温泉(5)
外道衆の拠点は、温泉街から少し山に入ったところの古びた温泉宿だった。いや、以前は温泉宿だったのかもしれないが、かなり老朽化していて看板も下ろしている。
「もともと古くなっていたのですが、今回の騒ぎで宿屋を廃業するとお聞きしたので建屋を譲っていただいたのです」
サイショウさんが言った。
つい先日まで営業していたので、ほとんどの施設がそのまま使えるそうだ。温泉付きの拠点なんて羨ましすぎるだろう。
「人里に近いですが、今は皆の療養も兼ねていますので。どこか良い場所があればまた移ろうと思います」
「赤都からは離れないの?」
「ええ。赤都以上に我々が暮らしやすい場所はありませんから」
サイショウさんが断言した。
宿の入り口からすぐの部屋が一番大きく、真ん中に囲炉裏があった。すでに火が入っているのか部屋は暖かく、ぱちぱちと火の爆ぜる音がしていた。使い込まれた床と柱はつるりとしていて年季を感じさせる。天井は薄暗いが煤を吸って黒く変色していた。
皆が囲炉裏を囲み、カラハが全員に温かいお茶を配ってくれた。
「……さて、どこから話しましょうか」
「聞きたいことはたくさんあるんだけど……まずはアギとナユちゃんの父親がどこにいるのか、どうして助けなくちゃいけないのか教えて欲しい。それだけは確実にオレたちが関わってくるようだし、もしここではない場所に行く必要があるなら本格的に冬がきて雪が降る前に移動したい」
ガーシャが言った。
「そうですね。まずはその話をしましょうか」
サイショウさんは温かい茶を口に運んで、ほうと息をついた。
「ラクシャ様が落ちたのは世界の狭間。僕たちが『境界』と呼んでいる場所です。『白』が世界の辺縁から侵食してきている、世界と『白』との隙間です」
「……どういうこと?」
「実際に見なければご理解いただけないと思いますので、今はまだ信用していただこうとは思っていません。ただ、この世界が外から喰われていて、今まさにその境界は翠都のあたりまで迫っているのです。ですから、助けるには、翠都へ移動する必要があります。あの都が世界の終焉に最も近い」
あたしは首を傾げてしまった。
何を言っているのか全く分からない。
「ラクシャ様は境界に落ちて、未だ帰っていません。おそらく今もラクシャ様は境界に囚われている」
ガーシャは顎に手を当てて少し傾けた。
何かを考えているような。何かを理解していくような。
「……もしかして、『白』だけは異物だったりする?」
「その通りです」
肯定。
何が何だか分からないよ。
サイショウさんはゆっくりと話し始めた。
「まずは朱印の力の話をしましょう。時間も惜しいので細かい話はしませんが、朱印の力を使う際の光に色がついているのはご存じですよね」
「それは分かる」
あたしの朱印は白藍色。アギは赤。ガーシャは若草色。皆、それぞれの力を使う時には色がある。
なんとなくではあるが、アギは炎を使うし、あたしは水を使う。ガーシャだけは色んな事が出来るけど、植物に近い力ではあると思う。
「では、白の光はありますか?」
白の光。
メイカ様の剣は白に近い色だが、実はよく見ると淡い金色だ。師匠は金色、カラハは赤に近い橙色だった。
言われてみれば、今まで白って見たことないかも。
首を傾げたあたしに、サイショウさんは告げた。
「白だけは神徒の色なのですよ」
サイショウさんは小さな箱を出してきた。あれは結界だ。朱印の押されたお札がたくさん張られている。
「僕たちが作ったこれは『小さなお社』です。中に、神徒の元を入れて古銭を奉納すると、簡易的にお社と同じ結界を作ることが出来ます。つまりは、神徒と、都の神は本質的には同じものという事です」
道の外の道理をさらっと告白し、続ける。
初めて聞いたはずのアギもメイカ様も当たり前に受け止めたのは、結界の仕組みを見た時にどこかで同じことを考えていたからだろう。
