4-2:歪む観測
その戦慄すべき洞察は、翌日、最悪の形で証明されることになった。
大学の事務室に置かれた、あの黒い本。
三嶋が抱いた悪意の逆流という仮説は、この本の異変によって裏付けられてしまった。
画面越しに沸騰する無数の人間の悪意。それが目に見えないパイプを伝い、この古書へ吸い込まれ、物理的な質量となって蓄積しているのだ。
初日に地下倉庫で見つけた時よりも、明らかに本の厚みが増している。
ページ数が増えたわけではない。紙そのものが、内側から膨らみ、膨張しているのだ。
三嶋は不快感に胃をキリキリと痛めながら、白井と加瀬の目を盗んで、デスクの上に置かれたその本を手に取った。
これまでは触るのすら躊躇われていたが、どうしても確かめなければならない違和感があった。
三嶋は、自分の事務員としての正確な手つきで、本の最初のページから最後のページまで、1枚ずつ丁寧にページ数を数え始めた。
「……148、149、150。……150ページだ」
三嶋は額から冷や汗を流しながら、もう一度最初から数え直した。やはり、ぴったり150ページある。
しかし、初日に白井がこの本の構造を調べた時のレポートには、確か全131ページと明確に記録されていたはずだった。
ページ数が増えている。まるで、ネット上の炎上の熱量を吸い込んで、新しいページが内側から次々と増殖しているかのように。
「おい、白井。この本、ページ数が増えてないか? 今数えたら150ページあるんだが……」
三嶋が震え声で尋ねると、デスクの前に座っていた白井が、ゆっくりと、まるで錆びついた機械のように首を巡らせた。
彼の目は土気色の肌の中で異様にギラついており、三嶋の言葉を鼻で笑った。
「何を馬鹿なことを言っているんだ、三嶋。君の目は節穴か?
……それとも、目の前にある現実を数えることすら、今の君にはできないのか?」
白井は本を三嶋の手から乱暴にひったくると、パラパラと頁をめくってみせた。
「この本は、最初から200ページある。
極限環境における植物の成長の全系譜が、過去から未来に至るまで緻密に記述されているんだ。それだけの圧倒的なボリュームがあって当然だろう。
見ろ、この細部まで書き込まれた後半の記述を。
これが150ページなどという中途半端な数字で収まるわけがない。200ページだ。
1ページの狂いもなく、最初からな。
君の脳が、ネットのデマに毒されてバグを起こしているだけだ」
「200ページ……? 何を言ってるんだ、お前、自分の書いた初日のレポートを見てみろよ!
そこには131ページって――」
「先生、それは違います」
2人の会話に割って入ってきたのは、加瀬だった。
彼女は白井のすぐ脇に立ち、本の頁を上から覗き込みながら、冷たい、しかし恍惚とした声を響かせた。
「この本は、そんなに多くありません。
これは神聖な血の儀式の記録です。余計な贅肉など一切ない、完璧に削ぎ落とされた聖典なんです。
ほら、数えてみてください。どこをどう見ても、最初から最後までで100ページしかありません。それ以上でも、それ以下でもない。
世界が綺麗に淘汰されていくように、中身が洗練されているんですよ」
「100ページだと!? 加瀬、君は僕の解釈に続いて、今度は本の物理的な容積まで否定する気か!」
白井が激昂し、拳で机を叩いた。
三嶋は、2人の言い争いを、全身の毛穴が開くような強烈な恐怖とともに見つめていた。
三嶋の目には150ページに見える。白井は200ページだと言い張り、加瀬は100ページだと主張する。
3人の目の前にあるのは、たった1冊の、同じ黒い本のはずだった。なのに、その容積も、ページ数も、人によって完全に食い違っている。
それは目の錯覚などという生易しいものではなかった。
本を見つめる人間、本を読解しようとする人間ごとに、本の構造そのものが流動的に形を変え、個別の現実を提示しているのだ。
ネットの炎上が怪異の燃料となり、本の物理的な境界線そのものが、現実に溶け出して歪み始めていた。
三嶋が触れた150ページの感触と、白井が主張する200ページの厚み、そして加瀬が見つめる100ページの薄さ。
そのどれもが、それぞれの認知において本物として存在しているという事実が、三嶋の正気をじわじわとすり潰していった。




