烏討伐(3)
次の瞬間、三つ首の烏があたしたちに向かって大きく口を開けた。
「避けろ!」
師匠とカラハが先に動き、あたしたちを庇いながら避けた。
背中から地面に叩きつけられ、上から師匠が覆いかぶさる。
がは、と師匠の肺から音が漏れた。
「師匠?!」
起き上がったあたしが見たのは、背中に何本も毒の棘が突き刺さった師匠の姿だった。
油断していた。
まさか狐と猫と鯰が同時に倒されてしまうとは。アギとガーシャとメイカ様と。皆がそれぞれ討伐を完遂するのが早すぎた。
ざあっと指先から血の気が引く。
紫色の毒が滲んでいる。
「カラハ! しっかりしろ!」
同じようにルシャナを庇ったカラハも地面に倒れ伏していた。
考えるより先に着物を脱いだ。
両手に着物を巻き付けて、毒に触らないように一気に引き抜いた。
ぐあ、と師匠の身体が震える。
「ルシャナ触らないで! 毒だから!」
叫んで彼女が触れるのを止めながら、毒の棘をすべて引き抜いていく。
内臓に達しているかもしれない。
水の光玉で師匠の全身を洗浄しながら、次はカラハの下に向かう。
こちらは太腿に3本刺さっているだけだ。
が、周りの早い毒だ。すぐに解毒しないと危険だ。
「ちょっと我慢して」
言いながら3本刺さっていた棘を抜いた。
悲鳴が上がったが、足は動かさずにいてくれたので綺麗に抜けた。
こちらの毒も洗い流していたら、影の中からアケラ様が現れた。
手にしているのは翠都の新緑の民から配られた治癒の朱印が施された紙だ。
「お前はそちらを頼む」
古銭の袋と共に渡された紙を受け取り、師匠の上に乗せてこれでもかと古銭を奉納した。
黄都でのアケラ様と同じくらい毒を喰らっているからこれでは足りないかもしれないけれど、毒の洗浄が早かったから効いてくれるかもしれない。
祈るような気持ちで師匠の治療をしていると、周囲に暴風が吹き荒れた。
ばさり、ばさりと翼を翻した烏が飛び上がったのだ。
このままでは逃がしてしまう。
けど、師匠を放っていくわけにはいかない。
どうする――?
一瞬、迷った。
その一瞬が致命的だった。
飛び上がった烏は一直線にどこかへ向かっている。
はっと振り向くと、烏の神徒の視線の先にあったのは、武陽城の天守閣だった。
全身の毛がぶわりと逆立った。
だめだ、あの場所だけは。
あたしたちの中枢で、重要人物がみな集まっている場所だ。
気づいたアケラ様が舌打ちして影から天守閣へ戻ろうとする。
が、カラハがすんでのところで止めた。
「万一の時にお前まで同じ場所にいてどうする……全滅するぞ!」
残酷な言い分だが、正論だ。
アケラ様が今天守閣に戻ったところで何も出来ない。
そして何より、もし天守閣が潰された時に誰かが代わりに指示を出さなくてはいけない。
逡巡の間に烏は天守閣へと辿り着いた。
夕焼けの赤い空の下、黒々とした影を映す武陽城の天守閣が真っ白に発光する三本脚の烏に襲われた。
しかし、直前で紅色の薄い膜に止められた。
アリ様の防御壁だ。
しかし、ホッとしたのもつかの間、防御されたことで明らかに天守閣を攻撃対象と認識した烏は、その一角に対して災害級の攻撃を仕掛けた。
三本の足で爪を立てながら凄まじい声で泣き喚いて大気を揺らし、数え切れないほどの毒の棘を吐き、夕焼けよりも赤い炎で焼き、数発の雷が続けざまに落ちた。
最後に、地面を大きく揺らして波立たせた。
地震の揺れに伴って、固定化された朱印が消えてしまったのかふっと紅色の膜が消える。
危ない!
息を呑んだ瞬間、突如。烏の神徒の首が落ちた。
遠くてよく見えないが、誰かが攻撃した?
