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神徒奇譚  作者: 早村友裕
序章
1/24

旅立ち(1)

◇◆◇


 『旅に出るときは、大切なものといらないものを置いていけ』


 それは、神徒(しんと)()りを生業(なりわい)としていた父親が最後に遺していった言葉らしい。あたしが10歳になったときに兄が教えてくれた。

 でも、そうすると、父親に置いて行かれたあたしは、兄は――父にとっていったいどちらだったのだろう。


◇◆◇


 とりとめなく昔のことを思い出しながら河原の砂利に座ってぼんやりと水面を眺めていると、眼前を純白の毛並みが通り過ぎた。

「テラス」

 名を呼ぶと、白く長い毛並みの狼が足を止める。朱色の勾玉を結んだ尾の毛がふわりと揺れた。

 あたしに呼ばれたのがさも嬉しいと全身で伝えるかのように尾を振りながら鼻先を摺り寄せてきたので、両手で抱いていっぱい撫でてあげた。小さいころから一緒に育ったテラスは日向ぼっこが大好きで、いつもおひさまの匂いがする。ぎゅうと抱きしめていっぱいにその匂いを吸い込んだ。

 勾玉と同じ朱色の毛束が時折混じる尾が嬉しそうに左右に振れている。

 しかしながら、気づかぬうちにずいぶん過去に思いを馳せていたらしい。いつしか周囲には黄昏の気配が満ちていた。

 あ、まずい。

 よくない気配に、ぶるりと背筋が震える。

「そろそろ帰ろう、きっとアギがイライラしながら待ってるだろうからさ」

 立ち上がってお尻についた砂をぱたぱたとはらい、着物の袖を翻した。


 その時。

 背後から声がした――人のものではない声が。


―― ノウマク サ マン ダ


 ぞわりと背筋が粟立つ。

 テラスがぐるるるると低いうなり声をあげる。

「……大丈夫だよ、テラス。大丈夫」

 自分自身にも言い聞かせるようにゆっくりと、落ち着いて言葉にしながら振り向いた。

 川面に、幾重にも折り重なる数百数千の人型の白紙が、キキキキキキと甲高い音でこすれあいながら群れている。飛び回りながらせり上がってくる。

 ぞわぞわぞわぞわ。

 まるで白い蟲が樹木を一斉に上るように。盛り上がった白い人型の紙は、融合し、天に向かって一塊にうねり、伸びあがり、とぐろを巻いていく。いつしかそれは個々の紙ではなくなった。

 そして、真白に発光する生き物になった。

 目の前に現れたのは、巨大な白蛇だった。巻いた胴体は川の向こう岸に届くほど大きく、目の部分が切れ込むように赤黒い。同じ赤黒く裂けた口の端からはらはらと紙の欠片がこぼれて風に流れていく。


――ノウ マク サ マンダ


 頭に直接響くのは、巨大な白蛇の声。

 こんな場所で神使(しんと)に出会ってしまうとは。

 思わず逃げ出しそうになるが、このまま放置するわけにはいかないだろう。あまりに集落が近すぎる。

 胸元に革ひもで下げた白藍色の勾玉を握り締め、深呼吸。

「……オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」

 静かに真言をつぶやくと勾玉が鈍く光を帯びた。

 同時に、朱印があたしの周囲にずらりと現れる。朱印は勾玉と同じ白藍色の光の玉に変化して、周りにふわふわと浮かんだ。光玉は白色から藍色に明滅しながら私を守るように囲んでいく。

 耳元で心臓の音が鳴り響いている。

 緊張でもあり、高揚でもあるその心音だけが静寂の中に響く。

 刹那。

 白蛇の赤黒く裂けた口があたしの頭上から落ちてきた。

 もちろん、みすみす喰われてやるつもりはない。

 間一髪で横っ飛び、周囲に浮かんだ光玉を足場にして空中に駆け上がった。

 着物の袖が黄昏色の空に(ひるがえ)る。ひんやりした山の中の空気。夏が終わり秋に向かう季節独特の静謐な山林の景色が眼下に広がった。

 山を割るように流れる川と、横たわる真白の神徒(しんと)

