彼女の君へ
最初から分かっていた。君の瞳に俺は写っていないことぐらい。
君に恋したのは突然だった。中一の春、桜の下に立っていた君を初めて見て、ただ本当に、美しいと感じた。風が髪を撫で、瞳を桜に奪われていた君に、俺は正に一瞬にして“惚れた”。そして君に再開したのはまた数日後のことだった。
真哉とは同じクラスで入学から三日後に喧嘩をした。きっかけはあまりにも馬鹿らしい、目玉焼きに何をかけるかだった。弁当の時間、目玉焼きには醤油だろうと豪語していた俺の後ろから奴は「普通塩だろ」と呟いた。そこから口論は始まり、最終的に殴り合いになった。あの真哉にもそんなガキっぽいところがあったんだなと今では感動も少しするが、俺が一番忘れられないのはその後。
「…はあ、はあ。とりあえず決着は今はつけらんねーな…」
「ああ…正直どーでもよくなってきたけど」
「それは言うな」
「…あのさ」
「んだよ」
「名前なんだっけ」
「……」
「……」
「――――っざけんなよ!お前、そろそろ覚えろよ!」
「無理」
「……―」
「え?」
「加藤だ!加藤雅憲!!よーく覚えとけ野崎真哉!」
「加藤ね。よろしく加藤。いや雅憲?」
「どっちでもいいけど…」
「なんかお前とは仲良くやれそう」
「生憎、同じこと思った」
あの本気で俺の名前を覚えてなかった真哉の顔は今でも覚えてる。はっきりと。
そんなこんなで仲良くなった真哉と廊下を歩いていたとき、例の彼女を発見した。すぐに心は踊り、鼓動は速くなった。せめてクラスだけでも、そう思ったら、
「奏子!」
その声に彼女は振り向いた。俺も声のしたほうを見た。そして彼女と当たり前のように話す真哉を俺は呆然と見ていた。
「…真哉…、今の知り合い?」
彼女が去った後、俺も彼女と関係がもてるかもという期待を少し感じながら真哉に尋ねた。
「ああ、奏子のこと?幼なじみ」
素直にラッキーだと思った。だけどその後、真哉の彼女が行った方向を見つめた目を見て、少しの恐怖を感じた。とてつもなく深いものを感じた。
それから幾度となく君と話した。真哉の親友として。君と真哉の信頼に何度諦めようと思ったのか、諦められればと願ったのか。だけど俺の想いの残骸はしつこく胸に刺さる。君の声が俺を呼ぶたびにふりむかせ、君の心に触れるたびに甦らせる。そして気づいたときにはもう後戻りできない道を歩いていた。
俺が何よりも恐れたのは真哉に俺の想いがばれることだった。いつ形が変わるかもしれない関係を自分から変えるのは嫌だったから。結局どれほどかっこつけても、正々堂々と君に向かう勇気はない臆病者だ。それに最初は君と付き合いたいなんて思えなかった。俺のことを見ているわけがないことは知っていたから。でも段々そんなことどうでもよくなっていった。君が俺の隣にさえいれば、誰を想おうと関係ない。俺はただ君の笑顔を隣でみたいだけなんだ。その笑顔が誰のためでも。
そう気づいたとき、もう自分は中三になっていた。彼らの関係は数ミリも動いていなかった。
そして話は急に展開しだす。いや、俺が動かした。
中三の九月、真哉と歩く俺の耳にずっと追いかけてきた声が聞こえた。
「真哉」
俺の隣の奴が声の主を探す。
「何?」
君と真哉の間の空気を感じることが、前はただ切ないだけだったのに今は、嫌だ。幼稚で勝手な独占欲が芽生えていた。
「ふーん、そっか。了解」
「よろしく!あ、ごめん雅くん、引き止めちゃって」
隣にいる雅憲に声をかける。
「全然いいよー。いってらっしゃい、進路指導室でしょ?」
「うん、じゃね真哉、雅くん」
こうやってずっとついでに声をかけられてきた。もう少しだけ君の中の立ち位置を変えたいと願うぐらい許されると思った。
「うん、じゃね真哉、雅くん」
そう行って去っていく奏子。その後ろ姿を見てから、俺も反対方向に歩きだした。
動かない関係を、動かすために俺は道を進む。
「なあ真哉」
その道が正しいかなんて知らない。だけど俺にはその道しか見えなかった。
「俺、奏子ちゃんのこと好きだから」
真哉の方を見て、まっすぐにまっすぐに話す。後で後ろ指さされないように。
