蟹討伐(6)
都への道すがら、大小問わず蟹の神徒が地面から湧きだしていた。
最大火力のアギが役立たずなので、あたしたちはとにかくお社の範囲に撤退するしかない。
神徒が湧き始めたことが伝わったのか都の方から人が走ってくる。
「これはいったい……メイカ様は?!」
神徒狩りの人だろうか。ガーシャは足を止めずに答えた。
「メイカ様は今も地下洞窟で討伐している。眷属が地下から湧いてきているから、そっちは地上で対処しないと」
「わかった、招集する」
その人は、首から下げていた笛を吹いた。
ぴいいいい、と鋭い音が響き渡り、緊急招集の合図になる。
「オレは戻ってお社に古銭を奉納して守りを強めるよ。メイカ様の許可は得てる。その代わり、出てきちゃった神徒の方はお願い」
ガーシャは神徒狩りの人に後を頼むと、再び都への道を駆けた。
「神徒狩りの人といつの間に知り合ったの?」
「昨日かな?」
「その割に親しそうだね……」
メイカ様はあたしに人たらし、といったが、ガーシャの方がよっぽど人脈が広いと思う。にこにこしながら相手の懐に入るのがうまい。特に大人相手にはいつもそうだったっけ。
「古銭はまだ、神徒狩りの詰所のメイカ様の私室にあるんだ。ナユちゃん、場所分かる?」
「うん、わかるよ」
メイカ様の私室を思い出し、おそらくあの頑丈そうなつづらの中だろうなとあたりを付ける。
「じゃあそっちはお願い」
詰所の入り口で、あたしは単独でメイカ様の私室へ向かった。
詰所にはほとんどだれもいない。
おそらく皆、蟹の討伐に向かっている。
忍び込むようにしてメイカ様の私室に入り込み、勝手に開けてごめんなさい、と謝ってつづらを開けると、そこには大きな袋が雑に入っていた。おそらくこれだろう。
あたしはそれをよっこいしょと持ち上げた。重い。
一応、女性の私室だからアギもガーシャも遠慮したのだろうけど。
袋を持ち上げると、その下に見たことのある着物が大切そうに折りたたまれていた――アギと同じ、猩々緋色の着物だった。
それが何なのか考えそうになったが、考える前につづらを閉じた。
大きな袋を担いで戻ると、ガーシャが待っていた。その手には薬箱を持っている。
「さ、ちょっとそこに座って。先に消毒しよう」
そう言いながらあたしを庭石に座らせた……これ座っちゃいけないやつな気がする。
忘れていたけど、膝に怪我をしていた。よく見るとざっくり切れてしまっている。血は固まり始めていたが、まだじゅくじゅくと傷口は塞がっていなかった。
「ちょっとしみるよ」
ガーシャが傷口に水をかけて洗う。
忘れていた痛みが戻ってきて思わず顔をしかめた。
空気に触れるとずくんずくんと疼く。
「うん、歩けてるから大丈夫だと思ってたけど、骨は平気。傷も化膿しなければそのうち塞がると思うよ。清潔を保ちたいから何日かは毎日包帯を取り換えようか」
布に軟膏を塗りつけて傷口に貼ると、慣れた手つきで包帯を巻いた。
「はい、終わり」
「ありがとう!」
久しぶりにガーシャが薬師らしい仕事をしている気がする。
ここのところ戦わせてばかりいたからなあ。本職ではないのに申し訳ない。
「他に痛かったり、違和感のあるところはある?」
「背中がちょっと痛いかも……たぶん、さらわれる時に何かされたんだと思うけど」
あとは転がされたときに擦り傷がいくつかできているけれど、こちらは大丈夫だろう。
着物の襟元を緩めて、ガーシャが首筋辺りから覗き込んでみるけれどよく見えないみたい。
「うーん……さすがにここで脱がすわけにいかないから後で診るね。動けなさそうだったら教えて」
でも、いったい何をされたんだろう。外道衆は一瞬で意識を刈り取るような手段を持っているということだから、その手段は解明しておいた方がいい。
詰所の入り口まで戻ると、町がにわかに騒がしくなっていた。
神徒が都の近くに大量に湧いたことで、避難の指示がでているらしい。神徒狩りかと思ったが、誘導支持をしているのはそろいの青藍の羽織の人たちだ。
お社に逃げるよう、混乱しないよう、大声を上げて、旗を振りながら人々を導いている。
「……すごい」
統率されたその動きに、あたしは純粋に感動した。
神徒狩りが神徒を倒す間、人々を守っているのは寺社組織の見回り組の人たちなのだ。
その時、混乱せず避難する人たちに逆らって、転がるように走ってくる人影があった。
人影を先導しているのはテラスだ。
いったい誰を連れてきたんだろう?