 人差し指と中指を重ね、巨大な白蛇の頭部に狙いを定めた。

「オン・マカキャラヤ・ソワカ、オン・マカキャラヤ・ソワカ、オン・マカキャラヤ・ソワカ」

 早口で唱える真言に呼応して指先に朱印が現れ、黄金の光が収束する。

「『撃ち抜け』」

 収束した光が細い線となって、白蛇の……尾を、撃ちぬいた。

「外しちゃったあああ」

 まずい。

 一撃で頭を撃ち抜いて終わらせるつもりだったのに。

 攻撃を受けた白蛇は、大きく上に咆哮を上げた後、私に狙いを定めて口を開いた。

 あたしも光玉を蹴り離脱しようとするが、間に合わない――

 と、白蛇の顔の横から白い毛並みが突っ込んできた。

「テラスっ!」

 白蛇の横面に体当たりし、牙をむいたテラスがそのまま蛇に襲い掛かる。

 その隙にあたしは光玉を蹴って方向を変え、急降下。

「やあああああああ!」

 気合を入れて足に力をこめ、思い切り白蛇の頭に(かかと)落としをくらわせた。

 反動で飛び上がり、くるりとまわって河原の砂利に着地。隣にテラスもふわりと着地した。

 肩で息をし、乱れた息を整えながら敵の姿を見る。

 白蛇は脳天に衝撃を受けてぐらりと傾いたが、すぐに態勢を立て直した。

 キキキキキキ、と甲高いこすれる音が鼓膜を貫く。

 どうする――?!


 一瞬迷ったあたしの目の前に、真っ赤な衣が翻った。

 巨大な三叉戟を振りかぶって飛び込んできたその人は、赤い光玉を携えて、あたしをかばうように前に飛びだし。

 あっ、と思う間もなく、目の前の白蛇は綺麗に縦真っ二つに裂けて、ずずんと大きな音をだして崩れ落ちた。



「ナユタ、お前は攻撃力がねえんだから一人で神徒を倒そうとするなっていっつも言ってんだろ。とにかく逃げて俺を呼びに来いよ」

 小言を言いながら三叉戟をぶおんと振り回したのは、あたしの兄のアギだ。

「アギ、うるさい」

 あたしは口をとがらせて黙り込んだ。

「アギじゃない、お兄ちゃんと呼べ」

 手にしていた三叉戟を霧散させ、不満げな兄が腕組みをしてあたしを見下ろしてくる。

 猩々緋色の派手な着物と三叉戟、それから黒縁の大きな眼鏡。大きなガタイは神徒狩りとして頼りがいがあるといえば聞こえがいいが、一緒に暮らすととにかく邪魔だ。狭い家を圧迫するのだ。その上、眼鏡がないと何も見えないから大きな体であちこちぶつかってるし。

 背は頭ひとつ分以上違うからめちゃくちゃ見上げないといけない。

 アギの背後では、神徒が白い人型の紙に戻り、はらはらと落ちていった。白い紙に紛れて、鈍色をした古銭がちゃりちゃりちゃりんと河原の砂利の上に落ちた。

 アギは残された古銭を拾って袋に詰め、帯に括り付けた。

 集落のお(やしろ)に奉納するためだ。

「まあでも、さっきのはよかったと思うぜ。狙って撃ってたやつ」

 先ほどのあたしを真似て人差し指と中指で狙う動作をしながら、アギが笑った。

「そーなの! こないだ思いついてからずっと試してみたかったんだ。朱印を小さくして照準を絞って、多重で真言を唱えてね、収束させたら貫通力が上がるんじゃないかって。そしたらあたしでもそれなりに攻撃できるしさ。指で狙ってみたけど思ったよりうまくいったよね」

 興奮して早口になるあたしを見て、アギは口元を押さえながらくっく、と笑った。

「お前はすぐ朱印の新しい使い方を思いつくからな。実践までの研鑽(けんさん)も早いし、それはほんとにすげえと思うよ。けどな……絶望的に戦闘が下手すぎる」

 やれやれとため息をつきながら。

「頭を狙うなら狙うで『ちゃんと当たるように』相手を制御すんだよ。頭なんて一番動かしやすい部位だろ。何の準備もしないあからさまな状態で撃ってどうすんだ。避けられるに決まってんだろ。手持ちの札を組み立てろ。小技で狙いを固定してから撃たないと」

「あーあーあーあーあー」

 続けられた正論がうるさかったので大声出して両手で耳を覆った。

 自分がちょっと強いからってすぐにお説教するのはやめてほしい。


 いや、ごめん、ちょっと、は嘘。めちゃくちゃ強い。


 あたしはそんな広い世界を知っているわけではないけれど、それでもアギはあたしの知る中で断トツの最強だ。無敵と言っていい。

 それは膂力(りょりょく)であり、戦闘に関する知識であり経験であり、いわゆる感性というものでもあった。どうすれば敵を倒せるか、本能的な判断力がとてつもなく優れている。さっきのお小言だって、アギならあの白蛇に光線を当てる術を一瞬で何通りも思いつくはずだ。