「今、何て…」
こんな感情が表に出ている真哉を見るのはいつぶりだろう。もしかしたら出会った喧嘩以来かもしれない。
「奏子ちゃんのこと好きだから、中一のころからずっと。いきなりだけど今日奏子ちゃんに告白するつもり」
真哉が彼女を好きなことなんて、ずっと気づいていた。そして彼女も気づいていないだけで、お前が好きなんだろう。初めてお前の、彼女を見つめる目を見て恐怖を感じたのはあのときの自分が彼女を想う気持ちより遥かに深い想いが見えたから。自分なんかかなうわけないと思わされた。だけどもう慣れた。それにもう君たちを見るのも疲れた。彼女の隣にいくチャンスをもらってもいいだろう?俺が隣にいたって彼女はお前を見続けるだろうから。
「告白…するのか」
だけどもし、真哉がここで自分も奏子を好きだと、お前には渡したくないと、いうのなら諦める。彼女を幸せにする役目は、本当は真哉のものだから。
そしてもし、俺を止めないのなら…
「雅…」
「何?」
「行ってこいよ、進路指導室だろ?」
躊躇わない。なにがあっても。
「……ああ」
決して真哉は俺を見なかった。
進路指導室の前で何を言ったかもう覚えてない。ただ一つ覚えているのは、真哉の名前を出した途端泳いでいた君の目がまっすぐ俺を見出したことだけだった。
まさかその日のうちに返事をもらえるとは思っていなかったから、君からの電話にかなり驚いた。
「もしもし、奏子です」
瞬間に心拍数はあがった。
「もしかして、返事?」
「うん、あのね、私、雅くんと付き合うことにする」
女神はいたずらに俺に微笑んだ。
それから、俺は確実に幸せだった。君が隣にいることが俺の全てを満たした。あいつが映るその目を見ないように君を抱きしめ、あいつの名を呼ばないように君の唇に口づけた。君といたいくつもの瞬間が永遠になればと何度も願った。だけどその願いは流れ星に願っても叶うことはない。だから君との時間は砂時計のように流れ続けた。そして高一の二月、俺の幸せは完全に崩れ始めた。
「真哉!」
「…おっす」
帰ってたら真哉の後ろ姿を発見した。呼ぶとだるそうに振り向く。そのいつもやる気のない感じ、直したほうがいいと思う。
「奏子は?一緒に帰んないの」
横に並んで数歩歩いた後聞かれた。
「ああ、なんか用事あんだって。なんだっけなー、お母さんがどうとか…」
「ちゃんと聞いとけよ」
会話が続かない。無言の時間に負けて、口が滑った。
「…なあ真哉」
「何」
「この前のバレンタイン、奏子からもらった?」
別に聞くつもりはなかったのに、聞いてしまった。ただ気になっていたのは本当だった。
「…もらったけど。お前ももらったろ?」
「もち。くれるとき何か言った?奏子」
「いや、別に普通。『はい、ハッピーバレンタイン』って。…何お前気にしてんの?奏子はお前の彼女だろ?」
俺は焦って何かを言おうとした。それがいけなかった。
「でもお前は奏子のこと好きだろ」
言ってしまったと思った。だけど真哉は表情をほとんど変えることなく応えた。
「何を今さら。お前が告白したときから知ってたくせに」
「…分かってたんだ」
昔の罪を自白させられた気分だった。その罪を真哉は分かっていたという。ひどく自分が情けなく感じた。
「真哉、奏子に言わねえの?」
自分が情けなくて、真哉の心を覗きたかった。少しでも俺と同じ欲望を見つけたくて。
「何を?好きだって?…雅、お前どーしたんだよ」
だけど聞いた瞬間怖くなった。もし真哉が穢れなく彼女を想っていたら…
「いや、別にいい。気にすんな」
「………よ」
「え?」
「言わねえよ」
俺はどうしたらいいか分からなくなる。
「絶対に言わねえ。俺が言うことであいつが幸せになるんだったらいくらでも言うけど、違うだろ?雅といるのが今のあいつに一番いいんだよ。だから絶対に言わねえ。安心しろ」
お前は俺を安心させるために言ったのかもしれない。でもその言葉が真実であればあるほど俺は自分の不甲斐なさに悲しくなる。今まで幸せと思う度に感じた痛みのように。
正しいかもわからない道をずっとずっと歩き続けて、今俺はどこにいる?何を目指す?
