温泉(2)
「顔料が足りない?」
桜島の噴火直後に行方が分からなくなっていた飼い猫を探し――テラスが匂いを追って見つけたのだが――送り届けた先の窯元でそんな話を聞いた。
どうやら原材料をとりに行く途中にある橋が先日の地震で壊れてしまい、しばらく手に入らなくなってしまったらしい。
「復旧までどのくらいかかりそうなの?」
「地震と噴火であちらもこちらも壊れているからな、あっちの道はだいぶ後になるだろうなあ」
「じゃあ、ちょっと行って見てくるよ。すぐに直せそうなら直してみるね」
ちょっと、という単語で窯元のお兄さんはいやいやいや、と手を横に振った。
「とんでもない崖だ、落ちたら死んじまうよ」
「大丈夫。あたしも神徒狩りの一人だから」
連れ添ったテラスもわん、と鳴いた。
「行こう、テラス。町の外だから誰か一緒に来てもらわなきゃ」
あたしは光玉を蹴って空に飛び上がった。
赤都は見回り組がいないから、街中で朱印を使っても誰も怒らない。とても快適だ。
テラスと共に神徒狩りの詰所まで駆け上がるように飛んで行った。
詰所に残っていたのはガーシャだけだった。
アギはガオウじいちゃんのところに張り付いているし、メイカ様もシャラさんを追って同じくガオウじいちゃんのお店。結局のところ二人は同じ場所にいるね。
「ねえ、ガーシャ。ちょっと町の外まで行きたいんだけど、ついてきてくれない?」
「急にどうしたの」
足りなくなった火傷の薬を調合していたガーシャは、薬研をひく手を止めずに返事をした。部屋にはドクダミの葉の匂いが充満している。この時期によく見つかったな。火山地帯は地面が温かいからまだ枯れてないのかな。
後で少しもらってお茶にしておこう。
「地震で橋が落ちて困ってるらしいんだけど、町の中もあちこち壊れてるからなかなか復旧しないんだって。小さい橋ならアギとガーシャとあたしがいれば修繕できるかなと思うから、まずは見に行こうかなって」
「また誰かに頼まれてきたの?」
「勝手に引き受けてきたんだよ」
答えるとガーシャは笑った。
「相変わらずだね。でもちょっとだけ待っててくれる? 終わったら一緒に行くからさ」
ガーシャの薬の調合が終わるまで時間が空いてしまった。
手持無沙汰なので、外道衆がいるはずの道場の方へ向かってみる。
噴火から10日近く経ち、重症の人以外は少しずつこの場所を去っていた。火口の拠点は焼けたはずだが、だからといって道を外れた者が都の真ん中にいるというのは居心地の悪いものなのかもしれない。
残っているのはメイカ様のお父さんとその付き人らしき白髪の男性、それからまだ動けない怪我人が数名、残りはカラハだけだった。
ルシャナは足の火傷が重傷でまだここに逗留している。弟であるケイくんや他の家族に連絡しなくていいのだろうか。
「お、どうした、ナユタ」
あたしに気づいたカラハが最初に声をかけてくれた。こう見えて面倒見がよい男である。
「ガーシャが忙しそうだからここで待とうと思って」
「人を退屈しのぎに使うんじゃねえよ」
「構いませんよ。僕もナユタさんと話したいと思っていたのです」
絣の着物に紺の上着、亜麻色の髪と落ち着いた声。サイショウさんはやっぱりどこかセイカに似ている。寺社の人独特の雰囲気なのかもしれない。
包帯の巻かれた足を伸ばして座っている。未だここに逗留する人の多くがそうだけれど、ルシャナも含めて足に火傷を負っている人が多いのは、狐の神徒が溶岩を吐いた所為だろうか。
溶岩で足を焼かれて動けなくなった人は、炎に巻かれるしかない。そうでなくとも、サイショウさんがしたように動けず隠れ助けを待つしかない。
炎と溶岩の戦場は地獄だよ、と言ったガーシャの言葉を思い出した。
「ナユタさんの体質についてお聞きしたいのですが、よいでしょうか?」
「うん、いいよ」
ゴクジョウ師匠にはあまり言いふらすなと言われていたが、メイカ様のお父さんだし、すでに知られていることだし、大丈夫だろう。
