百十二話 急襲
勝ち誇るかの様に獰猛な笑みを浮かべる巨人が、右手の棍棒で槍を向ける歩兵を薙ぎ払い左手で近くにいたゴブリンを掴み投げる。小石を投げる様に軽々放られてしまったゴブリンは、悲鳴と共に味方を潰し、自身も四肢と首があり得ない方向へ曲がった後沈黙した。
動揺するナリカラ軍のゴブリン兵に、ザリャン氏族のゴブリンが猛然と襲い掛かる。
トロールによって隊列をばらばらにされたナリカラ軍は、がりがりと鑢を掛ける様に戦力を削られて戦線中央に穴が空いてしまった。
ザリャン氏族軍は当然の様にその穴を通り、イルムのいる本陣へ突き進む。
だが、彼らの前に赤地の上で胸を張る鷹が立ちはだかった。
「絶対に食い止めろ! 射手、放て!」
オルベラ氏族長クムバトの号令に、赤旗軍本隊の兵士達は弓と弩の斉射を敵へ浴びせる。更に配置転換を終えた弩砲の射撃も加わり、勢いに乗る筈だったザリャン氏族軍の出鼻を挫く。
突進していたゴブリンがもんどり打って倒れ、毛むくじゃらの巨人は腕で身を庇うも木製の装甲板諸共その腕を貫かれた。
相手の頬に重い一発を与えたと思ったら逆に顎を打ち上げられた形のザリャン氏族軍に、追い討ちが掛かる。
「挟撃だ! 野郎ども、ぶちかませ!」
「敵の動きを封じ込めよ。盾を並べて押し立てぇい!」
態勢を立て直したゲガルクニクとスピタカヴォルの軍勢が、ザリャン氏族軍の後頭部をぶっ叩いた。
敵中に孤立してしまったザリャン氏族軍は完全に気勢を失い、トロールも弩砲の射撃で少しずつ数を減らされていく。駄目押しとばかりにオルベラ氏族の戦士ゴブリンが飛び込み、ザリャン氏族軍の背骨を折りに掛かる。
このまま赤旗軍が敵の奇襲を完全に撃滅するかと思われた。
その時、赤旗軍本隊を指揮しつつ戦況を遠目に眺めていたクムバトは目を大きく見開く。
ゲガルクニク勢とスピタカヴォル勢の背後から、爆発的な鬨の声が上がった。
杖の先に獣の頭骨を付けた部隊杖が揺れて小さく鳴る、かたかたという音が数え切れないほど重なり、大地を蹴る莫大な足音に負けない大音量を奏でる。
「突撃! 邪魔者を蹴散らして本陣を目指せ!」
小柄な一ツ目馬の上に乗った黄金色に輝く青銅鎧を身に付けた偉丈夫のゴブリンが、腰より引き抜いた剣を進行方向へ向けて、そう叫んだ。
同じ様に青銅製の鎧や鎖帷子で身を固めた馬上の戦士達も口々に吼える。
「カルス陛下に続けぇぇ!」
「おおおぉっ!!」
氏族長カルス率いるザリャン氏族軍の精鋭一千が、ゲガルクニク勢の背面に突っ込んだ。
目の前の敵に気を取られ今まで接近に気付いていなかったゲガルクニク勢は、この急襲によって臓物をぶち撒けるが如き凄惨な有様となる。
ザリャン氏族軍の先頭を駆ける騎兵部隊は二百以下にすら満たない数であったが、これはゲガルクニク勢のゴブリンらにとって何の慰めにもならなかった。
慌てて向き直るゴブリンの兵士達を馬脚が簡単に蹴散らし、勇敢にも手にした武器を振り上げて立ち向かう戦士ゴブリンの首を馬上槍で抉り飛ばす。
オルベラ氏族屈指の武勇を誇るゲガルクニク勢も、背中を騎兵に突かれてはどうしようもない。流石の彼らも士気崩壊を起こして壊乱状態に陥った。
「静まれ! 騎兵は乱戦に弱い、押し包んでしまえば大した事はないぞ!」
額に大きな傷痕がある隻眼のゴブリンが、頭一つ飛び出る体格に似合う大声で手勢の統制を図る。しかし、猛将“向こう傷”のゲガルクニクでもこの恐慌を抑え切れない。挙句には、一部の兵が完全に戦闘を放棄して逃げ出している。
