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神徒奇譚  作者: 早村友裕
第一章 蒼都編
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蟹討伐(7)

 その姿を見た途端、あたしの背筋にぞわっと冷たいものが流し込まれた。

 目の前にいるのがただのネズミでないことは確かだ。

 靄のようなものが全身から立ち上り、目と口の中は神徒と同じように赤黒く光っている。

 普通は白く発光する神徒に真っ黒な墨を流し込んだかのような存在。大きさは小さいのに、油断できない気配を纏っている。

 黒いのに暗闇の中ではっきりと視認できるのはどういう理屈なのか。

 アギ、ガーシャ、メイカ様、ゴクジョウ師匠が同時に武器を構えた。

 しかしネズミは、勘違いでなければ、武器を構えていないあたしに向かってカッと口を開けた。


――崩壊の原因は お前か


 黒き神徒の声が頭に直接響いた。

「崩壊……?」

 アギが眉根を寄せる。

 あたしを後ろ手にかばいながら。


――お前はいったい誰だ


 ネズミは明らかにあたしに向かって言っていた。


――お前の存在がこの世を壊していく 大黒天(ダイコクテン)様の力を喰って もう直らぬほどの綻びを作って いったいこの先 どうするというのか


 急に叩きつけられた糾弾に、あたしは反応できなかった。

 崩壊。

 大黒天(ダイコクテン)

 綻び。

 言葉の意味は理解できないのに、心の底から震えるほど怖い。

「お前何言ってんだ?」

 あたしに向けられた敵意に反応して、アギが物騒な空気を纏う。


――破壊を止めろ さもなくば死ね


 黒いネズミがあたしに向かって毒を吐く。

 しゅうしゅうと音がしそうなほどの黒い靄がネズミを覆い、毒々しい紫色に変化する。

 怖い。

 何故責められているのかもわからない。どうしていいのかもわからない。

 外道衆に捕まった時とは比較にならないほどの恐怖があたしを襲う。

 アギの着物を握る手が震えた。


――お前を殺せ。さもなくばこの世は終焉を迎えるだろう


 集中力が乱されてアギの眼鏡の維持が揺れた。

 視界の揺れであたしの動揺を感じ取ったのだろう

「うるせえ」

 アギがしびれを切らして三叉戟を横に振った。

 が、視界が悪くなったせいで狙いを外してしまう。

 そこへ、テラスが飛び込んできた。

 大きな両手でぐしゃりと黒いネズミをつぶし、残った黒いカスを口の中に放り込んだ。


「テラス!」

 思わず悲鳴のような声が出た。

 悲鳴と共に、硬直しそうになっていた感情が動き出した。

 心臓がものすごい速さで拍動している。

 怖い。怖い。怖い。

 何故か分からないけれど、怖い。

 存在の根幹が揺らいで、不安定にゆらゆらと、足元が今にも崩れそうで怖い。

「ナユタ、大丈夫だ」

 アギがあたしの震えを止めるように抱きしめてくれる。

 それでも震えが止まらない。

 怖いよ。

 怖い。

 何が起きているのか、何が起きるのか、これからどうしたらいいのか。

 壊してしまう。

 あたしが世界を壊してしまう。

 神徒が出るのはそのせい? あたしをこの世から排除しようとしている?

 あたしは、殺されるべき人間なんだろうか。それとも――

「ナユタ!」

 無理やり上を向かされ、あたしの目の前に硝子(ガラス)越しではない、アギの瞳が近づいた。

「聞け、お前は、お前だ。俺の妹で、奥の山の集落の神徒狩りだ。この世がどうとか、心の底からどうでもいい。それにたとえお前のせいで滅ぶとしても――」

 炎のような緋色の目が、あたしをまっすぐに見つめていた。

「お前が死ななきゃ存続できない世界なら、そんな世界は滅んでしまえ」

 アギの言葉で、あたしの両目から大粒の涙が零れ落ちた。

「俺は、何があろうとナユタ、お前の味方だ。ガーシャの言う通り、何が来ても、誰が敵になっても、負けないように一番強くなってやるから……だから、安心して守られてろ」

 最後は、あたしと、アギ自身に言い聞かせるように。

 変わらぬ誓いを立てるように。

 恐怖は変わらずあたしの全身を蝕んでいたけれど、アギの触れたところだけじんわりと温かく、現実味を持っていた。

 ずっとずっと、あたしの傍で守ってくれていた兄は、世界を敵に回してもあたしの味方であるのだろう。

「お兄ちゃん……」

 縋り付くように両手を伸ばすと、背に手を回して抱き上げてくれた。

 小さい頃から変わらない。

 きっとこれからもあたしだけ(・・)を助けてくれるのだろう。


――たとえその先に待つ未来で、世界そのものが壊れてしまったとしても。


 アギ以外は、言葉にこそしなかったものの、ガーシャは変わらずあたしの頭を優しくなでてくれたし、師匠も慰めるように背を軽くたたいてくれた。メイカ様は昨日と同じように両手を握って、寝る時はまた部屋に来てよいぞ、と言い残してくれた。