あたしは机の反対側に座った。
「その前にさ、何であたしたちの事を知ってたの?」
「特異な娘がいらっしゃる事は最初からラクシャ様から聞いていました。無論、アギという名の息子がいることも」
「でも、蒼都に到着する前から分かってたでしょう」
「僕の目は、とても遠くまで見えるんですよ」
「えっ」
「嘘だよ、ナユちゃん。騙されないで」
いつの間にかガーシャが隣に来ていた。
「あながち間違いではなさそうだけど、おそらく朱印の力だね。そっちの白髪の彼の力かな? 何かと視覚を共有できるとか、何かを視界として代用できるとか、そんな力だと思うよ。だから蒼都の様子もすべて分かってたはずだ。あとは、遠くへ意思を伝える手段を持ってるね。セイカにオレを捕まえるように促した方法。おそらく……遠くで書く手紙かな」
あたしの目の前の机に手をついて、サイショウさんから守るように。
「……だから貴方には蒼都で待っていて欲しかったんですよ」
「アギとナユちゃんを丸め込みたいのに邪魔をするから? だとしたら二人を過小評価してるし、オレを過大評価してるよ」
「正当な評価ですよ」
「メイカさんも連れてきちゃったしね」
「本当に驚きました。あの時に、僕の存在が分かっていると確信しましたが――」
そう言うと、サイショウさんは目を細めた。
「やはり厄介ですね」
「お互い様」
とんとんと打てば響くような会話はメイカ様とガーシャが話している時を思わせる。
こちらは少し、お互いの敵意を感じるけれど。
「さ、ナユちゃん一緒に行こうか。退屈ならカラハも来る?」
「どこ行くんだよ。お前はいつも説明が足らねえんだよ」
言いつつも腰を上げているカラハ。どうやら退屈だったらしい。
久しぶりのお出かけだ。
「橋の修理ね……お前ら、ほんと何でもするな」
「アギがいないから今日は様子見だけにしようかと思ってたけど、カラハが来たから修理まで出来るかもね」
「俺は木こりじゃねえんだよ」
何でカラハに声をかけたのかと思ったら、木を切る要員で連れてきたのか。納得。
縄や釘、その他使いそうな道具は詰所から持ってきているから、橋の大きさにもよるが材料調達さえ出来れば修復可能だろう。
普通、刃こぼれするから刀で木を切ったりはしないと思うのだけど、カラハの場合は朱印の力で刀を強化している。聞けば、刀自体がなくとも切れるらしい。つまりは気持ちの問題。
旅の間もメイカ様と二人、立派な木こりとして活躍してくれていた。
「ところでさ、もしアギが刀を持ったら、使い方を教えてあげられる?」
「普通の剣術か? そりゃ俺はからっきしだ。基礎くらいなら修めてるが、アギがそれで終わるわけないだろう」
「それでもいいよ。オレたち全部我流だから、基礎から直しておきたいんだ」
「どれだけ強くなる気だよ……なあ、テラス」
カラハは隣を歩く白狼の背中を撫でながら話しかける。
テラスもわふんと返事をした。
都を出て街道を歩いているが、石畳の道とはいえずっと上り坂だ。それなのに山生まれ山育ちのあたしとガーシャに息も切らさずついてくる。カラハもだいぶ鍛えられたようだ。
あっという間に赤都を囲む山脈の頂上付近まで登り切った。
癖のように周囲に神徒の気配がないかを見渡した。
まだ昼間、都からさほど離れていないので神徒の気配はなく、ホッとした。
「ここから横道を下ったところに深い谷があって、そこに橋がかかってたそうなんだけど、地震で壊れちゃったらしいの」
ここからは木々の生い茂る山道だ。かろうじて人が踏み鳴らした土の道があるだけだが、あたしたちにとっては十分道だ。
「くそ、まさか山の中の方が落ち着く日が来るなんて……」
カラハがぶつぶつ言っている。
神徒が出ないかハラハラしながら街道を行くよりも、出たら仕方ない倒せばいい、と割り切って山道を行く方が楽なのだ。それはとてもよくわかる。
「そうだ、結界のこと忘れてた。カラハ、次に神徒が出たら捕まえて」
