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百五十四話 魔王

 

 松明だけが頼りの大分暗い地下堂の中で、銀の髪を垂らす黒炭色の肌をした魔族の男が(うずくま)っていた。

 周囲には怪物か何かの爪で引き裂かれたのかと思うような、ゴブリンの無残なる死体がいくつも転がっており、死体の山以外に激しい戦闘があった事を物語るものとして、床や壁に巨大な引っ掻き傷まである。

 天井に背を向け手足を折り曲げて縮こまった、黒い魔族はしばらくそのまま動かなかったが、やがて何かを抱き抱えてゆっくりと立ち上がった。ぶつぶつと怪しい呟きを漏らしながら。


「そうだ……俺がこんなにも可哀想な異母弟(おとうと)を想っているのに、それに応えないなんておかしい。仕事の合間を縫ってあんなにしょっちゅう親しく触れてたのに、何で」


 虚ろを映す彼の瞳は焦点も合っていない。地上を目指して階段に向かう歩みもまたふらついており、正気を保っているとはとても思えないものだった。石を削って作られた段を登る間にも、呟きは続く。


「弱くて、何もできないんだから、俺の保護下に置かれる事が一番だと分かってくれないのも、何かの間違いだ。正さなきゃ」


 地下から城の中へ上がり、彼処(かしこ)で行われる戦闘が全く目に入っていない様子で、魔族の男が城の外へと向かった。


 リオニの町は戦火に包まれている。魔族がゴブリンを殺戮し、対するゴブリンは決死の抵抗を試みるか、ゴブリン同士で戦っていた。

 独立を目指して蜂起したエグリシ氏族ゴブリン、それを鎮圧する魔王軍及びサディン勢という構図の筈なのだが、現実には三つ巴の混沌と化している。魔族にとってはエグリシ氏族ゴブリンも、親魔族の“黒狼(シャヴィマゲッリ)”サディンの手勢も同じゴブリンでしかなく、手当たり次第に殺し回っているに過ぎない。

 サディン勢の方も正当防衛という形での抵抗に加え、主君のサディンやイルムが魔族に害されたとの情報が入った事で完全に魔王軍との交戦に突入。リオニの情勢は敵味方関係無く相争う滅茶苦茶なものとなった。


 そんな大混乱の只中へ構わず足を踏み入れた黒炭の男は、突然不気味に笑い出す。


「ふぇへへ、仕方ないなぁ奴だなぁイルムは。心配するな、お兄ちゃんが守ってやるぞ」


 皮膚の内側より狂気を放つ彼は、抱いていた青白い腕を愛おしそうに()でた。そして、身体が黒い霧のようになって崩れると、その全てが(ハエ)の集まりへと変化し腕を包んだまま北方を目指して飛んで行った。



 王都リオニが魔王軍に蹂躙(じゅうりん)されてから数日後。魔王軍による軍政の復活が宣言された。しかし同日、叩き潰されたと思われていた反魔族派が再び挙兵。瞬く間に数千ものゴブリンを抱え込み、魔王軍の進駐部隊と戦闘を繰り広げる。

 反乱軍の総大将はナリカラ王ティラムズだが、その隣には一人の青年の姿もあった。彼は病人かと思える程青白い肌をして尚且(なおか)つ、隻腕であったという。


 後世に伝わる記録は、その者が一体何者であったかを一切語っていない。

 ただティラムズは生涯魔王軍への反乱を率い続け、隻腕の人物も幾度にも及ぶ反乱に参加した事実のみが、研究者らの手元に辿り着いただけである。

 歴史学者の一部や歴史家達は、反乱に義勇兵として参加していたアハルの人間の一人だと推定しているが、史料の乏しさから具体的な人物例は誰一人として挙げられていない。


 一方で、ナリカラを取り巻く情勢の変化は強烈に記憶されている。まずナリカラが二度目となる魔王軍侵攻を受けた事で(おびただ)しい数の難民が人間諸国へ流入した。

 都市クロムやキーイ大公国といったナリカラを知る人間勢力だけでなく、ナリカラと交易で繋がる北方騎士団がナリカラやゴブリンの情報を積極的に発信し、難民ゴブリンの受け入れを広く呼び掛ける。


 これにオルソド教の最高権威たる総主教庁がいち早く反応した。キーイ大公国からナリカラ教会を独自の総主教座を持つ独立教会と認めるよう打診されていた事もあって、総主教庁はナリカラ教会の承認を発表。更に“全ての信徒はゴブリンを同じ信徒として助け、共に魔王軍と立ち向かうべきである”との見解を公布する。

