翠都へ(1)
何もない山の中を往く。冬近い山は夏のように下草がなく、非常に進みやすい。
歩き始めて数日すると、周囲の植生が変化してきた。ずっと常緑広葉樹が大半を占めていてクスノキの実が落ちていたりしたのに、気づけば足元には落ち葉が増えてきた。少しずつ標高が高くなっているのだ。
朝、吐く息が白くなってきた。体を動かしていないと震えるほど寒い。時折雪がちらついており、積もり始めるのも時間の問題だ。
夜も洞窟があれば風もなく休めるが、そうでない日はテラスでもアギでもガーシャでも、誰かとくっついて寝ないと寝られないくらい寒い。
「よく考えたら大山脈って標高高いから平地より寒いよね」
あたしを後ろから抱きしめながら震えるガーシャが言った。
「そうだねえ」
あたしの首元に顔をうずめて暖を取ろうとしている。
耳が冷たい! 震えあがったら冷たい手がさらに首筋に当てられて飛び上がった。
「冷たい冷たい!」
「ナユちゃんあったかい……」
「もー!」
冷えた手を両手で包んであげたら少しずつ温まってきた。
先ほどまで外で薪を集めてきていたのだ。冷えていても仕方ない。
「カラハとメイカさんがいないと、木を切るのも億劫になるんだねえ。気づかなかったよ」
「ほんとだね……いつの間にか二人に頼りっきりだったもんね……」
俺は木こりじゃねえよ、と誰かに言われそうだが。
山の中で簡単に、ほぼ無限に木材を手に入れられるという事がどれだけ恵まれていたのかを思い知った。
テラスとアギは食料調達だ。おそらく兎でも狩ってくるだろう。
と思ったら戻ってきた。
「寒い寒い寒い!」
罠待ちで隠れている間に冷えたらしい。
あたしとガーシャがかぶっていた上着に無理やり入ってこようとするから代わりに首元に抱き着いて耳に手を当ててあげた。
「ナユタあったけえー」
「あっオレの懐炉とらないでよ!」
「二人でくっついててよ。あたしがさばくから」
そうしたら、二人でどっちの方が冷たくなっているか競い始めたのであたしはアギが放り投げた兎を拾った。考えるより先に短刀で喉元を掻っ捌く。手が冷えてかじかむ前にやらなくちゃ。
お腹に向かって切れ込みを入れ、ざりざり皮を剥いでいく。血抜きはしてあったのであとは切り分けるだけだ。旅の途中で毛皮をどうこうする余裕はないので捨ててしまう。内臓も処理に時間がかかるから捨ててしまおう。脚と背肉を切り分けて、てきぱきと終わらせる。
面倒なので切り分けた肉を鍋に突っ込んでいると、じゃれている間に体が温まったらしい二人が火おこししていた。
ありがたい。
手を洗いたくないが血をそのままには出来ない。近くの沢の凍えそうな水で洗い流す。
冷たああああい
戻ったら、ガーシャの首に手を突っ込んでやろう。そうしよう。
温かい肉の汁を食べたら落ち着いた。お腹がぽかぽかする。
焚火と結界で洞窟を安全地帯にして、今日は少しゆっくり眠れそうだ。大型の獣はそろそろ冬眠に入るだろうから、見張りはテラスに任せてしまっていいかもしれない。
「3人でいるのなんだか懐かしいね」
あたしを挟んでアギとガーシャが寝転んで、ありったけの上着を出してかけた。
「ほんとだね。最近はずっと誰か一緒にいたもんね。何だかんだ屋根のあるところで寝てたし、食料も買って台所で料理してたし」
「町で暮らすのって楽なんだよね」
「でも、別にこの生活でも困りはしないんだよな。寒いけど」
「そうだね、寒いけど」
「うん、寒いけど」
生きることに必死になると余計なことを考える時間もない。都にいると余裕が出来るから、色んな事で悩んでしまうのだ。
3人でぎりぎりの生活をしながら山を往くこの時間は、あたしにとって非常にありがたかった。アギとガーシャがただの幼馴染に戻って、気持ちの変化だとか大人になるだとか、将来の事とか。そんな些細なことを吹っ飛ばしてくれる。子供のころに戻ったみたいだ。
右手をガーシャに、左手をアギに握られながら、そういえば、メイカ様がすぐに人に触れるな! って言ってたけど、こういう時はくっつく以外の選択肢がないよなあと思った。躊躇したら凍え死ぬから仕方ない。やはり、育ちが違うと常識が違うのだけなのだ。
メイカ様もこっちに来てほしい。なぜならあたしがメイカ様にもっとくっつきたいと思っているからだ。
「そろそろ旅程の半分以上は来たと思うからもうちょっとだよ」
「翠都に着いたらお風呂入りたい」
「あー温泉入りてえな」
「いいね、温泉。翠都の近くにも温泉ないかなあ」
「アギが適当に地面を掘ったら温泉でそうじゃない? この間みたいにさ」
どうでもいいい会話をしながら、いつの間にか3人とも眠っていた。
次の日起きるときんと冷えた空気が肺を刺した。
洞窟の外でどおん、と大きな音がした。
はっと起きると二人がいない。外を見ると白色の発光体がよぎった。
結界の効果がきれてる!