「……テンドウさん!」
テラスがアギのところへ連れてきたのは鍛冶屋のテンドウさんだった。
運動は得意じゃないのか、ハアハア息をしてへとへとになりながら、それでもここまで急いできてくれたようだ。
「これ、できたから届けに来た。硝子部分はこれから作るんだけども、とりあえず余ってた硝子をはめてみた……ないよりもマシかと思って」
どうやら新しい眼鏡の枠をわざわざ持ってきてくれたみたいだ。
アギの視力に合ったものではないが、いったん眼鏡の形にしてくれたらしい。
洞窟でなくしたものより細い縁で、落としにくいように耳に駆ける部分を大きく曲げてある。
渡された眼鏡をかけてみたアギは、何度か瞬きをして、自分の掌を見た。
「ちょっとだけど見えるな。神徒と人間の区別はつく、と思う……かな……たぶん」
「……神徒を倒しに行ってもいいけど人間を吹っ飛ばさないでね?」
不安しかない。
最大火力で仲間の神徒狩りを吹っ飛ばしかねない。
表面を凹に削った硝子は、曲面によって矯正できる視力が異なる。おそらく、いまはめ込んであるものは少し弱い屈曲なのだろう……であれば、凹面になったものがあればいい?
はっとした。
そう、あたしは一度作っているじゃないか。あれをもっと精密に調整できれば――
「テンドウさん、硝子をはめていただいたのに申し訳ないんですけど、外すことできますか?」
「あ、ああ、簡単に外せるよ」
テンドウさんが眼鏡の硝子を外してくれる。
あたしは、集中して真言を唱えた。
鷺山で望遠鏡を作った時を思い出し、水の塊を小さく集めて、紡錘形の反対、凹面を作り出す。
あの時より小さく、きちんと枠に収まるように。
空中で収束し始めた水の球を見て、テンドウさんが声を失っている。
「アギ、かけてみて。微調整したいの」
「あ、ああ」
アギが眼鏡をかけ、周囲を見渡す。
「何だこれ、これまでで一番よく見える」
震える声でつぶやくと、あたしの顔をまじまじと見た。
「ナユタ、お前本当に、すごいな」
「これなら戦えそう?」
「無論」
アギがにぃっと笑った。
はやく動きたい、とでも言うように。
「テンドウさん、ありがとう。すぐに枠を作ってくれて」
あたしは深々と頭を下げた。
「いや、こちらこそ……すごいものを、見せてもらった。神徒狩りというのはすごいんだなあ」
拝みだしそうな勢いで頭を下げたテンドウさん。
「テンドウさんも、早く避難してください。気を付けて」
テンドウさんを見送って、ガーシャがあたしたちを見渡す。
「アギはもう大丈夫?」
「ああ」
「ナユちゃん、アギの眼鏡はどの程度維持できそう?」
「あまり距離があると崩壊しちゃうかも。それ以上は、初めてだから分からない」
「わかった。そうしたら、アギとナユちゃんは都に入ってきそうな神徒だけ相手にして。あまり遠くまで行かないで。テラスは、他に逃げ遅れたり、襲われたりしてる人がいないか見回って」
わん、と返事をしたテラス。
テンドウさんを連れてきてくれたのもテラスだった。本当に賢い狼だ。
「じゃあ、オレは古銭を奉納してから海岸のメイカ様の方に向かう。アギ、今度こそナユちゃんを任せたからね」
散開したあたしたちは、それぞれ持ち場に向かった。
アギとあたしは都へ続く道の防衛だ。
神徒狩りが対処しているだろうが、大半の戦力を洞窟の蟹の討伐に割かれているので、苦戦していることだろう。