 総主教庁の素早い動きの裏には、押し掛けて来る難民を早急に国外へ分散させたいキーイ大公国からの強い働き掛けがあったという。


 ともかくも、ナリカラに残るゴブリンはティラムズに付いて抵抗運動を続け、外へ逃れたゴブリンは人間諸国各地へと散っていく。

 ナリカラ外に離散したゴブリンは各々の避難先に移住し、移民街を始めとする離散民共同体(ディアスポラ)を築いた。彼らは商人や傭兵として、或いは単純に安価な労働力として人間社会に進出していく。が、当然ながら現地の人間と文化的、民族的衝突が絶えず、多くの偏見や差別にも晒された。


 一方で鉱業や商業におけるゴブリンの才を見抜いて保護法令を発し、迫害の防止と共に領地振興を図った領主もいた。開墾や鉱山開発、都市建設をゴブリンに行わせたタトラ伯がその典型として挙げられる。

 また少なくないゴブリンがナリカラ奪還を標榜に対魔族の軍へ参加した為、徐々にゴブリンは人間に受け入れられていった。


 そして人間達は、依然として敵対的な旧魔王軍残党のゴブリンと区別する目的で、ナリカラゴブリンのことを“ホブゴブリン”と呼ぶようになる。後にホブゴブリンという言葉はナリカラゴブリンに限らず、人間に友好的なゴブリンの総称となった。


 そして、ナリカラやゴブリンが目まぐるしい変化を強いられる中、魔王軍でも激震が走る。



 カシィブ公領の中心都市フウトの宮殿にて、くねる長髪を掻き乱した男が書状を握り潰した。執務用の机を前に、酷く不機嫌な様子の魔王第三子アポピスは、腹立たしげに蛇の目を尖らせ舌を打つ。


「ちっ……ナリカラがああなっちまうとは。俺の魔王推挙を支援するとか言っておきながらあの(ざま)かよ。イルムめ、情けねぇ奴だ」


 過去にイルムは、カシィブ公へナリカラの内乱鎮圧の支援を要請し、見返りとして単眼巨人(キュクロプス)製の武具の輸出と、アポピスの次代魔王推挙を何らかの形で支援を行うとしていた。キュクロプス製の武具は約束通り輸出されたが、魔王推挙への支援はまるで音沙汰が無かった。

 それでも商人らが口にするナリカラの発展振りを耳にしては、いずれ(きた)る時機の際に期待できると、アポピスは口角を上げていたのだ。

 だというのに、ナリカラ総督府の崩壊を始めとする一連の騒動によって全て御破算である。


「はぁ、仕方ない。ナリカラをスブムンドの属領からカシィブ(ウチ)の預かりになるよう工作するしかねぇな」


 アポピスは溜息と共に苛立ちを吐き出した。握り締めていた書状を(わき)に放り投げ、魔王軍主計長官としての書類仕事に取り掛かろうとする。その時だった。


「アポピス殿下、ヘファウです。(よろ)しいでしょうか」


 入室を求める声に彼は許可の言葉を返す。カシィブ公の代官を度々務めるカシィブ公領の大物官僚が、小さく開いた扉の隙間からすっと身を滑らせた。


「ヘファウ、何かあったのか?」

「はっ、少々御耳に入れたき事が」


 足早に白い巻衣を身に付けた蛇人間がアポピスへ近寄る。あと五歩もなくぶつかってしまう距離になっても、止まろうとしない彼に、座ったまま身体だけを向けるアポピスの片眉が上がった。


「ヘファウ……? てめっまさか」


 二人の間が三歩まで縮まるとアポピスの顔色が変わる。椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、魔力を集める右手を持ち上げた。


 だが、僅かに遅かった。


 下手人の右手がアポピスの胸を貫く。同時に巻衣も鱗のある肌もぼろぼろと崩れて、汚らわしい羽音を立てる(ハエ)が飛び回り始めた。蛇人間の顔が黒炭の色をした男へと変貌する。