歯軋りを隠さないゲガルクニクは長柄斧を振り上げて飛び出し、彼の兵を馬上から斬り付けている敵騎兵へ刃を叩き込む。が、甲高くも重い金属音と共に長柄斧が弾かれた。
「何っ!?」
驚愕に染まるゲガルクニクの前で、彼の攻撃を防いだ騎乗のゴブリンが剣を左手に持ち替え、空いた右手をぷらぷらさせる。
「ぅおぁぁ……凄ぇ一撃だ。その傷顔、お前が噂の“向こう傷”か」
「……如何にも。そう言う貴様も並の将ではないな、何者か」
本来ならゴブリンの頭がある高さに肩がある程の、大柄なゲガルクニクに勝るとも劣らぬ迫力を持つそのゴブリンは、歯を露わにふてぶてしく笑った。頭に被っている金色の輪に嵌め込まれた宝石の数々が自信有り気にきらりと光る。
「不遜な輩だが、寛大にも答えてやろう。ザリャン氏族の長にしてナリカラの王、カルス」
一つしか残っていない瞳を一瞬大きくさせたゲガルクニクが、次の瞬間に斧で殴り掛かった。カルスは剣を斬り上げて牽制し、ゲガルクニクを飛び退かせる。
「陛下を御守りせよ!」
騎馬戦士達が二人の間に入り、鎧と馬の壁が瞬く間に築かれる。舌打ちをするゲガルクニクの目には、馬首を返すカルスの不敵な笑みが映っていた。
ゲガルクニク勢が大混乱となっている一方、スピタカヴォルは自身の兵の隊列をしっかり組ませて、ゆっくりと敵を締め上げようとしていた。彼の手勢は隙無く盾と槍を並べ、その背後から投槍と矢を放つ。
確実に敵の戦力を削る堅実な戦い方だが、反面味方の救援としては一撃一撃の威力が頼りない。スピタカヴォルもそれは分かっている。
「ゲガルクニク殿、申し訳無い。骨は必ず拾って弔う故、御赦し下され……」
鎖帷子を装備したゴブリンの主教は沈痛な表情でそう絞り出すが、彼の古狐振りを知る者からすればどこかわざとらしい。もしゲガルクニク本人が見れば、いけしゃあしゃあと吐かすなと言っただろう。
増援のザリャン氏族軍がゲガルクニク勢に突っ込んだ事に、これ幸いと被害担当を押し付けたスピタカヴォルは冷静に戦況を眺める。
――まぁ冗談はともかく、ゲガルクニク殿であれば多少は持ち堪える筈。このまま敵の退路を断ち、包囲を……ん?
細い鉄鎖に囲まれた白い顔が呆気に取られた形に変わった。
ゲガルクニク勢を叩いていたザリャン氏族軍が、赤旗軍の包囲下にあった部隊と合流を果たすと一部が足止めとなり、他全てはゲガルクニク勢を捨て置いてクムバトの赤旗軍本隊を突き破らんと突撃を開始したのだ。
「っ! 狙いは始めからそれか! 皆の者駆け足!」
スピタカヴォルは珍しい険し顔で兵を急かし始めた。
様々な生物の頭骨を縛り付けた部隊杖が盛んに振り上げられ、その下に広がるゴブリンの大集団が地を揺さぶる雄叫びを撒き散らす。
一塊となって突貫するザリャン氏族軍は、赤旗軍本隊の陣列に深々と突き刺さった。騎馬が歩兵の列に風穴を開け、後続のゴブリンとトロールがそれを一気に広げる。
傍目には手本とすべき鮮やかさすら見える突破戦術を披露した彼らは、進路上に居る者を片付けながら一点目指し駆け続けた。
そこへ完全武装の戦士ゴブリン達と、小柄馬に跨り鉄兜で頭を覆うゴブリンが道を塞いだ。
「オルベラ氏族長にして赤旗軍総大将クムバト! 僭称王カルス、覚悟せよ!」
鋭く宣言したクムバトは配下に突撃の命令を下し、自身も馬を走らせる。
