百十一話 楯
巨大な角を後ろに伸ばした木の獣が吠えて矢を吐き出す。弩砲の群れが次々と巨矢を射ち出すのに続いて、後方の平衡錘投石機も唸り声を上げて腕を振り回した。石弾が勢いよく投げ飛ばされ、前方のザリャン氏族軍へ降り注ぐ。
それら死の霰に対し、ザリャン氏族軍は乱杭が伸びる土盛りの後ろに隠れてやり過ごそうとした。
しかし、点線の様にぽつぽつとある恐らく急造であろう土の壁は一つ一つがそう大きい物ではなく、小部隊しか守れない代物である。土盛りからはみ出てしまう多数の者の中から、運悪く直撃やその際に発生した飛散物によって命を刈り取られた。
一方で、彼らの後背にも巨矢と石弾が届いていたが、それらは土盛りに頼り切れない最前衛とは違って、損害をあまり受けていない。
何故なら最前衛より立派な防壁に守られていたからだ。単に土を盛っただけの物ではなく、しっかり打ち固められた分厚い土塁が飛来する石と槍を全て受け止める。
弩砲や投石機の射撃が収まると、土塁の上へ這い上がったゴブリン達が姿を現し、囃立てる様な雄叫びを上げた。
馬上からそれを見ていたイルムが、表情の無い顔で淡々と言葉を吐く。
「そんなものは効かないと? じゃあ次だ。先鋒、前進せよ」
イルムの令が各将へ届けられると、盾を構えた歩兵と射手が隊列を組んで進み始める。
前進する彼らは、白い旗を掲げていた。
横陣を成しているナリカラ軍は、天の視点で見れば三重の太い線となっている。
前からそれぞれ先鋒軍、主軍、予備軍と名前が付いており、先鋒軍は文字通り先鋒を務めて最初に敵とぶつかる役目を請け負う。
主軍は先鋒軍の予備戦力として控え、敵の側面を脅かしたり苦戦する部隊が居れば即座に兵を送って支援するのが役目だ。
最後の予備軍は、先鋒軍を支援する主軍を更に支援する、或いは敵の側背面に回って止めの一撃を加える切り札である。
この三重陣はバグラティオニ大王時代の戦術を再現したもので、“旗”部隊と同じく軍制改革でイルムが復古させたものだった。
「ザリャン氏族に大王の戦法を嫌というほど教授してやる」
その授業料を毟り取るべく、手始めに先鋒軍が盾を横二列で並べその背後から弓矢を射掛ける。
先鋒軍の兵は、ギオルギに率いられた白旗軍千五百に南部諸氏族五百を合わせた二千。対面するザリャン氏族軍の前衛は二千弱。盛り土という障壁と土塁からの援護を考慮すれば、先鋒軍がやや不利だった。
先鋒軍の射撃をやり過ごし、土盛りから身を出した敵の弓兵が矢を射返す。
木製の逆滴型盾で作られた壁と屋根に矢が次々と立つが、その内側にいるゴブリン達は極一部の不運な者を除いて、無傷のまま前進した。
矢の雨が止む頃合いを見計らって停止すると再び盾の後ろから矢が放たれる。盛んに射ち合う矢の量に反し、両軍互いに犠牲が少ないまま距離が近付く。
駆け出してものの十秒もあれば相手に抱き着けるという距離までになった時、ザリャン氏族軍の矢雨が激しさを増した。土塁の上に立つゴブリンらが弓を構え、指揮官の号令に合わせて先鋒軍へ一斉射撃をお見舞いする。
鏃が刺さる度に、ごすっ、がすっ、と木製盾が苦悶の声を漏らした。
「怯むな、前へ」
白地に竜殺しの騎士の旗が翻り、先鋒軍の総指揮を執るギオルギが短く命じた。盾持ちを務める従者に守られ、時に自ら矢を切り落としながらギオルギは兵を前へ押し出す。
盾を矢だらけにしても尚、じりじり前進し続ける先鋒軍に痺れを切らしたのか、盛り土の背後から槍や剣を手にするザリャン氏族兵が飛び出して来た。
「盾から矢を落とせ! 盾揃え!」
