狐討伐(4)
小さな行燈の明かりだけが二人を包んだ水の膜にちらちらと反射していた。部屋は狭いが薄暗く、隅には闇が落ちている。
部屋は外に面していないはずだが、ずっと、ごおごおと大きな音が鳴っているのが聞こえた。まだ噴火が収まっていないのだろう。地面も時折思い出したように揺れているが、明日の朝までには少し収まるだろうか。
少し戸を開けてみたが、外は真っ暗で何も見えなかった。
シャラさんや他の神徒狩りの人たちは噴火に慣れている様子だった。日常とは言わないが、火山と共に生きるというのはそういう事なのだろう。
外からの風で、火山の熱で忘れていた秋の肌寒さを思い出してぶるりと震えた。
「おいで」
柱にもたれたガーシャがあたしを呼ぶ。
アギがいつもそうしてくれるように、足の間にあたしを座らせて上着を上からかぶせた。穏やかな安心に包まれて、体の力が抜けるのを感じた。
あたしもあたしで、ずっと緊張しっぱなしだったからな。
「あったかくて寝ちゃいそう」
「寝ちゃったらそれはそれでしょうがないよ」
「寝ないように何か話して」
「……難しいこと言うね」
苦笑したガーシャだったが、優しい手であたしの頭を撫でた。
「ナユちゃん、本当によく頑張ってくれたね。メイカさんも言ってたけど、討伐できたのはナユちゃんのおかげだよ」
「みんなが頑張ったからだよ」
あたしが言うと、ガーシャはやんわりと首を横に振った。
「実はね、この討伐だけはオレも本当に怖かったんだ。他の討伐と比べ物にならないくらい犠牲も出るし、都もめちゃくちゃになるし、何とか命が助かってもひどい怪我を負って欠損することも多かった。何より、溶岩と炎に囲まれた討伐は地獄だよ。例えようもないくらい悲惨な戦場だ」
何かを思い出すように目を閉じたガーシャ。
あたしには想像もつかないような過去を経てきた彼は、いったい瞼の裏に何を映しているんだろう。
「ナユちゃんがいてくれるだけで、地獄だけどオレたちはいつも通りに戦えたんだ。全員五体満足でここへ帰ってくることが出来た。この先もきっと大変なことがいっぱいあると思うけど、きっと大丈夫。キミが未来を照らしてくれるから」
赤都へ来るまで、山の中で一緒に寝ずの番をして、寝る時も一緒だったから知っている。時折悪夢にうなされて起きてしまう夜があること、それどころか、全く眠れぬ夜を過ごす日さえあること。口にしないだけで、大きな大きな心の傷を隠し持っていること。
それでも、あたしの存在が少しでも彼の救いになればいい。
「ねえ、ガーシャ。夢の話を教えて。いつも神徒の話しか聞かないけど、きっと、もっと楽しいこともいっぱいあったんでしょう」
あたしが言うと、ガーシャはびっくりしたように目を開いた。
そして、まるで泣きそうな顔をしてあたしの背に当てた手に力を込めた。
「本当にキミは……」
何か強い感情を吐き出すように細く息を吐きだして、少し、手の力を抜いた。
「そうだね、すごく楽しかった。ナユちゃんはいなかったから、旅に出たのはオレとアギの二人だけだった。それも、特に大きな目的はなかったような気がする。だからこそ二人で色んな場所へいって、色んな景色を見て……楽しかったよ」
「蒼都もいった?」
「もちろん。蒼都にはずいぶん長く滞在してた気がする。メイカさんとも会ったけど、それはあくまで神徒狩りとして登録してもらうだけの話で、アギは鍛冶屋に興味も示さなかったし。普通に神徒狩りの仲間たちと討伐して、日銭を稼いで、たまに遊んで、最後に蟹の討伐をしたんだよね。その時の仲間の記憶はかなり曖昧なんだけど、今回はいたりいなかったりする気がする……不思議な感じ」
「蟹はアギと二人で討伐したの?」
