蟹討伐(3)
何も見えてないアギを連れて帰路を急ぐのは困難なので、仕方なく、ゆっくり帰ることになった。
「硝子のレンズ以外なら、テンドウさんのところで作ってると思う」
アギが言った。
テンドウさんは、昨日、アギが扉を壊した鍛冶屋の名前だ。
眼鏡の型も作っているのか。
「じゃあ、最初にテンドウさんのところに行ってみよう。眼鏡を作ってるなら、おそらく硝子研磨の工房ともつながりがあるはずだよ」
きたときの倍以上の時間をかけて都の中心街に戻るころには、昼はとうに過ぎ、夕刻が近づいている時間帯だった。
しかし、都の中に入る前に、あたしたちは歩みを止めた。
腕組み仁王立ちの師匠が、帰り道の真ん中に突っ立っていたからだ。
何を言われるかだいたいわかっていたけれど、あたしたちは諦めてその叱責を受け入れる覚悟をした。
あたしたちは、テラスも含めて神徒狩りの詰所に連行された。
見たことのないくらい大きなお屋敷。白塗り漆喰の立派な壁に囲まれた広い邸内にはいくつもの建屋があって、そのうちの一つは鍛練用の大きな道場になっているようだ。中からおそらく稽古中と思われる神徒狩りの気合が聞こえてきていた。
師匠に連れられてその道場を通り過ぎ、さらに奥のかしこまった建物の中に入っていった。
叱られると思っていたのに、ほぼ無言でここまで連れてきた師匠が怖い。
相当怒ってるのかな……いや、あたしたちのせいなんだけど。
建物の中の長い廊下を過ぎて、一番奥の部屋まで来た。
師匠がふすま越しに声をかけると、すぐにふすまが開かれる。
「おお、来たか」
中で待っていたのは、神徒狩りの長のメイカ様だった。
客間なのだろうか、立派な掛け軸の飾られた床の間の部屋で、あたしたちは緊張していた。雪見障子の向こうにも、鹿威しのある立派な庭が見えている。
「さて、主らにいくつか聞きたいことがある」
メイカ様は脇息にもたれ、座椅子に腰かけている。師匠も近くに正座して控えた。
こうしているとメイカ様が本当に偉い人なのだという実感がある。
それなのにあたしたちときたら、海に落ちたり洞窟に入ったり蟹に襲われたりしたのであまりに薄汚れている。
綺麗に目のそろった美しい色の畳を汚してしまいそうだ。ごめんなさい。
「はい、なんでしょうか」
ガーシャが代表して答えた。
「海に神徒が出たと報告があった。そして神徒狩りがそれを倒したと。それは、お前たちの仕業か?」
「はい、そうです。すみません、海だったので古銭の回収は出来なかったんですけど」
「それはよい。本来なら我々蒼都の神徒狩りがせねばならぬことだ。代わりに討伐してもらって感謝しておる」
とはいえ、あの神徒が出たこと自体があたしのせいなんですけど。
メイカ様は師匠から色々聞いたって言ってたし、知ってる気もするけど。
「それから、氷見の港近くの岩礁で崖崩れがあったと聞いたが、それもお前たちが絡んでおるのか?」
「あー……はい。えー……それに関しては報告したいことがあります」
歯切れ悪く、ガーシャは言った。
申してみよ、とメイカ様が促した。
「……あの岩場に、巨大な神徒が潜んでいます」
「はあ?!」
メイカ様は細い眉を吊り上げた。
「偶然ではあるのですが、迷子の子供を探していたら洞窟を発見したんです。その奥に、異形の神徒とその眷属が巣を作っているのを見つけました。オレたちだけでは討伐は困難だと思い、逃走する際に追えぬよう洞窟の天井を破壊して、道を埋めました。崖崩れが起きたのはそのせいだと思います」
ちょっとだけ、ごまかそうとしているね。
討伐は困難になったのはアギが勢い余って天井にぶつかったせいだけど。
