翠都へ(2)
一人になってしまったので、仕方なくお社へまっすぐ向かおうとしたら、後ろから大きな声がした。
「ナユちゃん!」
周囲の視線を集めながら幼馴染が走ってきた。
「やっぱり……アギはいなくなっちゃうと思ったんだよ。ごめん、忘れてた」
急いできてくれたんだろう。息を整えて自然に一緒に歩き始めた。
でも、周囲は単純に騒めいているだけでなく、ガーシャを拝んでいる人さえいる気がする。好意的な視線である事は間違いないのだが、いかんせん見ている人が多すぎる。上から覗いている人もいるし、全員見ているのではないだろうか。
いったい何だというのだろう。
なるべく気にしないように、まっすぐに大通りを歩いてお社へ向かった。
鳥居も石ではなく木で作られている。年季の入った杉の木はきっと千年杉を切り出して作られたのだろう。継ぎ目が見られないから、もしかしたら鳥居の形そのものを一本の木から削り出した可能性もある。細かく装飾も刻まれていて、これだけで見る価値のある細工だった。
鳥居をくぐると、お社独特の清浄な空気が迎えてくれた。
さすがにこの場所に人の姿はなかった。
きんと冷える空気を吸い込むと、体の隅々まで冴えわたるようだ。
集めた古銭をじゃらんじゃらんと奉納し、手を合わせる。山を越え無事に到着できたことを感謝し、後からやってくるはずのメイカ様たちの無事を祈った。
このお社に祀られているのは福禄寿様だ。
「福禄寿様はガーシャと同じ色だね」
伸びゆく若芽のような新緑色。
これまで色なんて気にしていなかったけれど、あたしの白藍色は蒼都の恵比寿様の色だし、アギは赤都の毘沙門天様だ。
これまであまり意識したことがなかったのに、サイショウさんの話を聞いてから気になるようになった――勾玉が何なのか、朱印が何なのか、古銭とは、お社とは、神徒とは何なのか。それを知りたいと思った時、外道に落ちてしまうのだという。
信仰心の薄いあたしは気を付けないと意図せず思考が落ちてしまう。
気を付けなくては。
「オレの朱印と真言は、実は福禄寿様のものなんだ」
ガーシャの勾玉に浮かぶ朱印の形は、確かに鳥居の額束に飾られているものと同じだ。
「だから翠都にもいつか来てみたいと思ってた。実際に来るとこんなに綺麗な場所だとは思わなかったな」
「来たことないの?」
あたしはびっくりして聞いた。
「蒼都や赤都と違って、ここは異形の神徒が出ないからあんまり記憶にないんだよね。来てないことはないと思うんだけど……あんまり覚えてないや」
「こんな景色を見たら忘れないと思うけどな」
「うん。だから今回は、ナユちゃんと一緒に見られたからもう忘れないよ」
穏やかに笑うガーシャにあたしも笑い返した。
その時、背後から急に声がした。
「申し訳ございません、お二方。少しお時間をいただけませんでしょうか」
振り向くとそこには、白衣に緋袴を着た少女が佇んでいた。美しい黒髪を高い位置で括っている。胸元に勾玉を下げているのでおそらく神徒狩りなのだろう。
「キミは?」
「私は翠都の神徒狩りのリーリャと申します」
少女は深々と頭を下げた。あたしはつられて礼をする。
「蒼都の神徒狩りのガーシャ様とお見受けします。宗主であるゾクチェンが是非、貴方にお会いしたいとおっしゃっております。奥社にてお待ちですので、よろしければいらしていただけませんでしょうか」
千年杉の木を使って建立された奥社は、古銭を奉納したお社の奥、杉の木をくりぬいた中に建てられていた。時を経て黒々と変色した重厚な柱が印象的だ。
正面を避け、横の階段を上って中に通された。中では蝋燭の炎が揺れている。嗅いだことのない不思議な香りが部屋全体に満ちている。薄暗い蝋燭の灯りとこの匂い。あまりここにいると頭がぼんやりしてきそうだ。
正面に大きな段があり上は御簾で隠されている。そこに誰かいるのだろうか。
リーリャはあたしたちを連れて段の下に正座し、御簾の向こうへ呼びかけた。
「宗主様、ガーシャ様をお連れしました」
「ご苦労」
御簾の中から40代ごろと思われる男性の声がした。
この人が翠都の宗主様?
