第五話
「ウガアアアアアアアアアアア!!!」
魔王の正体、それは、万物の悪意である。人や犬、牛や烏。数多の生物が抱く悪意が漏れ出した産物だ。数百年単位で魔の地に現れ、同時に勇者が現れる。
聖剣とは、魔王と対をなす存在。つまり、善意の産物だ。悪意は善意でしか倒せない。時魔法だって、魔王に対しては無効化されてしまう。
だから聖剣は、悪意が暴走する度に勇者を選び、そして倒してきた。
だから、選ばれた勇者クレインはーータビト達は、必ず魔王を倒さなければならない。
今まさに、雌雄を決する時なのだ。
タビト達の傷も甚大ではあるが、魔王だって同等の傷を負っている。クレインの剣捌きが、魔王を圧倒していたのは事実だ。
このままいけば、勝利は目前だった。
「任せろワン!!」
魔王が腕を振るう。ガザルダンは飛び込んで、隕石のような腕と衝突した。波濤が広がり、グリルモはぎゃっとしゃがれた声を出す。
「ワアアアアアアアアァンっ....!!」
魔王の腕は、更に威力が増している。ガザルダンは牛人らしからぬ叫び声を気力に、魔王の腕を防いでいる。しかしそれも、時間の問題だ。
「あたしゃもう限界だよ!」
グリルモは、クレインへと賽を投げる。これで決まらなければ、絶体絶命という局面。
グリルモは最後の魔術を、クレインへと捧げた。クレインの傷はみるみると治っていき、一瞬で全快へと持ち直る。
「ありがとう、お婆さん!」
「やらなきゃっ、殺すよ...」
最後の最後まで減らず口を叩くグリルモに、クレインはケレン味溢れる笑顔で返す。それから魔王に向き直った。
「タビト、頼んだ」
「任せろ」
クレインは飛び上がる。数十メートルはある魔王を軽々と飛び越えて、空中で、勇者は聖剣を翳した。
魔王は今、ガザルダンを仕留めるのに夢中である。魔王の拳が、ガザルダンの全身を捉えた。
「んんんんんぬぉおぉぉぉおおおおお!!!」
アイデンティティを放棄したガザルダンは、全神経を絞り上げ、魔王の拳に相対する。衝撃の波がタビト達を押し寄せ、身体を地上に留めることすら困難だ。埃のように舞い上がるグリルモを横目に、タビトはクレインを注意深く見凝める。
「これで、決める」
その言葉を合図に、聖剣の周囲を、衝撃が舞った。魔王とガザルダンにより齎された衝撃の波が、聖剣を渦巻く風のようなものーー波動が大きくなる度に鳴りを潜めていく。
不審に思った魔王がクレインに気付く時には、既に十分な波動が、聖剣へと集められていた。
聖剣は既に、魔王と同等の大きさを誇っている。無論大きさの要因は波動であるが、決してはったりなどではない。クレインの波動は、聖剣の善意をも吸収している。
つまり、あれ自体が魔王を殺しうるということ。
「終わらせる...!!!」
覚悟の台詞と同時に、波動を纏った聖剣は振り下ろされた。
あれだけの威力。魔王とて、命を散らすには十分な代物だろう。避けなければ、死は確実だ。
「....」
だから、避けさせなければいい。回避不能の状態にしてしまえば、魔王とて死は免れまい。
タビトは、聖剣の周囲の時だけを、大幅に進ませた。
尽きかけた魔力の、片鱗を残して。
時魔法により進んだ聖剣は、瞬時に魔王の眼前に現れた。
絶体絶命の脅威に、魔王の目玉は白黒と驚嘆を表している。
聖剣は、魔王へとーー直撃した。
「アアアァァアァアアアアァァァアアア!!!」
断末魔と共に、魔王は波動の聖剣に灼かれてゆく。塵芥になるまでに、時間はそうかからない。当たった時点で波動が魔王の悪意をこねくり回し、聖剣の善意がとどめにかかる。
タビト達は、魔王に勝利したと、そう思ったのだ。
魔王の身体から、ぬるりと蛇のようなものが飛び出した。それはするすると聖剣を通り過ぎ、クレインの背中を容易に取ってみせる。
「...」
あの時は、はらわたが煮え繰り返るほどに憎らしかった。あれだけの戦闘をして、あれだけの手数を出して、こんな姑息な手を、魔王は隠していたのかと。
こんな姑息な手で、敗北してしまったのかと。
「二度はさせない」
飛び出した蛇のようなものの周囲を掴むように、タビトは手を翳した。
魔王自体に魔法は効かなくとも、周りの空間には、通常通りに魔法が使える。でなければ、タビトがいる意味が無い。魔王は膨大な手数でタビトの支援を掻い潜ってきたけれど、この時においては、魔王とて予感すらしていないだろう。
「ガッ...?!」
魔王の目玉が、今にも飛び出るかのように驚嘆の色を隠せていない。
あとコンマ一秒で聖剣を操る唯一の天敵を屠れるというのに。
勇者は未だ、魔王の攻撃に気が付いていないというのに。
「アアアァァアァアアアアァァァァアアアアア!!!」
勇者の背中を前にして、この世から消滅してしまう恐怖を味わうことになるとは、魔王も思いもしなかっただろう。
長い長い断末魔は、聖剣がその巨躯を両断するまで響いていた。
「やったのか」
ガザルダンは魔の地に倒れ伏し、グリルモは仰向けに放心している。タビトの魔力も尽き、クレインの一世一代の大技も解き放ってしまった。
これで倒し切れなければ、またタビトは、死に際の時魔法に縋るしかない。
けれど、そんな必要は無かった。
「タビト」
クレインの声が、タビトにだけ聞こえた。異性を惑わす甘い声には、勇者としての責務を課した重圧が乗せられている。
振り返ったクレインは、タビトに宣言した。
「終わったよ」




