第2話 畑荒らしと迷子の総書記
6/1 06:33
ヤーパン民主共和国 A森県西部某所
「こぃはいったいどったごどだ」
駐在所に勤務する成田高広巡査が早朝から電話に叩き起こされて来てみれば、収穫期を迎えたニンニク畑が無惨に荒らされた光景が広がっていた。
「昨日の夕方、わーぎゃ帰るまでは、こった事はねがった」
農業を営む工藤昭典氏は憤懣やるかたないといった様子だ。
「わっきゃなげこど百姓やってぎだが、こった事は初めでだ。せっかぐ育でだニンニク台無すだ。どこのクソガキの仕業がおべねが、まんず許さねえ」
丹精込めて育ててきたニンニクが、旬を迎えて収穫間近となったこのタイミングで目茶苦茶にされれば怒りもしよう。ここら辺りは山がちな地形なので、まとまった広い平地を確保するのが難しい。猫の額のような狭い農地が山の斜面に点在しているようなものが殆どだ。そのせいで集団農場化も遅れている。
工藤氏の所有する畑は、その中でも比較的広いものだった。斜面の上から、工藤氏のニンニク畑を見下ろす。
「まったぐ、近頃の若ぇ者は、こった事すて、なに楽すいのやら」
そこには、無惨に踏み倒されたニンニクの葉によって、いくつもの大小の円で構成された幾何学模様が描かれていた。ほぼ畑の全域を覆うほどの巨大さだ。むしろ端の方は一部が畑からはみ出てさえいて、畦道に生えた雑草もが押し倒されている。
「こぃはミステリーサークルどがいうやづでねのが」
成田巡査は、いつだったかテレビで見たUFOだのオカルトだのを扱った番組を思い出していた。番組の中ではアメリカ南部の農夫が、自分の所有する麦畑にできた不可思議な模様をエイリアンの宇宙船が着陸した痕だと主張していたように記憶している。
「いや、こったごたぁ若ぇクソガキらぁの悪戯さ決まってら。はえぐ犯人ば捕まえでけ」
犯人といっても、何か証拠などは残っているだろうか。仮に何かあったとしても、この畑全てを見て回るには自分一人ではとても手に負えない。
かといって、こんな事で本署に応援を要請するべきか?只でさえ山奥の寒村の駐在などという閑職に追いやられているのだ。下手なことをして、これ以上自分のキャリアに傷をつけたくはない。
「出荷直前のニンニク台無すにされで大損害だ。こぃで生産ノルマさ達成出来ねがったっきゃおめのせいだ」
工藤氏はえらい剣幕だ。このままある事ない事吹聴されるのは困る。とにかく、本署に連絡して指示を仰ごう。
油が切れて、ペダルを踏むたびにキーキーと音を立てる整備不良のオンボロ自転車を走らせて駐在所へ戻ってみると、中から人が出てきた。駐在所から三軒隣で農業を営む佐藤キヨさんだ。
「キヨ婆、朝っぱらがらどうすた」
「どうもこうもね。畑さえぐべどすたっきゃ、このふとらがフラフラあさいぢゃーはんで連れでぎだ」
キヨ婆は駐在所の中を指さす。見れば初老の男女がベンチにへたり込んでいる。ここらでは見かけない顔だ。身に着けているのはパジャマか何かだろうか。あちこち泥で汚れていて、しかも二人とも裸足だ。明らかに尋常な様子ではなく、事件性を感じさせる。ひょっとしたら、ニンニク畑の悪戯などよりも深刻な事態かもしれない。
「おめさんら見ね顔だが、どこのだぃだ」
男性の方はグッタリしているが、女性の方はまだ元気がありそうだ。
「あなた警官?今すぐT京の警視庁に連絡して、迎えをよこすように言って!」
女性は成田を見据えて命令口調で喋った。こいつら、T京モンか?確かに、身に着けている寝間着は泥で汚れてこそいるが、結構な高級品のように見える。こんな田舎ではなかなか見ないものだ。言葉遣いも標準語だ。この地方特有の訛りがまったくない。それにしても警視庁から迎えをよこせとは、こいつらはいったい何様のつもりなのだか。
とりあえず、工藤さんとこの畑の件もある。工藤さんは若い者の仕業に違いないと言っていたが、それに何か根拠があるわけでもない。若者と言うには少しばかりトウが立っているが、身元不詳の余所者二人組というのは充分に怪しいだろう。駐在所に備え付けられた年代物の黒電話を取り上げて、本署の番号を回した。
6/1 07:05
ヤーパン民主共和国 首都T京 総書記公邸
狂騒に彩られた一夜が明けた。ここは公邸の一角に設えられた警備要員詰所。当直の警備要員が休憩したり、仮眠をとったりするための部屋だ。漫画雑誌や男性向け週刊誌や飲みかけのペットボトルや弁当の空箱などが雑然と転がる汚い室内は、とてもではないが美麗なモダン建築である公邸の一画とは思えない雰囲気を醸している。今はさらに酷い。壁や床には誰かが吐き散らしたゲロがこべりついたままだ。
