大神(4)
今日は2話更新しています。(1/2)
そこから長い間、意識が深いところと浅いところを行ったり来たりしていた。
何度も昏睡と覚醒を繰り返している中で、時折、優しい声で名を呼ばれた気がした。
「ナユちゃん」
あたしのことを、まるで小さな女の子のままのようにそう呼ぶのは一人だけだ。
「……ガーシャ」
無意識に手を伸ばすと、当たり前に手を握ってくれた。
それを感じて、あたしは再び眠りに落ちるのだ。
ようやく意識が回復したな、と自分でも思えたのはずいぶん経ってからの事だった。
目を開けると、金色が見えた。
「おはよう、ナユちゃん」
幼馴染があたしを見下ろしていた。
頭痛はよくなっていたが、まだ意識はうっすらと陰っている。
ここがどこなのか、今がいつなのか、何も分からなかった。
「まだ眠っていてもいいからね」
「ううん、起きるよ」
支えてもらって体を起こすとクラクラした。
転びそうになって左手を床につこうとしたら、うまく支えられず体勢を崩した。
ガーシャが抱きしめるように支えてくれた。
「……ごめんね。治せなかった」
そう言われて左手を見ると、包帯が巻いてあって。
手首より先がなくなっていた。
ああ、そうか。あたしは最後に母に手を伸ばしてしまって――
「あたしこそ心配かけてごめん」
「いいんだ、生きてただけで十分だ」
ゆっくりと気絶する直前の記憶を掘り起こした。
母テラスをこちらの世界へ召喚した事。
最後にはみんなで神徒の烏を討伐した事。
カシギと母が、もう大丈夫だと言った事。
それから。
「お父さん、死んじゃった……」
言葉にしたら、涙があふれた。
たくさん泣いたはずなのに、まだまだ涙は枯れていなかったみたい。
背に回されたガーシャの腕に力が籠った。
「そうだね。オレも悲しくて……寂しい……」
ガーシャが素直に言葉を紡ぐものだから、ますます涙が止まらなくなった。
思い出すのはいつも明るく笑う父の顔。
大きな手で撫でられた記憶の後に、最後に握り締めた冷たい感触を思い出した。
心臓が抉られるような感覚に襲われる。
堪えきれず大声を上げて泣いた。
ガーシャも嗚咽を隠さずに泣いている。
あたしたちは抱き合って、悲しみを隠さず泣き続けた。
しばらくそうしていたら少しずつ落ち着いてきて、ガーシャは少しずつあの時の事を話してくれてた。
ガーシャはゆっくりあたしの頭を撫でてくれていた。
「誰もかれも満身創痍だったんだけどさ、もう治癒の朱印を使う力もなくて、固定化したのも全部使いつくしちゃっていて……そう思ってたら、翠都からリョウタたちが来てたんだ」
「リョウタくんって、新緑の民の?」
「うん、そう。危ないから子どもたちは置いてきたはずだったのに、子供ばかりで何人かこっそり影移動の朱印で神都に移動したみたいなんだ。面白そう、くらいの気持ちでさ」
ガーシャはふふふと笑った。
「びっくりするよね。でも実際、助かった。致命傷の人だけ子供らの力で命の危険がない程度まで治してもらったんだ。ナユちゃんの出血もひどかったからリョウタにとりあえず傷を塞いでもらったんだよ」
あとでお礼を言いに行こうね、と言いながら。
「子供たちって思ったよりずっと早く成長するのかもしれないね。オレたち自身がそうだったみたいにさ」
いつも大人は繰り返した。
子どもだとばかり思っていたらあっという間に大きくなった、と。
今度はあたしたちもそれを実感していくのかな。
「ナユちゃんの手は、おそらく『白』に近い世界に吸い込まれたから治せなかった。今のオレなら欠損もある程度は回復できるはずなのに、出来なかったから」
何気なく言ったけれど、欠損を治すのってものすごく破格の治癒なのでは。
じっと見たけれど、幼馴染はそれ以上その点について言及しなかった。
「3日ほど戦い続けてたからね、裏方を支えてくれた人も含めてさすがにみんな疲れ果ててしまっていて……カルラだけが最後まで指揮を執ってくれたんだ。あの人もやっぱりすごい人だ」
今は少しずつ皆が目覚め、後片付けを始めたようだ。
比較的被害の少なかった蒼都の神徒狩りはこのまま神都に留まって都の復旧と片付けを手伝っている。
赤都は被害が大きかったので、じいちゃんやシャラさんはすでに都へ戻って被害の確認を始めている。
黄都では毒の被害が思ったよりも大きかったので、菫都と連携してこちらも治療を続けているそうだ。
翠都の民も一度帰投し、休んで回復した人が各都へ散って治療に尽力してくれているらしい。
あたしが眠っている間にも皆動き始めている。
「ナユちゃんが起きたから、オレもそろそろ手伝わなくちゃ。いつ目覚めるかわかんなくてずっとここにいさせてもらったんだ」
「……ガーシャ、ちゃんと寝てる?」