ギオルギの鋭い声に足を止めた先鋒軍の歩兵は、右手の槍で盾を拭くかの様に矢を叩き落す。十数本はあった矢から落とされたのは数本だけだったが、他はほとんどへし折れて盾が少し動かし易くなった。そして盾が互いに折り重なる様に密集し、隙間から槍が伸ばされる。
怒声と共に躍り掛かって来た敵兵を盾で押し止め、動きが止まった瞬間を狙って槍を突き出し、倒れた所に背中へ穂先を押し込んで討ち取った。
土盛りから飛び出した敵前衛を返り討ちにした先鋒軍は、反撃とばかりに隊列が崩れる程の勢いで一気に攻め込む。
「突撃! 土塁に乗り込め!」
背を向けて土塁へ逃げ込もうとする敵兵に追い討ちを掛けつつ、先鋒軍が土塁をよじ登り始めた。
盾を掲げる歩兵の背後から放たれる弓兵や弩兵の援護射撃が、土塁上から弓を射下ろしている敵の射手らを牽制し、多少の損害を出しながらも土塁の上に騎士が描かれた白旗が立つ。
一拍を置いてその旗は、ずたずたになった。
土塁の頂点に立っていたゴブリンは、残らず一本以上の矢が刺さった状態で転がり落ちる。
手ぐすね引いた弓兵隊が土塁の内側で待ち構えており、土塁を登って姿を見せた先鋒軍のゴブリンは格好の的と化す罠が用意されていた。
ギオルギはすぐさま攻撃を中断。土盛りの乱杭を破壊させ、そのまま土盛りを防壁に土塁との射撃戦に移行した。同時に本隊へ伝令を送る。
伝令によって前線の状況を把握したイルムは、主軍の投入を決断した。
主軍の戦力は、エレクレの緑旗軍の八百弱とスラミの黄旗軍八百、そしてサディン勢八百の総勢約二千四百である。
なおサディン勢が中央に配されたのは、依然としてナリカラ軍内から信用されておらず土壇場での裏切りを警戒する声に、イルムが配慮した結果であった。サディンの真意がどうであれ、ナリカラ軍のど真ん中であれば下手な行動は出来ないだろうという事だ。
右に緑、左に黄色、中央に黒い狼をはためかせてゴブリンの大軍が突き進む。中央のサディン勢は援兵として先鋒軍への支援に入ったが、緑旗軍と黄旗軍はそれぞれ敵の側面に回った。
しかし、人の背丈程の高さがある厚い土塁は側面にも伸びて立ち塞がっている。緑旗軍と黄旗軍も射ち下ろしの矢を浴びながら、ゴブリンお得意の数に任せた飽和攻撃で攻め掛かるしかない。
土塁上の敵弓兵を射撃で追い払い、土塁を登り詰めた傍から射倒されるのにも構わず兵を送り込み続ける。やがて土塁陣地の内側で、激しい消耗戦が繰り広げられた。
隣の者が矢を受けて仰反るのを視界の端に映しつつ飛び降りたゴブリンは、着地と同時に槍で貫かれる。その槍を引き抜いたザリャン氏族兵が、次の敵はと顔を上げた。
次の瞬間に土塁の上から放たれた矢が目玉へ突き刺さり、悲鳴を上げて転げ回った。その彼を蹴飛ばしたゴブリンの戦士が、斧を振り回して敵に突貫する。
堤防の様に居座る土塁の上で色とりどりの旗が泳ぎ、その下で血みどろの死闘が行われる中、それを離れて待機している予備軍と共に見つめるイルムが片眉を上げた。
「トロールは居ないのかな? 土塁前の土盛りが点線状なのは打って出る事を意識しているからで、トロールはその反撃戦力だと思ってたんだけど……」
巨人族であるトロールはその巨体から肉弾戦において圧倒的強さを誇る。それを大いに活かせる乱戦だというのに、土塁の内側でトロールが控えている様子も報告も無い。
明らかな違和感を感じたイルムが顎に手をやった。考え込み始めて少し経った頃、彼の疑問を氷解どころか打ち砕く答えを騎馬伝令が持って来る。
軍旗を握り赤目ロバを急かす騎兵が汗を垂らして予備軍左翼から駆け付け、大声で叫び回った。
「敵襲ー! 左翼にトロールの集団が接近しつつあり!」
――そう来たか!
