蟹討伐(2)
「……オレが二人を騙して害そうとしてるとは思わないの?」
「何でだよ。んなこと考えもしねえよ」
即答。
ガーシャは黙った。
「もし答えられないなら、理由はいらない。何をしたいかだけ教えてくれ。俺は、お前がしようとすることを手伝いたいんだ」
あたしは何も言うことができず、ただアギの着物の裾を握り締めた。
いまアギが言ったこと、あたしも一言一句たがわず同意するけど、こんなにもまっすぐに、言いたいことをはっきりと伝えることは出来なかっただろう。
長い間培ってきた二人の間の信頼関係をまざまざと見せられた気がした。
しばらくの沈黙があった。
ガーシャは、何を言うか迷っているように見えた。
それでも、アギのまっすぐな言葉が届いたからだろうか。
「……今はまだ、言えない。オレも混乱してる。あまりに荒唐無稽で、自分ですら信じられないんだ。それに、言ってしまったら、全て壊れる気がして怖くて言えない」
ガーシャは、震える声でそう言った。
そして、大きく深呼吸して、あたしとアギを振り向いた。
「アギ、ナユちゃん。オレを信じてほしいとは言わない。これはキミたちのためじゃなくて、オレが知りたくてここに来ただけだから」
怖い夢を見た、といったあの日のように、曖昧な言葉であたしたちに語り掛けた。
「……だから、理由は言えない。言えないけど……手伝って、ほしい」
でも、今度はこちらに一歩踏み出してくれた。
あたしたちを、ガーシャの知る何かへ踏み入れさせる決断をしてくれた。
「おそらくこの先に神徒がいる。師匠と倒した時と同じように、生き物の形が崩れてる、化け物より大きい主級の神徒だと思う。それが本当にいるかどうか確かめたくて、オレはここへ来たかったんだ。子供の行方不明が契機で、洞窟を見つけて、奥に神徒がいる……という物語だったから」
あたしとアギは、静かにガーシャの言葉を聞いていた。
ガーシャは絶対に嘘を言わないし――たまにからかう時もあるけど――あたしたちに不利益のあることは絶対にしないと言い切れる。
そのガーシャが理由は言えない、と言ったのだから、本当に言えないのだろう。
「この奥に、神徒が本当にいるかどうかだけ知りたい。そうしたらオレもこの物語が本当だと信じられる気がするから――」
曖昧な言葉で。
何かを探るように。
ガーシャはそう言った。
「わかった」
アギは深く頷いた。
「無理して俺たちを洞窟に誘導しようとしたから、ちょっと変な感じだったんだな」
「……アギにはかなわないな、うまくいったと思ってたのに」
「いや、普通に変だったぞ。俺が気づくくらいだから、よっぽど焦ってたんだろ。普段のお前ならもっとうまくやる」
ガーシャはやっと笑った。
アギもつられて笑った。
「じゃあ、奥に行けばいいんだな。そこにいる神徒ってのは、いったいどんなヤツなんだ?」
「うーん……しいて言えば、蟹かな?」
隠していたことを話して少し気楽になったのか、ガーシャは普段のように穏やかな空気に戻っていた。
それを見たあたしは、心のどこかに嫉妬のような感情が芽生えるのを感じた。
落ち込んだガーシャを元気にさせられるのはアギであって、あたしじゃない。
なんだかとても悔しい気がしてしまったのだ。
洞窟の奥に進むとだんだん光が少なくなってきて、周囲が見えなくなってきた。
怖くなってアギの着物を掴むと、そのまま手を繋いでくれた。
「何にも見えねえな」
「テラスが一緒だったら助かったんだけどね」
そういえば置いてきちゃった。
呼んでこればよかったな、と思って振り向くと、不意に視界の片隅を白く発光する何かが通り過ぎた。
「待って、神徒がいる」
あたしの声で二人が一瞬で警戒態勢に入ったのが分かった。
ガーシャが前方、アギが後方。
「いた」
先に声を上げたのはアギだ。
反射的に短刀を投げると、狙った獲物を突き刺した。
それは、小さな蟹……?
