秋祭り(1)
本日は晴天なり――いや、本日も、かな?
爽やかな秋晴れの空を見上げ、大きく深呼吸した。
向こうの道場では早朝だというのに稽古の声がする。師匠の怒号が飛んでいるから、アギとガーシャもそちらにいるはずだ。
蟹の異形をメイカ様が討伐してからやくひと月、蒼都はすっかり秋の気配に包まれていた。
もうすぐ恵比寿様を讃える秋のお祭りが始まるそうで、町全体がお祝いの雰囲気になってきている。道端に提灯がつけられ、どこか浮かれた空気だ。
蒼都は水運が発達した都で水路が碁盤の目のように走っているので橋がたくさんある。その橋の欄干も藁で作った注連縄や収穫された野菜で飾り付けられ、船で移動する人の目を楽しませていた。
大通りで魚屋の前を通ると、おじさんが声をかけてくれた。
「今日はいいフクラギが入ってるよ。メイカ様にもぜひ召し上がっていただきたいんだが」
聞きなれない名前は、たいてい海の魚だ。
蒼都に滞在したこのひと月であたしは海の魚の虜になっていた。主に、食べる方面で。
川魚とは違う脂の乗り方、多種多様な身の色に味。すぐそこが港なのでどれも獲れたて、新鮮だ。刺身にしてもいいし煮つけにしてもいいし、ただ焼くだけでもおいしい。
フクラギは真ん中に横一本黄色い線が入った魚で、両手でようやく持てるほどの大きさだった。これなら捌けばみんなで一緒に食べられそう。
「アラは大根と煮てもおいしいが、身は新鮮だから刺身にするといい」
「ありがとう! 二匹……いや、三匹ください!」
もちろん思い付きで買い込んでいるわけでない。
神徒狩りの詰所でお世話になっている間はせめて、と台所仕事を手伝っているのだ。
普段はメイカ様のおつきの女性が料理をしていたのだが、あたしとアギとガーシャと師匠が転がり込んだものだから、食事の用意だけで大変そうだったのだ。申し訳ないのであたしから申し出て、いくらかの家事をすることになった。
早朝の買い物もその一つだ。
魚をカゴに乗せてもらい、帰路につく。
途中で初物の里芋を見つけて、これも購入した。
お米もそろそろなくなってきたから、後でアギかガーシャに買い物を手伝ってもらおう。
ひとところに長く落ち着いたのは集落を出て以来だった。
ここで暮らせているのは、ひとえにメイカ様があたしたちを神徒狩りの一員として迎え入れてくれて――あたしは名目上メイカ様のお世話係だけど――曲がりなりにも神徒を狩って、古銭を奉納し、蒼都の秩序に貢献できているからだ。
メイカ様からはしばらくゆっくり休めと言われていたし、何より、アギの眼鏡を予備も含めて何本も作っておかなくてはいけなかったので滞在するしかなかったのもある。
それに、ちょうどお祭りがあるからと言って引き止められていたのだ。
明後日から秋祭りが始まるので、今日と明日は前夜祭になるそうだ。このままお天気が良ければ明日の夜からは屋台がたくさん出て、天気が良ければ花火も上がるらしい。
とても楽しみだ。
でも、お祭りが終わったらそろそろ旅立たなくちゃいけないな。
一瞬、物思いに耽ったとき、前から誰かがぶつかってきた。
買ったばかりの魚が宙を舞う。
大事な今日の晩御飯だ。落とすわけにはいかない。
あたしは上を見ながらひょいひょいひょい、と魚をうまくカゴで受け取った。よし、大丈夫! 落としてない!