「ですが、まったく同じものかと聞かれるとそれは違います。先ほど申し上げたように、色があります。都の名前が示すように、この世界の――敢えて『この世界』と言いますが、この世界の神には色があるのです」
蒼都、赤都、黄都、菫都、翠都、神都、紅都。
「蒼都に恵比寿様。赤都に毘沙門天様、黄都に布袋様、菫都に寿老人様、翠都に福禄寿様、神都は別名、黒都と呼ばれていますが、大黒天様、紅都に弁財天様」
神都は別名、黒都というらしい――黒。黒い鼠の色。大黒天様。
とても、聞き覚えのある並びだ。
嫌なことを思い出しそうになって、頭を振った。
「しかし、白だけは違う。白だけはお社もなく、都もなく、この世界に根付いていないのです。そして、世界の狭間から割り込んでくる存在です」
サイショウさんは淡々と告げた。
「神徒と呼ばれているモノは、おそらく『この世界』の中ではなく外からやってきています。そしておそらく『白』はこの世界を侵食している――それが、10年ほど前に僕とラクシャ様が到達した結論です」
「……えらく荒唐無稽な結論だね」
ガーシャが言った。
「はい。だから今は信じていただかなくてよいのです。実際に目にするまでは、おそらく信じられないと思いますから」
「実際目に出来る場所がある、と?」
「ええ。それが翠都のさらに奥の大山脈、大陸地図のちょうど端はすでに『白』に飲み込まれています。翠都が外との交流をほぼ持っていないため、また大山脈自体がほぼ未開の為気づかれていませんが」
飲み込まれていると言われても全く想像出来ない。
大きな大きな熊のような神徒が山脈を崩してばりばり喰っていくような、そんな想像しかできない。ガーシャの言うように荒唐無稽すぎる。
おそらく隣のアギも似たり寄ったりの想像をしていると思う。口を半開きにしてぽかんとしている。
「それでは話を最初に戻しましょう。ラクシャ様は、その境界を調べている時に向こう側へ落ちてしまったのです」
「待ってくれ、父上」
メイカ様が止めた。
「今の話が本当だとして、ラクシャ様がいなくなったのならば父上自身が探しに行けばよいのでは? 何故、アギとナユタに依頼する必要があるのだ」
確かに。
わざわざ10年待たなくても、落ちた時に自分で探しに行けばよかったのに。
「……入れなかったのです。僕は境界を越えられなかった」
「何故?」
問われて、サイショウさんは首を横に振った。
「分かりません。それが分かれば、僕自身が探しに行くこともできたかもしれないのですが……あれは、何かを以て選別するようにできているようです。他に入ろうとした人も多くいましたが一人たりとも入れませんでした」
「じゃあ、アギとナユちゃんが入れる保証もないよね」
「はい。ですが、ラクシャ様と血縁関係のあるお二人は入れる可能性が高いと考えています。そして、そちらの白狼も」
サイショウさんに言われてびっくりした。
「テラスの事?」
「はい」
ずっと伏せをして皆の話を聞いていたテラスは、尻尾をふさりと振った。
「それ以外の方は試してみる価値はあると思いますが、確実ではないのが現状です」
「話にならないよ、そんな不確実な話でアギとナユちゃんを危険な目に遭わせるのは。だって万一境界とやらの中に入れたとしてもラクシャさんのように戻れなくなる可能性もあるんでしょ? むしろその可能性の方が高い。しかも中が神徒の巣窟だっていうなら、もう10年も前にいなくなったラクシャさんが生きてるとは――」
「生きていますよ」
サイショウさんは力強い言葉で断言した。
「この程度の事でラクシャ様は死んだりしません」
それだけは根拠もなく、ただサイショウさんの感情から出た言葉のようだった。
ガーシャはそれ以上否定できなかった。
「いいぜ、行こう。ナユタも行くだろ」
アギが言った。
「うん、いいよ。むしろ期待してもらってあたしたちも境界の向こうに行けなかったらごめんね」
