百五十話 決起
兵役と貢納の続行を条件に、ティラムズの即位を認める。五公会議はそう結論を出した。
ナリカラは魔王軍に対して従属的な立場でありつつも、王国として確固たる自治を勝ち取ったのである。
イルムはこの吉報を一刻も早く持ち帰るべく、護衛のゴブリンと共にナリカラへの帰路を急いだ。
魔族領の果てに近付くにつれて、集落の数は減る上に道が細くなり険しさも増していく。だが彼はその悪路に懐かしさを覚えてしまう。
自分で思っていた以上に、ナリカラへの愛着が大きく育っていたらしい事を自覚し、イルムは口角を上げた。
「最初は面倒でしかなかったのに、不思議なものだなぁ」
山々を掻き分けていくような山道を幾日も進み、野宿続きで身体の節々が痛みを訴えてきた頃、ようやくソハエムスの町が見えてくる。
三年前にナリカラ総督として初めて訪れたゴブリンの町は、あの時と違って黒煙を上げておらず、剣戟や悲鳴ではなく平和な賑わいがイルムとアミネを迎え入れた。
長旅の疲れを癒すべく、オルベラ氏族の主要都市として置かれている氏族長の館、クムバトの屋敷へ向かう。
ソハエムスの領主館は、元々魔族相手の迎賓館を兼ねており、防御性能が低い代わりに居住性と見栄えへ力が入れられている。木造ながら細やかな装飾があちこちに散りばめられたことで、豪奢とまではいかずとも格式高い雰囲気で満ちていた。
「内乱終結後にちょっと改装したのかな? 前より結構良くなってるや」
「カシィブ公領製の敷物とかも増えてるみたいですねー。調度品も揃えたようで」
通された部屋で腰を下ろした二人は思い思いに、久方ぶりのクムバトの屋敷を評する。
「ただクムバトがリオニへの急用で居ないとはね。魔族寄りの彼なら急の事より一旦は僕の迎えを優先しそうだけれど」
それほどまでの急用とは一体なんだろうかと、イルムが首を傾げた。大事であれば言付けを残しそうだが、それもなければ住人どころか屋敷の者まで落ち着いている。何か凶事が起きたとは考えにくい。
「まあ、ゆっくりさせてもらおう。まともな寝台なんて何日振りだろ」
思考を放り投げて寝台に寝転がる。硬い地面に布一枚の野宿は勿論、民家の藁山に布を被せた寝床よりも遥かに心地が良い。あっという間に、横になった魔族の青年から規則正しい寝息が聞こえてきた。
一方で、アミネは陶器製の卓上瓶を持ち上げ、そのまま行儀悪く酒を口にする。
惰眠を好む彼女にしては珍しく、その日は朝早いというのに夜遅くまで晩酌に暮れた。疲れとはまた違う、煤けたように光を失った瞳をしたまま。
翌日二人は再び馬上の人となって、今度はリオニへの道を行く。
護衛のゴブリン騎兵が掲げる総督旗を見た通りすがりのゴブリン達は、例外なく道端に退き、被り物を外して頭を下げた。重なって響く蹄の音に気付いた農民も作業を止めて礼をする。
いつものように、敬意はほとんどない事務的なものであった。総督という実質的支配者への従属的態度は取るが、崇敬の感情はあまり持ち合わせていないという民心は未だ変わらない。
それらに苦笑を浮かべつつも、イルムは決意を改めた。これからナリカラは魔族に従属しつつも半独立国となり、ティラムズが国王としてその元首となる。
イルムの立ち位置はティラムズの監督官へと変わり、統治からは手を引く事になる予定だ。しかし、反魔族派の動向監視や魔王軍とナリカラの橋渡しなど、重責と多忙は総督の時に劣らないだろう。
己へ気合を入れるイルムであったが、騎馬一行の歩みはリオニの目と鼻の先で止められてしまった。
「何で検問が? 何か起きたのかな」
リオニと外界を隔てる門をゴブリンの歩兵が塞いでいる。何事かを護衛が聞きに行った。槍を手にするゴブリンと騎乗のゴブリンが言葉を交わすも、その内容は少し距離があるために分からない。
やがて無事に道が開かれる。イルムは戻って来た護衛のゴブリンへ問うた。
「結局何だったの?」
「はぁ、いまいち要領を得ませんでしたが、閣下が来られたかどうか確認する為だと」
――その割には厳重過ぎない?