「うん。あの時のオレたちはそんなに強くなかったから結構大変だったけどね。今回は蓋を開けてみればメイカさんと師匠で討伐し終わっちゃってさ。別にオレたちが倒さなくてもいいんだ、って本当にびっくりしちゃったよ」
ガーシャがあはは、と笑った。
「あと、黒い鼠も言ってた『物語を壊し始めてる』って言葉を聞いて、お陰でオレは無意味に前の物語を追うのを止めることが出来たんだ。これは、別のお話なんだって。今回みたいに、出てくる場所や倒し方は参考にするけどね」
「……あと4体?」
「うん。大山脈と黄都とに1体ずつ、神都に2体」
もちろん、物語が変わりすぎていなければの話だよ、と付け加えた。
「あんまり夢の話をすると、お話がどんどん変わっていってしまいそうで不安なんだ。オレの見た夢が予言であり続ける限りは大きな武器になるからね。そもそも今回だって、外道衆がきたり、メイカさんを連れてきちゃったり、街道を通らずに山越えしたり、本当に同じ神徒が現れるかどうかも不安だったんだから」
ガーシャがあまり夢の話をしないのも、色々な情報をぎりぎりまで開示しないのも、すべてその不安があるからなんだろう。
でも、もう少し早く言ってくれれば、あたしだって協力できる気がするのにな。
「アギの言ってる通り、ガーシャはいろんなことをまだまだ隠してそうなんだよね」
下からじっと見上げると、ガーシャが笑った。
「ふふ、アギはああ見えてよく人を見てるからね。メイカさんの事だって本当によく理解してるなと思うよ。オレのことも、ナユちゃんのことも、きっとアギが一番よく知ってる。それだけは、前回も、今回も変わらない」
いつもと同じ、穏やかな笑顔で。
「キミたち兄妹は、その存在だけでオレがどれだけ救われてるか分からないだろうね――うん、でも、知らなくていいや。オレは勝手にキミたちの傍にいるから」
ふと、時折彼が一緒にいてほしい、とわざわざあたしに言わせる理由が分かった気がした。
ガーシャとあたしは他人だから、一緒にいる理由なんて実はないのかもしれない。それでも一緒にいたいから言葉で確認するのだろう。
あたしがガーシャに対して不安に思ったことがあるように。
何でもできるガーシャはどこへ行くのも何をするのも自由だから。
それでもあたしは、彼に傍にいてほしいのだ。
幼馴染はいつものようにあたしの目をまっすぐに見た。
「だからね、ナユちゃん――お願いだから、傍にいて。絶対にどこにも行かないで」
同じ言葉を繰り返し。
何度もあたしに言い聞かせるのだ。
「行かないよ」
だからあたしも同じ言葉を返すのだ。
「あたしもガーシャと一緒がいい」
その後もガーシャはいろんな話をしてくれた。
怖い話や暗い話は意図的に避けたんだろう、蒼都から赤都へ移動して、アギの新しい武器を作った話とか。楽しい旅の話を聞いた。
そもそも前回、アギの武器は三叉戟ではなかったらしい。
「だからきっと、アギは刀の方が強くなれると思うんだよね」
赤都でおそらく刀を手に入れることができるだろう。そうしたら誰かに使い方を習えばいい。
カラハは教えてくれるだろうか。
そのうち、部屋の外が白んできて朝が来たことに気づいた頃、水の中に浮いていたメイカ様が身じろぎした。
「そろそろ起きるかな?」
「ごめんね、一晩中付き合わせちゃった……ガーシャはこの後、怪我人の救護へお手伝いに行くのに」
「まだ少し時間あるよ」
ガーシャは横になった。
「少しだけ寝よう。オレ、ナユちゃんがくっついてくれてたらよく眠れるんだ」
寝つきの悪い自覚があるらしい幼馴染は、枕の代わりにあたしを腕に閉じ込めて、上から上着をかけた。
あたしはよくこうやってアギと一緒に眠っている。特に、寒い冬なんかは。
ガーシャ相手でも気にしていなかったけれど、そういえば、メイカ様はアギに同じことされたとき、怒っていた。それはいったい、何故なんだっけ――?
