赤都へ(2)
赤都までは歩いて約一週間の道のりだ。蒼都を目指した時は歩いて3日の距離を10日かけたから、神徒が出ることを考えて大きな街道は避けていくつもりで1か月かかることを覚悟していた。
しかし、外道衆が作ったという結界の箱のお陰で、いい意味で予定を組み直さなくてはいけなくなった。
ご飯を食べて落ち着いたところで、メイカ様が大きな地図を取り出した。これは手持ちの中で一番大きな地図で、すべての都が一枚に収まっているものだ。
地図の下部は大山脈に覆われていて、そこから上に突き出す半円を描くように大地が広がっている。
地図上で、半円の左側にあるのが今までいた蒼都だ。そのまま海に沿って半円の頂点が一番大きな神都。そのすぐ隣に姉妹都市の紅都。そこから半円の反対側、蒼都の一番遠くに黄都。赤都があるのは半円の大陸の中央部で、大きな湖と活火山がある場所だ。残りの翠都と菫都は大山脈の中に存在していた。
メイカ様が地図を指でなぞる。
「今、我々は蒼都から赤都への道を歩いている……すまん、嘘だ。今のは忘れてくれ。道は歩いていない。この、山の中を突っ切っている」
街道を思われる線から遠く、地図では緑に塗ってある場所を指さした。
「アギはこの辺り来たことある?」
「ああ。この辺りはたまに来てた」
「は? お前、奥の山からここまでどれだけ距離があると……?」
メイカ様は眉間にしわを寄せたが、話始めるとキリがないと思ったのか、諦めた。
「何が言いたかったかというと、結局、山と湖を大きく迂回して赤都に向かう街道より、山の中を突っ切った方が絶対に早い。という事で進路に変更なしだ。予定通り、森の中を神徒を狩りながらまっすぐ行く。代わりに、休息の際は結界を使ってしっかり全員が休めるようにしよう」
当たり前のように人の上に立ってきたからだろうか。メイカ様がとんとん話を進めてくれるので助かる。
かっこいいメイカ様があたしは大好きなのである。
じぃっとメイカ様を見ていたら、人をじっと見るのをやめろ、と怒られた。そういえばガーシャもセイカも同じことを言っていたな。あたしの良くない癖だ。気を付けよう。
メイカ様はさらに指を先に進めた。
「こちらの経路だと途中に温泉地があるのだ。ここは都ほどではないがお社があるからな、ゆっくり休めるだろう。本来であれば、赤都から湖を渡って到着する場所だが、上から行けば直接行ける」
「直接行ける、じゃねえよ。道がねえところを当たり前に通る算段たててんじゃねえよ。地図の存在意義考えろよ」
カラハがげっそりした顔をしていたのは無視した。
「そうだ、確認を忘れていたが、目的地は赤都そのものでよいのか?」
「赤都でいい。俺らの拠点から一番近いお社は赤都の毘沙門天様のお社だ。ナユタという不確定要素がでかい以上、滞在地はお社の近くがいいだろう」
「決まりだな。山から白根温泉を通って赤都へ向かう経路だ」
メイカ様が地図を閉じた。
「神徒が出ないとはいえ夜は普通の獣も危険だからな。休息は交代制にしよう。アギとナユタ、ガーシャと私が組んで交代で見張りだ」
「待って、メイカさん。その組はダメ」
「何故だ?」
「オレがいなかった時に、アギとナユちゃんが蒼都で何をしでかしたかもう忘れちゃった?」
ガーシャの言葉でメイカ様が顔を歪めた。
何かしたんだっけ?