森田和紀少尉はぐったりして年代物のソファに座り込んだ。腰を下ろした瞬間、全身から疲労感がどっと湧き出てくる。一晩中、吐瀉物の臭いが立ちこめた公邸内を姿を消した総書記閣下とその奥方を探して走り回ったのだ。誰かのゲロにまみれたカーペットを片っ端から引き剥がして、埃の積もった床下や天井裏に潜ってまで調べた結論は"総書記夫妻は行方不明"という事実だ。
これは我がヤーパン民主共和国にとって一大事だ。17年前の革命以来、我が国を率いてきた偉大な指導者であり、ヤーパン労働党総書記と国務委員会委員長、ヤーパン人民軍総司令官を兼任する阿武宅貞蔵とその妻である阿武宅朋子が揃って行方不明になったのだ。夜中に叩き起こされた党や軍の幹部達が青い顔をして、この公邸と、隣接する官邸や党本部を慌ただしく行ったり来たりしている。警備陣も朝番の連中が出勤してきて、公邸内は大混雑だ。
今は調査委員会が組織されて、俺たち夜番の当事者は順々に事情聴取を受けているところだ。早く済ませて兵や下士官達を帰してやらなければならないから、こういう時は士官である俺は後回しだ。まだまだ俺が呼び出される順番は後だろう。
正直、疲れたし眠い。事情聴取の順番が来るまで少しだけ仮眠を取ろうかと、丸めた漫画雑誌を枕にしてオンボロソファに身体を横たえてすぐだった。
「よう、大失態だったらしいな」
声をかけられて顔を上げてみれば、見たくもない顔があった。人形のように整った顔はまあ、美男子の部類に入る言って良いだろう。おまけに頭も良い。士官学校では俺と主席の座を争った秀才だ。まあ、結局のところ僅差でコイツが主席、俺は次席となった訳だが。
「何の用だよ御厨。ここは総書記公邸だぞ。言うまでもないが、関係者以外立ち入り禁止だ」
第12親衛機甲連隊に所属するコイツに、早朝の総書記公邸に入ってくる資格は無いはずだ。
「そうでもない。なにせ婚約者の祖父母が行方不明なんだ。僕も関係者だよ」
チッ
クソッ!忌々しい事を持ち出しやがって。
「あ、孝典さん、こちらにいらっしゃったんですの?急に姿がお見えにならなくなったから探しましたわ」
男同士のギスギスした遣り取りを打ち破って、扉の方から、鈴が鳴るような声がかけられる。
「すみません。華さん。この事態を防げなかった無能な知り合いの顔を見かけたもので」
「まあ、そんな事を言ってはいけませんわ。森田さんだって、夜通し頑張ってくれたのであろうことは、お顔を見れば分かります」
雑然と散らかった警備員詰所に入ってきたのは、むさ苦しいこの部屋には似つかわしくない清楚なお嬢様だ。艶やかな黒髪を肩の辺りまで下ろし、ブラウスの上に重ねた白いサマーセーターと紺色のロングスカートがよく似合う美人だ。掃き溜めに鶴というやつか。いや、このゲロまみれの惨状からすれば"吐き溜め"と称するべきか。
彼女の名は倉橋華。阿武宅貞蔵総書記の孫であり、この嫌味な同期である御厨孝典の婚約者だ。
唐突なVIPの登場に、俺は慌ててソファから立ち上った。
「お嬢様!おはようございます!いつこちらに?」
「おはようございます。お祖父さまとお祖母様が行方不明と聞いて、取るもの取らずに駆けつけてきた所ですの。今はお父様もお母様も海外出張で留守にしていますし。それより、森田さんこそお疲れのご様子、どうか楽になっさって」
「は、はぁ……」
俺は曖昧に返事をする。とはいえ、総書記閣下のお孫さんを相手に自分だけ座るわけにもいかない。向かいのソファに置かれていたガラクタや古雑誌を片付けて場所を空け、座るように促す。長年の年月が蓄積した染みや破れが目立つオンボロだが、他には錆の浮いたパイプ椅子くらいしかこの部屋にはないのだから、仕方が無い。
「ありがとうございます。森田さんはよく気が付いてくれて素敵ですわ」
彼女の瞳がチラリと御厨の方を向く。そこには非難がましい意思があった。気の利かない婚約者をなじっているのだろう。
「チッ」
御厨が小さく舌打ちする。いい気味だ。
ヤツの父親は人民軍の高官だ。実質的なナンバー4の地位といって良いだろう。その息子である御厨孝典と、阿武宅貞蔵総書記の一人娘である美智子女史と経済産業委員会の要職にある倉橋寿一郎の間に生まれた娘である倉橋華嬢の婚約には多分に政略結婚的な意味合いがある。本人達の思惑とは違うレベルで決められた事だ。
「それで森田さん、昨夜の事件というのは、いったい何が起こったんですの?」
「それは僕も聞きたいな。耳に入ってくるのは断片的でよく分からない話ばかりだ。実際に事件に遭遇した当事者の口から直接聞いてみたい」
