蒼都襲撃(2)
伴侶というのが何を指しているのかは分かっている。分かっているが、分からない。
メイカ様とよく似た顔で、よく似た目で、まったく違う表情で。
初めて、セイカが怖いと思った。
自分に対して向けられるそういった『興味』を初めて目の当たりにしたあたしは、どうしていいか分からなくなった。
「話にならん」
硬直してしまったあたしをかばうように手を伸ばし、メイカ様は吐き捨てた。
「帰るぞ、ナユタ。こやつと話しても時間の無駄だ。思考が全く理解できん。これ程までに話が通じんとは思ってもみなかった」
すっと立ち上がったメイカ様。
動けなくなってしまう前に、あたしも慌てて後を追って立ち上がる。
「ナユタ」
部屋を出ようとしたあたしの手を、セイカが捕まえた。
「僕は本気です。一目見たときから、貴方しかいないと思っていた」
言葉通りセイカは真剣で、とても嘘をついているとは思えなかったけど。
強い力で手を掴まれた恐怖で、手の先からざあっと血の気が引いた。
考えるより先に師匠直伝の合気で手をひねってくるりと伏せた。どおん、と背中から床におちるセイカ。細いし軽いし、こんなの相手にもならない。
相手にならなくても、手を掴まれた瞬間の恐怖は本物だった。
全身の血の気が引いて心臓がばくばくと大きな音を立てて拍動している。
きっちり着付けをした着物が崩れない程度に急いで、メイカ様を追いかけた。
玄関を出て、そのまま屋敷の門をくぐり、石畳の道を無言で歩くメイカ様に遅れないよう一生懸命歩き続けた。
最後に寺社を出る跳ね橋を渡ったところで、メイカ様はようやく足を止めた。
大した運動もしていないはずなのに息が切れている。心臓の拍動が早すぎて耳元で音がする。全身に恐怖が残っていて、体の芯から震えた。
メイカ様は、あたしの両手を握った。
「すまなかったな、ナユタ。お前を連れて行くべきではなかった」
「メイカ様の所為じゃないよ」
「セイカがあれ程までに阿呆だとは思ってもみなかった。曲がりなりにも宗主候補の一人だというのに、あのような言い分……いや、宗主一族に染まっておるからなのか? 私にはもう分からん……」
メイカ様は頭を振った。
「……10年前の出来事が思ったよりもセイカにも禍根を残しているのかもしれんな」
大きくため息をついたメイカ様は、目を閉じた。
10年前にあたしの父と一緒に蒼都を追放されたというメイカ様の父親。父と違い宗主一族だったというメイカ様の父がどんな人だったのか、その時どんなことが起きたのか、あたしに伺い知ることは出来ない。
メイカ様と手を離したら、先ほどセイカに掴まれた手が震えているのに気づいた。
まだ怖い。
手を掴まれた瞬間の恐怖が体の芯まで凍えさせたかのようだ。
お利口に寺社の前でお座りして待ってくれていたテラスが寄り添ってくれた。テラスの首に手を回して、おひさまの匂いをいっぱいに吸い込んで、心を落ち着けた。
詰所に戻ると、アギが待っていた。
「何かわかったか?」
「あんな奴の事は知らん!」
端的なその返答でメイカ様がまた怒っているのに気づいて、アギはびくっとした。
わかるよ。集落のお姉ちゃんたちと一緒、怒らせちゃダメな相手だって認識したんだよね。
去っていくメイカ様から逃げるようにあたしの方に寄ってきたアギ。
けれど、あたしはアギとの接触を避けて下がり、後ろの壁にぶつかってしまった。
「ナユタ、どうした?」
セイカに手を掴まれたときの恐怖が未だ全身に残されていて、考えるより先に体が反応してしまった――大きくて強い相手が怖い。
これはアギなのに――でも、怖い――あんなに弱いセイカでさえあれだけ怖かったのに。
ぐるぐると胸の内を気持ち悪い感情が渦巻いている。言葉にできない恐怖と嫌悪が入り混じって吐きそうだ。
大きなアギの手が伸びてきて、逃げるようにずるずると壁に寄り掛かって座り込んだ。