「…そっか」
ありがとうとは言えなかった。
結局俺は君より自分のほうが大切だった。君の心より自分の気持ちのほうが重かった。ただそのことに気づくのはあまりにも遅くて、自ら君の手を離せるほど強くはなかった。誰か、どんな別れでもいい、彼女を俺から解き放って、果てしない空へ飛び立たせてほしい。誰かに頼ることはずるいと思われてもいい、君をこの手で傷つけるよりましだった。
君はこの気持ちをずっと感じていたのだろうか。
「奏子!お前教室で待ってくれてるんじゃなかったのかよー」
ある日一緒に帰る約束をしていた奏子をやっと昇降口で見つけた。何があったかも知らずに。
「ご、ごめん」
「会えたし別にいいけど。帰ろうぜ!」
怯えたような奏子の目を見て不安がよぎった。その不安を隠すように帰り道はずっと奏子に話しかけた。でも気のない返事についに不安が最高潮になった。
「奏子、聞いてる?」
「…うん」
「…今日なんかあった?」
「…うん」
「俺が奏子のことすげえ好きなの知ってる?」
「…うん」
「奏子も俺のこと好き?」
「…うん」
もう止まらなかった。
「…真哉のことが好き?」
「…うん…え?」
やっとまっすぐ俺を見たその目。泣きたくなった。
「冗談だよ。そんな驚くなって」
嘘をつくしかなかった。いつかは別れを告げる君。悪あがきぐらいさせてくれ。
「…もういやだよ」
だけど君は俺を許さなかった。
「え?」
「そうやって何も言われないのもうたくさん!雅憲も、真哉も、自分一人で抱えこんで、私が何も気づかないって思ってんの!?……私…さっき真哉にキスされた。なのにごめんって言って出ていって。雅憲も一緒。絶対何かある顔してるのになんでもないって。私は、知ることより何より…二人が気づかないうちに離れていくほうが怖い」
君は空へ飛び立とうともがく。それを止める権利はもちろん俺にはない。
「…わかった。全部、全部話すよ。いいか?」
君は静かにうなずいた。
「俺は最初から分かってた。中学でお前ら見たときから、少なくとも真哉は奏子のこと好きって。だから俺が告白したときも承知の上で告白した。奏子がOKしてくれたときも、別に俺のこと好きなわけじゃないってことも分かってた。だけどその頃にはもう、奏子のこと諦められるレベルじゃなかったから、奏子が俺の隣にいることだけで嬉しかった。でも俺はずっと真哉に後ろめたかったんだ、俺は真哉が奏子のこと好きなのずっと前から分かってて、俺はいきなり真哉に、奏子に告白するって奏子とこいったから。それが最近特につらく感じて、ずっと考えてた。ただ、もう無理だよ、このままいくのは。…奏子、選んで。俺か真哉か。真哉を選ぶなら、俺はすっぱり諦める。その代わり、俺を選んでくれるなら俺だけを好きでいてほしい」
君がどんな結末を選ぼうとかまわない。俺の偽りの幸せに終止符を。
「…返事は、ずっと待ってるから」
それからはずっとずっと心が折れそうだった。自分でああは言ったけど、いつまで待てばいいかも分からないつらさは惨かった。ましてや待っているのは別れかもしれない。そう思うとまた叫びだしたくなった。君と別れたくない。そう言えればどんなに気持ちが軽くなるだろう。でももうそれは奏子自身が決めることだから、もう俺は何も奏子に言わない。ただ最後まで希望だけは持ち続けようと決めた。
あれから二日後の放課後、教室をでたら君に呼び止められた。
「雅憲!」
「…奏子。いきなりどうしたんだよ」
「返事を、しにきたの」
偽りない君の目を見るのは予想以上に悲しかった。
「私、気づいた。今までずっと雅憲と真哉のことタブらしてた」
君は夢から覚めた。
「私……、私、新一が…きっとずっと好きだった」
砂時計の砂は全て落ちた。上がることは、二度とない。
「もうこれ以上あなたと自分に嘘はつけないって言ったら聞こえはいいけど、真哉への気持ちに気付いちゃったら私、あなたを愛せない。キスもできない。身体が抱きしめられることさえ拒否するの」
今まで散々愛した君の目から溢れる涙。その涙を拭う役目は俺じゃない。
「あなたの隣には、いれません」
最初、ただ少し君の中の俺の関係を変えたかった。君の想いに蓋をして、あいつを裏切って。
「行ってきなよ」
どうか、どうか俺を許さないで。
「真哉のところに。俺はもう気にしないで?」
そしてもう振り返らないで。君は迷うな。俺は幸せになって、とただただ願うから。
真哉よりはやく君に会っていれば?
真哉より君を想っていれば?
真哉より君のことが大切なら?
君を離すことはなかったかもしれない。俺が生まれた意味が、君に出会うためならよかったのに。
今どんなに君が大切でも
どんなに君を想っても
どんなに君の近くにいても
君は真哉を選ぶ。俺が君を好きなように、君は真哉が好きだから。
君が飛んでいった後、俺の腕の中に残った一枚の羽根。その羽根を抱き締めながら俺は思う。
君を好きになった日々は苦しくてつらくて、好きにならないほうがよかったと何度も思った。それでも、きっとずっと思い続ける。奏子、君を好きになって幸せだった。ありがとう。さようなら




