温泉(1)
火山の民の予測は正確だ。
桜島が噴火を起こし幾度も地震が起きた日から一週間もすると、噴煙は収まり、火山灰もすっかり空から消えていた。石畳の道には灰が大量に降り積もっていたが、住人たちは慣れたように袋に集めて、硝子工房へと運び込んでいた。
秋も深まり冬の近づいた赤都はひんやりと澄んだ空気に満ちていた。
そして町は動き出す。
道を歩けばトンカントンカン、金づちの音がする。
「ナユタ、あとで硝子工房へ行こう」
「行きたい! お揃いの簪か蜻蛉玉の飾りが欲しいな」
メイカ様と二人で楽しく町を歩けるようになったのが本当に嬉しい。
アギはガオウじいちゃんのところに弟子入りしようと出かけて行ったし、ガーシャは未だ怪我人の世話に駆り出されている。
新しい場所ではいつもアギかガーシャがいないと外歩きはあんまり許してくれないんだけど、メイカ様とテラスを連れて行く、と言ったら許してもらえた。いつになったら過保護な兄二人はあたしの独り立ちを認めてくれるのだろう。
テラスがふさふさの尻尾を振りながら先導して歩いてくれる。尻尾に結んだ勾玉が揺れる。
狐討伐の暗闇の中、火山地帯を歩いた時は本当にテラスの明かりが本当にありがたかった。カラハやルシャナを助けてくれたり、小型の神徒を狩ったりと大活躍だったのだ。
「テラスもお揃いがいいなあ」
そう言うと、メイカ様は柔らかに笑った。
「いいな。そうしよう」
人語を解する賢い白狼は、あたしたちを振り向いてわんと鳴いた。
石畳の坂を下っていくと、だんだんと食料や衣服の店も増えてきた。
雰囲気が白根温泉のそれと少し似ている――そういえば、温泉が止まっていたのはどうなっただろう。湖を見下ろしてみたけれど、まだ残る火山灰の余波で向こう岸までは見えなかった。
もう一回温泉に行きたいな。いや、もう一回と言わず何度でも。旅の目的の一つを温泉にしてもいいくらい。
そのくらい温泉は最高だった。
思い出して相好を崩していると、向こうから見覚えのある女性が歩いてきた。
「シャラさん」
声をかけると、神徒狩りのシャラさんはにこりと笑ってくれた。
若紫色の着物が似合う、こんなにもおっとりしていそうな雰囲気なのに、働くときはてきぱき動く。とても素敵な女性だ。それもどうやらガオウじいちゃんの店の鍛冶師の一人でもあるらしい――うまくいけば、アギの姉弟子になるのだろう。うまくいけば。
「アギはガオウじいちゃんのところに行ってる?」
「ええ、いらしていますよ。ガオウ様は相手にしていませんけれど……今のところ」
口元に手を当てて小首を傾げながら。
なんて美しい所作だろう。生命力にあふれるメイカ様とはまた違った美しさだ。
じぃっと見ていると、隣でメイカ様がくすくすと笑った。
「ナユタ、お前は分かりやすいな」
年上のしっかりした女性に弱いのだとガーシャが言っていたぞ、と余計な情報を添えて。
そうだよ。だからメイカ様も好きだし、シャラさんも大好き。隠すつもりも毛頭ない。
そう思って今度はメイカ様をじぃっと見ると、やめろと言って頬を押された。
「……お前からは時々、野生の獣の気配を感じるよ」
おお、久しぶりに言われた。蒼都に行ってからずっと町人を気取っていたのに。アギもガーシャもよく擬態してると思うのに。
仕方ない。根っこは田舎者の野生児だから。
あたしとメイカ様のやりとりをおっとりと微笑んで見ていたシャラさんが、不意に手を打った。
「ちょうど私も休憩中ですから、もしお時間があればおやつをご一緒しませんか。ぜひ、お二人とお話してみたかったのです」
シャラさんが連れてきてくれたのは、坂を下って港近くにある小さなお店だった。湖が見渡せる場所に腰かけがいくつか置いてあって、その上にゴザが敷いてあった。
ちょうど坂を上る大通りに面しているので、見上げれば赤都のお社の鳥居も見えた。
そういえばまだお参りしていなかったな。
「疲れたらよくここに来るんです。ここからは、桜島も赤都の町も、お天気が良ければ温泉街も見えますから」
シャラさんが手渡してくれたのは、真っ白で柔らかい謎のお菓子だ。掌に乗るくらいの大きさに四角く切ってあるけれど。ふわっとした手触りだ。
とりあえず少しかじってみると――甘い。甘くて、ふわふわでしっとりとしていて、とても美味しい。
「美味しい!」
「赤都名物の『かるかん』というお菓子です。あんこが入ったものもありますけれど、食べますか?」
うんうんうん、と頷くと、シャラさんは笑いながら買いに行ってくれた。
