百九話 財宝
黒地に斜め交差の赤十字を描いた軍旗が朝日を浴びている。この陽の光は、ナリカラ軍主力の南軍が夜襲を受けてから二度目の物であった。
輝く太陽に対して、南軍の気勢はどこか衰えている。先の夜襲でほとんどいいようにやられていたのだから当然だ。
四千を優に超えた兵力も三千三百にまで落ち込み、おまけに総大将のイルムが指揮に支障が出る程ではないとはいえ矢傷を負っている。士気が下がらない筈がなかった。
衰えた兵力と士気を回復させるべく、イルムはティラズムとギオルギの居る後詰めの軍千五百、そしてクムバトとスラミの北軍との合流を図って、軍の進路を北に向ける。
目指す先はファハンの自治領であった。
木々が生い茂る山間の道を進み、櫓を備えた丸太の砦を通れば、そこは単眼単足の種族ファハンの住まう土地である。
山々と深い森に囲まれた盆地に、広々とした農地と隠れるかの様に林の中で佇む村々が、ファハンの自治領だ。
普段は長閑で隠れ里めいた静寂があったであろうこの地は、軍旗のはためきが雨の様に頭上から降り注ぎ地面からは大量の足音が湧き上がる騒々しい場所となっている。
莫大な音を生んでいるのは無論南軍であるが、その数は夜襲を受けた後よりも増えていた。旗も黒地のナリカラ軍旗にエレクレの緑旗、ロムジア氏族の青旗とサディンの狼の横顔の四旗に加えて、新たに白い旗と葡萄酒色の旗があった。
白地の上に竜へ槍を突き立て屈服させている騎士の紋章はギオルギ率いる白旗軍の物である。
そして最後の葡萄酒色の旗であるが、投石紐と先端に鷲の装飾が付いた杖が交差した紋章が描かれていた。
鷲付きの杖は王権の象徴の一つである王笏であり、投石紐はかつて小氏族の長に過ぎなかったナリカラ王家の祖が、身を起こす際に活用したとされる武器だ。旗の布地自体も絹製の上に、ある貝から僅かに取れる希少な紫の染料で染められた物である。
つまりこの旗は王族の所在を意味する物で、ティラズムがここに居る事を示す旗であった。
左肩に包帯を巻いたイルムの前で、一本足が支える太く短い胴体に大きな一ツ目のあるずんぐりした頭が乗った者達が、ぞろぞろと集まる。彼らの長であろう、一番前に立つ一房の顎髭を伸ばした皺の深いファハンが口を開いた。
「儂が族長じゃあ。王子は何処」
開口一番に族長がティラズムの事を尋ねる。イルムはナリカラの誰も彼もがティラズムにしか興味が無いのかと、やや不満気に片眉を歪めた。それでも指を揃えた右手でティラズムを示す。
「こちらに」
綿の長衣に身を包んだ端麗なゴブリンに、族長以下集まったファハン全員が、一本だけの足を折り曲げて身を屈めた。
「幾星霜の全てが今報われ申した……殿下、よくぞ御戻りに……」
今にも涙が溢れるのではないかという勢いで顔をしわくちゃにする族長へ、ティラズムは少し困った様に眉根を糸数本程度寄せる。
「其方達の想いは受け取った。が、殿下と呼ぶのは控えて欲しい。今の私はナリカラ軍総司令官に過ぎないのだ」
そう言って自身の立場を表明し、茶を濁す笑みを浮かべて見せた。頭を下げていた族長はそれを察したのかそうでないのか、禿げ上がった頭を益々低くさせる。
「左様で御座いまするか。されど王子、いえティラズム様に是非とも御渡ししたき品が」
族長が身を低くしたまま振り返り、背後のファハンを呼ぶ。族長に劣らず皺が刻まれたそのファハンは、ぴょんと一歩前へ出て抱えていた細長い箱を見せる。
族長が錠の付いたそれを受け取り、羽織っていた鹿の毛皮の外套の内側から鍵を取り出した。頑丈そうな錠を開け、蝶番が金切り声を上げるのにも構わず箱の蓋を持ち上げる。そして恭しく箱を差し出した。
「こちらを」
「これは……!」
中身を見たティラズムは目を見張る。横から覗いたイルムも思わず、頭上に翻る貝紫の旗へ首を回した。再び箱の中に視線を戻す。旗の中央に描かれている投石紐と対を成している代物、それが箱の中で鎮座していた。
鷲を象る純金の装飾を先端に持つ杖を目にして、イルムが短く叫ぶ。
「王笏!」
途端にナリカラ軍は落ち着きを失い、視線と小声が飛び交う。ナリカラが魔王軍の支配下に置かれてからは、王家の宝物は尽く行方知れずとなっていた。その一つがここにしかとある。