湧き上がった疑問をイルムは一旦飲み込む。護衛の方もよく分かっていないのに、これ以上聞いても無駄であると判断し、彼は門を通って城へと向かおうとする。
だが、何故かアミネだけは呼び止められた。首を傾げるイルムへ彼女は先に行くよう促す。
「私だけ呼ばれるとなると、カシィブ公領から私信が来たのかもしれません。イルム様は早く議会の皆さんにナリカラ王即位の承認を知らせてあげて下さい」
「分かった。じゃ、先行ってるね」
こうして二人は別れ、イルムのみが護衛を引き連れて登城した。
リオニ城の内部は随分と重苦しい空気が詰まっており、いずれ破裂するのではないかと思う程だ。警備の兵も一様に表情を強張らせ、イルムを認めると立ち止まって凝視してくる。
異様な城内にイルムは無理もないと思わず失笑した。
――完全ではないといっても独立が承認されるか否かが懸かっているから、皆やきもきしてるんだろうなぁ。そりゃ空気もぴりぴりするよ。
議場の前に到着し、両開きの扉が開かれる。途端に肌がひりつく視線がイルムの一身へ集中した。諸侯や高位の神品がじっと見つめてくる中、イルムは固い顔をしたティラムズの前に立つ。
そして一枚の丸められた巻物を、五公会議がティラムズの即位を認めた証を掲げ――ようとしたところをゴブリンの兵士に止められた。
「え?」
背後から槍の穂先がずらりと向けられている事に、彼は何が起きているのか理解できず、きょとりとする。その隙を突いてか、兵士達はイルムを瞬く間に縛り上げてしまった。
「は? え、ちょっと!?」
後ろ手に縄を掛けられて混乱する彼へ向けて、ティラムズが重そうに唇を動かす。
「五公会議の結果は既に聞き及んでいる。ボガードを通じて」
イルムは声の方へ首を回した。瞳には怒りの色が見える。
「だったらこのふざけた真似は何だ! 半独立が認められたっていうのに」
「では何故、貢納と兵役は続行された!? 魔王軍に従うとはいえ一応は独立した王国となるところを、その肝心な独立が骨抜きにされているではないか!」
「それは……」
ティラムズの怒声に、議会を埋めるゴブリンらが「そうだ」「然り」と同意の叫びを上げ、イルムの反論が掻き消された。
「故に、我らは真の独立を勝ち取るべく挙兵する! 皆の者、我が国の名は何だ?」
ゴブリンの王子の問い掛けに臣下らが声を揃えて答える。
「不落の城なり!」
「左様。我らが地は不落の地、我らゴブリンは不屈の民である! 魔王亡き魔王軍なぞ恐れるに足らず!」
「おおおぉ!」
ティラムズの言葉に気炎が沸き起こった。諸侯は誰もが剣を抜いて頭上に掲げる。今、まさにゴブリンが独立闘争を開始したのだ。言葉を失ったイルムに、ティラムズがそっと首を寄せ、一言囁く。
「すまない……」
離れていく小柄な友の顔は、苦悩で歪んでいた。だがそれはすぐに消え、イルムを連行するよう命じる。喉に石が詰め込まれたかのように、何も言えなくなってしまったイルムは、ほとんど抵抗もできずに議場から引っ張り出された。
茫然自失といった様子の彼が、正気を取り戻した時には、視界がかなり暗くなっていた。陽が落ちた訳ではない。そこは洞窟とも思える地下堂である。
ぼんやりとした松明の灯りを頼りに進むゴブリンが、イルムをある一室へと押し込んだ。ぎぃっと軋む音と閂が動く音が響く。
依然として両腕を拘束されたままのため、転ばぬよう慎重に今さっき物音がした方へ近付いた。暗がりに厚い木の格子が浮かび上がる。見知らぬ場所だと思っていたら、どうもここは地下牢だったらしい。
ごんっ。
イルムは格子に頭を打ち付ける。
何故、クムバトがソハエムスに不在だったのか。何故、検問でアミネだけが呼び止められたのか。何故、城中の空気が張り詰めていたのか。
思えば違和感は少なくなかった。にも関わらず、その全てを呑気に受け流してしまった過去の己へ怒りを募らせた。
