百十話 会戦
ナリカラ軍は一夜を過ごしたファハンの自治領を発ち、南東の方角へ進んだ。
山の斜面に取って付けた様な荒い道を通って山々を降り、今度は山や丘の間を縫う道で豪雨か地鳴りを思わせる重なり合った数々の足音を響かせる。
黒の軍旗が途切れる事のない列を作り、旗の下には数え切れない数のゴブリンと荷を運ぶ駄獣が道をはみ出す程の太い列を成していた。
それが世界蛇の如く地平の彼方までのたくっている。
ナリカラ軍は攻勢に繰り出せる全ての戦力をここに一つの軍として纏まっていた。その数は凡そ七千に上り、物資を運搬する人夫などの非戦闘員を含めれば一万に届く大軍勢だ。
これほどの大軍ともなると、必要になる食料も都市一つ養う様な量となる。
その為に、軍の針路も戦略的なものではなく、食料の確保を最優先としたやや場当たり的なものとなった。
そうしなければたちまち飢えて、戦う前から軍が崩壊してしまう。万を数える軍隊とはそういう脆さを抱えているのである。
ナリカラ軍は農耕地が広がる地域や物資の集積地となる交通の要所をなるべく経由し、あっちへこっちへ大いに寄り道しながら、ザリャン氏族本領の中心都市ハイクを目指した。
圧倒的な兵力を前にしたからか敵の抵抗はほとんど無く、目の前に現れるのはザリャン氏族長カルスより離反してナリカラ軍への参陣を表明するザリャン氏族ゴブリンばかりである。
「参陣は有り難いけれど、もう自分達だけで一杯一杯だし信用し切れないし……してもらいたいというか、任せられる事は物資の提供とカルス派への抑え程度ぐらいかなぁ」
カルスからの離反者筆頭であるサディンより、造反の意を持つ者達のリストをイルムは以前受け取っていた。
が、あくまでサディンによって纏められた資料であり、どこまで信用出来るか不透明な事に変わりはない。リストに名があろうがあるまいが、信を置くには情報が少な過ぎる。
そして何より、これ以上軍の規模が増大すると、確実に兵站が限界を超えてしまう。
イルムは表向きには、ナリカラ軍だけでカタが付く故に援兵など不要という余裕を演出して造反者の参陣を断る一方、天幕の内側では書類の上を走る数字を睨んで頭を掻きつつ進軍を急がせた。
斥候の小競り合いを除いて戦闘がほぼ起こらないまま、ナリカラ軍はいよいよザリャン氏族本領の中央地域に入るまで後数日という道を踏む。
それと同時に歓迎の仕様が無い使者が前触れもなく訪れた。
小さな丸椅子が両側に並び、その上から数々の鋭い視線が、イルムの目前で跪くゴブリンに突き刺さっている。
そのゴブリンは被っていた帽子を身体の前で握り締め、ゆっくりと顔だけを上げた。
「御対面の許しを頂き感謝致します」
「社交辞令はいい。要件のみ口にしてもらいたい。敵陣に単身同然で乗り込んだからには余程の事と思われるが」
交差した脚を持つ折り畳み式の椅子に座ったイルムは、外套で肩の傷を隠したまま尊大な態度を取ってみせる。反乱者のザリャン氏族からの使者に、素を見せるどころか礼を尽くす義理も砂粒ほども無い。
使者は緊張とはまた違う固い顔をして、堂々と述べ始める。
「会戦の申し入れです。我が主、カルス陛下はナリカラの覇権を賭けた決戦を所望されております」
刃の如き視線で使者を挟む諸将も正面から見据えるイルムも、彼の言葉に驚く様子は無かった。
大軍がぶつかる事が出来る戦場は意外に限られる。
第一に十分な広さが求められる時点で、大規模会戦が行われる場所は基本的に障害物が少ない平地でなければなければならない。
そうなると牧草地や農耕地といった人工地がほとんどで、必然的に都市郊外など生活圏の範囲となる。当然、そこには住人が居るし家畜も居るだろう。
戦闘の際には邪魔になる上に、彼らが巻き込まれては戦い合う両者にとっても経済的損失にしかならない。事前に避難してもらうのが一番である。
またそれ以外に大軍の物資事情も絡む。大量の物資を懸命に掻き集めるのは大変面倒で、尚且つ領地或いは支配する予定の現地をいたずらに疲弊させてしまう。
両軍共に決着が早く付くに越した事はないのだ。故に、会戦の申し込みはさして驚くべきものではない。
――寧ろもっと早く来るものだと思っていたのに。兵の集まりが悪いのかな?
