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全部俺のせいだ。
あの時、追いかけたことがダメだったんだ。
なんで俺はあの声に従ったんだ。
家でじっとしていればよかったんじゃないのか。
喧嘩さえしなければ。
いや、家に呼ばなければよかったんだ。
そもそも俺が彼氏になったからダメだったんじゃないのか。
一緒に育ってきたのがいけないのか。
そもそも出会わなければ。
戻りたい。
『幼稚園って楽しいね。』
どこからか声が聞こえた。子供の声だ。いったいどこから。
『カズくんと、シュウちゃんと、ミクちゃんと、あとリオちゃんとお友達になった!』
鏡からだ。部屋に立てかけてある姿見には小さい子供が映っている。あれは、俺だ。名札に俺の名前が書いてあるし、何よりあいつのそばにいる女性は、若かりし頃の俺の母親だ。
「おい! お前何者だよ! なんで小さい時の俺がいるんだよ!」
叫んだって届きはしないのに、腹の底から声を出した。
あの頃ならまだやり直せるのに。
ふと頭に浮かんだ考えは、俺の希望になった。
しかし、何日経っても彼は琴音のことを話さない。生きているのか、そもそもいないのか。どちらでもいいから確かめたい。
「そっちに琴音はいるのか?」
届かないとわかっていても、聞かずにはいられなかった。
『あのね、僕、片桐 綾人。なかよし幼稚園の年少さんで、えっと、五歳!』
声は届いていないはずだ。でも、こちらにはちゃんと聞こえる。にしても、幼稚園の頃の俺って、鼻水垂らしてたんだな。
可笑しくて少しだけ笑った。すると、彼は目を輝かせて楽しそうに話しだした。
『あのね、あのね。今日、ことねちゃんって子とお友だちになったんだよ。』
琴音。まだ生きているのか。よかった。でも、琴音と出会ったんだ。あいつが本当に俺なら絶対に琴音を意識する。
これから彼の身に起こるだろう悲劇、彼と出会った琴音がまだ生きているという安心感。ごちゃ混ぜになった感情に耐えられずに手で目元を覆った。
『どうしたの?』
落ち着きを取り戻して目を開けた時には、鏡は元に戻っていた。
「俺が必ずお前の未来を変えてみせる。」
鏡に向かって呟いた。
まずやらなければならないこと。それは普通の生活に戻ることだ。
琴音を失った喪失感から立ち直れずに一つの季節が過ぎてしまった。このブランクは大きい。高校は、卒業はさせてくれたが、多大な迷惑をかけた。アクション俳優の仕事も白紙に戻った。今さら大学なんて、金も学力もないから目指せない。だけど、出遅れてしまってもいい。今できることをしよう。
はじめの第一歩は、家族と話をすること。冬の間は部屋に閉じこもって、誰とも話していなかった。心配させた分、大丈夫だということを伝えなければ。
両親は居間でテレビを見ていた。
「父さん、母さん。」
俺の声に振り向いた両親の顔は、数ヶ月見ていないだけなのにとても老けて見えた。母親は目に涙を溜めて抱きしめてくれた。
「何か、食べたいものある?」
こういう時に聞いてほしくない話題をわかっている。さすがは母親だ。
父親は母親のような表現はしないが、肩に手を置くことはしてくれる。それだけで充分だ。
「あり、がとう……」
久々の温もりが心に沁みた。母親のつむじが下に見える。ストレスだろうか、少し薄くなっている。
あぁ、いつの間にか俺は母親をこんなにも追い越していたんだな。
「守れた、はずなんだ。あと、少しだった……」
そう、あと少しで手は届いたのに。
「琴音っ……!」
琴音を失ってから初めて、声を出して泣けた。外はもう春だというのに、俺はまだ秋で止まっている。動き出さなければならない。
ひとしきり泣いた後は気持ちが楽になった。
泣きはらした後では説得力がないが、もう前に向かって歩き出す決心をしたことを話すと、両親は喜んでくれた。