「これは、かつてムリシツケの公爵より御預かりした物。魔王軍に奪われる事無きようにと、我ら一族に託されたのです。ようやく古い約束を果たせまする」
皺だらけの顔を緩ませて族長の目が細くなる。彼が捧げる様に持つ箱にティラズムが手を伸ばし、王笏を握った。
そしてイルムに目を向ける。視線がぶつかり合うと、ティラズムは持ち上げた王笏をイルムに渡した。族長が目を剥く中、純金の鷲が留まる杖が魔族の青年の手に収まる。
その光景は、ナリカラが魔王軍の支配下にある事を否応無く思い起こさせるものだった。が、現状ではこれが最善なのだから仕方がない。ナリカラ軍の将兵が見せる複雑な表情が全てを物語っていた。
「ところで、さっきムリシツケの公爵って言ってたよね?」
イルムが耳聡く聞き及んだ言葉を捕らえる。ファハンの族長は一つしかない瞳をぱちくり動かした。
「え、ええ」
「アミラミ洞窟でその地名と爵位を見たんだよね。カカバーという名と大王暦三十四年という年号が刻まれた碑文に」
イルムの背後で控えていたエルガがそういえばという顔をする。
以前、ナリカラ南西部のアミラミ洞窟には王家の財宝が隠されていたとの噂を基に、エルガ主導で大捜索が行われるも何の結果も出ず、徒労に終わっていた。
しかし、洞窟奥に刻まれた碑文によれば、バグラティオニ大王即位を元年とする暦の三十四年度、魔王軍が王都リオニを降伏に追い込んだ年にカカバーという公爵が王室財産を全て運び出している。今イルムの手にある王笏が、その一部である事は疑いようもない。
「カカバーから託された宝物がまだまだあるんじゃないの? ほら大王の血族がここにいるんだから、預かっていた物を返還しなきゃあ」
両目と唇が弧を描く真っ黒な笑みで迫るイルムに、族長は器用にも一本足で後退った。ティラズムが苦笑しつつ族長へ向けて頷く。それを見て、ファハンの族長は息を吐いてから、自らの顎髭をぴんっと引っ張った。
「分かり申した。おい、案内せい」
先程まで王笏が入った箱を抱えていた皺の深いファハンが、ちらっとイルム達に視線を送って身体の向きを変える。彼に続いてイルムやティラズムの他にエルガと、後頭部に両手を当てて取り留めもなく空を見上げるアミネ、そしてギオルギとエレクレが続いた。
遠目からは気付かなかったが、ファハンの集落は半分地下に埋まった形の土壁家屋で構成されている。それらの間を縫って奥へ奥へと進むと大木が根差す小さな崖に行き当たった。
そこに木の根によって支えられた天井を持つ通路が掘られ、一行へ大口を開けている。
無言で掌を見せて、待つ様に示したファハンが通路の中に消えていく。鳥の短く繰り返される歌を、時間潰しの供としていると、とっすんとっすん飛び跳ねてファハンが戻って来た。その両手には金銀財宝がひしめいている。
「御覧の通り、預かった分の王家の宝はここに。まだ部屋一杯はあるが」
面相と同じ皺が刻まれているのかと思わせる老いをたっぷり含んだ声だった。
だが、ティラズムが受け取った財宝がエルガによって鑑定されていくのを、にやにや見るイルムへ向けられる眼は、割れた石の様な鋭さを持っている。やがてその鋭利な目尻はだらりと垂れ下がり、重々しい息がその下で生まれた。
全ての財宝がゴブリン達によって地下蔵から持ち出され、総督府の管理下に置かれた後、見るからに機嫌が良いイルムが自軍へ野営の準備を指示し始める。
南軍と後詰めの軍合わせて五千弱のゴブリンが布の小屋を次々と建てていく中、一つの報せを携えた騎馬伝令がイルムの前に現れた。その伝令は下馬と同時に二千以上の軍勢が接近している事を報告する。
また、その軍勢は赤の上に鷹が縫い込まれた旗と剣が交差した黄色の旗を掲げているという。
「来たね。いよいよ総力戦といったところかな」
イルムは意気揚々とした微笑みを獰猛なものに変えた。
この日、ナリカラ軍本隊に加えて、オルベラ氏族を主軸とするクムバトの赤旗軍とスラミ率いる北部諸侯の黄旗軍がファハンの集落に到着。ナリカラ軍の全ての戦力が一カ所に勢揃いしたのである。
決戦が近付きつつあった。