 そもそも、強力な朱印の武器があるとはいえ、息をするようにあの大きさの神徒を両断するのは頭おかしい。

「おい、聞いてんのか、ナユタ」

 あたしの心を知ってか知らずか、かがんで顔を覗き込んでくる。

 炎のような緋色の目が眼鏡の奥で剣呑と細められていた。

「聞―かーなーいー!」

 まるで幼い子供のようにいーっと歯をむき出しすると、あたしはテラスと共に逃げ出した。

「ナユタ!」

 後ろからアギの声が追いかけてきたが、無視。

 そのまま集落への道を駆け抜け……ようとした。


「はい止まってね、ナユちゃん」

 穏やかな声と共に、若草色の着物にぼふんと突っ込んだ。

「ガーシャ、来てたのか」

「んーまあ、薬屋まで聞こえちゃってたから気になって……だんだん近くなってる(・・・・・・)しねえ」

 そう言いながらへらりと笑ったのは、同じ集落の薬師のガーシャだった。アギと同じ16歳、アギほどではないが見上げるほどの身長で、アギとは時に2人で組んで神徒を狩りまくることもある悪友。

 そしてあたしにとっては2人そろってお小言の多い天敵。

 だけれど、天敵と思っているのはあたしだけで、ガーシャはにこにこと笑いながらあたしの頭をぽんぽん撫でた。

「危ないから村の外では一人で行動しないでね、ナユちゃん。できればオレか、アギと一緒にいてくれる?」

「……ヤダ」

「はいはい」

 わかっているよと言わんばかりのその返答にいらっとしたので、腹いせに胸元をばしばし叩いたら、いててて、やめて、と軽く手首で止められた。

「ほんと、ナユちゃんが清楚なのは見た目だけだよね」



 勝手にどこか行っちゃうと嫌だからみんな手をつないで帰ろう、と言ったガーシャの提案は謹んでお断り。

 三人と一匹で並んで集落に到着した頃、もう辺りは薄暗くなっていた。山間の小さな集落だ。街灯はなく、月明かりでもなければ外を歩くことすら難しい闇に落ちる。

 でも、あたしにはテラスがいる。テラスのしっぽの朱色の勾玉が光って道を照らしてくれるのだ。

 白い狼の後ろについて長いあぜ道を歩いていくと、迫る山際にブナの木に囲まれた小さな鳥居が現れた。

 鳥居の中に石畳はなく、砂利が敷き詰められただけの境内には木造のお(やしろ)がぽつんとたたずんでいた。先ほどの白蛇がいれば軽く尾で叩き潰されそうなくらいの大きさしかない簡素なものだ。

 アギは、お社の賽銭箱に先ほど拾った古銭の袋をひっくり返した。同じようにガーシャも古銭でぱんぱんの袋をひっくり返す。

 じゃらんじゃりんと音を立てて古銭が賽銭箱に吸い込まれた。

 手を合わせてから、印を結び、目を閉じ静かに祈ると、お社の中がうすぼんやりと光った。

 その光が、集落全体にぴぃんといきわたった気がする。


 しばらく手を合わせた後、兄はふぅ、と息をついた。

「よし、帰るか」

「うん」

 お社には朱印の(ぬし)が宿っているので、古銭をささげているうちはこの地に神徒(しんと)を寄せ付けない。

 そう、そのはずだ。

 だから、アギもガーシャも毎日毎日神徒を狩って大量の古銭をここへ奉じているのだ。

 他でもない、あたしのために。

 胸がぐっと苦しくなる。黄昏時に思い出していた、父のことを思い出しそうになる。

 だってあたしは――

「……アギとガーシャがお社に古銭を毎日毎日たくさん捧げても、あんなに近くに神徒が現れちゃうなんて、いつかこの村の中まで神徒がきちゃうのかなあ」

 ため息とともに、心の声がぽろりと零れ落ちてしまった。

「そうしたら、あたし」

「ナユちゃん」

 隣を歩いていたガーシャがあたしの言葉を遮った。

 咎めるような、断言するような口調だったが、その声音はとても優しかった。

 テラスも足を止め、あたしにすり寄った。

 そして、前を歩くアギは振り向きこそしなかったけれど、淡々と告げた。

「大丈夫だ、何が来ても俺が倒す」


◇◆◇


 あたしたちは、両親に置いて行かれた兄妹で。

 たまたま兄が信じられないくらいに強かったから、幼いながらも神徒を狩りながら生活できて。

 でも。

 そろそろ限界だって気付いている。


 何故ならあたしは特異体質だから。

 何もないところに神徒を呼び寄せてしまうような、摩訶不思議な特異体質。


 同じ場所にとどまれば、その土地に迷惑をかけ続ける。

 たとえ無敵の兄が神徒を|斃し続けたとしても――


◇◆◇


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