「其方が蒼都から来たという神徒狩りか?」
偉そうな物言い。
すっと表情を消した幼馴染は淡々と答えた。
「はい、そうです。先ほど到着したばかりで右も左も分からず、こちらに連行されたのですが、何の用でしょうか」
「蒼都出身というが、出自は?」
「全く分かりません。孤児で、幼い頃養父に引き取られました。オレ自身は、出身も親も何も知りません」
言われてみれば、ガーシャの出自はあたしも知らないな。
あたしは奥の山の集落出身で両親がいない孤児だけど、ガーシャはどこから来たんだろう。物心ついた時にはすでに集落の薬師カシギと暮らしていた気がする。
「其方、翠都の出身ではないのか? その金の髪と金の瞳、それに美しい容姿は、新緑の守護を持つ者たちと一致する。新緑の民はすでに滅んだと聞いておるが、生き残りか?」
「分かりません」
ふむ、と御簾の中の男性がこちらをじっと見ている感覚があった。
見えないのに不快な視線なのがすごい。
「話す気がなさそうだな」
「そもそも知らない事を聞かれても話せません」
ガーシャの苛々が伝わってきて、あたしは身を縮こめる。
「生き残りであれば寺社の庇護のもと手厚く保護せねばならん。まずは翠都の――」
面倒な事になりそうだと思ったのか、ガーシャは話の途中で立ち上がった。
「連れを待たせているので失礼します。行くよ、ナユちゃん」
「話は終わっておらんぞ」
後ろから男の声が追いかけてきたが無視してさっと退出した。
「お待ちください!」
後ろからリーリャが追いかけてきた。
ガーシャはあたしの手を引いて、返事をせず、足も止めずに鳥居の方へ向かう。
「貴方は本当に新緑の民ではないのですか?」
鳥居を出たところで、ガーシャはリーリャを鳥居に糸で結びつけた。
「ついてこないで」
何とか助けたかったが、いつになく機嫌の悪い幼馴染を前に閉口することしかできなかった。リーリャは悪くないと思うけどごめんねー!
そのまま真っすぐ宿の部屋まで戻って、扉を閉めて、ガーシャはそのまま座り込んだ。
「あー……」
そして頭を抱えてうつむいた。
「どうしろっつーんだよ」
らしくない、乱れた口調で。
まるでゴクジョウ師匠がするように頭をがりがりかいた。
「正直オレの出身の事はどうでもいいんだけど、寺社組織と関わりたくないのにあっちから寄ってくるのがすっごく面倒臭い。ナユちゃんたちの事だけ考えてたいのに」
あたしはガーシャの出自もそれなりに興味あるけど――彼にとっては意味のない事のようだ。
話を聞く限り、彼の出自は翠都の御伽噺に出てくる『新緑の民』と呼ばれるモノの可能性があるらしい。金色の髪と金色の瞳、それから整った容姿。それは確かに、あまりに合致する。
そう、金の髪は珍しいのだ。あたしもアギも黒よりの色だし、メイカ様たちも珍しく淡い毛色だけど濃い目の亜麻色だし、翠都に入ってからも色素の薄い人はいるが、ほとんどの人が千年杉と同じ赤茶色に近い髪色だった。
「宗主がどの程度の力を持ってるのかもよく分からないし、神徒狩りもさっきの様子だと寺社寄りみたいだし、どうしようかなあ」
珍しく困った顔をして考えている。
ガーシャがこうなるときは、だいたい予想と違う事態が起きた時だ。
もし前回の経験があればこうはならないから、翠都に来たことがないというのは本当のようだ。
だた、ごめんね。今ここにいるのがあたしじゃなくてメイカ様だったら建設的な意見が出せたかもしれないけど……あ、そうだ。
「ねえ、ガーシャ。相談してみない?」
「誰に? アギに?」
「違うよ」
あたしは、アラージャさんから預かっている紙を取り出した。
「サイショウさんに」
「何で?!」
「翠都に関してはサイショウさんが一番詳しい気がするんだ。アラージャさんの目があればあたしたちの知らない事も分かるだろうし。メイカ様たちがすぐに到着するなら待ってもいいと思うけど……たぶんすぐには期待できないし」
今ごろ向こうはどの辺りにいるだろう。
普通に歩けば赤都から翠都までは10日程度の距離だが、足の悪いサイショウさんを連れているのだ。もっとかかると思った方がいい。
そもそもあたしたち3人が予定より早く到着しすぎたのだ。
「んー……背に腹は代えられないかあ……」
ガーシャは観念してあたしから紙を受け取った。
アラージャさんから渡された紙に現状を簡潔に記して、最後に新緑の民について知っていることを教えて欲しい、と書き添えた。
「じゃあ、あとは返事を待とうか」
「そういえば、返事ってすぐ来るの?」
「おそらく来るよ」
手紙を部屋の文机に広げて置き、その隣に白い紙を並べて置いた。
「さ、返事がくるまで腹ごしらえしようか」
宿の一番下の食事屋に入ると、お客さんたちがざわりとざわめいた。
どうやらガーシャの噂はすでに出回っているらしい。
食堂の真ん中の机に座ったガーシャは、いくらか食べ物を注文した。シカ肉や猪肉が多いメニューは山の中の都らしい。
