第6話 まるくて、ふわふわで、とても強い
土曜日。
冬馬は、一階層にあるギルド設置の休憩所にいた。
簡素なベンチと、給水所と、簡易トイレ。壁際にはAEDが掛かっている。探索者の間では、ひそかに「ダンジョン内で、いちばん安全な場所」と呼ばれていた。
午前中のせいか、他に人はいない。
「……よし」
冬馬は、深呼吸した。
鞄から取り出したカードは、思ったより小さくて、軽かった。
《ペットサモンカードを使用しますか?》
《※召喚できるペットは一種のみです。変更はできません》
「変更できない、か」
少しだけ緊張する。でも、迷う理由はなかった。
「はい」
指先から、カードが光に変わった。
光は、ふわりと床に降りていく。丸い塊になって、少しずつ形を持ち始める。
光が、収まった。
「…………」
そこにいたのは、手のひらにのるほどの、小さな生き物だった。
白くて、まるくて、ふわふわしている。頭の上には、体に不釣り合いなほど大きな耳が、ぴんと立っていた。つぶらな黒い瞳。ちょこんとした鼻。尻尾は、小さな毛玉のようにまるい。
「……かわいい」
思わず、声に出た。
その生き物は、きょとんとした顔で冬馬を見上げ、首をこてんとかしげた。
「…………!」
冬馬の中で、何かが決壊した。
「かわいい! かわいいぞ! お前、なんだ、何なんだ!」
膝をついて、両手をそっと差し出す。小さな生き物は、迷いもせずにぴょんと跳んで、冬馬の手のひらにちょこんと収まった。
温かい。やわらかい。
「鑑定」
念のため、鑑定Ⅱを使ってみる。
《種族:不明 状態:好奇心旺盛》
「種族不明か。まあ、いい。お前は、うちの子だ」
鑑定の文字は、さらに続いていた。
《状態:やや空腹》
「……腹が減ってるのか?」
ぐぅ、と小さな音がした。冬馬の手のひらの上で、小さな生き物のお腹が鳴った音だった。
「ちょ、ちょっと待ってろ」
慌てて鞄を探る。出てきたのは、昼食用のコンビニおにぎり。鮭だ。
包装を剥いて、小さくちぎり、そっと差し出す。
小さな生き物は、鼻をひくひくさせたあと、ぱくりとかぶりついた。
「…………!」
つぶらな瞳が、きらきらと輝いた。
そこからが、早かった。
おにぎりが、消えた。
一個目。二個目。三個目。冬馬の昼食三個分が、あっという間に、この小さな体に収まった。
「……おい、どこに入ってるんだ」
小さな生き物は、満足そうに、お腹をぽんぽんと叩いた。
「名前、つけなきゃな」
丸くて、白くて、ふわふわしている。
「ポム……ってのは、どうだ」
どこから出てきた名前なのか、冬馬自身にもわからなかった。ただ、りんごを意味する言葉に、響きが似ている気がした。まるいから、ちょうどいい。
小さな生き物は、少し考えるように、耳をぴこぴこと揺らして――それから、冬馬の頬にすりすりと顔を寄せた。
「気に入ったか」
返事はない。話さないらしい。
でも、その仕草だけで、十分すぎるほど伝わってきた。
「よろしくな、ポム」
冬馬の肩に、ポムがぴょんと飛び乗った。
こうして、おじさんと小さな相棒の、ダンジョン生活が始まった。
二階層。
「ポム、見てろよ。おじさんが、かっこいいところを見せてやる」
肩の上のポムは、わくわくした顔で頷いている……ように見えた。
ゴブリンが、四体。
冬馬が一歩踏み出そうとした、そのとき。
肩の重みが、ふっと消えた。
「え」
ポムが、跳んでいた。
小さな体が、ぴょんと弧を描く。
そして、先頭のゴブリンの顔面に、ぽふっ、と体当たりした。
――ぽふっ。
音は、それだけだった。
しかし。
次の瞬間、ゴブリンは、十メートルほど吹き飛んで、壁にめり込んでいた。
「…………え?」
冬馬は、固まった。
残る三体のゴブリンも、固まっていた。
ポムは、くるりと着地して、冬馬を振り返った。
「…………!」
どうだ、と言わんばかりに、胸を張っている。
「ポ、ポム?」
そこからは、一方的だった。