刹那、烏の神徒が何度も切られて首が落ち、翼が落ち、身体がいくつにも分かれ、ばらばらになって神都の城下町へと降り注いだ。
「何が……?」
全員があっけにとられて呆然と天守閣を見上げた時、微かに猩々緋色の衣が見えた。
「……お父さん」
その瞬間に何が起きたかを悟ってしまった。
アケラ様が察した。
「来い、ナユタ!」
伸ばされた手を取って、影の中に沈む。
影から出た場所は天守閣だった。
戦場より戦場だったその場所が、いまは静まり返っていた。
窓際に猩々緋色の衣を着た父が立っていた。
「お父さん!」
ちょうど、窓の外で夕陽が沈んでいった。
静まり返っていた天守閣に、ぱあん、と大きな音が響いた。
カルラ様だ。
両手を打ち合わせて注目を集めたカルラ様は、通りの良い声で言った。
「立ち止まるな」
凛とした声に、全員がはっとする。
「神都の防御が破壊された。すぐに神徒狩りとを見回り組を中心に逃げ遅れた民の避難を最優先、紅都へ逃がせ!」
言われた神徒狩りの人員が慌てて走り出す。
「天守閣は放棄する。準備が出来た者から不知森の研究所へ移動しろ。手の空いた他都の神徒狩りは荷の移動を手伝ってくれ。研究班は同時に神徒の身体の部分がどこにあるかを確認し、復活時刻と地点の計算を!」
カルラ様の指示に従って、全員が動き出した。
そうだ。
今は足を止めている暇などない。
「ラクシャの代わりにカシギ、お前が人員配置と神徒を倒す指揮を執れ」
「……御意に」
呆然としている間に、アケラ様は師匠とカラハを連れ帰ってきた。
天守閣の要員として配置されていた新緑の民がすぐに二人の治療に入る。師匠とカラハが戦えるかどうかで戦局を左右される可能性があるからだ。
カルラ様はあたしに何も言わなかった。
戦線に参加せずこの場に留まる事を無言で許された。
残されたあたしは震える手で父の手を握り締めた。
父は、あたしの方を見て頭を撫でて、そして、あたしの方に倒れこんだ。
重さに耐えきれず床に座り込んだ。
さっき毒の棘を抜くために着物を脱いだから今は胸元にサラシしか巻いてない状態だ。むき出しの肩に温かいものが流れ出して、それが父から流れた血なのだと気づいた。
「お父さん……お父さん!」
ガーシャから絶対に戦わせちゃいけないって言われてたのに。
あたしが、油断したから。天守閣に向かわせてしまったから。
父は皆を守るために刀を振るったのだ。
嫌だ。嫌だ。
死なないで。絶対に生きていてって言ったのに。
と、その時、ふと思い出したのは髪に差した櫛だった。
成人祝いだよ、とガーシャがくれたこれには、新緑の朱印が刻んであったはずだ。
髪に差していた櫛を抜いて、父の背に押し付ける。そして、先ほど師匠の治療の為に受け取った古銭を上から押し付けた。
櫛に刻まれた新緑色の朱印が光を帯びる。
やはりこれには朱印が固定化されている。
祈るような気持ちであたしは大量の古銭を櫛に投入した。
父の病にガーシャの治癒は効かないと言っていたが、全く意味がない事はないだろう。
天守閣の部屋全体が明るくなるほどの光が溢れる。
「お父さん……!」
覆い被さる父を抱くようにして支えていたら、いつの間にかあたしの手に、誰かの手が重なった。
はっとして見ると隣にメイカ様がいた。
「ラクシャ様。しっかりしてください」
今、鯰討伐から戻ったばかりなのだろう。
息を切らして、着物の袖を焦がして。凄まじい戦闘の跡が見て取れた。
その上に重なった大きな手。
「何やってんだよ親父!」
アギの手だった。
そしてその上からもう一人。
「死なないで、ラクシャさん」
ガーシャの手が重なった。
皆、それぞれの地で討伐を終えて帰ってきたのだ。
それなのに――
その時、窓の外から白い毛並みが飛び込んできた。
「テラス」
お社の鳥居の中には決して入らなかったテラス。
武陽城の天守閣も例に漏れず大黒天様の鳥居の内側だから、絶対にここへは来なかったのに。
