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第13話 祈り

 月明かりが、薄い布のように部屋へ差し込んでいた。


 窓は少しだけ開いている。

 夜の風が、白い帳を静かに揺らしていた。


 洸太さんは、もう眠っている。


 疲れていたのだと思う。

 今日も商会の手伝いをして、子供たちの相手をして、ルークに頼まれて荷運びまでしていた。

 それなのに夜になると、私のわがままに付き合ってくれた。


 嫌な顔は、しなかった。


 困ったような顔はした。

 少しだけ、情けない声も出した。

 けれど、逃げなかった。


 それが、嬉しかった。


 私は、眠っている洸太さんの背中に、そっと額を寄せた。


 温かい。


 この温かさが、ここにある。

 今、私の腕の中にある。


 それだけで、胸の奥が満たされていく。


 気持ちいい。


 私の存在が、あなたへ刻まれていくことも。

 あなたのぬくもりが、私の奥深くまで満ちていくことも。


 体も、心も、ほどけていく。


 満たされる。


 幸せだと思った。


 あまりにも幸せで。


 だから、怖かった。


 この人は、帰ってきてくれた。

 今日も、私のところへ帰ってきてくれた。


 おかえりなさいと言えば、ただいまと返してくれた。

 ソフィア、と名前を呼んでくれた。


 何度も。

 何度も。


 まるで、私という名前を、私自身よりも大切にしてくれるように。


 けれど、私は知っている。


 この人は、まだ自分を数えない。


 誰かが泣いていれば、手を伸ばす。

 誰かが傷ついていれば、迷わず走る。

 誰かを助けられると思えば、自分がどうなるかを後回しにする。


 そういう人だから、私はこの人を好きになった。


 そういう人だから、私はこの人を怖いと思う。


 この人は、私の腕の中にいるのに。

 この人は、私の名前を呼んでくれたのに。

 この人は、私に触れてくれたのに。


 それでも、どこか遠くへ行ってしまいそうだった。


 誰かを助けるために。

 誰かの悲鳴に応えるために。

 自分自身を置き去りにして。


 私の手の届かないところへ。


 私は、洸太さんの背中に腕を回した。


 逃がさないように。


 けれど、力を込めすぎないように。

 起こしてしまわないように。


 それでも、指先は勝手に強くなる。


 捕まえているのは、私のはずだった。


 この人を逃がさないように。

 この人がどこにも行かないように。

 私の腕で、私の体で、私の全部で絡め取ってしまいたかった。


 けれど、本当は違う。


 捕まえているのは私のはずなのに、

 縋っているのも、私だった。


 お願い。


 声には出さなかった。


 洸太さんは眠っている。

 この人の眠りを邪魔したくなかった。

 この人が安心して眠れる場所でありたかった。


 だから、胸の奥だけで祈る。


 お願い。


 逃げないで。


 居なくならないで。


 私から。

 私の腕の中から。

 私の名前を呼ぶ声の届くところから。


 居なくならないで。


 あなたが誰かを助ける人だと、知っています。

 あなたがそうせずにはいられない人だと、知っています。

 あなたのそういうところを、私は愛しています。


 けれど。


 それでも。


 私を置いていかないで。


 誰かのために走るなら、帰ってきて。

 誰かを助けるなら、その後で私のところへ戻ってきて。

 あなたが自分を数えられないなら、私が数える。


 あなたが自分を要らないもののように扱うなら、私は何度でも言う。


 要ります。


 私には、あなたが要ります。


 洸太さん。


 私は、あなたを守りたいのではないのかもしれない。

 あなたを救いたいのでも、ないのかもしれない。


 もっと、身勝手な願いだった。


 あなたに、私のところにいてほしい。


 私を見てほしい。

 私を知ってほしい。

 私に幻滅しないでほしい。


 聖女でも、姉でも、修道女でもない。

 欲深くて、怖がりで、あなたを逃がしたくない私を。


 それでも、見てほしい。


 それでも、名前を呼んでほしい。


 それでも、愛してほしい。


 私は、眠る洸太さんの背中に頬を寄せた。


 心臓の音が聞こえる気がした。

 ゆっくりと、確かに、そこにある音。


 その音に耳を澄ませる。


 ここにいる。


 この人は、今ここにいる。


 その事実だけで、泣きそうになる。


 洸太さん。


 すきです。


 胸の中で呟いた。


 返事はない。


 けれど、それでよかった。


 今はまだ、私だけが知っていればいい。

 私だけが、この祈りを抱いていればいい。


 洸太さん。


 すき。


 あいしてる。


 私はもう一度、洸太さんの背中に額を寄せた。


 逃げないで。


 居なくならないで。


 私のところへ、帰ってきてください。


 何度でも。


 何度でも。


 私は、あなたを呼びますから。

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