怖くて動けない。
それを見たアギは手を止めた。
「いったい何されたんだ」
アギの声が怒りをはらんでいる。
でも、答えられない。
うまく言葉にできる気がしない。
あたしは何も答えられなかったのに、怖がらせないようにだろうか、アギはただあたしの隣に座った。反対側にテラスが座って、ふさふさの尻尾がふわりと頬に触れた。
しばらくそうして二人に挟まれているうちに、ぐるぐると胸の内を渦巻く気持ちの悪い感情が少しずつ凪いできて、落ち着きを取り戻してきた。
ゆっくりと何度か深呼吸。
大丈夫、落ち着いた。
「……触っても大丈夫か?」
アギがおそるおそるあたしの頬に手を伸ばす。
恐怖が蘇りそうになったが、意識的に抑えた。
ほっぺに触れた手は、いつも通りの優しい兄の手で。
温かい。
あたしはその手の上に掌を重ねた。
アギはホッとした様子で笑う。
「大丈夫か?」
「うん……ちょっと怖いことがあっただけだよ」
両手を伸ばしてアギの首に抱き着くと、ゆっくりと背中に手が回された。全身を安心に包まれて、あたしはようやく肩の力を抜いた。
あたしは、自分がまだ子どもだと思っていた。自分の将来に何の想像もできていなかったし心の準備も何もできていなかったから、真っすぐに感情をぶつけられた時にどうしていいか分からず、動けなくなってしまった。
覚悟が全然足りなかったんだ。
強い感情をごまかすようにアギに強く抱き着いた。
優しい手が、背中をとんとんと叩いていた。幼い頃からずっとそうだったように。
もしかしたらこれまでも知らずに興味を向けられていたのかもしれないけれど、きっとアギはそんなものからずっとあたしを守ってくれていたんだろう――この恐怖からあたしを遠ざけてくれていたのだ。
「お兄ちゃん、ありがとう」
アギにぎゅうっと抱き着いて、泣きそうになりそうな気持ちをぐっと抑え込んだ。それでも涙がひとしずく頬を伝ったけれど。
村を出る決意をした時と同じように、覚悟を求められている。
もうすぐあたしも15歳になる。そろそろ大人になる年だ。いつまでも兄に甘えて子供でいるわけにはいかない。アギが自分の世界を見つけたように、あたしはあたしの足で立ってきちんと先へ進まなくてはいけない。
覚悟をしよう。
守られるだけの存在でいないための覚悟だ。
アギの肩でこっそり泣いたらすっきりした。
新たな決意を胸に、あたしは顔を上げる。
至近距離でアギの緋色の瞳を見ながら。
「……さっきメイカ様と一緒にセイカのところに行ってきたんだけど、とりあえず話し合いができない相手だってことだけは分かったんだ。でもね、あたし、ガーシャに会いたいの。だからお兄ちゃん、ちょっとだけ無茶するけど……手伝ってくれる?」
「ああ、いいぜ」
いつものように軽く受け取ってくれるアギ。
アギはいつでもあたしの味方で、何があってもあたしの力になってくれる。
「ありがとう」
集落を出て、都に来て、大切なものも大切な人も増えてきて、手に持っているものも荷物も増えていて。
気づかぬうちにずいぶんと臆病になってしまっていたらしい。そんなのあたしたちらしくはないだろう。
ガーシャは大人しく待ってて、と言ってたけど、待てないから迎えに行く。
そもそもガーシャの言いつけを守って『大人しく』待つなんて事、あたしもアギもそう長く出来るわけがないのだ。賢いテラスなら出来るかもだけど、あたしたち兄妹はそんな風に育ってない。いくら都に住んでいても、残念ながら本質は粗野で野蛮で、田舎から出てきたばかりの野生児であることに変わりない。
戦いに勝つ方法は、アギとガーシャからこれまでいくらでも学んできだ。
大丈夫、あたしは二人の妹なのだから。
大丈夫、アギが無敵である限り、あたしたちは何をするのも自由だ――だって、ガーシャがそう言っていたのだから。
