温泉(3)
しばらく歩いていくと、落ちたつり橋が現れた。
下は覗き込むのも躊躇するほど深い谷になっており、橋の真ん中に大きな岩が直撃したらしく真ん中で完全に切れて垂れ下がっていた。確かにこれは向こうに渡るのも難儀しそうだ。
「つり橋か。なら修理も簡単だね。橋梁が壊れてたりしたらどうしようと思ってた」
あたしはひょいひょいと谷の向こう側にわたって、垂れ下がった縄と板を回収した。反対側はガーシャが回収し、板と縄とに分けていく。使える素材は使いたい。
「割れてる板が5枚くらいかなあ。これと同じ長さの板を5枚切り出してくれる?」
「へいへい」
木こりのカラハは見本の板を持って木を切りに行った。
「縄の長さが足りないかも。ナユちゃん縄を繋いでくれる?」
「はあい」
棟梁ガーシャの号令に従って、あたしたちは黙々と作業を開始する。
持ってきた縄だけでは足りないので、これまで使っていた縄をほどいて結びなおす。固い結び目はほどけなければ短刀で切っていく。
壊れた板を外しながらガーシャがカラハを呼んだ。
「ねえ、カラハ」
「何だ?」
一枚目の板を重ねたカラハが返事をする。
「サイショウさんが全土に張り巡らしているのは目? それとも耳?」
「目だな。声は届かねえよ」
「ならよかった」
何の話だろう。
首を傾げたあたしに、ガーシャは壊れた部分の板を綺麗なものに取り換えながら言った。
「ナユちゃん、作業しながらでいいから聞いてくれる?」
「うん」
「できればサイショウさんを信用しないでね」
「え? 何で?」
「あの人の目的が全く分からないんだよね。妻子を置いてまで道を外れた研究に没頭する理由が……最終的に神徒をあやつって何かを攻撃したいのかもしれない、神徒のことを純粋に知りたいだけかもしれない。それとも何か他に理由があるのか……実際会っても結局よくわかんなくてさ。ナユちゃんたちを傷つけないって保証もないし、できれば近寄りたくない」
「メイカ様のお父さんなのに?」
「関係ないよ」
ガーシャが言い切った。
「おい、俺のいる前でそういう話するなよ……」
「カラハはもうオレたちの味方でしょ」
だから最初に耳はないかって聞いたのかよ、とぶつぶつ言いながら手際よく板材を切り出していく。さすがだ。
あたしも長い縄を作り終わり、ガーシャも壊れた部分を外し終わった。板材もそろったので後は新しくつり橋を作り直し、橋を渡すだけだ。
「実際のところ、カラハもあの人の目的は知らないの?」
「そう言われてみればよく知らねえな。知ってるのは神徒について色々と調べてるってことだけだ。俺が蒼都の近くまで行ったのも、異形の神徒が現れたと聞いて大将に言われて調べに行ったんだ。まあ、たまたまそこにお前らがいたから別の任務に就いたわけだが」
結局のところ、神徒はゴクジョウに倒されてたし、お前らもゴクジョウに拾われてたわけだがな。とカラハは苦々しげに言った。
ありがとう師匠。師匠が拾ってくれなかったら、あたしたちは旅のしょっぱなから外道に落ちていたようですよ。
「成程ねえ。ナユちゃんを探してるにしてはあまりに偶然が過ぎると思ったよ」
「出身地が蒼都に近いルシャナを連れてたのは案内用だ。あと、お前が捕まえて寺社に引き渡したあいつもな」
ああいたね、とガーシャは流した。
「だから俺も大将に関しちゃ神徒について調べてる以上の事は分かってねえ。確かその結界も研究の副産物だと言っていたしな」
例えばカラハは分かりやすい。お社がないために神徒の被害を受けやすい故郷を何とかしたい。そのために神徒の事やお社の秘密を知りたいのだ。
あたしの父親は、神徒を呼び寄せる娘のために、神徒の出現する条件を調べていた。
メイカ様の父サイショウさんは、あたしたちの父ラクシャに心酔し外道に落ちたと言っていた
だとすると、サイショウさんは父の遺志を継いであたしの体質を何とかするために神徒の事を調べているとか? だとするとありがたい事だけど。
「やっぱりよく分かんないね。分かんないうちは警戒するしかないや」
ガーシャは諦めたように言った。
「まあ……ただの同族嫌悪の可能性もあるけど」
「どういうこと?」
あたしは首を傾げたが、ガーシャはそれ以上答えてくれなかった。
最後につり橋を反対側までつなげて、しっかりと縄で括って。修理を終えたあたしたちは心地よい達成感に包まれていた。
結界を使ったから途中で神徒に邪魔をされることはなかったので作業も順調だったし。
「さ、戻ろうか。修理が終わったことはナユちゃんから伝えてもらえる?」
「うん。ありがとうね、ガーシャ、カラハ」
「いや、こっちこそ。いい退屈しのぎだった」
やっぱり退屈してたのか。
次に何か頼まれたら、カラハも手伝いに呼びに行ってあげるね!