「ドゥルジ……てめぇ、正気、か。俺を殺しても……魔王には……」


 途切れ途切れの言葉に、ドゥルジは手をアポピスの胸に埋めたまま答えた。


「ピュートーンはとっくに殺してきたさ。お前と同じく、一人になったところを不意打ちでな」

「んな……馬鹿な」

「確かにアイツは強い。だが、それ故に俺が手を下しに来るとは全く考えていなかった。今みたいに埒外(らちがい)の攻撃が一発決まれば案外脆いもんだったぞ。死ぬまでの反撃で分身が五体もやられたが」


 そこまで言うとアポピスはにやりと笑う。


「じゃあ今のお前は随分弱ってるってこったな!」


 両手を広げて、会話の間密かに練っていた濃密な魔力を解放する。


「“太陽喰らい(ウェネム・ラー)”」


 光を吸い込んで一筋も吐き出さぬ漆黒の球体が出現し、みるみる膨らんでドゥルジを呑み込んだ。


「どうせ分身体だろ。だが、どっかにこそこそ隠れていても意味ねぇぞ!」


 黒球はそのまま大きさを増す。あっという間に部屋全体を真っ黒に染め、更に宮殿の一角をまるまる包んでしまった。

 その中心にいるアポピスが広げた両手を一気に目の前へ閉じると、暗黒の塊も急速に凝縮され最終的には小石程の大きさになる。それをところどころに蛇の鱗が現れる手が握り締め、ぷしっと魔力が霧散する。

 砂漠の大都市に(そび)える宮殿に、山を喰らう怪物が丸かじりしたかの如き大穴がぽっかりと空いてしまった。魔法で瓦礫(がれき)を浮かせて空中階段を作ったアポピスは、血を流し続ける胸を押さえながら下へ降りていく。


「くそったれが……だが、ピュートーンが死に、ドゥルジもこれで消えたなら、魔王の座は……」


 思いもよらぬ不幸中の幸いに、彼は堪え切れない様子でほくそ笑む。遂に己の念願が叶うのだと。階段を一段降りる度に、笑みが深まっていった。


 だが、何の前触れも無く、アポピスの胸からぶわっと(ハエ)の大群が飛び出す。


「あ?」


 宙に浮く階段が崩れ、彼の身体も重力によって地上へ引き()り下ろされた。落下する自分の状況が理解できないようで、己の胸部から大量の血液を噴き出されていくのを呆然と見ている。地面に激突する寸前で口からも鮮血を吐き、その時になってようやく彼の瞳に激しい怒りが燃え上がった。


「あんのクソ野郎――!」


 恨み言は、人が高所から落ちてしまった音が響くと同時に中断される。

 アポピスの胸から飛び出した蠅の群れは、何十奏にもなる不快な羽音を撒き散らしながら、もう動くことのない真っ赤な心臓をぞんざいに捨て落とした。



「よーし、魔王候補全滅。後は掃除だな」


 都市フウトより遥かに北方へ離れた魔都ファウダー。その中央に立つドゥルジは、そう呟くと背後を振り返る。そこでは屈強な魔族達がひしめき、得物を手にして彼の指示を待っていた。

 魔王軍の象徴たる魔王城の中はどこも、異様な雰囲気と緊迫感で破裂しそうである。城内の一部では何故か大規模な火災が発生しているが、ドゥルジは気にするでもなく巨大な扉の前に歩み寄った。


 竜や獅子の頭を複数持つ恐ろしげな怪物が二体、彼の両脇に立ち、(うやうや)しく礼をしつつ扉を開ける。開かれた空間は黄金と絨毯(じゅうたん)で威厳と華美が彩られ、中央には様々な生物の彫像を見事に調和する形で組み合わせた、非常に大きな椅子が(しつ)らえられていた。

 ドゥルジは側に寄ってきた魔族が差し出した、杖を思わせる古びた(マサカリ)を手に取る。太古の時代に魔王の先祖が王権の象徴とし、後に魔王が王笏(おうしゃく)と定めたそれを握った彼は、後背に二つの宝箱と大勢の従者を連れて玉座へと向かう。


「全部終わったら、兄弟でずっと一緒に暮らそうなイルム」


 狂気をたっぷり含んだ響きが、どこへいくでもなく虚空へと消えた。



 この日、魔族の王位継承者である魔王第二子ピュートーンと第三子アポピスが殺害された。同時に、先代魔王の崩御より十年余りの時を経て、魔王の代替わりが()される。その際、即位の儀式と並行して、魔王城内を粛清の嵐が吹き荒れた。

 他の魔王候補とその支持者の血に塗れた即位を果たした新たな魔王の名は、ドゥルジという。




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