表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【祝2000PV】魔王軍の法務部  作者: 月待ルフラン【第1回Nola原作大賞・大賞】
第11編:原点回帰編「真壁の心の負債」
40/40

第40話 温泉と"未来の契約"

国境の温泉街は、湯煙と活気に満ちていた。

硫黄の匂いが、湿った空気と共に肺を満たす。


俺は、露天風呂の岩肌に背を預け、ゆっくりと息を吐いた。


隣では、オークの親子が豪快に湯を浴び、向こうの湯船では、リザードマンの商人と人間の行商人が、何やら商談らしきものを交わしている。子供たちの笑い声が、あちこちから響いていた。


(……これが、俺が書類の上で「異種族共生」と書き、「経済特区協定」で制度を設計した、その結果か)


条文の上の概念でしかなかったものが、目の前に、湯気の向こうに、生きて動いている。

ペンも、羊皮紙もない。ただ湯に浸かるだけの時間。

前世の俺が聞いたら信じないだろう。お前、あの世界で温泉に入ってるぞ、と。



湯上がりの薬湯――甘い果実入りのそれを差し出しながら、浴衣姿のリアナが微笑んだ。

「……来て、よかったですね」


彼女の表情は、魔王城で見せる硬さが抜け、とても穏やかだった。


二人は、宿の縁側から星空を眺めていた。虫の音が、静かな夜に響いている。


「部長は」

リアナが、静かに切り出した。

「あなたは、これから何をしたいんですか? 国家を再建するとか、そういう大きなことではなくて」


これから何をしたいか。

前世の俺なら、そんな質問に答える余裕すらなかった。毎日が「何をしなければならないか」で埋め尽くされていた。「したいこと」など、契約書のどこにも記載されていない項目だ。


俺は、夜空を見上げたまま、ゆっくりと言葉を探した。


「……世界を変えたいわけじゃないんです」


「ただ、目の前の人が、不当に傷つけられないようにしたいだけで。前世の俺みたいに、ルールを知らないばっかりに、あるいは、悪意のあるルールによって、尊厳を踏みにじられる人を、一人でも減らしたい。……それだけ、なんです」


言葉にしてみると、あまりに素朴で、法務部長の理念としては些か頼りない。だが、それが偽りのない本音だった。


リアナは、その言葉を静かに聞いていた。

「それは、とても尊い願いです」


彼女は、自分の手を、縁側に置かれた俺の手の上に、そっと重ねた。

俺の手が、驚きに小さく震える。


「私も、あなたと一緒にそれを守りたい。あなたの法務部で、あなたの隣で」


――これは、どういう種類の契約だ。

雇用契約でも、業務委託契約でも、明らかにない。俺の法律知識では、この状況に適用すべき条文が、一つも見当たらなかった。


二人は、それ以上何も言わず、ただ星空を見上げていた。



休暇最終日。

心身ともに回復した俺の元に、魔王からの魔導通信が届いた。


『真壁。休暇は満喫したようだな。急用ではない。だが、戻り次第、謁見えっけんに顔を見せよ。貴様に"新しい仕事"がある』


声には、いつになく楽しそうな響きがあった。

嫌な予感しかしない。魔王が楽しそうな時は、大抵、俺にとって地獄のような難題が待っている。



魔王城に戻った俺とリアナを待っていたのは、予想を超えた来客だった。


謁見の間には、魔王ザイレムと将軍たちに加え、見慣れない一団がいた。

一方は、森のように深い緑の装束をまとった、優美だが射るように鋭い目つきのエルフたち。もう一方は、大地のように頑強な鎧をまとった、短いが屈強なドワーフたち。


魔王が、玉座から愉快そうに俺を手招きした。

「戻ったか、法務部長。紹介しよう。こちらは、エルフ王国の使節団と、ドワーフ連合の使節団の方々だ」


エルフの代表が、俺の前に進み出た。

「あなたが、"法の魔人"マカベ・ジン殿か。我らは、貴殿が人間との間に結んだ『経済特区協定』と、この魔王軍の『労働法』の噂を聞きつけ、はるばるやってきた」


ドワーフの代表も、唸るように言葉を続ける。

「我らドワーフ連合もだ。我らの鉱山ギルドと、人間どもの商会との古い"契約"に、どうにも納得がいかん。貴殿の"法"とやらで、見直してもらいたい」


俺は、魔王を見た。

魔王は「やれやれ」と肩をすくめるふりをしているが、その目は「ほら、面白いことになったぞ」と笑っている。


……やっぱりか。

休暇明け初日から、多国間法務案件の二件同時受任。休暇で回復した体力は、おそらく三日で消し飛ぶだろう。


だが、不思議と、嫌な気分はしなかった。

今度は、一人で抱え込む必要がないのだから。


俺は、息を一つ吸い込み、エルフとドワーフの使節団に向き直った。


(さて、どこから手をつけるか――)


法務部長・真壁 仁の次なる"法廷"は、大陸規模に広がろうとしていた。


ご覧いただきありがとうございました。感想や評価、ブックマークで応援いただけますと幸いです。また、他にも作品を連載しているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。HTMLリンクも掲載しています。

次回は基本的に20時過ぎ、または不定期で公開予定です

活動報告やX(旧Twitter)でも制作裏話等更新しています。

作者マイページ:https://mypage.syosetu.com/1166591/

Xアカウント:@tukimatirefrain

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