第二歩目は、社会復帰だ。できればアクション俳優をやりたい。だが、そんなにすんなりと決まるものでもない。アルバイトで資金を集めながら職探しをする。スーパーは一発で決まった。その次に居酒屋でのアルバイトを入れて、2つを掛け持ちすることにした。
かなりキツいものがあったが、学校へ行っていない分、まだ他の学生アルバイトよりかは楽だと思う。
「片桐さん、焦ってます?」
スーパーで年下のアルバイトの子から不意に質問された。
「なんか、見てて余裕がない感じがして。確かに、就職できなかったことに対しても焦ってるんでしょうけど、でも、それとはまた別に悩みがある感じがします。勘ですけど。」
この子には何か見えているのかもしれない。
「鏡に映る自分って、いつの自分が映る?」
「変な質問ですね。今しか映りませんよ。なんか、変なもの食べましたか?」
この時初めて、自分だけが不思議なものを見ていることを知った。
それから半年が過ぎて、ようやく以前の生活に戻れたような気がする。鏡に映る幼い自分は相変わらず無邪気にはしゃいでいる。
彼の口から出る言葉にはほとんど琴音がいる。昔から好きだったんだ。
『今日はね、ことねちゃんと遊んだんだよ!』
昨日も一昨日も同じ事を言っていた。毎日そんなに遊んでいて飽きないのかと思うほどに。
心に余裕が出来始めた頃、スタントマンの仕事が決まった。アクション俳優は無理だが、スタントマンなら募集しているということで応募していた。
両親に伝えると、とても喜んでくれた。
『今日は僕の七歳のお誕生日だよ。』
彼はとても嬉しそうだ。
そうか、今日は俺の誕生日でもあるのか。おめでとうという意味を込めて拍手をすると、彼は満面の笑みを浮かべた。
『でね、カズくんから新しい呼び方を教えてもらったんだ。自分のことは俺って言うんだって。これから僕も、じゃなかった、俺もカズくんみたいにカッコよくなるんだ。それで、琴音をゲットだぜ!』
アニメの決めポーズに腹を抱えて笑ってしまった。まだ可愛げのある少年だ。ドヤ顔をしてても少ししか腹が立たない。
すると彼は優しい顔になった。
『おじさんも笑うんだね。なんか、安心した。』
言われて気がついた。俺は今、心から笑っている。笑えている。
鏡の中では母親に何かを言われたらしく、またね、と言ってどこかへ行った。おそらく風呂だ。俺は小さい頃から母親に言われないと風呂に入らなかったから。
心に余裕が生まれた。琴音のことを、感情的にならずに考えられるくらいには。だから、どうすれば助けられるのかを考えられるようになった。
まず、文字を書いて伝える。紙にこれから起こることを書いて見せてみた。しかし、鏡の中は反転しているせいか読み取ってもらえず、そもそも彼はまだ小学生で文字を覚え始めたばかりだった。
次は、思いっきり叫んでみた。もしかしたら届くかもしれないと思ったからだ。すると、近所迷惑だと両親並びにご近所の方からお叱りを受けた。反省。
次は、昔、鏡で見た未来の俺の声が聞こえたやり方だ。鏡に手をつきながら喋る。だが、彼は首を傾げるだけだった。声が届いていない。俺の時は届いていた。
ちょっと待て。俺は、未来の俺がこんな変なことをやっているところを見たことがない。少し未来が変わっているのだとしたら、琴音は死なないのかもしれない。
こんな低レベルの仮説を立て、変なことをし続けても、鏡の向こう側には影響なんてない。俺が見えているのは彼だけで、伝えたいことも伝わらないのだから。
それから彼は俺と同じ道を進んだ。
志望校は俺と全く同じ高校を選択。どうしても琴音と同じ学校へ通いたかったため、小学校からの幼馴染であるカズくんに頼み込んで家庭教師になってもらった。
無事に試験に合格し、高校の入学式の後、琴音を呼び出して告白する。成功して見事、琴音を手に入れた。
俺の仮説は見事に崩れ去った。何も変わっていない。俺が歩んできた人生と何の狂いもなく進んでゆく。
そして、『あの日』も当然のように訪れる。