帰り道にうっかり日が傾き、さらに結界の効力が切れてしまって神徒が出てしまったけれど、何とか都のお社の力が届く範囲まで帰ってきた。
冬至はもうすぐやってくる。暗くなるのが思った以上に早いからこれまで以上に気を付けなくては。
いつの間にか夜は肌寒いを通り越して上着がないと震えるような気温になっていた。息が白くなる季節も近い。ふさふさのテラスの尻尾がとても魅力的に見える。今夜は一緒に寝よう。
「……やっぱり、まだ温泉は出てないみたいだね」
都を見下ろす街道で、ガーシャが額に手を置いて遠くを見ながら言う。
赤都の繁華街は明るい光に包まれているのに、温泉があると思われる対岸には光はなく、湯煙もなく、かなりひっそりとしていた。
「何とかできないかなあ」
「うーん、地震で動いた岩盤が温泉をせき止めちゃってると思うんだよね。地下で水脈がどうなったか分かればなんとかできるかもしれないんだけど……」
「それってもしかして、地下の様子が分かればあとは破壊でなんとかなる?」
「そうかもしれないけど、地下を見るなんて……」
途中まで言ったガーシャが気づいて眉間にしわを寄せた。
「……オレがさっき言ったこと覚えてる?」
「忘れてないよ。でも、少しでも可能性があるならやってみたいなと思わない?」
その日の夜のうちに、あたしはガーシャを連れてサイショウさんのところへ行った。
「どうなさいましたか?」
穏やかな調子で尋ねるサイショウさんの隣にはメイカ様が座っていた。
「あのね、サイショウさんにお願いしたいことがあるんだ。できるかは、分からないけど……」
「何でしょうか。僕に出来ることであればよいのですが」
「貴方の『目』を貸してほしい」
その言葉で、サイショウさんはすっと表情を消した。
「……理由は?」
「枯れてしまった温泉をもう一度復活させたいの」
サイショウさんは、『目』の事をあまり公にしたくはないらしかった。
他の人に話を聞かれないように、道場を出てあたしたちが寝泊まりしている部屋に移動した。布団は片づけてあるけれど、それでも狭い。
「さて、少し詳しく話を聞きましょうか」
あたしとガーシャ、それからサイショウさんとメイカ様。
そして、白髪の男性が一人。
「白根温泉っていう温泉が湖の向こうにあるんだけど、地震のせいで源泉が止まっちゃったの」
「ええ、白根温泉の事はお聞きしています。素晴らしい泉質の温泉でしたが……残念なことです」
「それでね、ガーシャに聞いたら地震で動いた岩盤が温泉の水脈を止めちゃってるんじゃないかって。それなら、どこで止まってるか分かれば、そこを破壊してあげればいいのかなって思ったの」
幸いなことに破壊できそうな人員には困っていない。場所と大きさによってはあたしでもできそうだ。
「サイショウさんはとっても目がいい、って言ってたからもしかして水脈の止まった場所もわかるんじゃないかなって思ったの」
サイショウさんはそれを聞いて、口元を綻ばせた。
「成程、確かに貴方はラクシャ様の娘のようです」
「最初からそう言ってるけど?」
「そういう事ではありませんよ。貴方は、ラクシャ様とよく似ています」
え、いつも全然似てないって言われるのに。アギの方が生き写しらしいけど。
あたしは首を傾げたが、メイカ様は隣で笑っていた。
