百四十九話 提言
魔族全ての中心、魔都ファウダー。魔王の居城である――といっても人間との戦争に明け暮れた魔王が過ごしていた時間はそう多くない――ファウダーの城にて、空位の魔王に代わり魔王軍の意思決定を行う五公会議が開かれた。
元より次代の魔王を定める為の、何回目になるか分からない会議が再開される予定だったが、今回はそこに一つ別の議題がねじ込まれていた。
ゴブリンの王子ティラムズをナリカラ王へ即位させるか否か。即ち、ナリカラを魔族に従属する王国として半独立させるかどうかである。
事前に書面にて提案が為されていたが、輪を作る形で着席する五公は誰もが青天の霹靂だと言わんばかりに、眉を顰めて魔族の青年を睨んだ。
正面に巨人族の王ヴルカーン公、右手には竜王シュルフト公と砂漠の女王カシィブ公が、左側には山羊頭の大悪魔スブムンド公と亡者の王たる吸血鬼ラトンク公が座す。
魔王亡き今の時点で魔族の頂点に立つ五柱を前にして、イルムは肌がぴりぴりと怯え内臓が縮こまっているのを感じる。だが顔面にはおくびにも出さず、「如何でしょう?」と宣ってみせた。
「却下に決まっておろう。審議する必要もない」
背の高い燭台の頼りない光に照らされながら、真っ先にスブムンド公が否定を述べる。これは最初からこの場に居る全員が想定していたことだ。怯む事なくイルムは、こちらに向いた雄山羊の歪な楕円の黒目を見返す。
「しかし、即位なくしてナリカラが安定たり得ない事実は書面に加え、先程述べた通りです。さもなくば、ゴブリンは魔族との対決を覚悟するかと」
「ふん。ゴブリン如きに何ができる。すぐに叩き潰せるわ」
「……赤帽子、堅固な山岳要塞、そして尽きぬ大兵力」
場の空気がぴくりと動く。スブムンド公も突然口を閉ざした。青年の声が続いた。
「そのゴブリンに魔王軍が随分と梃子摺った過去は無かった事にできません。かつてのバグラティオニ大王の時代に比べれば弱体とはいえ、それは魔王陛下を失った我らも同じ」
「貴様っ庶子の分際で!」
「ナリカラの半独立を認めねば幾万のゴブリンと終わらぬ戦と相成りますが、それでも構わないと?」
その言葉に、怒気を露わにしていたスブムンド公がほんの一瞬、返答に窮した。このためイルムの言葉を遮られず、攻勢の続行を許す。
「ナリカラは内乱や人間諸国との戦を乗り越え、荒廃から立ち直るどころか大いに栄えつつあります。もし大国に匹敵するナリカラを敵に回せば……」
途中で言葉を切り、スブムンド公を始め五公の表情を盗み見る。全員彫像の様に黙りこくって、続きを待っていた。彼らも無視はできないと考えているらしいのを確認したイルムは、恰も言い辛い事を口にするかのように勿体ぶってから言う。
「スブムンド公領の背面を、凡そ三万の大軍が突くでしょう」
天井を染める暗闇に残響が吸収される。訪れた無音は蝋燭の小さな灯りを押し潰そうとしているかのように重い。
三万という数字は誇張ではないとイルム自身も確信している。それほどにナリカラの発展とゴブリンの人口増加には勢いがあった。それは事前に提出した書面でも、この場でも既に説明されている。
そして、ゴブリンの大兵力がはったりなどではないことは、補助兵力としてゴブリン兵を求めたスブムンド公が一番よく理解している筈だった。
鎌の様な角を生やした山羊の頭が、微動だにせず固まる。無機質にも思える不気味な横長の瞳からも感情は読み取れない。
流石に魔族の頂点に立つ五公の胆力は並外れていると言うべきか、攻勢を掛けていたイルムの方が思わず先に冷や汗を浮かべる。幸いそれらは背中だけを流れた。
「ゴブリンは魔族の力を思い知っているにも関わらず、尚も反発を露わにする不屈なる者共。三万だけで済めば良いですが、向こうも魔王軍の実力を知っているからこそ地力を削ってでも必死で戦うでしょう。最悪毎年一万の反乱軍が加算されるやも……」
イルムはナリカラを敵に回せば厄介だという印象を与えるべく言の葉を紡ぐが、五公を納得させるには今一つ足りないのを彼は感じていた。そこで最後の切り札を出す。
「そして何より問題なのは、人間諸国との関係であります。既に報告されている通り、冒険者都市であったクロムに加え、その北方の人間諸国との貿易や人材流入が行われています。更にキーイ大公国とも通商に向けた動きが進んでもいますが、ナリカラが魔王軍に剣を向ける事になればどうなるか」
これには五公も目付きの鋭さを増した。ナリカラが魔族領の裏口となって、人間が背後から攻めてくると暗に示唆されればそうもなろう。スブムンド公に至っては歪んだ口の隙間から僅かながら歯まで見せている。
その光景にイルムは勝利の匂いを嗅ぎ取った。
「故に、ナリカラ王国の再興を承認し、ゴブリンの反発を消し去るのが最善の道かと」
しばらくの間、再び沈黙が落ちる。最初にそれを破ったのは、大瀑布の如き髭を蓄えた巨人ヴルカーン公だった。己の髭を撫でながらまるで議長のように重々しく言う。
