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神徒奇譚  作者: 早村友裕
序章
2/22

旅立ち(2)

 次の日、あたしが目覚めるころに家の外から大きな声がした。

「ガーシャ! 後でお社の裏森に行こうぜ! 昨日でかい鹿を見かけたんだ。まだ近くにいると思う」

「いいよ、行こうか」

 あたしは薄い布団からもぞもぞ抜け出した。

 窓を見ると、まだ朝日が昇ってから間もない時間らしかった。

 とはいえ、早朝稽古を欠かさないアギはとっくに起きて活動しているし、おそらくガーシャも日の出から薬草を獲りに行った帰りなのだろう。

 二人が仲良しなのはよく知っているけれど、毎日毎日一緒にいてよく飽きないものだ。

 年齢的にはそろそろ相手を探して落ち着いてもおかしくない年ごろなのに、五歳児くらいから誘い方も遊び方も何にも変わっていない。虫獲りが鹿獲りに変わっただけだ。年齢相応に獲物はでかいけど。

 あと、ガーシャは薬師、アギは神徒狩りの仕事もしてるから、昔ほど四六時中一緒にいるわけでもないか。


 あたしも起きよう。

 顔を洗おうと外に出ると、案の定、アギとガーシャは軽く手合わせをしていた。二人とも木刀を持って、軽く打ち合っている。

 と、ガーシャの切っ先がアギの眼鏡をかすめて飛ばした。

 その瞬間、アギは硬直し、ガーシャが軽く木刀で腕を叩いて一本。

 アギはその間も、目を回してフラフラしている。

「相変わらず目悪いねえ」

「なんも見えねえんだよ。つーかお前こそ狙って眼鏡飛ばしてんじゃねえよ非常識」

 飛ばされた眼鏡をテラスがくわえてアギのもとへ運んでいた。

 そういう遊びだと思っているのか、白い狼は手合わせの間も二人の周囲を楽しそうに駆けまわっている。

 テラスはあたしと仲良しだけど、二人と遊ぶのも大好きなのだ。

「おはよう、ナユちゃん」

「ナユタ、遅いぞ」

「遅くないよ、二人が早いだけ」

 寝ぼけ眼で返答しながら顔をバシャバシャ洗う。

「あ、そうそう、これさっき見つけたんだ。時期にはちょっと早いからまだ甘くないかもしれないけど、あげるね」

 ガーシャはカゴから引っ張り出したつるになっていたアケビの実をちぎって手渡してくれた。

 アケビはあたしの大好物だ。

 ビワとアケビとグミの実と。甘い果物が大好き。それを知っているガーシャはよく薬草ついでに果実をとってきてくれる。あと好きなのは、家の前に植えてある梨の実。少しずつ実が膨らんできていて、いつ食べられるかワクワクしている。