いつしか、手の震えは止まっていた。
ガーシャが寺社組織に捕らえられたらしいという噂はすぐに都中に広まった。
外道に落ちるなど信じられないという者が大半、本当に落ちたのであればとんでもないことだという者が少数。全体から大きな声が上がることはないが、皆の間で密やかに流布されていった。
短いながらも築いてきた関係性もあり、あたしたち兄妹の耳に届くのは同情的な声ばかりだ。
あたしとアギはいつも通りに生活しつつ、ガーシャが捕まったのは冤罪で、いなくなって寂しいことをぽろぽろ零していった。アギはどうしていたか分からないけれど、若い衆に聞いてみたら寺社組織への怒りが静かに浸透していたからうまくやっているんだろう。
青藍の羽織の見回り組は神徒狩り相手にしてやったりと、ここぞとばかりに偉そうにふんぞり返り、町のみんなの嫌悪をわざわざ煽ってくれている。あたしにとってはありがたい事だった。
そもそも、神徒狩りの方が信奉されている、というのは最初にテンドウさんが教えてくれたことだ。
神徒狩りの仲間たちは放っておいても文句を言って回ってくれる。
メイカ様からの厳命で見回り組との直接の諍いはまだ起きていないが、町全体がぴりぴりした空気に包まれていた。
この空気がきっとあたしたちの追い風になる。
数日後、アギと並んで神徒狩りの詰所を出た。
今日は兄妹そろってお出かけなのかい、と町の人に声を掛けられながら仲良く大通りを過ぎて行く。
そしてやってきたのは、お社でも詰所でも繁華街でも職人街でも、ましてや寺社の本丸でもない。大通りを過ぎ、関所を通過し、都を離れ……お社の力が及ばない場所だった。
蒼都に初めて到着した時に平野を見渡した場所まで戻ると、遠くの海まで綺麗に見えた。空に雲が多くなってきている。鱗のように並ぶ雲は、雨の降る前兆。今夜か、明日には雨が降るかもしれない。
「今日のことはメイカに言ってあるのか?」
「一応……準備はしておいてって伝えてある。師匠には、ぎりぎりまで出てこないでってお願いしたよ。細かいことは伝えてないけど」
メイカ様には危険だって怒られたけど。
というかアギはいつの間にメイカ様のことを呼び捨てするようになったの。
「うまくいくかなあ、あんまり自信ないけど」
「駄目だったら、また別の方法を考えるだけだ。大丈夫、何があっても被害だけは俺が出させねえから。まあただ……」
アギは遠い目をした。
「確実にガーシャは怒るだろうな……」
「怒るよねえ……」
それでもじっとしていられない。大人しく待つなんて出来ない。仕方ない。もともとそういう性分なんだもの。
あたしたちの背後に人型の白い紙がぞわぞわと立ち上がる気配があった。
実は、メイカ様に頼んで何日か前からお社への古銭の奉納を止めてもらっていた。少しでもお社の範囲を狭めるために。
「……来るぞ」
まだ昼過ぎだというのに、この距離で神徒が湧くなんて、作戦の幸先がよすぎる。
キキキキキと何かが擦れる音がする。
「もしかしてさ、あたしって神徒を呼びすぎて世界を滅ぼすのかな?」
「あり得るかもしれねえな」
「それがみんなにバレちゃったら――アギは、それでも一緒にいてくれる?」
「当たり前だろ」
「ありがとう」
アギがいれば大丈夫。あたしは何も怖くない。
忌み嫌っていたこの体質だって利用してやる。
神徒は人を喰う。
それはよく知られていることだ。
古銭を手に入れるためだけではない。人を襲わせないように、神徒狩りは神徒を狩るのだ。
でも、もしその神徒を意識的に、自在に呼び出せるようになってしまったら――
―― ノウマク サ マン ダ
目の前に立ち上がってきた大きな牡鹿の獣型の神徒を、あたしとアギはまっすぐに見つめた。
もし、神徒を意識的に、自在に呼び出せるようになってしまったら、その時あたしはきっと人ではなくなってしまうのだろう。