行方不明になった総書記夫妻の孫である華さんにはともかく、御厨のヤツには聞かせてやる義理はないのだが。今から既に総書記閣下の家族の一員気取りか。まあ良い。出て行けと言って、この男と押し問答するだけの体力は今の俺には残されていない。
俺は昨夜の事件のあらましを語った。そもそも俺自身、何が起こったのかよく分かっていないのだ。それでもどうにかこうにか、昨夜の事件について語ってみせたのだが……
俺の説明が下手糞なのもあるが、二人はまったくチンプンカンプンといった表情だ。
「えっと、それは誘拐事件という事ですの?」
「わかりません。ただ、少なくともそれ以来、現在に至るまで総書記閣下ご夫妻の行方が分からないというのは事実です」
「お祖父さまとお祖母様以外の人達はご無事でしたの?」
「ええ、当時公邸にいたスタッフや警備の人間は多少の体調不良以外には特に何もありませんでした。行方の分からなくなっている人間もいません。何度も点呼と所在確認を行ったので、これは確実です」
「首都上空に所属不明の航空機の侵入を許すとは、防空部隊は何をやっていたんだ!」
「それはそれで、お偉方が右往左往してるよ。小耳に挟んだところだと、軍でも民間でもレーダーにそれらしき反応は確認されていないらしい。詳しい話が聞きたきゃ、お前の親父殿に訊いてみるんだな」
「米帝の秘密兵器という可能性はありませんの?」
「わかりません。ただ、あの国だったら、既存の物よりも隔絶した性能を持った航空機を開発するだけの技術力があっても不思議じゃないように思えますね」
「動機の面でも疑いは強いな。米帝にしてみれば、17年前の革命で在日米軍を追い出されて、西太平洋地域における影響力を大きく低下させられたんだ。現政府を転覆させて、再びこの国を属国化したいと考えるのは当然だろう」
確かに動機からしてみれば米帝はかなり大きなものがある。パクスアメリカーナによる世界秩序にとって、我が国を属国化していたメリットは計り知れないはずだ。それを取り戻したいと考えるのは自然だ。
だが、今の段階では米帝の仕業だという証拠があるわけでもない。他の国々を容疑から外すのは時期尚早だろう。
「いっそロシアによる内政干渉のセンも有り得るか……?」
「わからん。だが、最近の日露関係は上手く行っていた筈だ。先月の2プラス2会談でシベリアの開発事業に対する大規模投資と、次期主力戦闘機の共同開発に関する話がまとまったしな。天然ガス輸送のパイプライン設置事業も、ほとんど向こうの言い値で妥協したんだ。普通に考えて、このタイミングで敵対的な工作を仕掛けてくるとは考えにくいだろ」
「いや、クレムリンのモグラ共は病的な陰謀家揃いだ。何を考えているか知れたものじゃない」
「まあ、それはそうなんだが」
「中国の可能性はどうかしら」
「あそこは国内の土地バブルが弾け飛んで、それどころじゃないでしょう。こちらに手を出す余裕なんて無いと思いますよ」
「いや、だからこそ国内の批判を逸らす目的で何かやらかすとか」
「まあ、あの国ならやりかねなくもないが……」
要人警護を専門とする俺も、機甲部隊の随伴歩兵を専門とする御厨も、対空監視システムの運用などとは縁の無い人間だ。二人とも士官学校を卒業して1年半にも満たない新米の身では、判断できるだけの知識も経験も無いし、機密情報にアクセスできる権限も無い。ましてや高度に政治的な問題ともなれば、完全にお手上げだ。
華さんに至っては政府要人の家族とはいえ、一介の大学生に過ぎない。ここで三人で額を突き合わせていたところで、何か真相に近づくヒントが出てくる訳も無い。とにかく、現状では情報が足りなさすぎて、判断材料が不足だ。
バーーーーンッ
「これはきっと、エイリアン・アブダクションよ!」
勢いよく扉が開くと同時に響いた素っ頓狂な声に驚いて、三人とも部屋の入口に顔を向ける。そこにはセーラー服に身を包んだ小柄な少女が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
第3話へ続く
作中に登場する方言は架空のものです。作中の標準語話者にとってコミュニケーション困難でありつつ、読者にとってはギリギリ大まかな意味が推測できる程度のものを試行錯誤して現在の形になりました。
A森県西部のモデルとなった地域にお住まいの方や、方言の研究をしている方にとっては噴飯物でしょうが、ご容赦ください。
また、方言話者を差別したり愚弄したりする意図はまったくありません。あくまで言語的コミュニケーションのすれ違いによるおかしみを演出したかっただけであります。
※T京人との本格的なやり取りは次回以降になります