「くそっ……」
どれだけ経ったのか、時間の経過がはっきりしない薄暗い空間へ、足音が聞こえてきた。数は一人分のみ。やがて格子越しに人影が現れる。
「私だ」
ティラムズであった。イルムは無言を貫く。だが睨むような事はしない。彼の連行を命じる直前に浮かべた表情から、ある程度の察しは付いていた。
「……気付いている様だな。イルムが思っている通り此度の事、本意ではない。皆に押されて致し方なく……」
「諸侯が何て言おうと君が首を縦に振らない限り、彼らは何もでき――」
「違う。皆とは諸侯ではない。民だ。民衆の総意に諸侯が押され、そして私が担ぎ上げられた」
ティラムズは一度言葉を切る。イルムが黙りこくったのを確認したのか、再び口を開いた。
「反魔族派が反乱を起こす度に、民へその熱が移り広がっていったらしい。挙句、魔王軍が課した兵役はナリカラを弱体化させるために仕組んだ事だという流言まで」
呆れた様に頭を振る。
「魔族はゴブリンの力が増す事を大いに恐れているなどと思い込んでいるのだ。それほどまでに魔王軍は弱くなったとな」
「……愚考だ」
「全くな。だが民衆の意は想像以上に強い。政変を迫る諸侯を一喝して退けようとした時、ギオルギが中小領主や民から決起を求める書状の山を突き付けて来た」
「ギオルギが……!?」
エグリシ氏族で一二を争う大貴族にして、白旗軍総大将であるゴブリンの名に、イルムは目を剥く。
今まで彼は諸侯の纏め役を担い、エグリシ氏族の暴走を抑えてきた。そのギオルギですら、クーデターへ積極的に参加しているという事実に、ただでさえ穏やかでないイルムの心が大いに揺れた。
「ギオルギどころか“沈黙“のエレクレまでもだ。決起要求の書状はまだ倉一つ埋まる程あると二人の公爵に言われては、もう止める事などできなかった。おまけにこれだ」
淡々と諦めの声色で語るティラムズは、どこからか袋を取り出す。石床に置かれた袋の口が開けられると、彼は壁に掛かっていた松明を手にしてそれを照らした。
袋の中身は分かりやすい富の色を輝かせる。
「……砂金」
「ナリカラ中西部に流れる川から採れるそうだ」
「そんな馬鹿な。噂一つ聞いたことがないっていうのに」
「私も知らなかったが、それを知るのはごく一部だけだとギオルギは言っていた。秘匿できたのは“黄金の羊”のお陰だとも」
黄金の羊とはこの世界に伝わる伝説の一つだ。東方の何処かに金の毛を生やす羊がいるという話は、イルムも聞き及んでいる。ナリカラでも一度耳にした。
ティラムズ曰く、それは砂金の存在を隠匿するためにギオルギとエレクレの先祖が流した偽の伝説だという。
「大量の黄金を扱えば当然出処を探られる。そこで黄金の羊から金の毛を採ったのだと吹聴して、砂金の採掘を隠したのだそうだ。実際に、掬った砂と金を分ける作業で羊の毛皮を木枠に張った物を使うのだとか」
「なるほどね……道理でギオルギとエレクレの一族がナリカラ王家の遠戚な訳だ。秘密を共有する仲間ってところか」
ともかくも、ギオルギ、エレクレ両公爵が提供する莫大な資金は、挙兵を大いに後押しすることとなった。
熱に浮かされた民意、後に引けない諸侯、事を起こすのに十分な軍資金。ティラムズには、これらを退ける力も術も無かった。
「民の総意と軍資金に裏打ちされれば必ずしも愚挙にあらずと押し切られ、呆気なく旗印にされてしまった。随分と掲げるに軽かっただろうな」
総督のイルムが囚われ、ティラムズ副総督は神輿として担がれてしまい、総督副官のアミネもイルムを人質にされれば動けない。ナリカラ総督府は完全に機能不全に陥っている。
絶望的状況にイルムはがっくりと項垂れた。
だが、一人だけ総督府の重要人物の状況が判明していない。はっとしたイルムが格子に身体を押し付けて叫ぶ。
「エルガは、彼女は今どうなってる?」