「アギもナユちゃんも何言ってるの? 二度と戻らないかもしれないんだよ?」
ガーシャが言ったが、あたしたちは決めていた。
次に進むには行くしかないと本能的に分かっていたから。野生の勘と言われればそれまでだけど。
「大丈夫。境界に入るときにガーシャの糸をちょうだい。それがあればきっとあたしたちは戻れるから。それにもしかしたら、ガーシャも入れるかもしれないしさ」
ガーシャの若草色の糸があれば、蟹の洞窟の時のようにきっと元来た道を辿れるきがした。これも、本当に直感的なものだったけれど。
子供のころからずっと一緒にいたガーシャがついていれば大丈夫な気がしたのだ。
「行ってみようよ。世界のはじっこまで」
ガーシャはまだ納得していないみたいだったけれど、世界の辺縁を見てみない事には何も分からない。
それも冬が迫っているこの時期、迷っている時間はなかった。
思い立ったが吉日と、あたしたちは次の日に出立することになった。
もちろん山の中を突っ切る最短距離の道だ。
と思っていたのだが。
「いや、父上を連れてそれは無理だ」
メイカ様がぶんぶん首を振った。
「自分の父親にこんなことは言いたくないが、本当に欠片も体力がない。セイカと同じくらいない。しかも今回は足を怪我していて歩くこともままならないのだ。前回、我々が獲ったような旅程は絶対に無理だ」
「置いていく?」
「そういうわけにもいかんだろう」
「じゃあ二手に分かれるしかないね。オレたちはナユちゃん連れて山の中を突っ切っていくから、メイカさんとカラハは責任もってそっちの大将連れてきてよ。サイショウさんとアラージャさんが一緒に来るんだっけ?」
「ああ。父上を連れて行くなら街道を行った方が結果的に早いだろう。そちらは3人で大丈夫か?」
「今のオレたちならいけるでしょ。村を出た時は無理だったかもしれないけど」
確かにそうかも。
「結界があれば休めるしね。それが一番大きいかも。サイショウさんに感謝だね」
雪が積もる前に山越えすることを考えると、身軽な野生児3人で山越えするのが最速、最善策かもしれない。
「お前たちには杞憂だと思うが怪我をするなよ。無茶もするな。あと、アギとナユタはガーシャの言う事をちゃんと聞いて大人しくしているんだぞ」
メイカ様があたしとアギに言い聞かせる。
やっぱりあたしたちのことを5歳児だと思っていると思う。
「先に着いたら都で待ってるから、無理して急がなくていいよ。山さえ越えちゃえばあとは冬になってもいいわけだし」
アラージャさんはあたしに紙の束を渡した。
ここに書けば『見える』から連絡に使えという事らしい。
「ありがとう。アラージャさんが見ていてくれるのはすごく心強いよ」
また一緒に旅に出られるね。
カラハは最後までアギに少しでも刀の使い方を教えているようだった。背負わせるか腰に差すか迷いに迷って、最終的には背負わせていた。どうせ咄嗟に慣れない武器を使わないだろうとの判断。じいちゃんの持たせてくれたお守りみたいなものだ。
「テラスはそっちに行っちゃうよなー……」
カラハは残念そうだ。彼が寒い日にテラスで暖を取っているのを知っている。これから寒い季節、テラスは取り合いになってしまうので残念ながらあたしと一緒に行くのだ。
サイショウさんは杖をついてゆっくりと歩いていた。
「僕のために申し訳ありません」
「サイショウさんが一番気を付けてね。怪我、少しでも良くなるといいね」
メイカ様は最後にあたしをぎゅっと抱きしめた。髪に着けたお揃いの蜻蛉玉がぶつかって、チリンと綺麗な音が鳴った。
「無事に翠都で会おう」
「うん。メイカ様も気を付けて」
しばしの別れだ。
次に向かうのは翠都。大山脈の中にある森と共に暮らす都だ。
村を出た時と同じ3人に戻るけど、あたしたちは3人ぽっちではなくなっていた。
たくさんの人の助けがある。
メイカ様たちに大きく手を振って、あたしたちは歩き出した。