あたしの問いには笑顔で答えた。
寝てないな。
お父さんにもちゃんと寝ろって言われてたのに。
その時、ふとガーシャの手の形がおかしい事に気づいた。
右手でガーシャの手を捕まえると、左手の小指が根元のあたりからなくなっていた。
「ああ、これ……ナユちゃんの左手と一緒に消えちゃったんだ。だから、これも治せなかった」
そんな。
あたしが無暗に母に向かって手を伸ばしたせいで。
絶望的な顔をしてしまっていたんだろう。ガーシャは気にしないで、と穏やかに笑った。
「ナユちゃん自身が吸い込まれなくてよかった。ほんのこの程度で止められたのなら本望だよ」
あたしはガーシャの手が、指が好きだった。
両手で握り締めてあげたいのに、あたしの手はたった一つになってしまった。
その時、アギとメイカ様が揃って部屋に駆けこんできた。
「ナユタ!」
あたしを見て、アギがほっとした顔をした。
ガーシャはアギと場所を変わって、こんどはアギとメイカ様があたしの頭を撫でた。
アギはあたしの目元を指で撫でて言う。
「……少し、泣いたか?」
「うん。でも、もう大丈夫だよ」
起き上がろうとして、左手なしではうまく起き上がれない事に気づく。慣れるまではやっぱり、少し不便だろうか。
メイカ様が手を貸してくれて起き上がった。
「しばらくは私がついていよう。危険はないと思うが、片手では不便があるだろう」
「うん、お願いね、メイカさん」
ガーシャは立ち上がった。
「ナユちゃんはもう少し元気になったらアリヤシャさんの所へ行って紅都の方をお手伝いしてくれる? 鯰の地震で被害が大きいんだけど、さらにもっと被害のひどい神都優先だから全体の把握だけでもかなり時間がかかっちゃってるんだ。それにアリヤシャさんもラクシャさんがいなくなって落ち込んでるから、ナユちゃんが行ったら少しは元気になるでしょ」
「私も共にしよう。アギ、カルラ様に伝えておいてもらえるか?」
「ああ、分かった。ガーシャはどうする?」
「メイカさんがナユちゃんについててくれるなら、オレは翠都に戻るよ。流石にこれ以上放っておくわけにいかないからね」
あたしはまた甘やかされているな。
ようやく成人したのに、兄姉はいつだってあたしを年下扱いして世話を焼くのだ。
「当分は復興に尽力するしかないと思うけど、それが終わったら春に予定してた七都会議を少し遅らせて開催して、合同で慰霊祭を開く予定なんだ。ラクシャさん以外にも亡くなった方は多かったからね」
「いつ頃になりそうなんだ?」
「んー、夏になる前……には、やりたいね」
煮え切らない返答なのはまだまだ復興の目途が立っていないという事だろう。
一回目の七都会議を開くのにあれだけ準備が必要だったのだ。二回目とはいえ、この状況で準備を進めるなんてほぼ不可能だろう。
「その前に親父の葬儀と……奥の山の方に連絡もしないと」
葬儀をするなら成人したてのアギが喪主になる。
父の葬儀はいったいどの規模でやればいいのだろう。寺社組織や神徒狩りとの繋がりは深いが、父自身が大きな立場を持っていたわけではない。だが、ほとんどすべての都にも都以外にも父と交流のあった人は多いだろう。
「ああ、それで思い出した。ナユちゃんが起きたらお願いしなきゃいけないことがあったんだ」
あたしはその足で兄姉と一緒に紅都の望楼の最上階に向かった。
まだ歩けるほど回復していないので馬引きの籠に乗り、完全に崩れてしまった街道を行く。途中途中馬が足を止め、道の修復をしながら進んだのは仕方ない。
聞けば烏の神徒を討伐してからまだ1週間程度らしい。逆に言うとあたしは1週間程度寝ていたという事だけど。
それでも都のあちこちから工事の音が聞こえており、人々の声が聞こえてくる。
紅都の街並みもほとんど変わってはいなかったが、よく見ると道が崩れていたり壁にひびが入っていたり、大きなところでは橋が折れてしまって通行できない場所があった。
はやめに被害を把握して適切に修繕をしなければ。
夜の街ではあるが、昼間から人が多く行き交い情報を交換したりしているようだった。
皆、すでに立ち上がり動き出している。
ガーシャに抱き上げられて望楼の最上階にたどり着くと、憔悴しきったアリ様が出迎えてくれた。元々折れそうなほどに細かったのに、さらにひどい状態になっている。
養父はあたしの姿を見ると、弱々しく笑った。
ガーシャの腕から降りて、アリ様の元へ歩み寄った。
「ああ……ナユタ、無事でよかった」
そして両手を握ろうとして、左手がないのを見て、目を閉じた。
あたしの自業自得だから気にすることなんてないのに。
ふらふらとした足取りで歩きながら、アリ様は部屋の奥へ案内してくれた。
「ここだよ。ラクシャは今もあの時のまま眠っている」
