに、あたしはちょっとほっとする。

 まだ見ぬ誰かにアギを取られる前に、できればもう少し傍にいてほしいから。

「相思相愛だからいいんじゃない?」

 あたしの考えを読んだかのようにガーシャが言う。

「……ガーシャ、お前本当に気が長いな、尊敬するわ」

「オレはアギもナユちゃんも、どっちも大事なんだよ」

 ガーシャは穏やかに言う。

 肉親以外で自分を大事にしてくれる存在がどれほど稀有なものかあたしにもわかっている。普段はその過保護さに辟易しているとしても。

「そこまで覚悟決めてるなら、俺から言うことは何もねえよ」

 クチバさんはそれ以上追求しようとはせず、大きい酒瓶を持って腰をあげた。

「ただ、まあ、もし――お前たちが何かに困って、何かを決断しようとしたときは、必ず相談してくれ。もちろんガーシャ、お前もだ」



 次の日も目が覚めるとアギはもう寝床にいなかった。

 家の外にもいないから、山の方へ修行に行ったか、神徒(しんと)を狩りに行ったか。いずれにせよもう集落にはいないだろう。昨日遅くまで騒いでいたのに元気なことだ。

 あいにくのじっとりとした曇り空――なんだか嫌な天気だな。

 珍しくテラスの姿もない。どこかへ遊びに行ったのか。

 昨日は血まみれになった着物を片づけていたら祭りが始まってしまって、あっという間に一日が終わってしまっていたから、今日こそ畑を片づけよう。

 昨日の祭りで残ったご飯で作ってあった握り飯を朝ごはんにして、あたしは畑の片付けを始めた。

 遅生(おそな)りで巨大化したきゅうりを収穫し、短刀でつるを切っていくがなかなかしぶとい。昨日のうちにアギにある程度切っておいてもらえばよかった。

 あたしが悪戦苦闘していると、家の前をランカお姉ちゃんが通りかかった。

「おはよう、ランカお姉ちゃん。外に出て大丈夫なの?」

「ええ。そろそろ生まれる頃だから、むしろ歩いた方がいいってカシギさんが言っていたわ」

「あたしもついていく。途中で何かあったら困るから」

「畑仕事中なのにごめんね、ありがとう。助かるわ」

 あたしは短刀を腰に差し、途中のつるを畑の隅に寄せてからお姉ちゃんのもとに向かう。

「ねえナユタ、今日はちょうどうちの人が帰ってくる日だから、お昼はうちにいらっしゃい。せっかくだから久しぶりに一緒に食べましょうよ」

「いいよ。ジンさん、早く帰れるといいね」

 あたしは、昨日薬師のカシギが予言した通りどんよりしている雲を見上げた。


 二人で歩いていると、村の人によく声をかけられる。

 アギはどちらかというとぶっきらぼうで無口で人と関わるのが得意とは言い難いけど、集落の人たちは神徒(しんと)()りを敬っているので、食料や日用品は皆がこぞって用立ててくれるのだ。あたしが世話する小さな畑だけでは二人分の食を賄うのは難しいけれど、暮らしに困ることがなかったのは皆のおかげだった。

 何も働いていないのに――いや、嘘だ、アギはとてもよく働いている。

 人を喰らう神徒を狩り、お社やしろを守ることは集落全体を守ることだからだ。

 働いてないのはあたしだけ。

 だから集落の人が困っていたら率先して助けるようにしているし、自分にできるお使いごとは何でもするようにしていた。

 今日は、出会ったほぼすべての人から胃薬や二日酔いの薬を取ってきてくれと頼まれたので――昨日の祭りのせいだろう――ランカお姉ちゃんを家に送り届けた後は今日もまた薬屋に行くことになったのだった。


「すみませーん、胃薬ありますかー?」

「ああ、ナユタちゃん。おはよう。今日も誰かのお使いかな?」

 先にカシギが出てきてくれた。

「今日はテラスと一緒じゃないんだね」

「そうなの。どこか遊びに行ってるか、アギと一緒に狩りをしてるかどっちかじゃないかな」

 あたしは縁側にどっかと座り込んだ。

「カシギ、二日酔いの薬たくさんある? あと胃薬5人分と、それから湿布に火傷の軟膏でしょ、それに……」

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょっと待って? ナユタちゃん、また村中の人からお使い頼まれてきたね?」

