【02】なぜ - ザーリア・パパラチアサファイア
私は、両親と共に、親戚であるパパラチアサファイア子爵家のお屋敷に滞在しているの。我が家は、普段使わない王都に屋敷を構えるほど、財力はなかったから。
……そういう財力の不足も、ターヴェアン様にとっては嫌な点だったのかしら。
でもそうだとしても、婚約者にと決められた以上、最低限は遇して欲しかった。これは、流石に我儘ではないと思うの。
屋敷に帰ると、使用人が焦った顔をしていた。
「お嬢様! 今までどちらに!?」
「お父様とお母様は? どちらにおられるの」
「ご主人様方は、お部屋におりますが……、お嬢様!? どちらに行かれていたのですか!」
騒ぐ使用人を無視して、私はすぐお父様とお母様の元に行ったわ。
この決意が、鈍らない内に、伝えたかったの。
「お父様! お母様! 大事なお話がございます!」
「ザーリア……? 急になんだというのだ。そのように大声を出して……」
お父様とお母様は室内着に身を包んで、楽に過ごしておりました。両親の顔を見たら少しだけ、ほんの少しだけこの言葉を口にする事に躊躇いも浮かびましたが、勇気を出して、言葉を口にする事にしました。
「私……私、婚約を解消いたしますわ!」
「は、はぁ!?」
お父様とお母様は目の色を変えました。当然ね。それぐらい大きなことを、勝手に、口にしたという事は、私も分かっています。
「何っ、何を言っている!? 突然、何なのだ!?」
「もう、これ以上、あの方と婚約を続けるのは嫌になりました」
「馬鹿な事を言うな! お前と彼の婚約を結ぶのに、我が家がどれだけ苦労したと……!」
「分かっております。重々、承知しております。……けれど私、もう、耐えられないのです」
ドレスのスカートを、握りしめそうになるのを、耐えた。流石に、服に皺を作るような行為は、幼子がする態度すぎるもの。
私はザーリア・パパラチアサファイア。歴とした、子爵令嬢。淑女なのだから。
「まともに手紙もなく、会いにも来て下さらない。そんな方と、このまま、結婚するなど、嫌なのです」
「それはっ、確かに手紙はないが……それは今は仕方ないと言っただろう? まだ彼は若いのだから……」
「若い若いと言いますが、私よりは年上ではありませんか……! 貴族の娘として、会うのが初めての相手に嫁ぐ事もあるかもとは思っておりました。……でも、それでも、手紙一つ寄こさぬような不義理な方に嫁ぐなど、私は耐えられません。これまでずっとずっと、我慢しておりました。それでも、男爵夫人になるのだからと、努力を続けて来た私に対する態度が、あれなのですか?」
怒る私を宥めようと、お父様が立ち上がり、私の両肩を掴まれました。
「ザーリア。落ち着きなさい。確かにまだ若いお前にとっては、納得のいかぬ事もあるかもしれない。けれどこれはとても良縁なのだ」
「良縁だからと、許されるのですか!? 誕生日にすら、まともな贈り物も贈れぬ殿方に嫁ぐのが!?」
「うん? 贈り物ならあったではないか」
お父様の言葉に、私は泣きそうになるのを、必死に耐えました。
「ただの花とメッセージカードだけだったではないですか……! 一度だけならともかく、毎年ですよ……!」
「……ザーリア? お前、何を言っているんだ?」
「もう、我慢なりませんの!」
お父様の手を振り払い、私は叫びました。
「もう遅いですわ、お父様。私、もう宣言いたしましたっ。婚約は解消しますと、貴女には嫁ぎませんと! ターヴェアン様に、直接!!」
「……誰にだって?」
「ターヴェアン様です。私の婚約者の、ターヴェアン・ブルームーンストーン令息に!」
そう叫ぶと、部屋に沈黙が落ちました。
分かっています。何もかも淑女として、間違っていると。
家の当主たるお父様が決めた婚約を、ただの令嬢でしかない私がこのような事を、先走ってするのは間違っているのでしょう。でも我慢など出来なかったの……! これ以上、私の心が、傷つくのは、耐えられなかった……!
