【03】謝罪 - ザーリア・パパラチアサファイア
お父様はその日に謝罪の場を申し入れました。ターヴェアン様のブルームーンストーン家からも即座に返事があり、私、お父様、お母様の三人は、翌朝、非礼にならない程度の朝一番の時間帯に、王都にあるブルームーンストーン家のお屋敷を訪れました。
私はただ、謝罪の言葉を繰り返し、頭だけを下げて居ろ――お父様にそう、指示されていました。
お父様とお母様は、テーブルにこすりつけそうなほど、頭を下げていました。ターヴェアン様の頬には、うっすら、跡がありました。とてつもなく酷くはありませんが、痣になっているのだと分かりました。
私が打ったのです。
何も悪くない殿方を。思い込みで。
ブルームーンストーン男爵様は、何故私が、ターヴェアン様の婚約者を自称したのか、問うてこられました。
お父様は答えました。昨夜のうちに、私、お母様、双方に聞き取りを行い、原因を探っていたからです。
お母様が私に不用意にいった言葉。発端はそこです。
お母さまが「言った」という言葉と、私が「聞いた」言葉には齟齬がありました。しかし、どんな言葉でお母様が話されていたといても、私が「ターヴェアン様と婚約を結んだ」と解釈していたのは、事実です。
しかし、私が婚約してから、数年が経っています。
その間、どうして一度も、私の思い違いが、解消されなかったのか。
「お恥ずかしい限りですが……我々の、会話不足でございます」
「……申し訳、ございません……」
お父様の横で、謝罪を繰り返します。お母様は、嗚咽を耐えるな音を出しながら、頭を下げています。
私は、婚約者の話が上がる度に、全てが「ターヴェアン様」だと思っていた。
お父様やお母様は、「私の本物の婚約者」を思い浮かべながら、会話をしていた。
思い返せば、お父様から婚約者の話を告げられた時も、私はお父様としっかりと話をしておりませんでした。
――「ザーリア。お前の婚約についてだが」
――「お母様から聞き及んでおります。素晴らしい縁を結んで下さり、ありがとうございます。私、恥ずかしい妻とならぬよう、努力いたしますわ……!」
――「そうかそうか。頑張りなさい」
一事が万事、そんな風に、会話がすれ違っていたのです。
お母さまから聞いている――なら正しく伝わっているのだとお父様は解釈され、それ以上追及しなかった。
私は出される課題を、ターヴェアン様に嫁ぐ為だと、全て努力して習得していましたから、余計に、お父様が気に掛ける事はなかったのです。
私の本当の婚約者は外国の方でした。直接挨拶に来る機会がなかったのです。
手紙がないのは、嫁ぎ先の国の文化ゆえです。婚約した後でも、男女が手紙でやり取りする文化がない国なのです。変わりに、贈り物を送り合うのです。誕生日に山のように来ていた贈り物は、婚約者から私への贈り物でした。
私は、お父様の関係者複数人の方からきた贈り物だと、思い込んでいたのです。
私は父に言われて、お礼の贈り物を送っていました。だから先方も、私がこんな誤解をしているなど、気が付かなかったのでしょう。
愛しいターヴェアン様から花しか届かなかった――その悲しみに沈んで、贈り物をしっかりと確認もしていなかったのです。
信じられないという空気が、ブルームーンストーン男爵家側にはありました。当然でしょう。
ほんの少しの期間ならともかく、何年も、そんな誤解が続くなど……。
「……信じがたいですが、事実ではあるのでしょう」
ターヴェアン様がそう言葉を発された時、私は、顔を上げられませんでした。
最初に薄らと痣になっている頬を見て以降、かの方のお顔を見れませんでした。ターヴェアン様に、怒りや恨みのこもった目で見られているかもしれない。そう思っただけで、怖かったのです。好きな人に、そんな目で見られるのが。
今更と思うでしょう。でも、一度は完全に消えたと思っていた恋心は、なぜか一晩のうちに息を吹き返していたのです。
私が間違っていた、あの失望は全て私の誤解だった――それが分かったら、長年、ずっと育て続けていた恋心が、あっさりと、簡単に生き返りました。
だから、怖くて……。ターヴェアン様に、どんな目で見られているのか……考えるだけで、怖くて仕方ないのです。
「失礼、入っても?」
冷えて固まっていた部屋に、違う声が飛び込んできました。
男性の声です。どこかで、聞いたことがあるような気がしました。
「父上、どうしましょう」
ターヴェアン様がお尋ねになった後、ブルームーンストーン男爵様が、入室を許可しました。私たちは、文句など言える立場ではありません。黙って受け入れます。
(あ……)
ドアが開いて入って来たのは、昨日、ターヴェアン様が行動を共にしていた騎士の方でした。相変わらず、体が大きくて、とても強そうです。この場にいる誰よりも、体躯が良いです。
どうしてブルームーンストーン男爵家にいるのかはわかりません。親しい間柄で友人かと思いましたが、やはり、ターヴェアン様の護衛だったのかもしれません。
騎士の方は、私たち一家の方に向き直りました。
「失礼――、この度の話を、是非、直接、聞かせていただきたいと思い、参りました」
「貴女様は……!」
お父様は、騎士の方がどなたかご存じのようでした。お母様は、反応を横目で見るに、知らないようです。
騎士の方は騎士らしく、礼をされました。
「まずは挨拶を。――ヴェカリーン・ビーフブラッドルビー。ビーフブラットルビー男爵家の者で……ターヴェアン・ブルームーンストーンの、婚約者です」
「えっ?」
私は顔を上げました。
騎士の方が、何を言ったのか、理解出来なかったからです。
燃えるような真っ赤な目と、目が合います。