外に出るとすでに神徒は倒されていたが、次が湧き始めていた。
「ごめん、寝坊した」
「久々によく眠れたみたいでよかったよ。さ、出発しようか」
そのまま坂を駆け上り始めた。
落ち葉がたくさん落ちているので自然と足音が大きくなる。ざくざくざくと踏みしめながら急坂を登っていく。
またも雪のようにひらひらと人型の白い紙が舞い始めたので、あたしは足を止めた。
ざわざわと地面から立ち上がり、形作っていく神徒が完全に降臨してしまう前に回転円盤で分断し、仕留めた。
ガオウじいちゃんの朱印を真似たこの技は、あたしの主武器になった。あとはカラハがよくやっていた神徒が顕現し終わる前に倒す手法を手に入れたら、周囲への被害が減った。
攻撃力がなく、神徒から逃げるしかなかったあたしも少しは成長している。
「ナユちゃんも本当に強くなったね。大型の神徒くらいなら危なげなく倒せてる」
「二人に比べればまだまだだけどね……」
それでも、3人で3方の敵を倒せれば、速度を落とさずに駆け抜けることができる。
今のオレたちならいける、と断言したガーシャの判断は正しかったわけだ。
と、不意に先頭を駆けていたテラスが足を止めた。
「どうしたの、テラス」
ハッ、ハッ、と舌を出して今向かう方向とは別の方角を見ている。
いったい何を見つけたのだろう。
「ナユちゃん、静かにして」
途端にアギとガーシャも警戒態勢に入った。
「……誰かがこっちを気にしてる」
耳元で小さく囁かれ、はっとする。
この山の中で他の人間の気配を感じたという事だ。人里もなさそうな尾根、下れば水場もあり人が住めるかもしれないが、遭遇する確率はかなり低いはずだ。
あたしも気配を探ろうとしたが分からなかった。
兄二人の野生的感度が高すぎる。
しばらくして、テラスがふっと頭を下げた。
どうやら気配は消え去ったようだ。
「何だったんだろうね。神徒とは違う気配だったから人間だとは思うけど……」
と言っている間に神徒がまた湧き始めて、いったん考えるのをやめてまた山の中を駆け抜けた。
そこから丸2日。
あたしたちはとうとう大山脈の入り口までを踏破した。
長い夏緑樹林帯を抜けた先、また少し植生が変わる場所がある。
明らかにこれまで存在しなかった巨大な樹木の切り株がそこかしこに見え始めた。杉の木だ。とはいえ、あたしたちの知る杉の木とは大きさが違う。明らかに数百年、下手したら千年単位で生きているであろう巨大な杉の樹木が周囲に増え始めたのだ。
普通の杉の木はアギであれば一人で抱え込めるほどの太さだが、この樹は違う。三人で手を繋いだって反対側に届かないだろう。
「翠都はほとんど他の都と交流がないんだけど、唯一、この樹だけは特産品として輸出してるんだよね。蒼都の寺社組織の建材にも使われてたし」
よく見ると、こんなにも大きな木なのに綺麗に枝打ちされている。
材木として使うためにきちんと手入れされているのだ。
「これが翠都の千年杉だ。さあ、翠都は目の前だよ」
お社の範囲に入ったとき、すぐに分かった。
それまで凍えるような刺すような空気だったのが、そこを越えた途端に和らいだからだ。
足の下でさくりと落ち葉を踏む音がする。
「……すごい」
あたしは思わず感嘆の声を上げていた。
これまで見てきた都とは全く違う光景が目の前に広がっていた。
杉の巨木が目の前に何本も立ち並び、その洞の中が住居になっている。それだけではない、見上げる樹上には樹木そのものを壁にするように家がたくさん建っている。つり橋のような足場が木々の間を縦横無尽に走っていてそこを人が歩いていた。
千年杉と一体化したような荘厳な都。
それが大山脈の入り口に位置する翠都だった。
翠都は森の匂いがする。冬の空気の中に杉の木のすっとした香りはとても落ち着くし、雨上がりの土のにおいは故郷の里を思い出させた。
目を閉じると、集落の中を歩いているみたい。
これまでと違いひっそりとした雰囲気の都は、住む人も蒼都に比べるとずいぶん少ないらしい。自然と共に生きる人々は穏やかに厳かに日々暮らしている。