「気にしなくていいよ、見たい人には見せておけばいい」
いやいやこれだけ見られると気になるよ。
と、その時、お店の扉がばたんと開いた。
「あーいたいた」
入ってきたのはうちの兄だ。
さっき勝手に姿を消したのはアギの方なのに、まるでそっちが探していたかのような言いよう。
あたしとガーシャの方へ歩いてくると、ガーシャの頭にばさっと何かかぶせた。
「お前の髪色が目立ってんのかなと思って」
アギが被せたのは黒っぽい色の頭巾だった。角通しの柄で、冬らしく暖かそうな綿が入っている。
「ほい、ナユタも」
お揃いの頭巾をあたしの頭にも被せてくる。
ついでに自分も同じものを被っていた。
「これなら遠目にはわかんねえだろ」
頭巾の位置を調節しながらガーシャが笑った。
「さっきナユちゃんを置いてっちゃったのはこれを探してたから? 全く……アギはほんっと仕方ないな」
3人で腹ごしらえをして部屋に戻ると、先ほど書いた手紙にお返事が来ていた。
どういう理屈か分からないけれど、白紙だったはずの紙にまるで焼いたような黒々とした文字が浮かび上がっている。
「何だこれ?」
「アラージャさんに手紙を書いてたの。お返事が来たみたい」
先ほどいなかったアギに、どうやらガーシャの出自が翠都と関係がありそうだという事、寺社組織に目をつけられてしまった事、サイショウさんに相談するために手紙を書いたことを伝えた。
アギはなるほどなあと言いながら、宿のおかみさんが貸してくれた絵本をぱらぱらとめくった。
絵本は、翠都の成り立ちについての話だった。
大昔、まだ都がなかったころ、大山脈に住む人々は神徒の脅威にさらされていた。
そこへ現れたのは新緑の民だった。
福禄寿様の力を借りる彼らは、不思議な力を使って神徒と戦い山の一部を切り開いた。
そして山で一番大きな杉の木に福禄寿様の力を祀るお社を建てた。
お社を中心にした結界で神徒の被害はなくなり、人々はそこへ集うようになり、そして翠都が誕生した。
要約するとそんなお話だ。
「その民ってのが金の髪と金の目だってわけだ……確かにガーシャはそうだもんな」
「だからってわざわざ寺社組織から呼び出されるほどの事じゃない気がするんだけど」
あたしとアギが絵本を見ていると、サイショウさんからの手紙を読んでいたガーシャが大きくため息をついた。
「どうした?」
「……あー、うん、サイショウさんの情報で、決定的にまずい事実が分かった」
「え?」
「絵本には細かいこと書いてなかったけど、新緑の民は皆、同じ能力を持っていた……というより、どちらかというとその能力を持つ人々が新緑の民と呼ばれていたそうなんだ」
ガーシャがサイショウさんからの手紙をひらひら振った。
「それが、治癒の朱印だ」
「あっ……」
あたしは思わず絶句した。
「治癒ってのは希少な能力なんだよね。新緑の民が滅びたって寺社の宗主がさっき言ってたけど、滅びたんじゃなくて滅ぼしたっていうのが正しい。寺社の連中がこぞって治癒能力を持つ新緑の民を捕まえて、囲って、結果的に数が減っていなくなっちゃったらしいんだ」
「おい、待て、ガーシャ、お前……」
「どうしようね、きっとあいつら簡単には諦めてくれないよ」
はあああ、と大きくため息をつくアギ。
「……お前やっぱり治癒の力が使えたのか」
「気づいてた?」
「当たり前だろ、集落を出る時にナユタが怪我をしてたはずの時も、赤都でのオレの火傷も、それよりずっと前から、ひどい怪我をした時に限って治るのが早すぎると思ってたんだ。オレを治療するのはいつもお前だから、きっとお前が何かしてるだろうなとは思ってた」
言わないから聞かなかったんだ、と。
隠しててごめんね、とガーシャは謝った。
「小さい頃から、カシギに隠せって言われてたんだ。思い返してみるとカシギもオレと似た髪色だったし、何かしらの繋がりがあったんだろうね」
翠都って実は大山脈を突っ切ると奥の山の集落に抜けられるから、逃げたと言われても信じられるしね、と。
「あとは夢の話になるけど――」
指をくるくる空中で回しながら。
「治癒の力を使えるって言うと、利用されやすいんだよ。変に縋られて、オレも断れなくて、本当に使いたいときに使えなくて後悔したりする。だから隠してたし、これからも二人以外には隠したいし二人以外に使いたくない――まあ、サイショウさんにはバレちゃったと思うけどね」
前途多難。
あたしたちは、メイカ様たちと合流するまで耐えられるだろうか。
宿から外を見ると、だいぶ日が傾いていた。
一瞬どきりとしたが、よく考えたらここはお社の範囲内だ。大丈夫、神徒が湧くことはない。
「なあ、最悪追われて都を出る可能性があるなら、今のうちに風呂いっとこうぜ。今ならまだいけんじゃね?」
「あーそうだった、お風呂入りたい。それから綿入りのあったかい上着も欲しい。まだ甘いものも食べてない」
「キミら……」
ガーシャが大きくため息をついた。
「その能天気なところにオレは救われてるよ、ほんと」