 あたしは一人じゃない。

 それだけで、何とか今、ここに立っていることだけは出来たのだ。



 詰所に入る前にガーシャは、あたしとアギを呼び止めた……二人と、少し話がしたい、と。

 人気のない場所を探して、お社にたどり着いた。

 先ほどまで都の人々が避難していたはずのお社は、いまや静寂に包まれていた。

 この短時間でこれほどの避難誘導と、混乱もなく解散できるというのは驚くべきことだ。寺社組織と神徒狩りの連携が取れていて、町の人からの信頼も厚いおかげだろう。

 ただ、踏み荒らされた砂利だけが避難の痕跡として残っていた。

 それも明日には(なら)されて、日常に戻っていくのだろう。

 お社のさらに後ろ、一番奥まで入り込んだところでガーシャは立ち止まった。

「ここならいいかな」

 テラスも足を止め、耳をぱたんとたたんで、尻尾をしまった。

「……あの、さっきの黒いネズミが言ってたこと、実は少しだけ心当たりがあるんだ」

「どういう意味だ?」

 アギの語気が強まる。

「オレが見た夢と、その話が合致するってことだよ。もちろん、ナユちゃんが悪いって意味じゃない」

 夢。

 師匠といった鷺山討伐で、頭痛を訴えて気を失ったガーシャが、震えながら起きた時のことだろうか。

 そういえばあの時、彼はなんて言っていたっけ。

「信じてもらえるか分からないんだけど、どうやらオレがこの物語に関わるのは初めてじゃない(・・・・・・・)気がするんだ。前に一度、オレは同じ世界で生きていたことがあると思う」


 ガーシャの言葉に、あたしもアギも反応できなかった。

「最初に思い出したのは鷺山(さぎやま)を攻略した時だよ。『前にも同じ敵を倒したことがある』って気づいた瞬間に、急に前回(・・)の記憶が蘇ったんだ」

 ガーシャは、大きく息を吐いて、続けた。

(カニ)もそうだよ。前回(・・)は、アギと二人だけで倒した。もちろん、こんなに簡単じゃなかったよ。死にそうになりながら、あの手この手を使って倒すはずの敵だった」

 (カニ)の物語のことを、ガーシャは予知のようなものだといった。

 けれど、それは予知ではなく、一度経験したことだったというのだろうか。

「ちょっと待て、ガーシャ、お前が何言ってるかわかんねえ」

「うん、オレも何言ってんだろうと思うよ」

 アギの言葉に、ガーシャは笑う。

 その笑みがひどく悲痛で、胸のあたりがぎゅうっと絞られるように痛んだ。

「この先オレたちはあと5体の神徒と相対することになる。ぼんやりとだけど、それぞれどういった神徒かも覚えてる」

 もちろん全部夢の話だよ? とガーシャは注釈を入れる。

 夢にしては記憶の断片が鮮明過ぎるんだけれどね、とも。

「もちろん、最初はただの夢だと思ってたんだよ? ひどく後味の悪い夢で、そう、本当に夢であってほしいような結末で。まるで物語を読んだ後のような感覚だから、過去の記憶というより、のぞき見した他の人の人生って感じですごく曖昧でさ。全部を思い出せたわけでもなかったしね」

「お前……ずっとそんなこと隠してたのかよ……」

 アギがうめくように言うと、ガーシャは肩をすくめた。

「うん、だって、うまく話せる自信がなくてさ。そもそもオレだってよくわかってないのに」

「馬鹿野郎っ……」

 どうすることもできない感情をぶつけるように、アギは近くの木を殴りつけた。

 止める間もなく樹木は倒れんばかりに揺れ、幹にくっきりと拳の跡がついた。うん、あとで謝ろう。

「最初、オレは前回(・・)のことをまるっと全部忘れていて、焦燥もなく、穏やかに、本当に楽しく子供時代を過ごすことができたんだ――きっと、ナユちゃんがいたからだ」

 ガーシャはあたしの目を見て、はっきりと告げた。

 金色の瞳に優しい光がおりている。

「だってオレの知る限り、アギに妹はいなかったんだよ?」

 その言葉で、アギは困惑の表情を見せた。

 アギは兄で、あたしは妹だ。それが当たり前で、そうじゃない人生なんて考えられないのに。

 でも、思い出した。


――ナユちゃん、キミは、いったい誰……?