すると、テラスの長い白の毛並みがゆらりと揺れた。
まるで神徒が発光するかのように真っ白な光に包まれて、毛並みはみるみる形を変えた。
四つ足から二つ足へ。
すんなり伸びた長い手足に。
尻尾についていた朱色の勾玉は、そのまま髪に。
そこに立っていたのは、白髪の美しい女の人だった。
あたしたちは言葉を失った。
穏やかに微笑んだテラスは、銀色の着物の裾を手で押さえ、優雅に父の傍に跪いた。
そして、あたしたちの手に重ねるように両手を当ててゆっくりと父の背を撫でると、やがて父の呼吸が戻り、穏やかに背が上下した。
ほっとした瞬間に力が抜けた。
父を落としそうになったが、アギが変わりに父を支えてくれた。
目の前の女性の美しい白銀の髪には朱色の髪束が少し混じっている。まるで白狼のテラスの尻尾のように。
「……お母さん?」
呆然とそんな声が出た。
にこりと笑った母は、両手を伸ばしてあたしを抱いた。
「ナユタ」
鈴を転がすような心地よい声であたしの名を呼んだ。
あたしはこの声を知っている。
ずっとずっと傍にいて見守ってくれていた母親の声。
「お願い、私を――呼んで」
母は、小さな小さな声で最後に美しい名前を耳元で囁いた。
意味が分からず首を傾げると、母はあたしの勾玉を手に取った。
そこに施されていた神徒を呼ぶ朱印に指を置くと、ふっとその朱印を勾玉の中へと入れ込んだ。
まるで新しい神様から加護を与えるかのように。
はっとすると目の前の女の人は姿を消していた。
もちろん、白狼の姿もない。
まるで狐狸に化かされたかのように。
天守閣から不知森への移動の喧騒の中、こちらの様子に気づいている人は少なかった。
4人とも呆然としていたのだが、メイカ様が最初にはっとして叫んだ。
「ナユタ、お前なんて格好をしている!」
そう言えば忘れていた。
着物は脱いでしまったし、肩から父の血をしこたまかぶってしまっている。
ガーシャは迷わず自分の着物を脱いであたしの肩にかけた。
そうしたら、彼の腹にも包帯が巻かれていて血が滲んでいるのに気づいた。よく見るとアギも顔が炎で焼けているし、火傷だらけだ。
満身創痍。
それでも、大陸全土に出現した神徒を倒し切った。
父がその直後に烏の神徒を倒している。
もしかして、これで終わりなのか?
窓から外を見れば、すでに黄昏時を過ぎて空は群青色に染まっている。果たしてあの烏の神徒は倒せただろうか。
窓枠に近づいて下を覗いたら、城下町に分散して神徒の身体が落ちていた。
分散しても変わらず白く発光していて、暗闇の町ではひどく目立つ。
「……倒せてない」
このままでは烏の神徒が復活する。
おそらくは、すべての都の神徒の力を得た状態で。
一瞬だけ、ガーシャは絶望の表情を見せた。
が、それは本当に一瞬で。
ガーシャはすぐに切り替えた。
「オレたちも移動しよう。不知森の研究所に拠点を移すんだったね」
アギは父を担ぎ上げた。
ガーシャがアギの胸に指をあてて、言う。
「あまり大きく動かさないで。おそらく、ほんの少し寿命が延びただけで予断は許さない状況だ」
土気色の肌と固く閉じられた瞼がいつかの重傷を負った日と同じで。
泣きそうになるのをぐっとこらえた。
武陽城の複雑な階段を上ったり下りたりして研究所へと急ぐ。
外から飛んでいきたいところだが、父をなるべく静かに運びたいから仲間と共に歩いて向かう。
あたしたちの姿を見た人たちが、口々に労いと激励の言葉をかけてくれた。
各地の神徒を倒してくれた事、先ほど父が天守閣を守ってくれた事、烏と戦い続けたあたしにも、温かい声で感謝の言葉をかけてくれた。
また泣きそうになりながら階段を下っていたら……突如、地面が大きく揺れた。
「何だ?!」
「地震?!」
地震。
まさか。
次の瞬間、ぎしゃあああああと遠吠えのような大音量の叫びが耳を貫いた。
慌てて外に出たあたしたちが見たのは、空を覆うように輪の翼を広げた烏の姿だった。