メイカ様もよく観察しながら少しずつかじっていた。蒼都に戻ったら同じものを作りたいらしい。
シャラさんが買ってきてくれたあんこ入りもとても美味しい。
「お二人とも、お怪我は大丈夫ですか?」
「ありがとう。ガオウ様の護りのおかげで怪我無く帰還出来た。ガオウ様には後程ご挨拶に伺おうと思っていたところだ。シャラ様も桜島まで助けに来ていただいたこと、本当に感謝する。我々だけでは無事に下山することさえ出来なかっただろう」
メイカ様が頭を下げた。
「いいえ、神徒狩りとして当然の事をしたまでです。本来であれば討伐自体も私たち赤都の神徒狩りで行うべきでした。ガオウ様より討伐の様子はお聞きしております。メイカ様やナユタ様のおかげで被害は少なく赤都は守られました。本当にありがとうございました」
シャラさんも頭を下げた。
二人は顔を上げて、笑い合った。
「メイカ様はまだお若いのに蒼都の神徒狩りを束ねる立場だとか。素晴らしいことです」
「今は休業中だ。ゴクジョウに任せて気ままな放浪の身だ」
「……アギ様とガーシャ様とご一緒に、ですよね」
「そうだよ」
「同じ年の3人がご一緒に旅をしているという事ですよね」
「ああ、そうだ……が……」
シャラさんがにっこりと笑った。
あれ、何故だろう。そこはかとなく怖い。
「私、実は、人様の恋話を聞くのが大好きなんです」
おっとりとした仕草で。
目を細めたシャラさんは完全に獲物を見つけた狩人の目をしていた。
「で、どちらですか?」
――怖い。
最初からこれが目的だったに違いない。
正面から迫られたメイカ様は完全に目を泳がせた。
あたしは横で口を閉じた。
こういう時に口出ししてはいけないと里のねーちゃんたちから学んでいる。
「そうですね、少しお話していただけましたら、アギ様のガオウ様への弟子入りに口利きする事もやぶさかではないのですが」
「どっちかというとメイカ様はアギの方が仲良しだと思う!」
あたしは横からはいっ!と手を挙げた。
「ナユタああああ!」
「ガーシャとも仲良いいけど、腹黒は嫌だって」
「いいからお前は黙っていろ!!」
メイカ様があたしの口を塞ぐ。
その様子を見ているシャラさんはころころと笑った。
「メイカ様とナユタ様が一番仲良しなのですね」
あの手この手を尽くしてメイカ様の話を聞いたシャラさんはほくほくとしていた。
主にあたしが横から暴露した情報だけど。
「うふふ、初恋の君と同じ姿ですか。なんて素敵」
結局話してしまった……とメイカ様が突っ伏している。
「まだ、そういう、気持ちだと確定したわけでは……気になるというか気にさせられているというか……」
「そうですね。そうですよね、そういった時期が一番楽しいものですよね」
両頬に手を当て、きゃっきゃ喜ぶシャラさん。神徒狩りに指示を出している時との落差がすごい。
「しかもこれからその初恋のご本人に会いに行くのですよね? ああ、なんて面白……素敵な状況なのかしら!」
両手を頬に当て恍惚とした表情のシャラさんはほうっとため息を漏らすほど綺麗だ。
やっていることはほぼ情報の追剥だが。
ただ、シャラさんが容赦ないのもそうだけど、メイカ様は基本的にちょろい。色恋とは無縁と言っていたが事実なのだろう。先日まで海千山千の蒼都の寺社組織と本当に張り合っていたのか疑いたくなるほどにちょろい。
それとも、普通の女の子はこういう話を日常的にしているのだろうか。
言われてみれば蒼都で同世代だった女の子たちもそんな話をしていた気がする。興味がなさ過ぎて耳に入っていなかっただけかも。
「そもそもあいつは日常的にナユタを甘やかしているせいで人に触れる事に躊躇がなさすぎる。こっちは全く慣れていないのに……っ」
うんうん、と頷くシャラさん。その気もないのに気安く触れないでほしいですよね、と同意している。
え、そうなの。
あたしは今でもメイカ様と手を繋ぎたいと思ってるし、可愛いなと思ったらぎゅーってしたくなるのに。もしかしてあたし自身も兄に感化されて感覚がずれているんだろうか。人に触れる事に躊躇がないと言われると確かにそうかもしれない。
普通、肉親でなければもうちょっと距離を置くものなのだろうか。
隣で衝撃を受けていると、メイカ様があたしの顔を覗き込んだ。
「ナユタ、お前こそガーシャの事はどうなんだ。人目もはばからずいつも一緒だろう」
メイカ様に聞かれて、首を傾げた。
「ガーシャはお兄ちゃんと同じだから気にならないよ」