イルムは考え込むフリをしてそう思った。そして是の返答を行う。
「決戦、大いに結構。場所はここより南へ一日の麦畑が広がる耕地で?」
「はい。既に我が主が陣を敷いてお待ちしております」
ぴくりとイルムの眉が動く。脳裏には先のホラケルトの戦いで見た土塁陣地が浮かんだ。
何かを察したのか、使者は口端を上に歪める。
「では失礼させて頂きます。良き戦となるよう祈っておりますぞ」
三歩後ろに下がってから一礼し身を翻す。ナリカラ軍の前に現れた時に、アニと名乗ったゴブリンは去り際にもう一度、手を胸に当てる優雅な礼をしてから帽子を被り自身が乗ってきたロバに跨った。
遠ざかる蹄の音を聞きながら、イルムが立ち上がる。
「行軍再開。戦場予定地の手前で野営するよ。設営後は兵器の組み立てに入らせて。明日までに完了させたい。急げ!」
一斉に椅子から立ち上がる音が響いた。
明くる日の朝。木或いは金属を叩く槌の音やぞろぞろと大勢が歩く靴音、そして怒鳴り声が地を埋め尽くしている。ナリカラ軍旗が掲げられた野営陣地では、決戦に備えた準備が進められていた。
兵器の組み立て、武具の修繕、部隊の編成及び配置、炊事などなどやる事は山程ある。
どこも騒がしい陣中で数少ない静かな場所は中央の本営、軍議が行われている大天幕だ。ナリカラ総督のイルムに総督顧問官エルガの二人が並んで座り、イルムの右後背でアミネが控える。
イルムから見て左手側にナリカラ軍総司令官ティラズムを始め、ギオルギと“沈黙”のエレクレ、スラミといったエグリシ氏族の将が居並んでいた。
反対側にはオルベラ氏族長クムバトの他、“向こう傷”のゲガルクニクやスピタカヴォル、ロムジア氏族長のアスピンザに加えて微笑を湛える“黒狼”のサディンが丸椅子に座る。
諸将を見渡したイルムは徐に口を開いた。
「遂にザリャンとの決着を付ける時が来た。我らは七千、ボガードや斥候の情報に拠れば敵は六千。こちらが兵力で勝るが、向こうにはトロールが居る上に防御陣地も築かれている」
口蓋を開く代わりに瞼を閉じたイルムが、厳かにそう語る。そして、かっと勢いよく目を開き、声を爆発させた。
「だがそれがどうした! 装備、兵制は我らが上、調略も進んでいる。対して彼らは背中に難敵を背負い不安を抱えている。王を僭称する逆賊など恐るるに足らず! この戦いで大乱を鎮め、余勢を駆って大公国をナリカラから叩き出せ! 全てがこの一戦で決まるぞ!」
「おおおっ!」
諸将がイルムの怒声に負けじと雄叫びを張り上げる。
士気の高さに満足したのか、小さく頷いたイルムが手をさっと振り、予め待機していたゴブリン達が酒壺を持ってやって来た。
何も言わず当たり前の様に諸将は腰に下げていた角杯を手にし、そこへ酒壺から葡萄酒が注がれる。
「全能者と聖女の加護があらんことを!」
イルムの音頭で一斉に杯が乾かされた。
出陣である。
防壁として並べられた荷馬車に囲まれている野営陣地から、ナリカラ軍が吐き出されていった。
約七千もの軍勢は前方に横たわる広大な耕作地へ無遠慮に踏み込み、刈り取られた後も残る麦の茎を片端からぐしぐしゅと踏み潰す。
見晴らしの良い農地の向こうに、ざわざわ動く背の低い森が見える。鳥の羽や獣の毛で出来た葉を持ち、何かの頭骨を実らせる枝の無い木々の他に、真っ直ぐ天へ伸びた先端に一本の金属を刺を生やす細木が数え切れないほど群生していた。
その森の手前では乱杭が並ぶ土盛りが、点線の様に途切れ途切れで横切る。
防御陣地にしては中途半端だ。
待ち構えるザリャン氏族軍を正面から睨み付けながら、ナリカラ軍が戦場となる農地に布陣する。
槍を手にするゴブリンがずらりと並ぶ前に数十台もの弩砲が置かれ、槍の様な巨矢が装填された。尻側に付いたハンドルが回され、巨大な横弓が引かれる。
前面で弩砲の準備が進む中、ナリカラ軍の陣列の背後でも動きがあった。
小型の平衡錘投石機が十二基据付けられ、大型の投石紐に人の頭程度の石が込められる。そして投石機の腕を地に繋ぎ止める縄の横に、斧を持つゴブリンが立つ。
一ツ目馬に騎乗したイルムは、しばらく敵陣を眺めてから右手を挙げた。アミネが轡を取っている為、彼はやや支障のある左手で手綱を握らずに済んでいる。
掌が地平に対して垂直に立って掲げられると、同じ様に隣で旗が上げられる。白布を被り斜め十字の首飾りを握り締めた女性は、旗の中から戦場を真っ直ぐ見据えた。
角笛が吹き鳴らされる。
「聖ニヌアは我らと共に! 射撃始めぇ!」
右手が振り下ろされると共に、決戦の火蓋が切られた。