「……お父様、お怒りになられるのは、ごもっともです。けれど、私は――」
「誰に言ったと?」
「私は、もう、我慢など出来ないのですっ!」
お父様の言葉を遮って訴えると、お父様は強張った顔のまま、こう言いました。
「ザーリア。答えなさい」
お父様の声は固く、重かった。これは当主としての命令だと、すぐにわかりました。
「お前は、ターヴェアン・ブルームーンストーン令息に、婚約を解消すると、そう、伝えたと?」
「…………はい、お父様」
「いつだ」
「本日、つい先ほどです」
お父様と、お母様の顔色が、青くなっていきます。
「何故、そのような……」
「ですから、もう耐えられませんでした。婚約者としてこれほどまでに蔑ろにされ続けるなど! 誕生日には花とメッセージカードだけ! 会いにも来て下さらず、手紙だって、全然くださらず……!」
「あたっ、当たり前だろうがッ! ターヴェアン殿は、お前の婚約者ではないのだぞ!!??」
「えっ」
お父様は、大きく、息を吸い、それを吐き出すようにしながら、言いました。
「ターヴェアン殿と、お前は、婚約など、結んでおらん!」
…………えっ。
「何がどうして、何故、そのような思い違いをしている!?」
「お、お父様、う、うそでしょう……?」
「嘘なものかッ! ブルームーンストーン男爵家が、我が家のような小さな家から、夫人を娶る事に、なんのメリットがある……!?」
「だって、私、外国語、学んで……」
「それは嫁ぐ際に必要だったから学ばせたのだ! 家庭教師が言ったはずだ!」
思い返す。外国語の家庭教師は、なんと言っていたかしら?
確か、そう。「嫁がれる際に、必要な言語ですよ」と。言って……いて……。
私は……それが、将来、ブルームーンストーン男爵家が……関わる、国の、言葉なのだと……。
「ターヴェアン殿には、政略に基づいた婚約者がおられる。それなのに、何がどうして、そのような勘違いを……!」
「だって、お母様が、そう言って」
お父様の視線が、お母様に向く。お母様は慌てたように、首を横に振られた。
「言っていないわ!?」
「おっしゃられました……! ターヴェアン殿と婚約を結ぶのよ、と!」
「そんな事……。……あっ」
お母様は口元を押さえられた。それから、震えながら、昔の事を思い起こすように、呟かれました。
「……まだ、ザーリアの婚約が結ばれる前に、一度だけ……ターヴェアン殿の婚約者を探しているという話が出た頃……」
「言ったのか」
「こ、婚約を結ぶのよ、などとは申しておりませんわ、あなた! 選ばれたら、婚約できるかもしれないわね、と!」
「うそ!」
私は叫びました。
「お母様がおっしゃったではないですか!」
「私はそのような事、申しておりませんわ、あなた!」
お母様が、私の声に負けないようにとばかりに、声を上げます。
「ああ、もうっ! 黙れ、二人共!」
お父様の怒りの言葉に、私とお母様は口を閉じました。
「それよりも――謝罪だ。ブルームーンストーン家に、ターヴェアン殿に謝罪を申し入れなくては……!」
謝罪……。
そう考えた時、私は、今日の自分の行動を振り返りました。
ターヴェアン様のおられる場所に行き、楽しそうにしておられたかの方を見て、怒りを抱き、そして、直接言葉をかわして……。
「ぁ……」
私の小さな絶望の声を、お父様はしっかりと拾われていました。私と同じピンクにも、オレンジにも見える髪を揺らしながら、私を睨まれたのです。
そんな風に見られたのは、初めての事でした。
「何だ。何に怯えた?」
私は、血の気が引くという感覚を、初めて味わいました。指先から、震えが広がり、止まらないのです。
「……した……」
「ザーリア」
「たた、き、ました……。ターヴェアン様を……」
「何故!」
即座に返された問いに、私は舌を縺れさせながら、答えました。
「だって、私を、ご友人に……婚約者としても、紹介して、くださらなくて……」
当たり前でした。私はあの方の、婚約者でなかった。
ただの、領地に住まう貴族家の、娘でしかなかった。
気が付けば私は、床に倒れていました。父に張り倒されたのだと理解出来たのは、お父様が早足に出ていったあとでした。お母様が、後を追っていきます。私は、使用人に抱き起こされるまで、ずっと座り込んだままでいました。