太い首は、この場にいる誰よりも太いです。肩幅も、立っているから分かりますが、背丈もあります。腕は、私の腰ぐらい太いのではと思うぐらい、盛り上がっています。
どこから、どう見ても……。男で……。
呆然とする私に、ビーフブラットルビー、様、は、短くこう言いました。
「女です」
お声を再度聞いても、女性の声には聞こえませんでした。
せいぜい、少し高めの男性の声に、思えるかどうか。
――後から私は、改めて聞かされる事になるのですが、この方は嘘偽りなく、ターヴェアン様の婚約者のご令嬢でした。
近年、野盗が増え、騎士団の強化を急いでいたブルームーンストーン男爵家と、近年、騎士の育成が追いつきすぎて、生活に困る騎士が増えてしまったビーフブラットルビー男爵家が、手を取り合った。政略的な理由で結びついた、歴とした婚約者同士だったのです。
つまり、私があの日見たのは、友人同士の遊びではなく、婚約者たちがデートをしている場だと理解したのは、全ての説明を受けた後でした――。
ビーフブラットルビー様は、ブルームーンストーン男爵から許可を得て、話し始めました。
「昨日は驚きました。婚約している筈の男が、目の前で、他の令嬢と痴情の縺れを始めたので」
「ヴェカ! ヴェカリーン! 許してくれたのではなかったのか?!」
少し慌てたような声で、ターヴェアン様が言います。ビーフブラットルビー様は「許しただろう」と短く返答し、それから、お父様を見ました。
「お手数をおかけしますが、もう一度、初めから経緯をうかがっても? ああ、私は何かしら迷惑をかけられた訳ではありませんから、謝罪は折りまぜる必要はございません。が、仮にも私の婚約者に関わる事ですから、是非、ご当人からお話を伺わせていただきたい」
お父様は一から説明を改めてしました。私は謝罪の言葉を封じられてしまったので、黙って横にいるしか出来ません。
すべてを聞いた後、ビーフブラットルビー様は何も言わず、私を見ました。私は、ぶるりと震えました。責め立てられるのだと、そう思ったのです。よその女が、婚約者に言い寄っていた――そう見る事も出来る光景だったのですから、怒っても、当然です。
しかしそんな事はありませんでした。
「あの時、貴女があれほどの怒りを抱いた理由をお話いただけますか」
「ぁ……そ、の……」
言っても、不要な言い訳をしているようにしか思えない話だと思いました。だから口にしたくなかった。
けれどブルームーンストーン男爵家の方々も止めないので、お父様は、私に「ザーリア。答えなさい」と命じました。
目の前にターヴェアン様もいる場で、語るのは、この上なく、恥ずかしかった。けれど、今の私は、ブルームーンストーン男爵家が許している以上、ビーフブラットルビー様の問いに答えるしかありません。
ぽつりぽつりと、あの時思っていた事を告げました。
ずっとずっと、ターヴェアン様に恋をしていた事。
ターヴェアン様の婚約者に選ばれたのだと思って、ターヴェアン様に恥をかかせぬように、立派な夫人になろうと努力をしていた事。
その間、ターヴェアン様からまともな連絡がなかった事を、悲しく思っていた事。
だからこそ、会話をした時、名前すら呼んでもらえず、友人だろうビーフブラットルビー様に紹介すらしてもらえなかった事が、悲しかった事。
ターヴェアン様からしたら、余計な話でしかないでしょう。この話を聞いたとしても「だから?」と言われるかもしれません。
ビーフブラットルビー様にしても、気持ちの良い話ではないでしょうに、彼女は(実のところ、直接会話をしてもなお、女性とは思えないでいたのですが)最後まで聞いた後、「淑女の秘密をしっかりと答えていただき、感謝します」と、答えました。
感情に流されているとは到底思えない言葉に、なんだか、悔しくなりました。
感情のままに行動するしか出来ていなかった私とは、全く違う。
……今まで、ターヴェアン様の妻になるための努力をしていたけれど、それは、していたつもりだったのだと、思いました。
「もう一点。あの店に、どのようにして来たのですか? パパラチアサファイア嬢」
それは、今まで誰にも問われなかった事でした。
「伺ったのです。ターヴェアン様は、同性のご友人と、あの店にいつもいくと」
「どなたから」
「従兄のヘーヴェカー・パパラチアサファイアからです。我が家の分家の子息で、私の婚約者のターヴェアン様が、同性のご友人と遊びまわっている、と……。……あら……?」
そこまで口にして、私は、ふと、気が付きました。
そうです。私は確かに、お父様やお母様とは、会話が足りなかった。けれど、誰とも、ターヴェアン様との婚約の話をしていなかった訳では、ありませんでした。
従兄であったヘーヴェカーには、なんども話しておりました。むしろ、ターヴェアン様から贈り物などもいただけなかった事の悲しみを、彼には話していました。
だからこそ、ヘーヴェカーは、ターヴェアン様の情報を私の耳に、入れてくれて……。
「パパラチアサファイア子爵。分家の子息に、ご息女の嫁ぎ先をお伝えしておられなかったので?」
ビーフブラットルビー様の視線が、私からずらされました。
「……いいえ。いいえ! しっかりと、伝えておりました……! どういう事だ、あの息子……!」
後半のお父様の言葉は、独り言のようでした。声には、怒りが滲んでおりました。
そこまで黙って聞いていた、ターヴェアン様のお父様が、疲れたような声で言いました。
「どうやら、正式な謝罪はまた、場を改める必要があるようですな、子爵」
「申し訳ございません、男爵……!」
私は立ち上がった父に腕を掴まれて、呆然としたまま、ブルームーンストーン男爵家を後にしたのでした。