「お前まだ持ってたのか」
「返せって言われなかったし」
しれっと悪びれもしないガーシャをカラハがジトっとした目で見る。
ガーシャは片目を瞑って中を覗いた。
「これさ、中に他のものを入れたらどうなるかな? あの白い人型の紙以外だと……小さい神徒とか」
「おい、普通に使えよ。壊れたらどうすんだ」
「でも、すごく小さい神徒じゃないと入らないよ」
確かにこの箱は神徒を構成する白い人型の紙を入れることしか想定していなさそうだ。
それで十分だからか、持ち運びのためにそうしたのかは分からない。
考えているうちにふと気づいた。
「そもそもさ、これが小さいお社で古銭を奉納すると加護を得られるってことは、普通のお社の中にもこの白い紙が入ってるってこと?」
その言葉で、二人は同時に歩みを止めた。
「それ以上は言うな」
「本当に道を外れるよ」
真剣すぎる声音で。
いったいなんだというのだろう。当たり前のことを聞いたのに。
らしくない二人にあたしも口を噤む。
仕方ないので口に出さずに考える。
例えば、もし都のお社に入っているのが本当に白い人型の紙と同じものだとしたら。それは神徒を構成するものと同じものという事になる。でも、蒼都でも赤都でも、お社に祀ってあるのは恵比寿様であり、毘沙門天様である。それは間違いない。
だとしたら、恵比寿様、毘沙門天様と呼ばれ人々に愛されている神様は――
その考えに至って、あたしは一瞬、足を止めた。
確かにそれは深淵だ。覗いてはいけない深い闇。
「気づいても口にはしないでね。サイショウさんの目がどこにでもあるように、誰か知らない人の耳がどこかにあるかもしれないからね」
結界の箱を掲げながら。
「でもね、それはナユちゃんの体質にも関係あるかもしれないよね。おそらくこの朱印が鍵なんだよ。いったい何の朱印なんだろう。これまでオレが見た中にはなかったものだ」
箱の周りに大量に張られた朱印のお札。放っておけば消えてしまう神徒の元を閉じ込めておけるのがこの朱印の力であることは間違いない。
それが外道衆の――サイショウさんの研究の大きな成果なのだろう。
人の道を外れるという外道衆。なぜそれが忌避されるのか、なぜそれが排除されるのか。あたしはその末端すら想像できていなかったのかもしれない。
単純に、大事なお社の秘密を知ろうとしているから嫌がられるのだと思っていた。
でも、違う。
そんな簡単なものではない。
神の秘密を暴くこと、それが信仰と相反するのだ。神とは何かを突き詰めていくと、触れてはいけない世界の根幹に否応なしに触れてしまう。
カラハは故郷にお社を新しく作る、というが――それだって新しい『神』を作るに等しい行為なのだ。
理解して初めてぞっとした。
蒼都は資源が豊かで皆が大らかだったからまだ許された。それに、あたしは未だそこまで深みに足を踏み入れていなかった。赤都は何かを知るという事に寛大だから忌避感はあれど見逃された。
もし、もっと厳しい土地で、神に縋って、お社に縋って生きる人たちの中に外道の考えを持つものがいたら……?
メイカ様が蒼都の中では声を潜め、ガオウじいちゃんがお前たちは変だと言い放った理由。
ガーシャとカラハが真剣な声で止める理由。
あたしはこの事態についてもっと深刻に受け止めなければいけないのかもしれない。
その時、当たり前のように空からハラハラと餌が落ちてきた。
「……これに慣れてきた自分も嫌だ」
言いながらもカラハは白い紙の人型が集まって神徒が形作る直前に両断し、拾った紙を一枚結界に入れた。
素晴らしい手際だ。
あたしは惜しみない拍手を送った。
じゃらんと落ちた古銭を拾いながら声に出さずに心に刻む。
だって、もし都のお社の中にいるのが本当に白い人型の紙と同じものだとしたら、恵比寿様、毘沙門天様と呼ばれ人々に愛されている神様は。
人喰いの神徒という事になるじゃないか。