ちゃりん、と1つだけ古銭を落とした蟹は、沢蟹よりは少し大きいけど、大した大きさではなかった。これがガーシャの探している神徒とは思えない。
その時、周囲の壁がざわりと蠢いた。
カサカサカサと何かが這う音がする。
よく見えないけれど、小さな塊が流れを作るように移動している。
それは壁だけではなく、あたしたちの足元にも。
「誰かいるの?」
暗闇から声がした。
子供の声だ。
「もしかして、コウキくん? お母さんが探してたよ。あたしたち、あなたを探しに来たの」
真っ暗な中、声を頼りに手を伸ばす。
見えないながら、手の先に温かいものが触れた。
「大丈夫だよ。助けに来たよ」
そう言うと、その温かい手が、あたしの手に縋り付いて、しっかりと抱き着いてきた。
橙色のかすりの着物。確かに、この子が探していた男の子だ。
ホッとした。
同時に、ガーシャの言葉を思い出す――子供の行方不明が契機で、洞窟を見つけて、奥に神徒がいる……という物語だったから。
つまりは、ここまで彼の言う通りにことが進んでいる。
ということは。
壁をざわざわ動いているのは、無数の蟹だ。赤い甲羅がまるで一つの生き物のように流れをなして動いている。
そして時折、白く発光する神徒が混じっている。
足の上をカサカサカサ、と何かが通り過ぎて、ぞわっとした。
悲鳴はかろうじて飲み込んだが、全身に鳥肌が立つ。
「――来る」
ガーシャの呟きで、真っ暗だった目の前に白い発光体が現れた。
いつの間にこれほど大きな空洞まで来ていたのだろう。
神徒のうすぼんやりとした白い光に照らされて、道場よりさらに大きい広さの大洞窟が姿を現した。
壁には数えきれないほどの蟹と、発行する神徒の蟹が混在し、壁と床を絶えず動かしている。
その向こうにずずずずず、と姿を現したのは、確かに、ガーシャが探していたという蟹――のような、神徒だった。
あたしの腕にしがみついていた男の子が、ひぃっと悲鳴をあげた。
思い返してみれば、師匠たちと討伐した鷺山の時もそうだった。巨大な異形の神徒は、眷属のように、小さい神徒と、本物の生き物を引き連れて巨大な巣を築いていたのだ。
そして今、また、海岸の洞窟には同じく異形の神徒がいる。
背の固そうな甲羅は確かに蟹のように見える。が、その背には無数の棘と飛び出した目玉が生え、まるで地獄の山のようだ。象徴のような巨大な鋏は、体の両側から何本も生えている。先ほどの烏賊の比ではない、捕まったら決して逃げられないだろう。
腹部の甲羅部分から大量の泡を吹き出しながら、その異形の蟹は鋏を振り上げた。
「よし、いたな!」
アギは嬉しそうに頷いた。
「……ああ、本当にいたね」
ガーシャのその呟きに、いったいどんな感情が込められていたのか、あたしにはわからなかった。
洞窟深く、神徒の明かり以外に光源はなく、彼の顔には深い闇が落ちていたから。
「これ、倒してもいいんだよな?」
「うん、いいよ。普通の蟹と一緒。腹側から縦に裂けばいい」
「よっしゃ、任しとけ!」
アギは躊躇なく三叉戟を召喚し、蟹に向かって跳んだ。
が、次の瞬間、ゴツン、とか、ドカン、とかいう音がして、上から落下してきた。
どうやら天井の高さを見誤ったようだ。
これまで洞窟での戦闘なんてしたことがない。気を付けて戦わないと。
いてててて、と頭を押さえたアギは、はっとした。
「あー……」
顔をぺたぺた触って、あたりをペタペタ触って、視線を彷徨わせて。
「……悪い、メガネ、落とした」
絶望的なことを言った。
あたしも咄嗟に周囲を見渡すけれど、そこかしこを蟹が歩き回っていて見つかる気がしない。
「何してるのお兄ちゃん?!」
思わず悲鳴のような声が出てしまった。
異形の神徒はすでにこちらへ攻撃の手を向けている。
「ガーシャどうしよ?!」
「聞いて、ナユちゃん。メガネなしのアギは率直に足手纏いなんだよ。つまり……」
「つまり?」
「全力で逃げろ!」
ガーシャの指先の若草色の糸が、今来た道から伸びている。
どうやらずっと目印をつけていたようだ。
あたしは男の子の手を引いて狭い岩の隙間に滑り込んだ。
壁に這う蟹が背中や頭に落ちてきたけれど、気にしている余裕はない。