「私も似ていると言っていたろう。もう忘れてしまったのか?」
そういえばメイカ様も初めて会った時に言ってた気がする。
「分かりました。やってみましょう。僕は直接現地には行けませんが……アラージャ、代わりに行っていただけますか?」
サイショウさんが白髪の男性に尋ねると、その人はこくりと頷いた。
火山灰が降っているわけではないけれど口元を布で覆っている。声も出さないようだ。何か理由があるのかもしれない。
「それじゃ明日、アギの予定が大丈夫ならさっそく行こうか」
「アギを連れて行くのか?」
「メイカさん、これもまた忘れちゃったの? あいつ、蒼都で島半分吹っ飛ばしてるんだよ。あの破壊力なら大体の岩盤は割れるでしょ。ああ、メイカさんも一緒に来てね。白根温泉の神徒狩りの人たちにも話を通しておきたいから」
次の日、あたしたちは貸し切りの船で温泉街へ向かった。
船頭さんの話ではやはり温泉は止まったままで客も全くいないらしい。旅館や店は閑古鳥、とても苦労しているようだ。あの賑わっていた温泉がそんなことになっているなんて悲しすぎる。
船に乗ったのはアギとあたし、それからガーシャとメイカ様と、外道衆のカラハとアラージャさん。サイショウさんはまだ足の怪我が治っておらず居残りになった。もし温泉が復活すればサイショウさんや、他の怪我をした人も温泉で療養できるかもしれない。
接岸した温泉の港は本当に静まり返っていた。
もうもうと上がっていたはずの湯煙もなく、道の火山灰もまだ隅に残った状態だ。湯畑の樋も干上がっていた。
「源泉が湧いてたのはこっちだね」
ガーシャが樋をたどっていく。
まるで滝のように流れ落ちていたその大元、少し坂を上ったところにある源泉のわきどころを発見した。
口元に布を巻いたまま、アラージャさんがやってきた。
「お願いします」
あたしが頭を下げると、ちょっとだけ目元で笑った気がした。言葉は話さないけれど怖い人ではないのかもしれない。
アラージャさんは源泉が湧いていた場所の近くの岩に手を置いた。
彼の能力が実際どういうものなのか分からないが、目を閉じたアラージャさんはじっと何かを探っているようだった。
皆が静かにその様子を見守った。
しばらくそうしていた後、アラージャさんは不意に目を開けた。
カラハが紙と鉛筆を渡すと、さらさらと紙に何かを描いた。
上から覗いてみると、それは地面の下の断面図のようだった。迷いなく筆を滑らせ、立体のような分かりやすい図が仕上がった。絵が上手すぎる。
分かりやすいのに写実的なその図はもはや芸術だ。
ガーシャがその紙を受け取り、現実の景色と見比べる。
「アギ、見て」
隣にアギを呼んで、紙の図を指さした。
山の稜線を指さし、中腹辺りを示す。
「あれだ。あの、木が連続で倒れてる辺り。あれがずれたんだ。あの場所をずらすか、壊すか、どうにか刺激を与えてやったらまた源泉が復活するかもしれない」
「よし、任しとけ」
アギが駆け出した。
あたしたちも慌てて後を追おうとしたが、メイカ様が止めた。
「私たちは離れておいた方がいい。アギが本気で地盤を壊そうとしているなら近寄ると危険だ」
確かにそうだ。
期待と不安を抱きながら、アギとガーシャの後姿を見送った。