「いた!」
うっすら発光する白い蟹の神徒が大挙して押し寄せている。
「俺も見えてる!」
アギは真言を唱えると、上空に飛び上がった。
三叉戟を手に、そのまま急降下する。
横薙ぎ、縦割り、刺突。
あたしの目には映らない程度の攻撃で、無数の蟹の神徒がはじけ飛んだ。
猩々緋色の衣が宵闇の風に翻る。
あたりはほぼ闇に落ちてきている。
おかげで発光する神徒の居場所が分かりやすい。
大丈夫、アギの眼鏡は維持できている。集中力を切らさなければ、アギがこの場の神徒を蹴散らす程度の時間は平気だろう。
「全員どいてろ!」
アギの声が届いたのか、最終防衛線で戦っていたらしい神徒狩りたちは都側に退避した。
あたしは皆が退避したあたりに着地した。
見ればここには10名程度の神徒狩りしかいない。
彼らは呆然としていた。
あたしの向こうで、まるで戦いの化身のごとくに神徒を蹴散らし続けるアギをただただ見ている。
――アギとガーシャの二人で倒せない神徒は蒼都の神徒狩りでは倒せない、と即断言したのだぞ? それがいったいどれだけの賛辞なのかは知っておいた方がいい
メイカ様の言葉が蘇る。
あたしの二人の兄はやっぱりとんでもなく強いらしい。
すると、年かさの神徒狩りの一人がぽつりとつぶやいた。
「……ラクシャ様」
あたしがはっと声の主を見ると、その人は慌てたように顔をそらした。
ああ、きっと似ているんだな。父もあんな風に、皆の先頭に立って戦っていたのかもしれない。
あたしはそれ以上追求せず、ただ微笑んだ。
「大変だったね。ここで止めてくれてありがとう。もう大丈夫だよ」
怪我をしている人もいそうだ。
あとでガーシャに見てもらおう。
アギが獲り漏らした小さな神徒を撃ち抜きながら、あたしは彼らの守りに徹した。
その時、都の方向で大きな光の柱が立ち、都全体を光の波が駆け抜けた。
きっとガーシャが古銭を奉納してくれたに違いない。
その光で小さな神徒は蒸発するように消え、大きな神徒も動きを止めた。
動けない蟹などアギの敵ではない。
横薙ぎ一閃、すべての神徒は人型の紙きれに戻って、消えた。
すべての討伐を終えたアギがあたしのもとに戻ってきた。
「ナユタ、すごいぞ、これ。本当に何でも見える」
興奮したアギがあたしの肩をがくがくと揺する。
でもね、今も普通の人の視力くらいになっただけだと思うんだよ。たぶん、これまで使っていた眼鏡も最低限の視力を補っていただけだったんだろうと思う。
とはいえ、硝子を研磨し強度の高いものを製造するのは容易ではないだろう。
今後も戦闘時はあたしが眼鏡を構築したほうがいい気がする。もう少し楽に構築する術を考えておこう。
「アギ、ナユちゃん、大丈夫?」
テラスと共に駆けてきたガーシャにも、アギが興奮して眼鏡のよさを伝えている。
ガーシャはわかったわかった後で聞く、と止めた。
「アギとナユちゃんはここにいて。オレはメイカ様のところを手伝ってくる」
ガーシャがそう言って飛び出しそうになった時、大きく地面が揺れた。
「何だ?!」
暗くて見えづらいが、地面が盛り上がってきている気がする。
どおん、どおんと何度も音がする。
「……下から何かくる?」
ガーシャの言葉と共に、地面にはっきりとわかるほどのひび割れが入った。