何かに気づきかけたけど、もう眠すぎて無理だった。
そのままぷつりと意識が途切れ、次に起きた時には一人で眠りこけていた。
「起きたか、ナユタ」
目をこするあたしにメイカ様が声をかけてくれる。
「あれ、あたし寝てた……?」
「よく寝ていた。もう少し休むといい。昨晩はありがとう、ナユタのおかげで火傷もすっかり良くなった」
「アギとガーシャは……?」
「外道衆のところへ行っている。私も、ナユタが起きたら行くつもりだった。というより……」
メイカ様の手が震えている。
「怖くて行けなかったんだ。ナユタ、一緒に来てくれないか」
ああ、そうだ。
外道衆のところへ行くという事は、メイカ様の父親に会うという事なのだ。
「いいよ、一緒に行こう」
着物を直して部屋を出て、皆がいるはずの道場の方へ向かう。
外は火山灰で曇り薄暗いながらもすっかり昼間になっており、窓からは外の様子がよく見えた。
ここは高台にあるようで、垣根の向こうに桜島の姿が覗いている。相変わらず噴煙を上げてはいるが、昨日よりずっと落ち着いているように見えた。地面の揺れもだいぶ収まったようだ。
長い長い廊下を歩いて、皆がいるはずの道場の木戸の前までやってきた。
メイカ様は立ち止まり、深呼吸している。
「よし、行こう」
そして覚悟を決めたのか、道場の木戸を開いた。
中にはたくさんの人が寝かされていた。包帯を巻いているが水ぶくれが潰れてしみ出している人もいる。汚れた布や着物はまだ片づけられず放置してあり、昨夜の混乱が見て取れた。
「ナユちゃん、起きたの」
ちょうど入り口を通ったガーシャがあたしたちに気づく。
「よかった。いまちょうどサイショウさんと話してたところだよ」
メイカ様の方を見ながら。
「メイカさんもおいで」
自然にメイカ様の手を取って、引っ張っていく。
あたしも後ろに続いていった。
道場の奥の板の間では比較的軽傷の人たちが休んでいた。
机がいくつか出してあり、色々と話し合っているようだ。
一番大きな机では、ガオウじいちゃんやアギも混ざって、誰かを囲んでいるようだった。
柔らかそうな亜麻色の髪。
一目でわかった。あの人が、メイカ様の父親だ。
「……父上」
メイカ様が小さな声でつぶやいた。
その人は、はっとしてこちらに目を向けた。メイカ様というより、セイカととても雰囲気が似ている。メイカ様とよく似た顔で、まったく違う表情で穏やかに微笑んだ。
「メイカ」
立ち上がろうとして、姿勢を崩した。どうやら足に怪我をしているようだ。
メイカ様が駆け寄って、父を支えた。
「……大きくなりましたね、メイカ。本当に見違えた。お母さんにそっくりだ」
父親の言葉で、メイカ様は眉を下げた。
「助けに来てくれたのもメイカだったと聞いたよ。本当に強くなったんだね。まさか、もう一度生きて会えるとは思わなかった」
メイカ様は両手で顔を覆った。
「……二人にしてあげようか」
机を囲んでいた人も、あたしたちも、メイカ様たちから離れた。
10年分。
二人はいったい何を話すのだろう。
しばらくして、目を真っ赤にしたメイカ様とサイショウさんがこちらへやってきた。
「ラクシャ様の娘のナユタさんですね。初めまして。サイショウと申します」
サイショウさんは深々とお辞儀をした。
「昨日は皆を助けていただいて、それにメイカをここまで導いていただいて本当にありがとうございました」
丁寧な口調と穏やかな物腰。
うん、やっぱりセイカに似ている。
「カラハにも言いましたが、どうしても、アギさんとナユタさんに会いたかったのです。それは――ラクシャ様の行方を伝えるため。そして、ラクシャ様の救出にご助力いただくため」
「救出?」
アギが首を傾げた。
「はい、ラクシャ様は今も生きていらっしゃいます。おそらく……という形にはなりますが」
「どういうこと?」
ガーシャも眉を寄せた。
サイショウさんは目を伏せて、静かに告げた。
「ここは都の中ですからあまり道を外れた話は出来ません。もう少し落ち着きましたら、都の外でもう一度お会いできますか?」
あたしたちの父親は生きている。
しかし、救出という単語を聞くに、どうやら一筋縄ではいかなさそうだ。
もし本当に父親に会えたとしたらあたしはいったい何を話すんだろう。
物心ついた時にはすでにいなかった父親。幼いアギとあたしを置いて出て行った父親。姿がアギに似ているという事と、とても強い神徒狩りだったという以外何の情報も持っていない。
目の前に現れても何を話していいか分からないんじゃないだろうか。
そしてアギは何を話すんだろうか。
かすかにたどってきた父親の足跡がくっきりと先に続いているのが見えた時、あたしたちは同時に世界の深淵が見える場所まで来てしまっていた。
これ以上進めば引き返せない。
わかっていても、進む以外の選択肢はなかったのだ。
第二章おわり。