答えると、メイカ様は腹黒の教育が行き届いている、と絶望していた。
シャラさんはくすくすと笑った。
「ナユタ様にはまだ少し早いのかもしれませんね。でも……」
シャラさんがあたしの胸元にすっと指を置いた。
「誰かの事を考えて苦しくなったり、痛くなったりしませんか?」
苦しくなったり、痛くなったり。
言われて思い出したのは、幼馴染の顔だった。
少しだけ目を伏せると、シャラさんが微笑んだ。
「思い当たることがあるみたいですね」
「……ある」
「あるのか?!」
メイカ様があまりに驚くのでこっちがびっくりしてしまった。
「ガーシャがいなくなるかもって思ったら怖い」
「あいつがナユタを置いていなくなるわけがなかろう」
メイカ様は即断言した。
あたしもそう思うけど、割り切れない気持ちもあるのだ。
「あのね、アギもガーシャもあたしにとってはお兄ちゃんで、いつも助けてくれる。集落を出るまでは二人ともあたしの中では同じだった。でもね、アギとガーシャが違うって最近気づいたんだ」
今さらか? とメイカ様が眉を寄せたが、シャラさんが止めていた。
「アギは本当にお兄ちゃんだから絶対にあたしと一緒にいてくれるって信じられるの。けど、ガーシャはそうじゃない。お兄ちゃんみたいだけどほんとは他人だから……いつか、すごく遠くに行ってしまいそうな気がする。考えただけで苦しくて、痛いの」
言葉にしたら語尾が震えた。
あたしは幼馴染がいなくなることを自分で思う以上に恐れているようだ。
とても大事な二人だけど、決定的に違うこともある。だから、二人に対するあたしの気持ちは少しずつずれてきてしまっている。
アギが新しい世界を見つけて少しずつ離れていくのは寂しいけど嬉しいことだ。それにあたしとの繋がりが消えるわけじゃない。
だけど、ガーシャがあたしを置いて離れて行ってしまうのはとても怖かった。
「家族じゃなくてもずっと一緒にいてほしいと思うのはわがままなのかなあ……?」
そう呟くと、シャラさんがあたしの頭を抱いてくれた。
「決して我儘ではないですよ。ご本人に伝えてみては?」
「うーん。伝えてるつもりだけど……伝わってるかなあ」
幼馴染の中にはとても深くて暗い部分があって、そこに何を沈めているのか、蓋をして何を隠しているのかよく分からないのだ。
だから不安が大きくなる。
メイカ様は大きなため息とともに呟いた。
「……お前たち兄妹の鈍さはどうなっているんだ。そこまできて何故気づかない」
そして、自業自得とはいえあいつは本当に不憫な奴だな、とメイカ様は零した。
満足げなシャラさんがあたしの頭をよしよし撫でた。
「ナユタ様。もし、その苦しさが我慢できないほど大きくなってしまったら、ぜひお話を聞かせてくださいね。きっと私はお役に立てると思いますから」
そして、とても興味深いお話が聞けたので、アギ様の事は任せてくださいね、と言いながらシャラさんは鍛冶場に戻っていった。
弾むように駆けていく後ろ姿を見送り。
「嵐のようだったな……」
メイカ様が零した。
「でも、アギが弟子入りできるようにしてくれるって言ってたからいいんじゃない?」
そう言うと、メイカ様は大きなため息をついた。
次の日からシャラさんを見かけるとすぐに隠れるメイカ様の姿が見られた。
「メイカさんはいったいどうしちゃったの?」
ガーシャが首を傾げていたけど、秘密だ。
あたしが口軽く喋るのは年上でしっかりした好みのお姉さまを相手にした時だけなのだ。
メイカ様の犠牲のおかげか分からないけれど、アギは無事にガオウじいちゃんの工房で弟子入りできたらしい。シャラさんは約束通りの働きをしてくれたという事だ。
とはいえ、赤都を発つまでの短い間。本来であれば何年も修行をしなければいけないのだから、一端に触れることくらいしか出来ないだろう。
それでもアギは朝から晩まで工房に入り浸り、ずっとガオウじいちゃんの隣に座っているそうだ。
ガーシャは外道衆の治療にあたっていた医師や薬師たちと仲良くなり、勉強会に参加したり仕事を手伝ったりしているようだ。
メイカ様は避けていたはずのシャラさんと共に行動し、赤都の神徒狩りの運営を学んでいる。
兄姉たちがそれぞれ楽しそうなのはいいことだ。あたしも嬉しい。
でもやっぱり、あたしは退屈になってしまう。
さしたる特技も趣味もない。お社の範囲を出れば神徒を呼んでしまう。あたしはやっぱりテラスと二人、町を歩き回って便利屋のようなことをするしかなかった。