何かを適当にごまかそうとしたのが伝わったのだろう、師匠がガーシャをうさん臭いものを見るような目で睨んだ。
「討伐困難? アギとお前がいて相手にならずに退散するほどの神徒となると、蒼都の神徒狩りにゃ討伐できねえぞ?」
「大丈夫だよ、見て師匠。アギの眼鏡が壊れちゃったんだよね。何も見えてない」
アギは眼鏡がないせいで眉間にしわが寄ってひどく目つきが悪い。そんなことをしてもほぼ見えてないだろうが。
現に、ガーシャが顔の前で手をひらひら振っても、さらに目を細めただけだった。
それを見た師匠がはあ、と大きくため息をついた。
「……だいたい分かった」
メイカ様も小さくため息をつき、どうすべきか思案しているようだった。
「都近くに神徒が出たとなると、早めに討伐せねばならん。ゴクジョウ、お前が都にいる時でよかった。手伝ってくれるか?」
「嫌だと言いたいが、そんな返答は受け付けていないんだろ? わかったよ」
とても、とても嫌そうに。
大丈夫だよ、師匠。鷺と違って蟹なら地上戦ですよ。
「アギ、いいからお前は眼鏡を何とかしろ。ガーシャ、討伐は蒼都の神徒狩りで隊を組むから、お前は責任もってこっちを手伝え。ナユタ、お前は動くとややこしくなるから絶対に都から動くな」
的確な指示を出した師匠は、もう一度大きくため息をついた。
ガーシャはその様子を見て肩をすくめた。
「オレたち、とりあえず師匠に叱られると思ってたよ」
「……怒りの臨界点なんざとっくのとおに通り過ぎてんだよ。今は、怒る気力もないほどただただ疲れてる。よくもまあ次から次へともめ事を持ち込めるもんだ。もはや一種の才能だろ」
心から、本当に疲れた声で師匠は言う。
本当にごめんね。
「でもさあ、オレ、ナユちゃんが心配だからできれば一緒に行動したいんだけど」
「お前は安定して過保護だな……でもダメだろ、こいつがいると無限に神徒が湧いちまう。アギが役立たずならお前が現地に行くしかねえのに、ナユタまで連れてくわけにはいかない」
「えー」
不満を言うガーシャに少しほっとする。
いつも通りの過保護な二人目の兄に戻っていた。ほっとするのもどうかと思うが。
「大丈夫だよ、ガーシャ。あたし、アギと一緒に眼鏡探してくるよ。アギ一人じゃ行けないだろうし。お社から離れなきゃ大丈夫でしょ? ガーシャが帰ってくるのをちゃんと待ってるよ」
あたしがそう言うと、ガーシャは不満ながらも承諾した。
「ナユちゃん、絶対に変な人についてっちゃダメだよ、できればすぐに誰にでも話しかけるのもやめた方がいい。それから知らない場所に行くのもだめ、アギの傍を絶対に離れないで、テラスも一緒にいてね」
通常仕様でくどくど言うガーシャを見て師匠はあきれている。
「ガーシャお前、ナユタが5歳くらいに見えてんのか……?」
「そうだよ、アギもナユちゃんも中身5歳なんだよ。だからオレはいっつも心配で仕方ないんだ」
「……お前はお前で苦労してんだな」
え、あたし、ガーシャに5歳児だと思われてたの。野生児のアギだけだと思ってた。
でも、そう思ったら過保護にされても仕方ないね。
その日の晩は、詰所に泊めてもらった。
ここはお社のすぐ隣にあるらしく、都の中では一番安全そうだ。
目を離すと結局面倒ごとを起こすから、ここに泊まっておいてほしいと師匠に懇願され、ガーシャが宿を引き払ってきてくれた。
宿代はそのまま渡したので、かなり喜ばれたとのことだった。
そういえば、あたしたちは奥の山から下りてきた一文無しで、あんまり気にしてなかったけどお金は大丈夫なのかな? と聞くと、オレたちがどれだけ古銭を蒼都に奉納したと思ってるの、って言われた。