「ありがとう、ガーシャ!」

 あたしは受け取ったアケビを割り、中の白い果実を口に運ぶ。

 んー、ほんのり甘い。

 嬉しくなってほわほわ笑っていると、ガーシャはあたしの頭を撫でまわした。

「素直なナユちゃんは可愛いなあ」

「……まるで普段は可愛くないみたいじゃん」

「可愛いよ? 黙ってればね」

 うるさいなあ。

 残りの果実を半分ずつにして、アギとガーシャの口にそれぞれ押し込んだ。

 甘いものが苦手なアギは眉間にしわを寄せていた。

 あたしは寄ってきたテラスの首元をわしゃわしゃと撫でた。

「二人とも狩りに行くんでしょ。夜はお祭りの準備しといた方がいい?」

「当たり前だろ! 鹿祭りするぞー!」

「まだ獲ったわけじゃないのに、アギは自信満々だね……」

 ガーシャが苦笑する。

「簡単だろ、神徒を倒すより100倍簡単だ」

「はいはい」

 仕方ないな、と肩をすくめたガーシャは、薬草の入ったカゴを背負い直した。

「じゃあ薬屋にこれ置いてくるから、ちょっと待ってて。先に行かないでよ?」

「なら、後でお(やしろ)集合な!」

 まるで子供のような待ち合わせの約束をして、アギは去っていくガーシャに手を振った。


 すぐに鹿狩りの支度をして――神徒狩りと違って道具が必要なので――アギはあっという間に姿を消した。

 さて、今日は畑の手入れをしてしまおう。そろそろ夏野菜が終わるから片づけたいと思っていたのだ。

 と、その前に。

 家の脇に生えているなり初めの梨を朝食替わりにもぎ取ってかじった。さすがにまだ固いけれど、咀嚼していると少しずつ甘みが出てくる。夏もそろそろ終わりかな。

「お行儀悪くしちゃって。ちゃんとご飯食べてるの?」

 くすくす笑い声がしたので見ると、お隣(といってもかなり離れているが)のお姉ちゃんにまだ熟れてもない梨をかじっているところを見られていた。

 テラスがその姿を見てわおん、と鳴いた。

「おはよう、ランカお姉ちゃん」

 慌てて姿勢を正し、挨拶する。

「おはよう、ナユタ。朝から元気ね。テラスもおはよう」

 お隣のランカお姉ちゃんは、両親のいないあたしたちをいつも何かと気遣ってくれる。

 とてもやさしいお姉ちゃん。

 でも、あたしは知っている。

 この優しそうなお姉ちゃんが見た目によらずお転婆で、小さい頃はあたし以上にいろいろとやんちゃしていたことを。

「ちょうどよかったわ。薬屋まで行きたかったの。ガーシャの声が聞こえたからお願いしようと思ってたけど……残念ながらもう行っちゃったみたいね。ナユタ、代わりについてきてもらっていい?」

「うん、いいよ!」

 ランカお姉ちゃんのお腹は、新しい命を宿している。もうそろそろ生まれる頃だから歩くのも難儀するくらい大きくなってしまって大変そうだ。

 あたしは残りの梨をじゃくじゃくじゃく、と食べきると、お姉ちゃんと一緒に歩きだした。



 山の間に細長く横たわった集落には数十人が暮らしている。もちろん皆が知り合いだ。

 ほとんどが農家で、平地は田畑が広く、その間にぽつぽつと茅葺屋根の家が建っているだけ。山を下った麓の町で物々交換することもあるが、基本的には自給自足だ。罠猟師のクチバさんが大きな鹿や熊を獲った日などは、集落全員がお社の前の広場に集まってお祭り騒ぎをしたりする。

 アギやガーシャも神徒ではなく大きな獲物を狩ってくる時がある。

 その時も、みんなで楽しくお祝いする。

 きっと今夜もお祝いだろう。

 集落の中央、ブナの木が茂るお社を過ぎてゆるい坂を下っていくと集落入り口の石碑がある。

 テラスはたたっと走って行って、石碑のてっぺんにひょいと飛び乗った。

 わおーん、と遠吠えをすると、山々にこだまして響き渡っていた。

 石碑から右手に行けば昨日神徒に出会った河原が、左の道を行けば町に降りる道がある。

 そして、手前にある建屋が集落で唯一の薬屋だった。


 薬屋はヒノキのしっかりとした造りになっていて、薬草を育てる前庭に面した縁側もある。薬を買いに来た人は薬湯を飲みながらここでゆっくり休んでいくこともできるのだ。

 あたしは軒先から大きな声で呼んだ。

「おはようございまーす!」

 すると、遠くから、はーい、という声がしてドタバタと誰か駆ける音。

「ああ、ナユタちゃん。おはよう。ガーシャならさっきもう出て行ったよ?」

 若草色の着物の上に白い上着を羽織った男性が縁側から転がるように出てきた。

 薬師のカシギだ。

 カシギはガーシャの師匠で育て親。歳はおそらく40かもしかしたら50を越えると思うのだが、柔和な顔は年齢不詳でいつまでたっても20代のように見える。淡い金色の髪を勾玉のついた革ひもで緩くまとめていた。