「いててて……」
目の前には尻餅をついた少年……と呼ぶか、青年と呼ぶか微妙な年ごろ。
「あっ、ごめんね! 大丈夫?」
「大丈夫です。申し訳ございません、本を読みながら歩いていて……」
その人は慌てて立ち上がった。
でもその顔にはとても見覚えがある。気の強そうな目に亜麻色の柔らかそうな髪。
「あれ、メイカ様……?」
「いえ、違いますよ」
そうだね、でもよく似てる。
よく見るとアギのように眼鏡をかけている。メイカ様より身長も高いし、ひょろっとした感じだ。服も普通の着物ではなく、詰襟の珍しい形をしていた。
じぃっと見ていると、その人は口元を押さえて目をそらした。
しまった、失礼だから人の顔をまじまじと見るなってガーシャに言われてたんだった。
「もしかして、貴方はナユタ様、でしょうか?」
「そうだよ。あなたは?」
「僕はセイカと申します。メイカの、従兄にあたる者です。ナユタ様の事はメイカからよく伺っております」
メイカ様と似た風貌で、まったく別の表情で、セイカはにこりと笑った。
「ナユタでいいよ。ごめんね、あたしもちょっと考え事してたんだ」
「では、ナユタ、お詫びにお荷物をお持ちしましょう。ちょうどメイカを訪ねようと思っていたところですから、ご一緒します」
セイカはなんだかひょろひょろしていて頼りない。袖から見える細い手首を見ていると、多分あたしの方が力持ちなんだけど……わざわざ断るのも申し訳ないので、セイカに魚のカゴを渡した。
サトイモの方は、あたしが持っておこう。
セイカは勾玉持ちではないのでメイカ様のように神徒狩りにはならなかったらしい。メイカ様より一つ年上で、いまは寺社組織の幹部に近い立場にいるとか。
「神徒狩りの長であるメイカと従兄なので、寺社組織と神徒狩りが連携をとるときには間に立つことが多いですね。あとは、見回り組と神徒狩りが小競り合いした時も、収拾を付けるためにメイカと二人で呼ばれることも多いですよ」
そのうち出会うこともあるかもしれませんね、とセイカは言った。
とても落ち着いた人だ。
あたしの周囲の同世代の人間はもれなくとても喧しいから、とても新鮮だ――ガーシャもぱっと見は穏やかだけど、性格が全然穏やかじゃないし。
「ナユタはお祭りに行かれるのですか?」
「うん。お兄ちゃんと一緒に行くつもりだよ。大きい町のお祭りは初めてだから楽しみなんだあ」
にへらと笑うと、セイカも笑い返してくれた。
メイカ様と似ているのに、口調も雰囲気が全く違っているのは変な感じだ。
そう思いながら並んで歩いていると、向こうからアギがすごい速さで走ってきた。
「アギ」
ぼーっとしていたら、あたしが持っていた袋のサトイモとセイカが持っていた魚のカゴを片手で持って、あたしとセイカの間を歩き出した。
荷物持ちに来てくれたのかな?
「ありがとう、アギ。でもあたしそのくらいなら持てるから大丈夫だよ」
「いい。明日からも、買い物は着いていく」
「そうなの? よかった、ちょうどお米が足りなくなりそうだったから助かる! 明日はお願いね。忘れて稽古に行かないでね」
「わかった」
いつも通りのアギだけど、一緒に歩いてきたセイカはびっくりしているようだ。
「どなた……でしょうか」
「びっくりさせて、ごめんね。あたしの兄だよ。体は大きいけど怖くないよ」
「ああ、お兄さんでしたか」
セイカはほっとした顔をした。
突然、ガタイのいい謎の人間がやってきて荷物を取り上げられたらびっくりしちゃうよね。ごめんね。
アギはもう少し愛想というものを学んだ方がいいと思う。
詰所に着いたら、食材を調理場へ運ぶから、と言ってセイカと別れた。セイカはメイカ様のところへ行くらしい。
「あれ、誰だ?」
「セイカっていうの。メイカ様の従兄だって。町で会ったんだけど、メイカ様のところに行くって言うから一緒に来たの」
「知らないやつに声かけるなっていつも言ってるだろ」
「アギ、うるさい」
あたしは早々に聞き流した。
他の神徒狩りと話していても邪魔してくるし、人数の多い稽古には入れてくれないし、アギの過保護にはそろそろ辟易しているのだ。
そこへガーシャがやってきた。
「アギ、また何かしたの?」
「ナユタが知らないやつと歩いてたから注意しただけだ」
「あー、ナユちゃん無防備だからねえ」
うるさいのが二人に増えただけだった。
「なにこれ、イナダ? もう秋だねー」
「このお魚はフクラギっていうらしいよ」
「そうなの? じゃあオレの記憶違いかな」
アギの持っている魚をつんつん突いて。
「そういえば、明日の夜のお祭りはアギと行くんでしょ。オレ、メイカさんに手伝い頼まれてるから先行ってて。終わって、行けたら追いかけるから」
「あー……それなんだが」
アギが言いづらそうに切り出した。
「明日の夜はテンドウさんの伝手で花火の打ち上げが見られそうなんだ」
「え? 打ち上げ? 上がったのを見るんじゃなくて、打ち上げる方ってこと?」
「ああ。だから、ナユタ、悪いけどガーシャと二人で行ってくれるか?」
「えー?! 明日の夜は一緒にお祭り行こうって言ってたじゃん!」
「すまん。どうしても、花火の打ち上げの方が見たい」
アギの決意は固いようだ。
知っている。
戦うことと同じくらい、職人技を見たり習得したりするのが好きなのは知っている。しかもアギが懐いているテンドウさんに誘われたら、そりゃあ行っちゃうだろう。テンドウさんもよくアギのツボを心得ているものだ。
しかも花火の打ち上げなんて、この機会を逃したら見られないに違いない。
何ならあたしだって見られるものなら見てみたいよ!