ぽふっ。ぽふっ。ぽふっ。
ゴブリンたちが、次々に宙を舞う。毛玉が跳ねるたびに、緑の影が壁にめり込んでいく。
十秒もかからなかった。
静かになった通路に、ゴブリンの牙が四本、からんと転がった。
「…………」
冬馬は、ポムを見た。
ポムは、冬馬を見た。
そして、小首をかしげた。
「いや、お前、強すぎるだろ……」
ポムは、嬉しそうに、耳をぴこぴこ揺らした。
かわいい。
強いのに、かわいい。
冬馬は、ポムをそっと抱き上げ、頬ずりした。
「よしよし、よくやった。おじさんの出番がなかったけど、よくやった」
そのまま、奥へと進んだ。
進むほど、ポムは大活躍だった。魔鼠も、ゴブリンも、ぽふっ、のひと撃ちで終わる。冬馬の短剣は、鞘に収まったままの時間の方が長かった。
「俺、いらなくないか……?」
いや、いらなくはない。素材を拾う係がいる。
「……拾う係か」
少しだけ、自分の立ち位置を見失いそうになったとき。
通路の先から、地響きが聞こえた。
どん。どん。どん。
壁の苔が、細かく震えている。
「……何だ?」
足元の水が、波紋を作った。気づけば、通路の先が、広い空間に繋がっている。
水場だった。
鷲尾さんの忠告が、頭をよぎる。
――二階層の奥の水場には、絶対に近づくな。
「……あれ。ここ、もしかして」
冬馬の頬を、冷たい汗が伝った。
水場の中央で、岩が、動いた。
岩ではなかった。
岩のような、甲羅だった。
全長は、三メートルを超えるだろう。ごつごつとした灰色の甲羅の下から、太い四本の足が、水を踏みしめている。鈍く光る小さな目が、こちらを捉えた。
《岩亀 体長三・二メートル 弱点:なし(甲羅は極めて硬い) 素材:甲殻》
鑑定Ⅱが、冷静に告げる。
「弱点なしって、書いてあるんだが」
岩亀が、低く唸った。
次の瞬間、尻尾が、鞭のように振り下ろされた。
「うおっ!」
高速移動で後ろに跳ぶ。直前までいた場所の岩が、粉々に砕けた。
「冗談じゃないぞ……!」
短剣を構える。紫の稲妻を、甲羅に叩き込む。
ばちん!
電撃は、甲羅の表面で弾かれた。傷ひとつ、つかない。
「ですよね!」
岩亀が、前足を振り上げる。避けきれない。咄嗟に、コートの袖で受ける。
どんっ!
衝撃が、体を貫いた。痛い。だが、月影のコートのおかげで、骨は折れていない。それでも、冬馬の体は大きく吹き飛んで、壁に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
岩亀が、ゆっくりと迫ってくる。
(逃げるか。いや、逃げ切れるか。ポムは……)
視線を、巡らせる。
ポムが、いない。
「ポム!?」
次の瞬間、冬馬は、見た。
岩亀の頭上に、小さな白い影が、ふわりと舞い上がっているのを。
ポムが、跳んでいた。
大きな耳を、ぱたぱたと揺らして。
「…………!」
小さな体が、まっすぐ、岩亀の甲羅めがけて降下する。
冬馬は、目を見開いた。
ぽふっ。
――やはり、音は、それだけだった。
しかし、三メートルの巨体が、宙に浮いた。
「え」
浮いたまま、岩亀は、水場の端へ吹き飛んでいった。ごつん、と轟音が響き、壁面に衝突する。
そのまま、ずるずると、床に落ちた。
岩亀は、ひっくり返って、動かなくなっていた。
「…………」
長い、長い沈黙。
ポムは、水場の縁にちょこんと着地し、くるりと冬馬を振り返った。
そして、胸を張って、耳をぴこぴこと揺らした。
「……ポム」
「…………?」
「お前、最強か」
ポムは、嬉しそうに首をかしげた。
ぐぅ、と、また、お腹が鳴った。
「……腹が、減ったのか」
冬馬は、笑った。笑いながら、少し泣きそうになっていた。
ベテランのパーティが撤退した、二階層の主を。
手のひらサイズの、まるい毛玉が、一撃で。
「帰ったら、好きなだけ食わせてやる」
冬馬は、ポムを抱きしめた。
ポムは、冬馬の頬に、ぎゅっと顔を押しつけた。