「ガーシャを探しに来たわけじゃないよ」

 兄とガーシャがいつも対になるのは仕方ない。仲良しだもの。

 でも、そこにあたしまで入れるのはやめてほしい。

 っていうか、ガーシャはさっき歩いて行ったばかりなのにもう出てっちゃったの。

 なんだかんだであの兄の悪友を懲りずに何年も続けているだけある。ガーシャもまた穏やかに見えて考えるよりまず動く、行動力の化身であることは間違いない。素手や木刀での手合わせならアギより強いこともあるし。

 くすくす笑ったランカお姉ちゃんがカシギに手を振った。

「ああランカさん、おはようございます」

「おはよう、カシギさん。あのね、お腹が大きくなってきちゃって、以前いただいたひび割れの軟膏をいただけないかしら?」

「ああいいですよ。調合しますから、ちょっと待っていてくださいね」


 縁側に座ると、まだ夏の残る独特の熱風が吹き抜ける。日差しも肌を刺す感覚を残している。

 棚が所狭しと並ぶ部屋の中で、カシギがごりごりと薬研をひいていた。薬草の匂いが縁側まで流れてくる。

 ランカお姉ちゃんは縁側に座って、お腹に手を当ててやさしくぽんぽんと叩いていた。

「予定はあと2週間ほどでしたよね。ジンさんは間に合いそうですか?」

「明日には戻る予定なの」

「それはよかった」

 お姉ちゃんの旦那さんは、定期的に麓の町や、時にそれより遠い海沿いまで出てあれやこれやと仕入れてきてくれる。今回も一週間ほど前に出立して、今日には帰ってくるようだ。

 カシギはふっと空を見上げた。

「明日くらいから天気が崩れそうだからねえ」

「こんなにも晴れてるのに?」

「ほら、風の湿気がいつもより多いでしょう。全体に薄雲もかかっているし、おそらく午後には曇るでしょうね。きっと明日には遅かれ早かれ雨が降る」

 村で唯一の薬屋にいる薬師はとても博識で、いろいろなことを教えてくれる。

 薬屋の奥に大量の書物が積んである部屋があるのを、以前ガーシャに見せてもらったことがあった。

 もしかしたらガーシャも、普段は飄々(ひょうひょう)としているだけでカシギのようにいろいろな知識を持っているのかもしれない――ああ見えて。


 お腹のひび割れに効く軟膏と、カシギのすすめでいくつか心を落ち着けるお茶の葉をいただいて。

 ランカお姉ちゃんの歩幅に合わせてゆっくりと元の道を戻っていく。通常ならば軽やかな足取りのお姉ちゃんも、臨月の大きなおなかを抱えてふうふうと息を切らしながら歩いている。

「そういえば、昨日は河原のあたりに神徒が出たんでしょう。ナユタたちが倒してくれたって聞いたわ、ありがとう」

「ううん、倒したのはアギだよ。あたしはやっぱり、まだ神徒を狩るには早かったみたい」

 途中で、ちょっと休もう、と言って二人で路傍の石に腰かけた。お社のブナ林の隣。ここからは鳥居がよく見える。

 少し木陰になっていて、吹き抜ける風が心地よい。

「実はね、私も昔は神徒狩りに憧れたこともあったのよ」

「えっ、そうなの?」

 お姉ちゃんの告白に、あたしはびっくりした。

「ナユタはまだ小さかったからあまり覚えていないと思うけれど、アギとナユタのお父さんはね、本当に強くて、本当にかっこいい神徒狩りだったのよ。それこそ、村中の女の子が全員憧れていたくらい。だから私ももれなく憧れてました!」

