20―1.もうすぐ涙は雪に変わる
がらんとした広場の一角。疲労に身を委ねて寝転がる。立体的な夕焼け雲が綺麗だった。
隣にはボブ。俺と同じ姿勢で倒れている。数秒前まで殴り合いという名の遊びをしてたから。
「まったく……相変わらず強えな……俺と引き分けとは、やるもんだ」
「サスガ、レンサンデスネ……楽シカッタデス。イイ思イ出ガ出来マシタ」
称え合う。ぶっ飛ばす勢いで戦ったが結局は無理だった。代わりに芽生えたのは友情だ。
手合わせする予定が重なったのは幸いだった。ボブとはしばらく会えなくなるから。
「ありがとな。お前を倒すのは俺だ。里帰りしても忘れるなよ」
「モチロンデス」
数日後には帰ってしまうらしい。出稼ぎに来てるのは知ってたけど、報告を聞いた時は少しだけしんみりした。
だけど俺は思い切り見送る。そのために組み手を申し込んだ。全力で戯れられて楽しかった。
「色々アリガトウゴザイマシタ。レンサン達モ御元気デ。マタ会エルト良イデスネ」
「へっ、達者でな」
起きてハイタッチをかわす。格闘大会の賞金がボブに渡ってよかったと思えた。
距離は遠くてもいつか会える。その時は今度こそ俺が勝ってみせる。再会するまでのさよならというやつだ。
ボブが大きな背中で色々なものを背負えるように、離れた街からずっと応援していよう。
―――――
別れが続いたからだろうか。最近ちょっとセンチメンタルな気分になることが多かった。
黒く染まった空の下。電気の消えた事務所の窓際に立って、ひとつだけ浮かぶ月を眺める。風のいないおだやかな夜だった。
「レンさん」
声が聞こえた。いつも隣に寄り添ってくれる人。振り返らなくても分かる。あまやかな響きを耳が覚えているから。
「風が冷たいな」
「そうですね」
腕を伸ばした先にある、冬夜を思わせる暗景。体は冷えるけど心はあたたかい。ひとりぼっちは彼方に消えた。
「冬が、来ますね」
「ああ」
近い立ち位置。手を繋ぐ。寒いせいだと心の中で言い訳しながら。
さらさらと流れ始めた雨の音。月夜が奏でる子守歌は、時間の歩みを忘れさせてくれた。
「降ってきましたね」
「洗濯物入れたっけ?」
「ふふ、もちろんです。天気予報は見てますから」
会話は少なくても満たされていく。気まずさなんてかけらもない。
ふとアリシアが俺を見つめる。俺が夜の窓際に来たのも、アリシアに呼ばれていたから。
「あの」
話があるみたいだった。青い瞳がひたむきな色を帯びていく。繋がっていた手が離れる。
「朝には、雨が上がるみたいなんです。だから、もしよかったら」
眼差しの中に宿るのは確かな意志。引き込まれる優しさを感じた。
「明日、私の生まれた研究所に行きませんか? レンさんにだけは、知っていてほしいんです」
言葉が空気に包まれる。アリシアの髪を飾る赤いリボンが、夜風に流されて小さく手をふっていた。
アリシアにとっての始まりの場所。今まで一度も語られなかった土地の名が、はっきりとした声で紡がれた。
「あ、もちろん、もう廃墟になっちゃってますけど……きっと、なにも残っていないです」
「研究所跡地、か」
「はい。それでも自分と向き合いたくて……私と、来てくれますか?」
アリシアにとっては忌むべき地。本当は思い出したくもないはずだ。
だからこそ、アリシアは立ち向かおうとしている。現実から逃げた先の結末を知ってるから。明るい景色を信じているから。
「ああ。俺でよかったら、どこまででも行くよ。久しぶりの旅行だな」
「えへへ、そうですね。なんだか気が楽になりました」
優しく微笑むアリシア。何度励まされただろうか。言葉よりも安心できるあたたかい光。
ふいに、うなじを隠していた金髪が上げられた。失われかけていた月が照らすのは、アリシアの首筋に残された過去の証明。
「実験ナンバー4230。そう呼ばれていたこともありました。もう、忘れちゃいましたけど」
傷口のように刻まれていたのは数字とバーコード。おそらく一生消えない刻印。だけど、今のアリシアにはささいな問題なのだろう。
「俺は気にしないさ。微妙におそろいだな」
「そういえばそうですね。レンさんの体の傷痕も、かっこいいですし」
過去には縛られていない。だから俺に打ち明けてくれた。驚きよりも感謝の気持ちがあった。
アリシアは普通の人とは少しだけ違う。新しい命を与えられた。最初は望まぬ生だった。
よどみを未来に変えられたのは、アリシアが前を向き続けていたから。あきらめることの愚かさを教えてくれた。
「今夜は早く寝ようか」
「はいっ」
俺もアリシアのことをもっと知りたい。運命が許してくれる限り、側で生きていたいから。
「眠れるか? 俺の布団ならいつでもあいてるぞ」
「だ、大丈夫ですよっ! そんなことしたら、目が覚めてしまいます」
そっぽを向いて赤面するアリシア。いつまでも、この大切な存在を覚えていたいと思った。
「すまんすまん。じゃあ手でも繋ごうか」
「……もー、レンさんはいつもそうやって」
「だめか?」
「……いいですけど」
離れていた手がそっと繋がれる。鼓動は旋律がごまかしてくれた。
秋の季節はもういない。時間は前だけに進んでいく。戻りたいなと祈っても、聞き入れる神様なんていやしない。
(俺たちの関係は、これから変わるのかな)
それはいいことなのか、はたまた悪いことなのか。答えは分からないけれど、ひとつだけ確信できることがある。
どうか明日も、アリシアが隣にいてくれますように。隠れてしまった月に向けて、ひとつかみの思いを託した。