アギが咄嗟にあたしを引き寄せ、テラスが守るように前に立った。
そして地面が完全に割れ、下から現れたのは異形の神徒――メイカ様たちが討伐しているはずの、蟹の神徒だった。
それを追うようにして、メイカ様がしたから飛び上がってきた。
「何度も何度も隙間へ逃げよってからに! 地上に出たからにはもう逃さん」
メイカ様が真言を唱えると、彼女の頭上に光り輝く剣がぞろりと大量に現れた。
一本一本がメイカ様自身の身長ほどもある剣が、彼女の頭上で円を描くように整然と並び、回転する。
きぃぃん、という高音が耳を刺した。
暗闇の中、美しい光輪に照らし出されたメイカ様は本当に神々しく見えた。
「ゴクジョウ!」
「応!」
こちらも下から飛び出してきたゴクジョウ師匠が、蟹の腹を殴り上げる。
すさまじい衝撃で蟹の体が持ち上がった。
「これで……終いだ!」
メイカ様の剣が高速回転して蟹の腹を縦に裂いた。
最後にガーシャが手をかざし、蟹のはさみを若草色の糸で掴んで左右に引っ張ると、蟹の体はあっけなく半分に千切れて、地面にどおんと横たわった。
討伐が終わった瞬間、わあっと大きな歓声が上がった。
あたしもほっとして力を抜く。
蟹の体は崩壊をはじめ、じゃらじゃらと古銭が湧きだしていた。
「よかった。大丈夫だったみたいだね」
ガーシャがにこにこ笑うと、こちらに気づいたメイカ様が剣呑とした表情になった。
「お主……早々に離脱しておいていい身分だな」
「代わりにナユちゃんは助けてきたよ、ありがとうね。やっぱり外道衆の仕業だったみたい」
いつの間にかメイカ様相手にも敬語を使わなくなっているガーシャが怖い。
やっぱり人たらしはあたしじゃなくてガーシャの方だ。
「ナユタが助かって何よりだ。あのまま怒り狂ったアギに都を破壊されるかと心配したぞ」
冗談とも本気ともつかない声の調子で。
……え? もちろん冗談ですよね?
「ナユタ、お主には破壊の化身になる可能性のある野生の獣が2体もついていることをもっと自覚したほうが良い。本当にいつか何もかも破壊されかねん」
「あー……あのね、えー……それなんだけど、都は無事なんだけどさ……」
ガーシャはまた歯切れ悪く言った。
「なんだ、怒らんから早く言え」
「……あっちの方にあった島なんだけどね、ナユちゃんが捕まってたところ。アギが、半分消しちゃった」
「はああああ?! 島を消した?!」
メイカ様の代わりに叫んだのはゴクジョウ師匠だ。
まだまだ何か言いたげな師匠を制し メイカ様は諦めたようにひらひら手を振った。
「もうよい。今日はこれが討伐できただけで十分だ。主らの悪行は明日以降に確認する」
蟹は完全に姿を崩し、残されたのは山のような古銭だ。
集めるだけでも大変そうだが、神徒狩りの人たちが何とかしてくれるだろう。
ああ、そういえば砂浜にも蛸の古銭を放置したままだな。あっちも集めてもらわないと。
―― ノウマク サ マン ダ
その時、神徒の声がした。
ぞわっと背筋を冷たいものが這い上がる。
思わずアギの腕に縋り付いた。
「まだ……いる……」
あたしの言葉で、みな再度臨戦態勢に入った。
もう一度あの大きさの神徒が出てくることを予想して。
が、そこにいたのは闇に溶けるほど真っ黒で、掌に乗るくらいの大きさしかない――ネズミだった。