「そうだな、確かにそうだ。間違いない。私とアギ、ナユタとガーシャにしよう」
うんうんうんと頷きながら。
「メイカさんはアギに手綱つけといてくれればいいから。こっちはオレが何とかする」
「頼んだ」
しっかり者のガーシャとメイカ様が通じ合ってあたしたち兄妹は分断された。
「カラハは?」
戦力にはなると思うけど。
「信用ならんから数に入れん。代わりにテラスを見張りにつける」
「こんな山の中で何もしやしねえよ……つかできねえよ……」
結界があれば神徒も出ないだろうから、夜の見張りだけでよいなら2交代制で大丈夫だろう。
丸太の外でくわあ、と大きなあくびをしているテラスを見て、カラハはまたげんなりした顔をしていた。
結界を使えば確実に休息がとれることが約束されたので、進行速度が格段に上がった。
全力で戦っても、昼ご飯の時と夜は必ず休む時間がとれるのだ。冗談抜きで間断なく襲われていた蒼都への旅路で常に体力配分を考えながら進行していたことを考えると、安心して休めるだけで格段に効率が良くなる。休息大事。
頭数に入れていなかったとはいえカラハも神徒の討伐に貢献してくれたので、予定よりもずっと早く温泉地へと到着できたのだった。
へとへとになりながら山を下りたあたしたちの目に入ってきたのは、湖に向かって開けた温泉地にもうもうと立ち込める湯煙だった。ふわりと硫黄の香りがする。
急な坂が多いこの白根温泉は赤都から湖を渡ればすぐ訪れることができる利便性の良さもあって非常に人気のある温泉地だ。温泉の熱で気候も年中悪くない。湯治目的の人も多く、いつもにぎわっているそうだ。
久しぶりの街道、久しぶりの人里。
お社の力の終端を示す石碑を越えたところで、全員が座り込んだ。
「……疲れた」
蒼都への旅と違ったのはそもそもの地形の急峻さだ。
カラハが地図の存在意義を考えろ、と言っていたがまさにその通りで、平坦な地図には出てこない地形の凹凸、川や湖、深い崖、時に野生の獣の縄張りも。
確かに街道を行くよりは早かったと思うが、まあ疲れた。神徒と戦うのとはまた別の持久力が試された気がする。
「待て、座り込めば立てなくなるぞ。立て! 動け!」
メイカ様がはっと立ち上がって檄を飛ばす。
「ここで寝るなアギ!」
「メイカ様、あたしと二人で先に行って宿の確保をしよう。そしたら後で呼びに来ればいいから」
戦闘にあまり参加しなかったあたしと違って、アギたち男性陣はずっと動きっぱなしだったのだ。少しは休んでもらっていいだろう。
テラスが3人を守るようにお座りしていたので、そのまま任せてあたしはメイカ様と並んで温泉街を歩き出した。
「メイカ様は疲れてない?」
「疲れている。疲れてはいるが、あいつらほどではなかろうよ。何だかんだ、神徒はほぼ男共で倒してしまっていたからな」
「修行の一環だと思ってるんだよ」
入口の石碑からしばらく歩くと、目の前にごうごうと音を立てて流れる温泉の川が現れた。
木製の樋が何本も敷かれ、その中を湯気の立つ熱いお湯が流れて行っている。
「これは、湯畑と呼ぶらしい。温泉の源泉が熱いので、入りやすい温度まで下げるためにこうして空気にさらしているのだ。この樋の先にはそれぞれ湯屋があるようだな」
「すごい……」
音を立てるほどの勢いで流れるほどの湯量。これだけでこの温泉がとてつもない規模のものだという事が分かる。
翡翠に近い色をした源泉は湯煙に半分隠れながらも美しい深みを見せている。周囲は火山性の黒々とした大きな岩に囲まれ、まるでこの中だけが開かれた泉のようだ。色と音と匂いと。非日常に包まれ、あたしは心地よい感覚に包まれた。
またもう一つ新しい景色を見ることができた。
この光景を心に刻む。
「行こう、ナユタ。日暮れはまだだが、早めに休みたい」
ぼうっとしていると、メイカ様に促され足を進めた。
狭い坂道なのに左右に小さな店が多く、賑わいは蒼都の繁華街を思い出す。地面は綺麗に石畳になっており、坂でも上りやすいよう時折階段状になっていた。
途中で我慢しきれず店頭でおまんじゅうを買って二人で食べながら。
坂の一番上の大きな鳥居までたどり着いた。
さらに階段をずーっと上って、少しばかりではあるが古銭を奉納してご挨拶して。
「宿はお社近くがよいだろうな」
メイカ様が言ったので鳥居近くのこぢんまりとした宿を選んだ。もちろんかけ流しの源泉があり、朝夕の食事が出ることも確認済みだ。
古銭からの換金は必要ではあるがあたしたちはお金だけはたくさん持っているので、問題ない。
男女別で二部屋、3日分ほど確保してからアギたちを呼びに行ったのだった。
宿にたどり着いた後は、何はともあれ温泉に入った。男3人がどうしているかは知らない。とりあえず部屋には放り込んでおいた。テラスは宿に来ず、どこかへ遊びに行ってしまっていた。
源泉が熱いと言っていたが、露天風呂でも少し熱いくらいのお湯は肌寒くなった季節にちょうどよい。
夕方の風は非常に心地よく、疲れた体を温泉で温めながら顔はひんやり涼しくて。
「もうここから動けない……」
小さな宿の小さな露天風呂はメイカ様と二人の貸し切りで、水浴びくらいしかできなかった何日分の汚れをすっきりと落とした後に肩までゆっくり浸かることができた。
「無事に到着してよかったな……何度か、もう駄目だと思ったぞ……」
メイカ様も湯の中で完全に緩み切っている。
ここまで大変だったもんね。
行軍の指揮権と決定権を完全にメイカ様に集約して動いたのは非常によかった。船頭多き船は……なんて格言がある通り、あの極限の状況下で意見が割れていたらと思うとぞっとする。
メイカ様の判断力も素晴らしかったし、それに従うあたしたちもかなり優秀な兵士だったと思う。
もしガーシャとアギとの3人だけだったら、どうしようかなーなんて言ってるうちに崖下に落ちたり滝に流されたり、道を間違えて引き返すハメになったりしたに違いない。
「カラハもすごくがんばってくれたよね。一番年長だから気を遣ってくれたのかな」
「ああ……もうあいつが外道衆だとかそんなことは完全に忘れてしまっていたな……」
何日もの旅程を共有したあたしたちには奇妙な連帯感が生まれていた。まだ目的地に到着もしていないというのに、もう終わった感じになっている。
このままここに住みたいくらい。
正直、住んでしまえる程度の財力はあると思う。足りなくなったらあたしとアギが外に出て神徒を狩ってこればいいだけだ。
あれ、もしかしてそれでよくない? 温泉に永住することも可能じゃない?