「お兄ちゃんの馬鹿―!」
こんな大きな町のお祭りなんて初めてなんだから、一緒に行って欲しかったのに。きっと一緒にまわったら楽しいだろうなあって思ってたのに!
その様子を見ていたガーシャがあはは、と笑った。
「いいよ、ナユちゃん。オレと一緒に行こうか。でも、夕方からメイカさんの手伝いがあるから、終わるまでは少しだけ待っててくれる?」
いじけてメイカ様の私室横の縁側で足をぶらぶらさせていたら、ふすまが空いてセイカが出てきた。
話は終わったのかな?
「おや、ナユタ。どうされましたか」
「お兄ちゃんがさ、一緒にお祭り行こうって言ってたのに、行けなくなっちゃったの」
そう言うと、セイカは口元に手を当ててささやかに笑った。
「……失礼、あまりに悩みが愛らしいので」
「だからちょっと一人でふてくされてただけだよ」
そう言ってもう一度足をぶらぶらさせ始めたら、セイカはもう一度笑った。
「可愛らしい方ですね。メイカが羨ましい」
セイカは跪いてあたしに手を差し出した。
「それでは、お祭りは僕と一緒に行きませんか?」
「セイカあああ!」
すぱーんとふすまが空いて、メイカ様が飛び出してきた。
「貴様、祭りのすべてを台無しにする気か!」
「いったいどういう意味でしょうか?」
「どうもこうもあるか、不用意にヤツらに喧嘩を売るんじゃない! 何をされるか分からんぞ! ナユタも安易に返事をするでないぞ」
メイカ様がセイカの胸倉を掴んでがくがく前後に揺らした。
「僕はただ、ナユタと一緒なら楽しそうだと思っただけですよ」
「ナユタだけは駄目だ」
別にあたしは構わないのだけど。メイカ様に似ているセイカに対して苦手意識はない。年の割に落ち着いた人だし、アギやガーシャほど見上げなくていいから気楽だし。
あ、でも、お祭りはガーシャを待ってるって言っちゃったな。
「ナユタ、どうせアギがいけないのであればガーシャと行くのだろう。すまんな、夕刻の舞台だけ手伝ってもらうが、すぐに開放してやるから大人しく待っていろ。あいつを敵に回すつもりはないからな!」
お祭りの日は、メイカ様があたし用の浴衣を用意してくれていた。
いつもは動きやすいように丈の短い着物しか着ていないから、しっかりと足まである浴衣を着るのは幼少のころ依頼、初めてかもしれない。
せっかく用意していただいたものを無碍にするわけにはいかないので、用意していただいた桔梗柄の美しい浴衣を着てきちんと髪も結っていくことにした。
メイカ様は、お祭りの最初に舞の奉納をすると言っていた。だからメイカ様もガーシャもお社のところにいるはずだ。
詰所の神徒狩りには似合っていると褒められたから大丈夫だと思うけど、帯を詰めすぎてちょっと苦しい。
さらに慣れない浴衣に足をとられながらなんとかお社の階段下までたどり着き、ゆっくりと石段を登ろうとし始めたが――
いや、これは無理だな。
あたしは早々に諦めた。あたしの知る作法では浴衣の裾をはだけさせてはいけないし、大股で石段を登るなんてもってのほかだ。
じゃあ、あとはもう飛ぶしかないじゃないか。
でもそれをやったら確実に叱られるのは目に見えている。
途方に暮れていると、声をかけられた。
「今晩は」
振り返ると、そこに立っていたのはセイカだった。
そういえば、一緒に行こうと誘われもしていたんだった。
詰襟のきっちりした服は、浴衣も多い緩んだ雑踏の中では少し目立っている。心なしか周囲の視線を感じるのは、セイカが目立っているせいだろう。
じぃっと見ていると、目をそらさずに見つめ返された。まるでメイカ様に見つめられているみたいだ。
「何か気になりますか?」
「セイカを見てると、メイカ様を見てるみたいで落ち着くの」
「貴方は本当にメイカを敬愛しているのですね。メイカはその立場上敵も作りやすい。これほどメイカを慕っていただけるのは、従兄として非常に喜ばしい事です。でも……」
セイカはそこで少し、躊躇った。
「……あまり男性のことを見つめるものではありません。勘違いされてしまいますよ?」
いつだったか、ガーシャが言っていたのと同じ台詞で。
「お連れの方はいらっしゃらないのですか?」
「残念だけど、この上にいるんだよ。メイカ様の舞台を手伝うって言ってたから」
「では、僭越ながら僕が付き添いましょうか。ご苦労されていそうですから」
「いいの? ありがとう」
差し出された手を取ろうとしたら、あたしの後ろから不意に手が伸びてきた。
上から掴むようにあたしの手を止めて、ついでに腰に手を回して引き寄せたのはメイカ様の舞台を手伝っているはずの幼馴染だった。