イルムは直ちに迎撃の用意を指示する。
予備軍左翼はオルベラ氏族主体の赤旗軍の部隊で構成され、将は“向こう傷”のゲガルクニクとスピタカヴォルであった。
歴戦の二人ならば独自の判断で動けると考えたイルムは、左翼部隊以外へ命令を飛ばす。
「中央の赤旗軍部隊は左翼側へ方向を転換、右翼の青旗軍は即応準備をしつつ周囲を警戒せよ! 本陣の部隊も円陣で警戒態勢! 弩砲の展開も急ぎ行え!」
現場の判断で動いているであろう左翼へ上からの命令を出しては、余計な混乱を生み迅速な対応を阻害しかねない。
また、土塁陣地にどれだけの兵が居るのかもはっきりしていない以上、更なる伏兵を警戒せざるを得ず、いたずらに手元の戦力を左翼の救援に向かわせる事も出来なかった。
命令を出し終えて自身が跨る一ツ目馬の馬首を九十度左回頭させたイルムの目に、畑を踏み潰しながら疾走する毛むくじゃらの巨人達が映る。
「サディンと青旗軍に壊滅させられた騎兵の代わりか。騎兵の脅威はほとんど無いと油断してたな」
小さく反省を呟き、自軍と敵勢を見比べる。今回の戦いでは騎兵は居ないと踏んで、ナリカラ軍はほとんどの歩兵に長槍を持たせていない。土塁を攻撃する際の行動の邪魔になると、後方に纏めて置いてきてしまっていた。
ただ幸いなのは、予備軍が土塁攻めに参加せず待機していた事だ。
もし以前の様な第一陣と第二陣に加えて予備を兼ねた本陣という形のままであれば、トロールの奇襲を戦力の大半を投入して空っぽになった本陣の兵数百だけで対処しなければならなかったであろう。
だが、今回は二千五百強の軍勢で落ち着いて対処出来る。
今もイルムが見ている前で、ゲガルクニクとスピタカヴォルの兵が方向転換を終え、槍の穂先を揃えていた。
弓と弩兵が矢の雨を降らせ、トロールらと彼らに続くザリャン氏族ゴブリンの足を鈍らせる。
「射撃を敵歩兵に集中しトロールから切り離せ! 構え、放て!」
指揮官の怒声に合わせて弓と弩が再び斉射された。しかし、放たれた矢の多くはトロールの腕に受け止められる。
彼らの巨木の様な両腕には簡易的な鎧のつもりなのか、木の板が何枚も籠手の如く縛り付けてあった。弩砲や投槍に対抗する目的の防御だろう。
見た目はみすぼらしいが、攻城戦などで使用する大盾にも匹敵するその分厚い板は矢を一本たりとも通していない。今も何食わぬ顔で剛毛に包まれた巨人がずんずん突き進む。
「槍構えぃ! 投槍用ぉ意!」
額に汗粒を浮かばせた指揮官のゴブリンが威勢だけは良い声でがなる。ゴブリンの歩兵が盾に身を隠して槍を前に突き付け、その後ろに短い槍を頭の右横で構える投槍歩兵が固唾を飲み込んだ。
トロールとザリャン氏族のゴブリン達が地獄から湧いた様な咆哮を響かせ、土砂と麦藁で出来た煙を大地から生み出しながら目と鼻の先まで突っ込んでくる。
矢を浴びながら突貫するトロールの、大きな瞳に走る血管が見えた気がしてくる程にまで接近された時、たった一言だけの強い言葉が響いた。
「投げぇぇ!」
百は優に超える投槍が宙を飛び、そのほとんどがトロールへと降る。一部は首筋や顔面に突き刺さって喧しい悲鳴が上がったが、多くは先程の矢同様に腕の板盾に吸い込まれてしまった。
勢いを減ずる様子のない巨人達はそのまま盾ごとゴブリンを踏み潰し、棍棒を振るって歩兵の壁を叩き壊す。
戦列は突破された。