幸いにもガーシャの糸が迷いなく導いてくれる。
背後で、どぉんと大きな音がして、何かが崩れた音がした。
ひたすら糸を追って走っていくと少しずつ周囲が明るくなってきて、洞窟の終わりを感じた。
でも、男の子の手を引いて洞窟の入り口まで来たとき、先ほどよりさらに潮が満ちていることに気づいてしまった。
だめだ、このままじゃ外に出られない。
さきほどでもあたしの頭まであったのだ。とても小さな男の子が歩けるような深さじゃない。
どうしようか、と逡巡した時、上から、ワン、と声がした。
「テラス!」
賢いあたしの白狼が上の岩の隙間からのぞいていた。
ここはおそらく、地上につながっている。
すぐ後ろから走ってきたガーシャとアギに、テラスの位置を伝える。
少し迷ったガーシャだったが、アギの後ろに立つと、アギの右手を持ちあげて、テラスがいる方向にその手を向けさせた。
「アギ。あっち。右斜め上空、テラスがいる。あの場所を射抜いて」
「わかった。が、何も見えんから手加減難しい。ちょっと離れてろ」
アギはそう言うと、三叉戟を持つ手に力を込めた。
朱印を重ね、全身に深紅の炎を纏う。
そこまでしなくてもいいのでは?! いや、見えないから全部吹き飛ばす気なのか。
「テラス、逃げて!」
あたしが叫んだ瞬間、アギの一撃で洞窟の天井が木っ端みじんに砕け散った。
砕けた岩を階段にして地上に戻ると、とんでもない大穴があいていた。
最初に到着した砂浜から見えていた岩礁がごっそり欠けてしまって、そこへ海水がどんどん流れ込んでいく。
「ここだけじゃなくて、さっき逃げる時に奥の洞窟も壊しちゃったんだよね。やりすぎてるかもしれない。あとでまた師匠に怒られるかも」
ガーシャが頭をかいた。
師匠に怒られるだけですめばいいけどね……。
ひとまず助けた男の子をお母さんの元まで連れて行って、一息。
さて、問題は山積みだ。
都近くの洞窟奥に潜む異形の神徒、崩された洞窟と岩場、それから、なくなったアギの眼鏡。
「さて、何からどうしようかな」
ガーシャも困り果てて肩をすくめた。
アギは眼鏡がないので大人しく砂浜に座って待機している。
「とりあえず何より先にアギの眼鏡が欲しいな。都ですぐに作れるといいんだけど」
「確かいまの眼鏡もジンさんが仕入れてきたはずだから、都なら手に入ると思うよ。探してみようか」
砂浜に座るアギを見ながら。
膝を抱えて座るアギは、珍しく反省しているように見える。
確かに天井にぶつかるなんて阿呆なことをしなければ今頃神徒は狩り終わってただろうし、洞窟は崩れてなかっただろうし、いまこの瞬間、眼鏡の心配をしなくてよかっただろう。
「アギらしいと言えばらしいけどね。おかげで、肩の力が抜けたよ」
ふふふ、と笑ったガーシャはいつも通りに見えた。
「……あの神徒は、ガーシャの知る神徒だったの?」
「うん。そうだね。だから、自信が持てた。多分だけど、オレはおそらくあと五体の神徒の場所を知ってると思う」
「予知……ってこと?」
「うーん、まあそんなもんだと思ってもらっていいよ。ただ、断片的にしか分からないから正確じゃないんだけどね。いろんな要因で違っちゃうこともあるだろうし」
予知。
ガーシャは隠しているけど治癒の朱印も使えるし、もしかして、予知の朱印も持っているのだろうか。
あたしはまだこの人のほんの一部しか見えていないのかもしれない。
またもじぃっと横顔を見つめていると、ガーシャが気づいて困った顔をした。
「だからそんなに見ないでよ。照れるから」
でも、目をそらさない。
あたしはもっとこの人のことが知りたい。
アギのようにうまく慰めたり、心の奥を動かしたりは出来ないかもしれないけれど、あたしの精いっぱいでこの人に寄り添いたいのだ。
「ガーシャ、あたし、もっとガーシャのことが知りたい」
「え?」
何言ってるの、と困惑するガーシャだけど、あたしは本気だ。
ずっと一緒にいて、何となく何でも知っている気になっていたけれど、隠していることが多すぎる気がする。
あたしのことは全部お見通しなのに、あたしがこの人のことを何も知らないのは、平等じゃないだろう。