「相分かった。ナリカラ総督の建白を参考に審議致そう」
審議入りを認めてもらったというのにイルムは正面の巨人を、いや内戦状態のナリカラの総督にさせられた元凶を強く睨んだ。
ナリカラに住む単眼巨人からの陳情を受けたヴルカーン公が、イルムをナリカラに送り込むよう仕向けたのがそもそも全ての発端であった。
結果的にエルガと一緒になり、ティラムズという唯一の友も得たが、それとこれとは話が別である。面倒事を押し付けられたのは事実なのだ。
ヴルカーン公は涼しい顔で退場を促し、イルムは最後にひと睨みしてからそれに従う。背後で会議場の扉が閉められると、首と肩の力を抜いて大きく安堵の息を吐いた。
姿勢を戻すとアミネが出迎えていた事に初めて気が付く。味方が同じ空間に居る事実に、改めて張り詰めていた気が抜ける。
「あー、しんどかった……でも上手くいったかな。人間との通商に突っ込まれなかったのは予想通りだったけれど、正直はらはらしたよ」
「北海密貿易事件以降、五公も人間と何らかの取引があるという噂は絶えませんからねー。下手に突けば自分が危うくなるかもしれない状況で、危ない橋を渡る必要はないですし」
二人はその場を離れ、宿泊用に充てがわれた部屋へと向かう。談笑を挟みながらの軽い足取りであったが、それは少しの間続いただけで終わってしまった。
アミネが前方の気配を察知した途端、人形のような能面で丁寧に頭を下げる。イルムはそれを怪訝に思う暇も余裕もなかった。廊下の向こうからこちらに近付く男を目にして、イルムは固まる。
ぬらりとした銀髪に光を通すつもりが一切見られない黒炭の肌、魔王第一子にして異母兄のドゥルジである。
「やあやあナリカラ総督殿、久しぶりじゃないか」
軽薄な響きが廊下を冷やした。友好とは程遠い雰囲気の中、イルムは空気に見合った冷めた表情で礼を行う。
「お久しぶりですファウダー守備隊司令官殿」
事務的な挨拶でさっさとこの場を離れたいという本心を覗かせるが、ドゥルジはお構いなしにイルムの首に腕を回して抱き寄せた。図々しいとも思えるそれにイルムは嫌悪感を隠しもしない。
「もぉー三年ぶりの兄弟再会だってのに素っ気ないなー!」
戯けた態度をとるドゥルジであるが、その様子は例え初対面の者でも、いけ好かない印象が拭えないであろう程に胡散臭かった。この魔族最高の魔力を有する魔王の長子はいつでもこんな調子であり、強者を尊ぶ魔族といえども彼を嫌う者は少なくない。当然イルムもその一人である。
「碌に魔法も使えない弱虫だったのに、ちょっとは活躍できたらしいじゃないか。ゴブリンが相手ならお前でも必死こけばいけるもんなんだなー」
ゴブリン諸共小馬鹿にしてくる彼にイルムは、眼光を鋭くさせて対抗を図った。
「へえ? 前はびくびくしてるだけだったのが、一丁前にガンを飛ばすのかい。ちょっとは成長したってか?」
「……特に用件が無いようでしたら失礼させても宜しいでしょうか」
「おいおいおい、何年も会ってなかったっていうのに寂しくないかよ」
「こちらは露ほども寂しくはありませんでした。それでは」
その場から早く逃れようとドゥルジの腕を振り解いたイルムは、強引に話を打ち切って歩き出す。幸いドゥルジが追い掛けて来る事はなかったが、彼の笑い声だけは背中にべったりのし掛かってきた。
「ナリカラに戻るならさっさとした方がいいぞー、つっても結局お前の居場所はここしかないけどな。ははははは!」
アミネを連れるイルムは、それを全く無視して自分達の宿泊部屋へと急ぐ。
目的の扉へ辿り着くと周囲を見渡してドゥルジがいないかを念の為に確認した後、アミネと共に素早く入室するなり扉を閉める。その数秒後、扉に寄り掛かっていたイルムがずるずると崩れ落ちた。
魔族五公加えてイルムが最も苦手に思うドゥルジと対面した疲労が、今になってどっと降り掛かったらしい。
顔面と腕を扉に張り付けて膝をつく、滑稽とも不気味とも取れる青年の姿を尻目に、アミネがどかりと椅子へ腰掛け、卓上に用意されていた酒を呷った。
そのまま数日、ティラムズ即位に対する結論が出されるまでただ時を過ごす。五公会議の主題が魔王の後継者についてである事に加えて、ナリカラ王国の承認はスブムンド公の力を削ぎかねないために、議論の決着はそこそこ時間が掛かったようである。
五公が出した結果を携えてナリカラへの帰路に着けたのは、会議に出頭してから十日も後の事だった。
様々な建築様式がごちゃ混ぜになった魔王城の門から、一ツ目馬に跨るイルムとアミネが蹄鉄の調べを響かせて現れる。
ふとイルムが振り返って城の上方を見上げた。彼は首を止めて一点を見やった途端に、表情を歪ませる。視線の先には塔の一つから身を乗り出し、笑顔で手を軽く振る銀髪の男がいた。
最後の最後で嫌なものを見たばかりに、すぐさま回した首を戻して馬の脚を速めさせる。
その時にたまたますれ違った蠅の羽音が、いやに耳に残った。