それもそうか。
存分に甘えることにしよう。
古銭の奉納量のせいかはわからないけれど、客間からほど近い立派な部屋に通された。
と思っていたら、ここはメイカ様の私室らしい。
広いけれどあまり飾り気のない、衣紋掛けくらいしか目立つ色がない。あとは荷物入れと思われる行李がいくつか、あとは大きなつづらが一つだけ。
「すまんな、ここへ恒常的に寝泊まりしているのは我一人なのだ。女性用の部屋の用意がない故、同じ部屋でかまわないか?」
「私は全くかまわないですが、メイカ様は……」
「よいよい、気にするな。こう見えて神徒狩り、遠征することもあるし野宿も経験がある。床と布団があるだけで十分」
お世話の人だろうか、部屋の外の女性に何かを言いつけて、メイカ様はふすまをしめた。
「さて、これでうるさい者もおらん。ナユタ、お前は本来、蒼都の神徒狩りというわけではなく、年も近いのだ、敬語なぞ使わずともかまわんぞ。あとは――個人的にも、聞きたいことがあったのだが……」
メイカ様はそこで、あたしの懐に入り込んで両手を握った。
こんなにも可愛らしい女の子なのに、気配を感じさせない動きだ。何らかの武道においてとてつもない達人であることに間違いはないだろう。
「私と友達になってほしい」
メイカ様ははっきりと告げた。
「こう見えて、今の私には友人の一人もおらんのだ。おるのは部下か、心許せても遠くへ行ってしまう者ばかり。ずっと私と対等な友人が欲しかったのだが、ナユタはこの都と関係のない者だからこそ、私の出自に関係なく仲良くなれそうな気がしていた。アギとガーシャの方は私と同い年だが、どうせならむさくるしい男より可愛い女の子の方がいいだろう?」
言われて、思わず笑った。
うん、二人とも大きいから気持ちがとてもよくわかるよ。そこにいるだけで場所とるもんね。
「あたしで大丈夫なのかな?」
「ナユタがいい。お前はどこか人好きする空気を持っている。何より、誰にでも分け隔てなく接することができる稀有な心根を持っている。それは、どこかお前のお父上にも似ているよ」
「えっ……?」
メイカ様は、あたしの父を知っている――?
目を見開くと、メイカ様はにっと笑った。
近くで見てもやはりメイカ様はとても魅力的だ。
あたしは顔の美醜にかなり疎いほうだけれども、それでもメイカ様はとても美しいと思うほど。長い亜麻色の髪は柔らかく揺れ、すっきりと切れ上がった大きな瞳が印象的だ。笑うと弧を描くその目が、彼女の魅力をさらに上げていた。
「個人的にも話したいと言っただろう。ナユタの父のラクシャ様は、私にとって恩人で、憧れの神徒狩りでもあるのだ。まあ、私の父をかどわかしていった恨みがないこともないのだが……まあ、些末なことだ」
いろいろな情報が急に開示されて、頭がくらくらした。
確かに、町の中では話せないし、誰かに聞かれたくもない話だ。
「大丈夫、明日の準備はゴクジョウに任せてあるし、ここは人払いも済んでいる。アギとガーシャはこちらには入らないよう言っておいてくれ。お社も近いから、あやつらがいなくても安全だろう?」
メイカ様が長の仮面を崩してまるで甘えるように言うものだから、年上なのに思わずきゅんとしてしまった。
「今夜は、メイカ様と一緒に寝るね。だからそっちに戻らないけど心配しないで」
「だからほれ、もういいぞ。下がれ。ナユタのことは心配するな。我が責任もって面倒を見よう」
ガーシャにそう告げると、彼は思い切り首を傾げた。
「何故メイカ様が……?」
「あのね、あたしメイカ様と友達になったから、今日は一緒にお風呂入って、夜更かしして、一緒にたくさんお話ししながら寝るんだよ」