彼は十八歳。俺は三十六歳になっていた。
あの時と何も変わらない。家のチャイムが鳴り、琴音が部屋に入ってくる。だが、そこで鏡は見えなくなる。第三者が映るとあちらの状況はわからなくなる。
もどかしい。というより、何もできない、指を咥えて見ることしかできない自分が悔しくてたまらない。
次に彼が映った時には、琴音はもう家を出ていた。
どうして、俺は同じことを繰り返してしまうんだ。俺が昔見た男も、同じことを考えていたのだろうか。
それなら、なおさら止めないといけない。
鏡に向かって叫んだ。
「わかってんだろ!?おい!あいつを今すぐ追いかけろ!」
バシバシと鏡を叩いてみるが、彼に伝わっているとは思えない。ふと、彼がひらめいたように伝えてきた。
『おじさん。手が触れた瞬間だけなんか聞こえるから、ずっと手をつけたまま話してみて。』
それは以前にもやってみたやり方だとは思いつつも言う通りにしてみると、彼に声が届いたようだった。では何故、以前やった時にはできなかったのか。いや、今はそんなことはどうでもいい。優先するのは琴音だ。
「いいか、よく聞け。俺は未来のお前だ。そっちにいる琴音は今からトラックに跳ねられて死ぬ。だから、死なせるな。まだ間に合う。」
目の前で起こったあの悲劇が頭に浮かぶ。もうあんなことは起こさせない。
「追いかけて、絶対に横断歩道を渡らせるな。」
彼は少し考えた後、俺が同じ時にしたことを聞いてきた。そして、それを踏まえた上での反論をした。
『追いかけなければいいんじゃないかな。だって、俺が追いかけたから琴音は走ってトラックに跳ねられるんだろ?追いかけない方が助かるかもしれない。』
たしかに、と納得しかけたが、頭に追いかけなかった場合は轢かれてしまう場面が浮かび上がった。たぶんこれは、俺に追いかけろと伝えた未来の俺の記憶だ。
「いや、どちらにしても助からない。お前は力一杯引き止めろ。」
彼は納得いかない顔をしていたが、しっかりと頷いた。
彼が部屋を出ていった。普段なら鏡の前に彼がいない時は何も映らないはずだが、この時だけは彼の見ている景色が見えた。家を出て、琴音が向かったと思われる道を辿っていく。家とあの横断歩道のちょうど真ん中あたりだった。
『琴音。』
ああ、あの時のままだ。変わらない。大好きだった。
彼の呼びかけに振り返った琴音は別れを切り出した。思い返せば、いつも俺ばかりが好きだと言って、琴音は俺を好きなのかなんて確認すらしなかった。これが琴音の本心なのだとしたら、俺は……
『じゃあ、ゲームしよう。私とかけっこ。私に追いついたら理由を話してあげる。でも、別れて。ここから一歩も動かずに私を見送ったら理由は言わないけど、別れない。』
『じゃあ、動かない。』
彼は俺と全く同じ選択をする。わかっていたことだが、彼だって琴音が大好きなのだ。
「追いかけても追いかけなくても未来は変わらないとしたら、お前はどうする?」
彼は狼狽えている。先程の琴音の言葉が相当応えているのだろう。『でも』や『琴音が』と弱気な発言しかしない。
「俺なら、追いかけて、未来も変える。」
彼が前を向いた。琴音はまだ横断歩道までは歩いていない。
「走れ。追いかけろ。」
そう言った瞬間、鏡の中に引きずり込まれた。
走っている。俺の体だ。今までのは全部、夢だったのか? いや、違う。でも、これは俺の体だ。
だけど、今はそんなことは関係ない。琴音を助けるんだ。
「琴音!」
琴音は横断歩道に足を踏み入れていた。俺に気づいた琴音は走り出す。あの時と同じだ。手が離れていく。
だったら……
俺は全力で一歩踏み出して琴音を背中を押した。多少の怪我はしただろうが、これでトラックの進行方向から外れた。跳ねられることはない。
琴音の代わりは俺が引き受けるから。
助けることができた。そう思う間も無く、俺は右側に今まで感じたことのないほどの重みを受けて、意識を失った。