部屋に戻ると、どうやら男性陣も温泉に入ってきたらしく、全員ゆるい浴衣に着替えていた。アギは相変わらず畳に転がっていたけれど。ガーシャが無理やり温泉まで連れてったのかな。
「ご飯食べないの?」
アギの頭を突いたが反応がない。完全に眠っている。
「疲れておるのだろう、寝かせておけ」
「じゃあこっちで寝かせとこうか」
部屋の隅にあった布団を敷いてあげて、メイカ様がアギを布団までごろごろと転がした。
転がされたアギがうーん、と唸ってメイカ様の手首をつかんだ。
「お前も寝とけよ……」
止める間もなく引っ張り込んで、腕の中に閉じ込めて一緒に布団に丸まった。
次の瞬間、アギの体が吹っ飛んていった。
顔を真っ赤にしたメイカ様が渾身で蹴り飛ばしたのだ。かなり体格差あるのにすごい。
「急に何をする?!」
蹴り飛ばされて襖に突っ込んだアギがさすがに起きて目を白黒させた。
「あれ、ナユタ……じゃ、なかったのか」
どうやらあたしとメイカ様を間違えたらしい。
「大きさ一緒だから間違えた」
確かにあたしとメイカ様は身長も体形もほぼ一緒だ。でも、間違えていいものではない。失礼だ。
後ろでガーシャが声を抑えて爆笑していたけれど。
メイカ様はアギに思いっきりビンタして部屋を出ていった。
「メイカ様!」
あたしは慌てて後を追う。
メイカ様はすごい速さで廊下を歩いていき、突き当りで足を止めて、壁にもたれるように床に座り込んだ。
「ごめんね、アギが無神経で失礼でごめんね!」
メイカ様は顔を真っ赤にして、眉をへにょんと下げて、いつも勝気な目をうるうるさせてあたしを見た。
「び……くり、した……」
メイカ様がかすれた声で言った。
あ、だめ、メイカ様が可愛すぎる。人をじっと見るのはだめってわかってても見ちゃう。
胸がきゅーんとして今すぐにでも抱きしめたい気持ちになったけど、我慢した。
兄妹で同じことをしたら完全に信用を無くしてしまう気がする。
がまん。
「息が、とまる、かと」
胸に手を当てて落ち着けるように。
あたしはメイカ様の隣に座って、手を握る。
これくらいなら許されるだろうか。
「お前の兄はいつもあんな感じなのか……」
「あー、うん、あたしにはいつもあんな感じ」
アギを雑に扱うのは大抵あたしだから、床を転がして移動したのもあたしだと思ったんだろう。残念だったね。
メイカ様は大きく息をついた。
「……心臓がもたん」
「そのうち慣れるよ」
「慣れるか! 慣れるほど間違われたくもないわ!」
「間違いじゃなければ、いい?」
「は?」
あたしの問いに、メイカ様は一瞬首を傾げたが、もう一度、みるみる真っ赤になった。
えへへ、可愛い。
あたしのお姉ちゃん計画はいまも進行中なのだ。
部屋に戻ると、アギが正座させられてガーシャとカラハの説教を受けていた。
あたしとメイカ様が戻ってきたのに気づくと、間髪入れず土下座した。
「すみませんでした」
「……もうよい。寝ているからと雑に扱った私も悪かった」
メイカ様が許して、アギはほっとした顔をした。
ガーシャはあたしの方に寄ってきて、こっそり囁く。
「お姉ちゃん計画は順調なの?」
「割と順調だよ」
「それは何より」
そのままあたしの上から覆いかぶさるように手を回して、ぎゅうっとくっついた。
「どしたの?」
「ナユちゃんはオレがぎゅってしてもびっくりしたりしないんだなと思って」
「いつもの事じゃん」
「だよねえ」
あたしの頭に顎を乗せて、アギとメイカ様を見ている。
「やっぱり育て方を失敗したかな……」
「どこが?」
それぞれのあたしたちの様子を見て、カラハは外に向かって煙草の煙を吐きながら言った。
「おっさんはもうお前らの青春がまぶしすぎて見てらんねえよ……」