それに、父親のことを知っていそうだから、話を聞いてみたいというのもある。
「急になんなの、それ」
ガーシャが目を白黒させている。
「ナユちゃん、変な人についてっちゃダメってさっき言ったばっかりでしょ」
「メイカ様は変な人じゃないよ」
「そうかもしれないけどさあああ」
そんなガーシャを見てメイカ様は笑いながらあたしの肩を抱いた。
「そういうわけだ、ナユタのことは私に任せておけ」
あたしと並んだメイカ様が、得意げに笑って追い払う仕草をした。
さあ行くぞ、と言われたので、ガーシャにひらひら手を振った。
詰所にはお風呂が整備されていて、二人には広いくらいの浴室はたっぷりの湯船で湯気に溢れていた。
村だと近くに温泉が湧いていたからしょっちゅう使っていたのだけれど、奥の山を下りてからはなかなか湯に入る機会もなかったのでとても嬉しい。
贅沢に張られた湯船の湯を使って髪を洗う。
朝から海に落ちたり蟹に溢れた洞窟を歩き回ったりしたからひどい有様になっていた。
手ぬぐいで石鹸を泡立てながら全身を洗っていると、メイカ様がふと言った。
「ナユタ、お前はきちんと身なりを整えることを教わっているのだな」
「そうだね。村にいたときは、比較的年の近いお姉ちゃんたちが教えてくれたよ。見た目はちゃんと整えなさいって」
「よい教え手だ。恵まれたな」
体を洗い湯船につかると、隣にメイカ様も入ってきた。
もともと白い肌に、頬が上気してほんのり桃色になっている。
同じ年くらい、と言っていたが、2歳の差で発育の度合いはだいぶ違う。
「メイカ様は、いつから長をしていたの?」
「いつからだったか、そろそろ3年になるだろうか。私が13の時に、長だった母が急逝してな。急遽私が後を継ぐことになった」
「そんな幼い頃から……?!」
13歳というと、今のあたしよりさらに年下だ。そんな頃からずっと責任のある立場にいたなんて、とても想像できない。
「仕方のないことだ。もともと血筋としては寺社宗主の分家にあたる。世襲というわけではないが、まあ、私がその当時、最も強かったから必然だった。無論、周囲の大人に助けられてのことだったが……年相応に遊んだり、それこそ色恋にうつつを抜かしたりということはなかったよ」
長いまつげが伏せられて、愁いを帯びる。
助けられたと簡単に言うけれど、3年間。苦労がないわけがない。
あたしは小柄な方だけど、メイカ様もさほど変わらない。
こんな小さな肩にたくさんのものを背負っているんだ。
「私を傀儡扱いした者たちも処分し、今では少し落ち着いて市政を見渡すこともできるようになってな。ようやくひと心地ついたところにゴクジョウがおまえたちを連れてきたわけだ。驚いたよ、ラクシャ様の息子と娘を連れてきた、それも、娘の方は神徒を呼び寄せる体質だと聞いた時には」
メイカ様は笑った。
体が温まったおかげで少し気も緩んでいたのか、年相応の笑顔に見えた。
「その時、ようやく思い出したんだ。お前の父、ラクシャ様が私の父を連れて都を出た理由を」
「え?」
そういえば、あたしの父が、メイカ様の父上をかどわかしたって言ってた。
それはいったい、どういうこと?
「大きな声では言えないが、私の父は蒼都寺社宗主の血筋の汚点なのだ。ラクシャ様と、父上は――『神徒』が生まれる法則を調べていたんだ。その法則を調べる過程で都を追放され、外道に身を落としたとも聞く。それ以上のことはわからないが……」
神徒が生まれる法則。
それは、つい先日聞いたばかりの道を外れる禁忌の術だったはずだ。
「いま合点がいった。ラクシャ様は、ナユタ、お前を助けるためにそれを調べていたんだな」