キュクロプスに打たれた剣が陽光で閃き、空気を切り裂いてオルベラ氏族戦士団を導く。対するザリャン氏族軍は何の恐れも見せず、雌獅子の如く目前の獲物へ襲い掛かった。
金属が激しくぶつかり合う音が喧しく響く中に肉を裂く鈍い音が混じった、戦場音楽の大演奏会が開かれる。
鉄剣が青銅の鎧を叩き割り、青銅の穂先を鎖帷子が受け止め、鉄か青銅かも関係無く戦斧が鉄兜をへこませた。
ナリカラ軍は都市クロムからの輸入によって鉄製武器の大量配備を実現しつつあり、加えてキュクロプス製武具も極少数ながら保有している。
一方のザリャン氏族も、魔王軍の軍政時代より南部での人間諸国との戦いにおける鹵獲や、東方砂漠諸国との繋がりを通して鉄製武具をある程度揃えていた。
が、両者共に全軍へ普及させるには至っておらず、戦士階級においても鉄と青銅が混在している状態である。
そんな中で異色を放つ剣があった。
日の光を受ける度に朝露を思わせる輝きを放つ、鍔を持たない剣が、鎖帷子を布同然に切り裂き鉄製の剣をあっさり折る。
次々と敵兵を屠るクムバトの手に収まっている業物は、キュクロプスの手から作られた物だ。魔力によって強化されたこの剣は、鉄すら切れる鋭さと槌で横殴りされても折れない頑強さを併せ持っている。
そんな名剣を振るうクムバトへ一騎の騎馬が突っ込んで来た。頭に宝石が散りばめられた金冠を乗せ、身体も黄金色の鎧という黄金の騎士が剣を振り被る。
「ナリカラ王の剣を受けてみろ!」
カルスの声に続いて、囃す様にゴブリンの騎士達が叫んだ。
「我らが王が敵将と一騎討ち! 剣戟を聞け、剣筋を見よ! 全て記憶し王の武勇を語り継げ!」
初めて直接カルスの姿を捉えたクムバトは、面持ちをこれまでにない険しく歪ませ、今まで鳴りを潜めていた憎しみさえも表に出す。
内乱の初期にオルベラ氏族が味わった屈辱、赤帽子を嗾けられて受けた民の塗炭の苦しみ、ナリカラを内戦状態にした元凶への憎悪。
ずっと胸の内に沈められていたそれら全てが、カルスと相対した事で一編に噴き出した。
「ずっああぁぁ!」
兜の下にある両目を吊り上げ、血涙を幻視させる程の形相をしたクムバトが、言葉にならない叫びを上げて馬の腹を強く蹴る。向かって来るカルスと正面から衝突する進路を躊躇なく選び、剣を掲げて彼らしからぬ濃厚な殺意を吐いた。
「死ねぇぇぇい!」
ソハエムスの領主であると同時にオルベラ氏族の府主教でもあるクムバトは、長い修道生活を経た経験から常に血気から離れた物腰柔らかい気質の人物だった。その彼が我を忘れ、どす黒い想いを乗せた剣をカルスへ叩き込む。
だがカルスは、彼の放った刃だけでなく怒りも正面から受け止める。
「その程度で今更俺の覚悟が揺らぐか! ナリカラの王として魔王軍と対峙する覚悟を決めた俺を、止められるものか!」
クムバトの強烈な一刀が重々しくも甲高い金属音と火花を生んで、止まった。
ぎしっと歯を鳴らしたクムバトは、もう一度剣を振るう為に腕を引く。
しかし、逆にカルスが剣を押し上げてクムバトの剣と腕を跳ね上げる。天に鋒を向けた剣が袈裟斬りで落とされ、クムバトの鉄兜が真っ二つに割れた。
額から血を流し白眼を剥いたゴブリンが、ゆらりゆらりと身体を左右に揺らす。
力の抜けた右手からキュクロプス製の剣が零れ、オルベラ氏族の長は自重を預けていた小柄馬からどさっと落ちた。