 旦那には内緒ね、と笑ったお姉ちゃんはとても可愛らしかった。

 あたしは、父のことを覚えていない。

 三歳くらいの時に出て行ってそのまま戻ってこなかったらしい。思い出せるのはアギと二人の生活が始まったところからだ。その頃はアギ自身も五・六歳くらいだった。

 アギ自身もあまり父親のことを覚えておらず、だから父親のことをあたしたち兄妹はよく知らない。

「でもね、私は勾玉持ちではなかったし、幸いにも普通の動物を狩る方が得意だったから、父さんと同じ罠猟師になる方がよかったのよね」

 ちなみにランカお姉ちゃんは、父のクチバさんに次ぐ罠名人で、かつ集落で並ぶもののないくらいの釣り名人だ。今は猟も釣りもお休みしているけれど、ふらっと河原に行って集落の皆に配るくらい大量の魚を取ってくるなど朝飯前だった。

 もちろんそこそこ腕もたつ。小さい頃は、アギとガーシャが二人で悪戯をするたびにお姉ちゃんの鉄拳制裁をくらっていたくらいだ。

 それでも、神徒狩りというのはやはり特殊なもので、生身で神徒を狩る人間は少ない。

 あたしやアギ、ガーシャのように、勾玉持ちと呼ばれる人間がなるのが普通だった。

 勾玉持ちというのはなんでも、母の腹から出てくる時に、手の中に勾玉を握って生まれてくるそうだ。

 そしてその勾玉には朱印が刻まれ、朱印の主の力を借りることができる。

 例えば、あたしの勾玉には最初から水の朱印が刻まれていた。それと、集落の中央にあるお社の主の朱印も後から刻んでいる。集落の外には別のお社もあり、そのお社まで行けばさらに別の朱印を刻むことができるのだという。

 これらがいったい()なのか、よく知る人はいないという。

 神徒とは何で、勾玉とは何で、朱印とは何なのか。

 お社には()がいて、なぜ古銭を捧げると周囲を守ってくれるのか。

 毎日生きるだけで精いっぱいのあたしたちには、過ぎた疑問だった。

「ランカお姉ちゃんはすごいよ。猟も釣りもできるし、子どもを育てることだって――あたしはだってまだ、何もできない」

 首に下げた勾玉を無意識に握りこんだ。


 後ろ向きな感情が渦巻きそうになった時、すぐそこの茂みから立派な牡鹿が飛び出してきた。

 危ない!

 ランカお姉ちゃんをかばうように立ち上がった時、鹿の背後から若草色の光の糸が伸びてきた。

 光の糸が幾重にも鹿に巻き付き拘束し、暴れようとする牡鹿を完全に縛り上げた。

「よっし、もらった!」

 すると、同じ茂みからアギが飛び出し、手にした短刀で鹿の首をすぅっときれいに切断した。

 一瞬見えた切断面。

 次の瞬間には、血しぶきが上がっていた。

 ああ、道が血で汚れていく……

「ガーシャ、そのまま血抜きしてくれ」

「はいはい」

 アギと同じところから出てきたガーシャがぐっと拳を握ると、鹿を縛り上げていた若草色の糸が、ぐっと持ち上がり、ぎゅううっと締まった。まだ心臓が動いているのだろう、すごい勢いで血が飛んでいる。

 あたしたちの目の前には、ごろんと鹿の首が転がっている。

 しばらくびくびくと動いていた鹿の頭部は、やがて息絶えた。

 そしてあたしたちは、頭から血を浴びた。


「……アギ。ガーシャ。血抜きしながらでいいから聞きなさい?」

 頬に手を当て、こてんと可愛らしく微笑んだランカお姉ちゃんが悪童二人を呼び止めた。

「なんだ、ランカもナユタもここにいたのか……あっ」

 アギはようやく自分が何をしたのか気づいたらしい。

 ガーシャも遅れてこちらに気づき、みるみる青ざめた。

 お姉ちゃんの口から大きなため息が漏れる。

「……あなたたちの本職が神徒狩りだということは重々わかっているわ。それでも、小さいときに狩りの一端を最初に教えた者の責任として言っておくわね。人の住む場所でむやみに生き物の血を流すものではないわよ?」

 返り血を浴びたまま、にっこりと笑いながら。

「わかった?」

「ごめんなさい!!!」

 アギとガーシャは反射的にその場で土下座していた。

 二人は、まるで悪戯をとがめられた五歳児のように素直に謝ったのだった


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