 ガーシャのあれは、存在しないはずのあたしに向けた言葉だったのだ。

 だからあの黒いネズミも、あたしが誰か問うたのだろう。

 いろいろなことがつながっていく。点と点を糸で繋いでいくように。

「理由は分からないけど、きっとナユちゃんの存在そのものが特異点なんだろう。だから、この物語はもはや、オレの知るこれまでの物語とは別のものになっている。もしかしたら、オレの見た悪夢を回避できるかもしれない」

 ガーシャはまるで指揮するように指で空中に拍をとる。

「でもこれまでは、あの時みた夢が本当に記憶なのか、ただの妄想なのか全然分からなかったんだ――でもさっき、あの黒いネズミが言っていただろ? 『この世が崩れ始めている』って」

 ガーシャは笑う。

 悪戯を思いついた時と同じ顔で。

「もしあのネズミが、変わってしまう前の元の物語(・・・・)を望むナニカだとしたら、ナユちゃんはきっと、あいつらからしたら邪魔な存在になるよね。つまり、あのネズミが言ったことこそが、オレが望んでる世界に近づいている何よりの証拠なんだよ」

 あたしはまた、いつの間にか涙を流していた。

 さっきアギに抱き着いて存分に泣いたはずなのに、涙はなかなか枯れてはくれないようだ。

 長い指が頬を撫でて、涙をぬぐっていった。

「オレは、いま、ナユちゃんがいるこの世界が一番幸せだし、一番楽しいよ。だからこそ、この世界を最後まで(・・・・)生きていたいんだ」

 ガーシャが初めて語った本音。

 彼が見ていた世界がようやく理解できた気がした。

 ガーシャは、あの日あの時、過去を思い出した瞬間に、これまでの世界にいなかった人間が突然一人降って湧いたのに、何の躊躇もなく、その場であたしを選んでくれたのだ。

 あのほんの短い瞬間に、それだけ深い覚悟をしてくれていたのだ。

 温かい光が心の奥に灯る。

 涙が止まらない。

「ナユちゃん、きっとキミはオレの福音。オレの望んだ世界への道標――お願いだから、傍にいて。絶対にどこにも行かないで」

 いつか言った台詞を繰り返して。

「さっきアギが言ったことをオレも言うよ。オレは何があってもナユちゃんの味方だ。だから、安心して守られててね」


 最後まで話を聞いたアギは、ふう、と大きなため息をついた。

「で、それで最後か? まだ他に何か隠してねえか?」

「さすがにこれで全部だよ」

 ガーシャが笑った。

「……ま、お前の性格からしてこの辺が潮時か」

「それ、どういう意味?」

 ガーシャが言ってアギが笑い、ようやく肩の力を抜いた。

「しかし、ナユタ一人の存在で、それほど影響があるものなのか?」

「ナユちゃんが神徒を呼び寄せる体質じゃなかったら、オレたちはあんなに毎日神徒を狩って強くならなかったし、ゴクジョウ師匠がオレたちと一緒に都に来ることもなかったし、メイカ様とここまで親しくはなれなかった。古銭をこれだけ集めることもできなかった。全部ナユちゃんのおかげだよ。実感ないかもしれないけど、オレたちの戦闘力は前回(・・)とは比較できないくらいものすごいことになってる。この先も予期しないことがたくさん起こるだろうけど、まあ、オレとアギがいればきっと大概のことは大丈夫だと思う」

 メイカ様は、破壊の化身になり得る野生の獣といったけれど。

 もしかするとそれは的を射ているのかもしれない――あたしのために世界を滅ぼしかねない獣が、少なくともここに2体いることは間違いない。

「だからね、何が言いたかったかって言うと、あんなもの気にしなくていい。これまで通りいればいい。前の世界のことなんて、オレの記憶とあの黒いネズミくらいしか知らないんだから」

 ガーシャは泣いているあたしの頭を撫でながら、こつりと額に額を当てた。

 村を出る時もそうしてくれたように。

「ナユちゃんも、まだオレと一緒にいたいでしょ?」

 それなのに、ガーシャはいつも卑怯だ。

 一つしか答えのない質問をするんだ。

 あたしはガーシャに抱き着いて、顔を押し付けた。

「……一緒、が、いい。あたしが面倒でも、いなくならないで……」

 涙でぐちゃぐちゃになりながら、わがままを言わされるんだ。

 そして、それでいいんだよ、って無理やり納得させられるんだ。


 あたしのせいで二人の人生を縛ってしまうんじゃないかと思っていた。

 そんな甘い話じゃなかった。

 この先の世界の行く末まであたしの存在が縛ってしまうのだとしたら。

 あたしはいったいどうしたらいいのだろう。

 心がバラバラに千切れてしまいそうだ。

 自責の念で押しつぶされて、このまま砂になって消えてしまいたい。


 だから一つだけ許してほしい。

 あたし自身のためじゃなく、この世界で生きたいと願ったあなたのために、世界に反する覚悟をさせて。

 砂のようにばらばらでさらさらに崩れた心を拾い集めて、今までと同じように進むと誓うから。


――自分自身の在り方を人に委ねる卑怯な生き方でしか、今は未来を信じられそうにないから。



 ガーシャはこの先の物語を知っているといったけれど、それはあくまであたしがいない世界の出来事で、すでにお話は大きく筋道を外れてしまっているらしい。


 だからきっと、あたしは知らなくちゃいけない。

 あたしがいったい何なのか。

 神徒がいったい何なのか。

 もしかしたら、父と、メイカ様の父上が10年前に追い求めていた真実を。


 その先にあたしたちの求める未来があると信じて。


 ただ、今はもう少しだけ、過保護な兄たちのやさしさに身を(ゆだ)ねていたかった。



第一章終了です。

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