 カシギは慌てて止めると、奥に向かってガーシャを呼んだ。

 奥から出てきたガーシャは、呼ばれた理由をカシギに聞いて、軽やかに笑った。

「やあ、ナユちゃん。またたくさんお使い頼まれてきたんだね」

「なんだ、いたの。アギと一緒に山に出たかと思った」

「つれないなあ。ナユちゃんを一人で置いて遠出するわけないでしょ。いつも言ってるけど、できればオレかアギと一緒にいてね。何ならここでずっと隣にいてほしいくらい」

 カシギと同じ白い上着を羽織ったガーシャはあたしと軽口を叩きながらも、あたしのおつかい用の薬を順番に棚からてきぱき用意していく。

 代わりにカシギはのんびりとお茶を用意し、あたしにふるまってくれた。

「呼んでごめんね、ガーシャ。調べ物をしていたところだったのに」

「いいんですよ、昨日も遅かったんですから、師匠はナユちゃんと座っててください」

 本当の親子ではないのだけれど、二人の穏やかな雰囲気はとても良く似ている。

 あたしはこの薬屋に流れる緩やかな時間が割と好きだった。

 だからわざわざお薬のお使いをたくさん頼まれてくるのだ。

 まだ夏の湿気がじめっと残る空気の中、ひんやりした縁側に転がり、床板に頬をくっつけて薬畑を見ているこの時間が至福なのだ。穏やかな二人の声を、会話を聞きながら心落ち着けていく。

 でも、たまに吹き来る風はじっとり重く、この後の天気を予想させた。

 揃えた薬の確認をしていたガーシャが、ほっぺに床の跡ついてるよ、って頬をするりと長い指で撫でていった。

 薬師としての仕事をまじめにこなしているガーシャの指はいつも荒れている。夏でもあかぎれが絶えない時もある。いつも怪我をして擦り傷だらけのアギとはまた違った意味で心配だ。

「ナユちゃん、お昼はどうするの?」

「ランカお姉ちゃんに誘われてるの。今日は旦那さんが帰ってくるんだって」

「ああそうか。今日はジンさんが戻ってくるのか。頼んでた薬瓶、見つかったかなあ」

 カシギは曇天を見上げて言った。

「……雨になる前に、帰って来られるといいんだけど」



 ガーシャの用意してくれた薬を持って村中の家に配り終わるころには、ぽつりぽつりと雨が落ち始めていた。

 太陽が出ていないのでわかりづらいけれどうっかり約束の昼は過ぎてしまっていそうだ。

 あたしは最後に残った軟膏を手に、急いで集落のあぜ道を駆け抜けた。

 そろそろ旦那さんが帰ってきてしまっているかも。先にお昼を食べていてくれるといいのだけれど。


 しかし、あたしの予想に反して、旦那さんは戻ってきていなかった。

「二人で先にいただきましょう。大丈夫、あの人はそんなことでつむじを曲げたりしないから」

 小さな座卓にはすでに三人分の食事が用意されていた。

 旦那さんが帰ってくるから少し豪勢に用意したんだろう。昨日の鹿を焼いたものや、夏野菜を使ったあえ物や煮物、きれいに精米した真っ白なごはんまで。

 二人だけでいただきます、と手を合わせてご飯を口に頬張った。

 玄米も好きなのだけれど、白米はまた格別だ。

 美味しさに目を細めていると、ランカお姉ちゃんはニコニコと笑った。

「ナユタは本当においしそうに食べるわね。ごはんの作り甲斐があるわ。ナユタがいいなら、ずっと一緒に暮らしたっていいのよ? こんなにも可愛い娘なら大歓迎」

「いいよ。家にアギがいるから。でも……ありがとう」

 何より、冬には本当の娘さんが生まれるはずなのだ。

 ランカお姉ちゃんは大きなお腹をゆっくりなでながらいった。

「ナユタが本当にこの子のお姉ちゃんになってくれたらいいのに」

 あたしには父も母もいないけど、集落の人たちに優しく見守られていた。

 叱られるのも、褒められるのも、親以外の周囲の大人たちがしてくれていた。それは、親なしで薬師のカシギにひきとられたガーシャもきっと同じだろう。

 あたしは14になる年まで本当に幸せに育ったのだ。それだけは間違いない。

 だからいつも、この穏やかな暮らしが終わりを告げる日なんて来なければいいと願っているのだ。



 外は本格的に雨が降り出してざあざあと大きな音を立てていた。

 とりとめのない話をしながら、手慰みにアケビのつるでカゴを編みながら、しばらく帰りを待ってみたが、旦那さんが帰ってくる気配がない。

 残された一人分のごはんは、白い布をかけられたまま鎮座したままだ。

 何故だろう。

 背筋をそわそわと何かが這い上がるような、そこはかとない不安が胸の内からせりあがる。

「旦那さん、さすがにそろそろ村につくかも。あたし、傘持って迎えに行くね」

「えっ、でも……」

「お姉ちゃんは休んでて。体を大事にしなきゃ」

 お腹を指し示すと、納得してくれたようだ。

「ええそうね、お願い。村の入り口までにいなかったら戻ってきていいからね」

 軒先に置いてある傘を手にして、あたしは雨の中に出た。

「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」

 静かに真言を唱えると、朱印から現れた白藍色の光玉がふわふわと浮いて、あたしの周囲を囲んだ。

 これで雨に濡れることはない。

 さあ、早く迎えに行こう。

 神徒と相対した時と同じように、光玉を足場に集落の中を駆け抜けた。


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