アリ様が吊り布を外すと、そこに現れたのは大きな氷の塊に包まれた父の亡骸だった。
「たぶん、ナユちゃんは覚えてないと思うけど、泣きわめきながらラクシャさんを氷漬けにしてそのまま気絶しちゃったんだよね。だから、火葬も出来なくてこのまま……」
言われてぼんやりと思い出した。
父が死んで、母が消えて、このままでは遺体までなくなってしまうと焦燥にかられてすぐに氷漬けにしたのだ。あまり覚えていないが、強固な固定化した朱印だったのだろう、1週間たった今も父の姿はあの日のままだった。
あの時の絶望が蘇って唇を噛みしめる。
「奥の山に移そう。そのまま集落で荼毘に付す」
アギが静かに言った。
ガーシャがあたしの肩に手を置いた。
うん、大丈夫。
あたしは、自分が愛されて生まれたことを知っているから。
氷の中の父を見つめて、心の中でお別れを告げる。
そして、部屋に集まっている皆を振り向いた。
「……ねえ、みんな。少しだけ、お話を聞いてくれる?」
この世界を助けようとしてくれた二人の神様がいた事。
別の世界の神様があたしの父を愛してくれて、あたしが生まれた事。
ほんの少しずつの変化でこの世界が未来へと進んで言った事。
「あたしが、母から受け取った記憶の事を皆に知って欲しいの」
あたしは静かに話した。
二人の神様がどんな風にこの世界を救ってくれたのかを。
そしてあたしたちにどんなものを託そうとしてくれたのかを。
聞き終わった皆が静かにそれを受け止めてくれた。
最初に口を開いたのはガーシャだった。
「カシギが人ではなさそうだって気づいてはいたけど……まさか大黒天様の化身だったとはね」
「お前の母親も神様だったってことは、お前は半分神様になるのかぁ?」
頭を押さえながら問うアリ様。さすがに理解の範疇を越えてしまったようだ。
「大黒天様が実体として、意識のあるモノとして存在としていたというのはなかなかの衝撃だな。それでいくと、恵比寿様も毘沙門天様も、他の神も本当に存在するナニカという事になる」
メイカ様が考察し、アリ様と顔を見合わせてため息をついた。
あたしは外道の感覚がないからよく分からないが、きっと世界がひっくり返るような話なのだろう。
対してアギは少しだけ笑った。
「俺はガーシャ、お前が泣いてた理由が世界を救えなかった事じゃなかったのが意外だよ」
「オレがそんな高尚な理由で泣くわけないだろ。宗主のカルラじゃあるまいし。そんな責任感持ってないよ」
そうだね、ガーシャが泣いてた理由は、アギに忘れられてしまうのが悲しかったからだったもんね。
あたしが間に入れないわけだ。
仲良しすぎてやっぱり嫉妬するよ。
アリ様はそれを見て肩の力を抜いた。最初より少し、顔色がよくなっていた気がする。
「まあ、だが……ナユタ、お前とラクシャは本当に数奇な運命の中心にいたのだな。最初に紅都へ来たとき、きっと面白くなると思った俺の小説家としての勘は正しかったってわけだ」
あたしはアリ様の書く小説を実は読んだ事がないのだけれど。
「ねえ、アリ様。もし、もし気が向いたらでいいんだけど……お父さんの事をお話にして欲しいんだ」
「ああ……いいのか?」
「うん。お願い。お父さんがいた事をたくさんの人に知ってもらいたいんだ」
あまりにも多くの事があって、今でも感情はついてこない。
それでも、あたしたちは進み続ける。
下を向くな前を見ろ。
足を止めるな進み続けろ。
過去に絶望するな、未来に希望を見ろ。
演目にしてまであたしが世界に伝えようとした言葉が間違いじゃないと示すため、あたし自身も足を止めるわけにはいかないのだ。
アギの言葉通り、父の遺体は凍らせたまま奥の山へと運ばれて、その日のうちに村の人たちと別れを済ませた。
「つい先日、成人のお祝いで帰ったばかりだったのになあ」
花を供えながら、クチバさんが言った。
「急にお前たちの結婚を認めたのも、死期を悟っていたからなのかもしれないな」
皆で別れを惜しんだ後は、あたしが氷を解除して。
アギが大黒天様からいただいた三叉戟の最大火力で骨も残さずに焼き尽くした。
もしかすると普通に焼いて骨を形だけでも墓へ納めるべきだったかもしれないけれど、父の魂は母が神の世界へ連れて行ってしまったからここに魂は残らない。
その代わりに、父からもらったものはあたしたちの中にたくさん残っている。
カシギは、以前と同じ姿のまま薬屋にのんびりと座っていた。
彼自身は神の一部のようなものではあるが、ほとんど切り離されているので別の存在と言ってもいいくらいの関係らしい。
大黒天様の事、母の事、色々と聞きたかったが、神様相手にそれは無粋だと思い、やめた。
カシギに寿命と言う概念があるのかは分からないが、できれば長生きしてほしい。




