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第4章:インクに染まる現実  作者: 都桜ゆう


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4-4:救済なき観測者

 図書館の壁に浮かぶ文字を前にして、白井と加瀬は、至上の真理に触れたかのような恍惚とした表情を浮かべていた。


 2人はお互いの解釈――植物の進化と、血の宗教儀式――という、本来なら全く異なる、相容れないはずの物語を胸に抱いたまま、しかしその文字の価値を完璧に理解し合い、強固な一体感を持って連帯している。


 その2人の姿を前にして、三嶋は、胸を直接素手で雑巾のように絞られるような、強烈な孤立感に苛まれていた。


「……俺には、読めない」


 三嶋は、ぽつりと呟いた。


 白井の目にも、加瀬の目にも、そしてネットの向こうの何百万もの人間たちの目にも、あの本の文字は、それぞれにとっての完璧な正解を提示している。


 誰もが自分の解釈を盲信し、その閉じた世界の中に没入し、奇妙な幸福感すら得ている。


 なのに、三嶋の目に映るのは、相変わらず、ただの意味のない、不気味で歪んだ幾何学模様でしかなかった。


 壁に浮かぶ文字も、本棚に挟まれていた頁も、何の感情も、何の映像も浮かび上がらせてはくれない。


 ただの冷たい、死んだ記号だ。

 自分だけが、何も読めない。自分だけが、この周囲の人間たちが見ている豊潤で狂った世界から、完全に弾き出されている。


 しかし、最もおぞましく、三嶋の精神を追い詰めていたのは、読めないはずなのに、夢だけは完璧に共有しているという矛盾だった。


 毎夜、三嶋はあの暗黒の回廊の夢を見る。


 天井から冷たい泥水が滴り落ち、爪で壁を掻きむしるような雑音が響く、あの最悪の夢の空間。


 そこには、白井も加瀬も、確かに並んで座っている。


 そして、夢の中の三嶋は、あの階段状の文字の意味を、脳が焼け付くような感覚とともに、完璧に理解させられているのだ。


 あれは世界の終わりの記述だ、あるいは自分自身の存在の否定だ、という圧倒的な全知の感覚。


 それなのに、目覚めた瞬間に、その意味だけが砂漠に撒いた水のように綺麗に消去され、現実の三嶋の脳には、ただの読めない記号の残像だけが残される。


(なぜだ……なぜ、俺を仲間外れにするくせに、夢の中だけは強制的に繋げようとするんだ……)


 三嶋は自分の頭を両手で強く抱え込み、冷たい図書館の床の上で、1人きりで立ち尽くした。


 周囲にいる白井と加瀬の呼吸音さえも、いつの間にか完全に同期しており、スーー、ハーーという2人の息の音が、静かな閲覧室の中で巨大な1つの生き物の足音のように響く。


 自分だけが、この怪異の外側にいると感じる。


 白井や加瀬、術中にはまったネットの無数の住人たちは、すでに本の内側に取り込まれ、狂気という名の救済を得ている。


 しかし三嶋だけは、その内側の狂気と同化して楽になることもできず、さりとて安全な日常に戻ることもできず、ただ境界線の外側で、迫り来る侵食の恐怖を客観的に観測させられ、正気をすり潰され続けている。


 読めないという絶対的な断絶と夢を共有させられているという強制的な同期。


 その2つの板挟みになりながら、三嶋は、世界という確かな現実の輪郭が、あの不気味な記号の重力によって、じわじわと、しかし確実に崩壊していくのを、ただ孤独に怯えながら見つめるしかなかった。


 逃げ場はどこにもなかった。


 手元のスマートフォンを開けば、そこにはさらに肥大化したネットの憎悪が渦巻いており、顔を上げれば、図書館の壁の文字がじっと自分を見つめている。


 世界全体が1冊の本へと変化していくカウントダウンの中で、三嶋の心は、完全な暗黒の底へと突き落とされようとしていた。


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