関所のようなものも設置されていたが木組みの簡素なものだった。
念のため持ってきていた蒼都の神徒狩りの登録証を見せると、遠くからはるばるやってきたことに感謝された。その時に、門番の人がガーシャの方をじっと見ていた気がしたが、ガーシャはとても綺麗らしいからよくある事だしあまり気にしていなかった。
が、都の中に入ると余計に視線を感じるようになった。
明らかに大勢の人に見られている。これだけ見られると野性味の薄いあたしでも分かる。
「……何だろうね、すごく見られてるね」
さすがのガーシャも困ったように言う。
視線から逃げるように宿屋に入った。関所を越えてすぐ、洞を利用した受付とその樹上にある宿泊部屋、食堂も併設しているので食べるのにも困らなさそうだ。
テラスも普通に受け入れてもらえた。この辺りは狩猟を生業とする人も多く、犬や狼を連れていることもあるようで賢い白狼の存在には寛大だった。
受付をしてくれたおかみさんも例にもれずガーシャの事をじっと見ていた。
「あの、ここへ来てからすごく見られるんですけど、何故だか分かりますか?」
ガーシャが聞くと、おかみさんはびっくりしたように答えた。
「ああ、すみません。貴方の容姿が、翠都の昔話に出てくる翠都を作った古の民に似ているせいだと思います。あんまりにも想像通りだから森の守護者が絵本から抜け出してきたのかと」
「森の守護者?」
「ええ、その人々がこの翠都を開いたと言われているんですよ。今はひっそりと森の奥で暮らしているとか、そんな昔話があるんです。子供向けの絵本でよければ貸しますよ」
樹上の部屋に入ると、翠都全体が見渡せた。
巨大な杉の木が1本、都の中央にそびえたっている。そこには住居がなく、根元に鳥居のようなものが見える。どうやらあれがご神木かつこの都のお社のようだ。あとでお参りに行かなくては。
中央の巨大な杉の木以外にも十数本の立派な杉が間隔をあけて並んでおり、それらを繋ぎ縦横無尽に走るつり橋が町全体の主要道路になっているようだ。あちこちから煙が上がっているのは生活を営んでいる証拠だ。店や工房は地面に近く、樹上は住居として使っているようだった。
幻想的な光景にあたしは感嘆のため息を漏らした。
「雪は降らないのかな?」
「奥の山ほどは積もらないみたいだね。大山脈の中の盆地で、都そのものはどちらかというと乾燥した気候みたい。周囲の雨量が多いから水には困らないし、その雨でこの巨大な杉が育つみたいだね」
ガーシャがすらすらと答える。
「せっかくだから少し歩き回りたいところなんだけど、どうやらここではオレの容姿が人目を惹くみたいなんだよね。二人で行ってくる?」
「どうする、アギ」
「お参りだけでも行ってこようぜ。ガーシャはここで待っててくれ」
気を付けてね、と幼馴染に見送られ、あたしとアギはテラスと一緒にお社に向かって歩き出した。
山の中は凍えるほど寒かったが、都の中は少し暖かい。人が暮らす里というのは少し暖かく感じるものだ。それは、日々の営みで熱が出るのもあるし、人が集まると単純に温かいのもある。
とはいえ、もう冬も手前だ。できれば温かい上着も手に入れておきたい。どうせメイカ様たちが到着するまで待たなくちゃいけないのだ。
不思議な町の造りではあるが、基本的な構造は他の都と変わらない。お社に向かって大通りがあって、その左右には店が多い。ただ違うのは、地面だけでなく樹上にも道と建物があることだけだ。
「ガーシャにも何かお土産買って帰ろうか」
「そうだな」
アギと二人で歩いても周囲の視線を感じなかったから、先ほどからの視線の原因はやはりガーシャだったらしい。
ふと気づけばテラスの姿が消えている。新しい町に到着すると、いつも何かを探すように消えてしまうのだ。
「アギ、テラスは――」
と、隣を見たら、もうアギの姿はなかった。
しまった。アギもテラスと同じくらいすぐいなくなっちゃうんだった。やっぱりガーシャと一緒に来ればよかった。




